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7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】〜百年戦争に勝利したフランス王は少年時代を回顧する〜  作者: しんの(C.Clarté)
第七章〈王太子の都落ち〉編

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7.20 迷いの森(6)遅れてきた献上品

 私は再びライルの馬にまたがると、今しがた来た道を引き返した。

 ライルの知人らしい男も、自分の馬に騎乗して私のすぐ後をついてくる。


「敵の数は?」

「射手がひとり。すぐにライルが打ち倒したけど、茂みの中にまだいるみたいだった」


 人数までは分からない。

 残党はひとりかもしれないし、徒党を組んでいるかもしれない。

 日が落ちて、辺りの景色は青みがかっている。

 もう少しすると完全な暗闇になるだろう。




 ***




 心配は杞憂だった。


「よぉ、早かったな」

「ライル! シャステル!」


 私は転げ落ちるように下馬すると、ふたりに駆け寄った。


「殿下、よくぞご無事で!」

「ふたりの方こそ! 敵はどうなった?」


 シャステルとライルと、壊れた馬車と草を食む馬車馬が私を迎えた。

 見たところ、出発したときと何も変わっていない。


「そんなに見たいのか?」


 いつの間にか、ライルが松明を作って掲げていた。


「何を?」

「敵」

「いるの?」


 ライルが顎をしゃくった先は、壊れた馬車だった。


商隊(キャラバン)の荷物みてぇに詰め込んでやった」


 よくよく思い出してみると、私は単独で囮になって駆け出したのに、背負った盾には一本も矢が当たらなかった。

 茂みに潜んでいた襲撃者は、動かない馬車を射ることができても、動く標的を射かける技能を持っていなかったようだ。


 シャステルとライルは下手な矢が放たれた軌道から敵の居所を割り出し、二人がかりで急襲した。


 敵の正体は分からないが、王太子専属護衛隊長のシャステルと、自称・悪党にして元盗賊のライルの相手にならなかったようだ。

 ライルの手で身ぐるみ剥がされ、シャステルの手で縛り上げられ、壊れた馬車にぎゅうぎゅうに詰め込まれて監禁されていた。


「このままロワールの川底に投げ捨てて、魚のエサにしてやろうぜ」


 ライルが恐ろしい処罰を提案をした。まるで溺死刑だ。

 私がやり方に難色を示すと、ライルは「甘ぇ! 盗人にはふさわしい刑だ!」と怒りをあらわにした。


 昔、ライルがこの辺りで野盗まがいの悪さを働いていたとき、人目につきにくい拠点を何カ所か持っていた。

 紆余曲折を経て、ライルは罪人の焼き印と引き換えに過去を捨て、真っ当な傭兵になろうと決めた。

 いま、傭兵としてこの地に舞い戻り、馬車の修理に使えそうな道具をもとめて久しぶりに昔の拠点を訪れると——

 傭兵から山賊に転職した連中に乗っ取られていたらしい。


「俺様は被害者だ! こいつらをぶち殺す権利がある!」

「ただの盗人ではない。これは殺人未遂で、しかも王太子殿下を襲ったのだから大逆罪になる」


 シャステルは、大逆罪にふさわしいのは八つ裂きの刑だと主張した。

 罪人の手足に縄をくくり付けて馬を四方に走らせ、生きたまま四肢を引き裂く最高刑になる。


「ちょうどここに馬が1頭、2頭、3頭……うん?」


 シャステルはここで初めて、人がひとりと馬が一頭増えていることに気がついた。

 私が連れてきた味方とおぼしき謎の男だ。


「なんでテメエがここに?」

「それはこっちが聞きたい」


 ライルが大げさに驚き、男の方は予想していたのか冷静だった。


「小姓殿の馬に見覚えがあった。もしかしたらと思っていたら、やっぱりな」


 あらためて、ふたりは知り合いなのかと聞いてみた。

 男は少し顔をしかめると「同郷の腐れ縁だ」と言い、ライルは平然と「こいつは裏切り者だ」と言い放った。


「ええっ、敵なの?」

「俺様にとっては間違いなく敵だな」


 ライルはにやにやしながら悪態をつき、男は何も言わなかったがあきれたように肩をすくめた。

 ふたりの掛け合いから、気の置けない知り合いだということは察せられた。


「ふたりは何者なの?」


 軽い気持ちでそう尋ねると、ライルに「よりによって、おまえがソレを言うか!」と突っ込まれてデコピンされた。

 このときの私はデコピンという悪戯を知らなかったが。


「いたっ! 何、今の!」

「へっへっへ、隙が多すぎだぜ坊ちゃ——」


 ライルが答えるより早く、シャステルの鉄拳が炸裂した。


「気安く触れるな、無礼者め!」


 旅のはじめは痛そうで見ていられなかったが、いつのまにか見慣れた光景になった。

 私はようやく緊張がゆるんだのか、ぷっと吹き出した。

 新参者の男はしばらく考えあぐねていたが、はっと何かに思い至った。


「ここにライルとシャステル殿がいるということは、小姓殿はまさか!」


 男は驚愕し、信じられないと言いたげにこちらを見ている。

 今さら、隠す必要はないだろう。


「私は」

「控えよ〜! ここにおわす御方をどなたと心得る!!」


 私が自己紹介をするより早く、ライルが芝居がかった口調で何か言い始めた。


「失礼しました!」

「ふははは……」

「まさか王太子殿下とはつゆ知らず、小姓と勘違いするとは……」


 ライルが調子に乗って大げさな口上で紹介したせいで、男は額を地面にこすりつけてひれ伏した。


「ふははは、ざまぁねえな。王太子を小姓と間違えるとは万死に値するぞ! 穴を掘ってひれ伏せ! そんで、靴を舐めて許しを乞うんだな!」


 ライルがやけに尊大な態度で男をなじった。

 ひざまずいて拝礼や接吻を受けることはあるが、穴を掘るだとか、靴を舐めるという礼儀作法は聞いたことがない。


「知らなかったとはいえ、数々の非礼をお許しください」

「だめだ、ゆるさねぇ」

「もう、ライルは黙ってて! いまは緊急事態だから無礼講だよ。だから気にしないでほしい」


 顔を上げるように促し、男の名を呼ぼうとしてまだ知らないことに気づいた。


「私の名はシャルル・ド・ヴァロワ。若輩だがこの国の王太子だ。訳あっていまは身分を隠してここまで旅をしてきた。シャステルは私を守る護衛隊長なんだ」


 シャステルはうやうやしく居住まいを正し、男は無言で黙礼した。


「貴兄のことも教えてほしい。どうしてここへ? 名は何と?」


 性懲りもなく、ライルが割り込んだ。


「こいつはサンチョだ」

「サンチョか」


 パリを脱出する時に、シャステルが門番にその名を告げた記憶がある。

 でまかせだと思っていたが、まさか実在していたとは。

 そう思ったのもつかの間。


「いい加減にしろ、ライル。誰がサンチョだ……」

「違ったっけか?」


 男は小声でサンチョ呼びを否定すると、ガスコーニュ出身のジャン・ポトン・ド・ザントライユと名乗った。

 そして、「ライルは名前の綴りを覚えられない愚か者だ」と罵った。


「なんだとッ!」

「どうか、この愚か者のくだらない話に耳を傾けないように。俺は、いえ私は先だっての馬上槍試合(トーナメント)に同郷のライルとともに参加して……」

「そう! 俺様の付き合いで参加したくせに、なぜかこいつだけ士官に採用されやがった。この裏切り者め!」

「……以来、アルマニャック伯の配下として宮廷の末席で働いておりました」


 どうやら、ライルの言う「裏切り者」は逆恨みのようだ。

 ふたりの掛け合いを聞きながら、なぜライルは実力があるのに仕官できなかったのか分かる気がした。

 格式を重視する宮廷では、聖職者と王侯貴族に敬意を払わない者を「礼儀知らずの野蛮人」だと評価するだろうから。

 それよりも、久しく会っていない宰相の名に、私ははっとした。


「宰相! アルマニャック伯はどこにいるの!」


 ほんのひと時、希望が灯ったかに見えた。

 私がシャステルに守られながらここまで来たように、アルマニャック伯もザントライユに守られて近くまで来ていると思ったから。

 早く会いたかった。これからのことを相談しなければならない。

 宰相は私を励まし、また導いてくれると信じていた。


「主人は……。宰相閣下はここには来ておりません」


 ザントライユは無情にもそう告げた。


「私と仲間たちは、王太子殿下を探し出して、いち早く合流するようにと命令されました」


 これまでの経緯を聞いている間に、角笛に反応した者がひとりふたりと集まってきた。

 彼らはみなアルマニャック伯の元臣下で、王太子を加勢するように命じられ、探索しながら追いかけてきた。

 調査と聞き込みから、この森の周辺に目星を付けて張り込みをしていたという。


 シャステルは頼れる護衛隊長で、ライルも心強い存在だが、想定外の出来事が連続して疲弊していたのも事実だ。

 待ち望んでいた援軍だった。

 それなのに、私は手放しでは喜べなかった。


「宰相はどこで何を……」

「これなる物を献上するようにと預かってまいりました」


 厳重に封印された木箱を受け取った。

 中身は陶器の瓶で、割れないように幾重にも綿が詰め込まれていた。

 書簡のようなものは見当たらない。


「宰相閣下は、これは約束していた献上品だと申しておりました。きっと、いまの殿下には必要な物だろうと」


 おそるおそる瓶を開封すると、強い香りが鼻腔を駆け抜けた。

 葡萄酒(ワイン)よりもずっと濃くて芳醇な酒の匂いに、寒い日の記憶が蘇った。


 クリスマス前夜、ブルゴーニュ公と母妃が対立政府を樹立した日。

 私は寝付けなくて、一晩中アルマニャック伯と語り明かした。

 宰相は琥珀色の飲み物を飲んでいた。

 それは何かと尋ねると、ブランデーという新種の蒸留酒だと教えてくれた。


「わが故郷、アルマニャック秘伝の気付け薬でございます。ここぞという時に、勇気を奮い起こすためにコレを飲みます」


 あの時、私はむせてしまってほとんど飲めなかった。

 アルマニャック伯は、果汁を足して柔らかくしたものを献上すると言っていた。


 この緊急時に、献上品の差し入れとは恐れ入る。

 アルマニャック伯はずいぶんと余裕があるみたいだ。

 それとも、いま送りつけなくてはならない事情でもあるのだろうか。


「これは……私にはちょっと強すぎる」


 貴重な酒をこぼしてしまわないように、しっかりと抱えた。

 ともすると、指先が震えて取り落としてしまいそうだった。

 宰相の好意を無にしてはいけないと思った。


「最後の任務として献上品を託されると、宰相閣下はおひとりでブルゴーニュ派に投降しました。その後の行方は分かりません。私たちは言いつけ通りにパリを脱出してここまで来ましたから」


 あの夜、アルマニャック伯は「私は凡人ですから」と自嘲していた。

 だから、ここぞという時には勇気を奮い起こすために気付け薬の酒を飲むのだと。


「宰相は投降するときにこれを飲んだのだろうか」

「それはどのような意味で?」

「ブルゴーニュ公は恐ろしい人物だと聞く。恐怖をまぎらすために酒を飲んでいたのだろうか」

「私の知る限りでは素面(しらふ)だったかと」


 ザントライユは、アルマニャック伯は強い人物だと付け加えた。


「宰相閣下は、無怖公の横暴に抵抗した宮廷人です。同じガスコーニュ出身者として誇りに思います」


 若き日のアルマニャック伯は、ベルトラン・デュ・ゲクランの元で騎士道を学んだと聞く。

 だが、名将との誉れ高いゲクランと違い、騎士アルマニャック伯は戦場が恐ろしくて故郷の酒の力に頼ったとも言っていた。あれは謙遜だったのだろうか。


「私の想像ですが、それは閣下が所有していた最後の一本を献上品として残していた分ではないかと」


 宿敵ブルゴーニュ派に降伏するとき、宰相は酒の力を借りなかった。

 彼は本当に強い人間だったのか、それとも家臣の前で見せた強がりだったのか。

 どちらにしても、宰相の自尊心を思いやるなら弱さを暴き立てるべきではない。


「そうか。大儀であった……」


 私は、悲嘆の思いがあふれてこぼれ落ちそうだった。

 宰相の恐怖も弱さも、その命と尊厳も、暴かれて傷つけられてはいまいかと。

 器が割れて、失われていないようにと願って止まない。


 森に夜が訪れたが、松明を掲げたからそれほど暗くない。

 先行していた先触れが、新しい馬車を調達して戻ってくるそうだ。

 次の町につくのは夜更けだろう。山賊は町の民兵に引き渡すことになった。


「殿下、もう心配はいりません。アンジューまであと一息です」

「うん。シャステルも疲れただろう」

「滅相もございません!」

「はは、強いなぁ」


 光よりも、いまは夜を恋しく思う。

 夜陰に紛れて私の顔が見えなくなったら、老宰相のために少し泣こう。

 アルマニャック伯が宰相の仮面をかぶり続けたように、私も王太子の仮面をかぶり続けなくてはならない。

 たとえ似合わなくても、そうするしかないのだから。

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