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1.10 王弟のご落胤(2)

 私の父はフランス王国の国王で、ジャンの父・亡きオルレアン公は王弟だ。

 私の父と、ジャンの父が兄弟ならば、私とジャンは——


「俺たちは友達じゃないですよ。従兄弟なんです」

「いとこ?」


 私の頭の中で、家系図が枝分かれして人間関係を理解するまで少し時間が必要だった。

 きょとんと無言のまま固まっていると、ジャンが私を起こしてくれた。

 もう涙は止まっていたが、ジャンは自分のハンカチを取り出すと私の泣きはらした頬と鼻を拭いてくれた。僧衣(ローブ)についた砂埃を払いながら、


「友達よりも従兄弟の方が、身内っぽくていいと思いませんか」


 そう言って、少し照れたように笑った。


 私には父も母もいるし、兄も姉もいる。

 今まで一度も会ったことがなくても、いつか会える可能性ならある。

 ジャンには誰もいなかった。父の顔を知らない。母の顔もおぼろげだという。


「オルレアン公の奥さんはいい人だと思います。でも、他人です」


 そう言いながら、自分に言い聞かせるように「他人だけど恩人だから感謝している」と付け加えた。


「王子は、俺のたったひとりの身内なんですよ」


 ジャンは、また自分に言い聞かせるように「でも、主従なんですけどね」と言って笑った。


「俺の夢は騎士になることだから、大人になったら修道院を出て行きます。でも、手紙くらい送りますし、たまには王子に会いに帰ってきますよ。俺の武勇伝を聞いてください」


 オルレアン公夫人の義務に付き合うより、王子と話をする方が楽しいし、気楽だ。

 王子もね、父君や母君から手紙が来ないと泣くより、王子の方から手紙を送ればいいんですよ。もう少し、字が上手くなってからの方が良いと思いますけどね。

 ジャンはそんなことを言った。


「ジャンはデュノワ伯なんだね」

「なんかよく分からないけど、そういう身分になるらしいです」


 私もジャンも、まだ貴族社会の仕組みについてよく分かっていなかった。


「へへっ、同じだ」

「何がですか」

「私はポンティユ伯なんだ!」


 私が生まれたときに授けられた称号だった。

 私はポンティユ伯。ジャンはデュノワ伯。同格の身分で嬉しかった。

 しかし、ジャンは違った。


「それだけですか」

「たぶんね」


 私が能天気に笑っていると、ジャンは鼻息を荒げた。


「王子は、王様と王妃さまの子でしょう! 王弟の庶子と同じでいいんですか!」

「別にいいよ」

「よくないです。全っ然よくない!」

「えぇ……、どうしてジャンは怒っているの?」

「そりゃ、怒りますって!」


 私が困っているのを見ると、ジャンは脱力してため息をついた。


「王子はまだ小さいですからね。欲がなくてもいいけど、もう少し偉くなってくださいよ。その方が俺は嬉しいです」

「どうして、私が偉くなるとジャンは嬉しいの?」

「なんでって、そりゃ……」


 私とジャンは、見た目や性格が似てないようで似ていた。

 考えてみれば私たちは従兄弟なのだから、祖父から父へと引き継がれた顔つきや体つきが似ていたのだろう。


「王子は、俺がかっこいい騎士になって帰って来たら嬉しくないですか」

「うん、嬉しい! 早く見てみたい!」

「そうでしょう。俺も同じです。王子が偉くなったら俺も嬉しい」


 私にはよく分からなかった。

 ジャンの夢は騎士になることだ。その夢が叶ったら、嬉しいに決まっている。

 だが、私は偉くなりたい訳じゃない。それなのに、ジャンは嬉しいのだろうか。

 まだ幼い私には、小さな疑問を言語化することは難しかった。


 私とジャンは、似ているようでまるで似てなかった。

 私たちの間には、つねに友情と信頼があった。

 同時に、小さな違和感と決定的な食い違いがあった。




 ***




「あっ!」


 私はあることを思い出した。


「ジャン、早く帰ろう!」

「どうしました?」

「今日はランスから巡礼者が来ていたでしょ」


 礼拝堂の裏口で、若い尼僧(ノンヌ)たちが「これからパン・デピスを作る」と話しているのを聞いたのだ。


 日持ちのする香辛料(スパイス)入りのパンで、ランスでは巡礼者に持たせる習慣があった。

 小麦粉とライ麦粉にたっぷりハチミツをまぜ、牛乳と卵と砂糖を加え、シナモン、ジンジャー、ナツメグなどの香辛料とドライフルーツを投入し、1時間ほど焼く。


 保存食と言っても、質素な修道院生活では豪華なパンだった。

 子供にとっては甘いおやつでもある。


 私がもらってきたおやつは、パン・デピスに入れる材料のお裾分けだった。

 ジャンは私のハンカチの中身を見ると、「これは洗って乾かして、明日の修行の後で食べましょう!」と言ってくれた。

 私とジャンは顔を見合わせると、にへへとだらしなく笑った。

 泣いている場合ではない。


「急ぎましょう。もしかしたら焼きたてを食べさせてもらえるかもしれない」

「うん!」


 私たちは僧衣の裾を膝上までたくし上げて、全速力で走った。


(※)重複投稿しているアルファポリスでは画像投稿できるので、作者による挿絵「パン・デピスと幼なじみ主従」をアップロードしました。

https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/595255779/episode/1722156


(※)パン・デピスはジンジャーブレッドの原型になったお菓子(元は保存食)で、発祥はランスまたはディジョンと言われています。砂糖でアイシングもしていたそうですよ。

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