第52話 運命を回避したような気分だよ
ドドドン、ドン、パパパン。
銃声が重なった。
真理ちゃんへと集中する火線。
真理ちゃんは目を見開いた。それは弟さまが眼前に立ち塞がったからか。それともそれでもまだ火線が自分に向けて伸びてくるからか。
その真理ちゃんの前に立ち塞がった寛司は懸命に腕をひろげて微妙に高低を調節しようとしている。
だがその動きがビクビクと動いたり動かなかったりで、深度一の重ね掛け包囲網を食い破ろうと、対処しまくってるのがうかがえた。
もうすぐ弾着する。
ひとつを、弟さまは諦めた。
真理ちゃんの前に立ち塞がったまま、その上で己のこなしてきた対処をすべて放棄し、己の身は諦めた。そして寛司は、真理ちゃんに状態固定をかけた。
ならばオレは──。
それならオレはっ──。
オレは弟さまに深度一をかけた。
やったのはそれだけだ。
オレたちが動けたのはそれだけだった。体感でおぼえた同時併用可能なダブルもあるけれど、もっと精緻にコントロールされた、同時並行起動なんてものが出来たらなぁと、ふと思った。でもオレには脳が一つしかない。頭の中で算数しながら社会の勉強をすることは出来ないし、銃弾を数えながら、あいつらの動勢をすべて把握するなんてことも出来なかった。
やったのはそれだけだったし──、
起きたのは、それだけのことだ。
結果はすぐに出た。
真理ちゃんに中るはずだった銃弾は一発以外はすべて寛司に着弾し、真理ちゃんには一発だけ、頸筋に中った。
あれだけまでして弟さまが守りに入った壁を、すり抜けたのだ。
弟さまに中った銃弾は、オレのかけた位相のずれでズラされて、そのまま位相の彼方に消えた。
そして真理ちゃんに中った銃弾は、衝撃すらも伝えることなく、その場にぽとりと落ちた。
さすがはダブルの主力能力、状態固定である。強い。そして固い。
だが静けさの中で、未だ赤い世界が明滅している。依然として深度一を幾重にも重ね掛けしているのだろう。
そしてその度にオレたちの挙動は狂わされる。
こいつら、戦い慣れてやがる。
オレたちよりも数段戦い方が上手だ。この深度一での位相をずらす使い方を観ただけでも、相当な数の敵をこの手で破ってきた、歴戦の嵌め手に思える。
この嵌め手は、まず初見では対処できない。位相のずれを繰り返されるだけで、精素酔いで潰される。その上に時の流れが遅くなるにしても、中てられた深度一を偏差させて散りばめることによって、その症状が早くなったり遅くなったりと、時が流れる遅さの中にも強弱が生まれる。
この強弱に対し、瞬時にすべてを対処しろと云われてもまず無理だ。その上で銃弾が止めを刺しに来るのだ。
通常空間を通して。
そう。おそらく銃弾の進路には、基本深度一で塞ぐようなことはしていないと思われた。あいつらは、オレたちには深度一を重ね掛けしつつも、味方の射線には細心の注意を払って深度一を施さないよう、エー・トゥールで制御してるのだ。そして撃つ方も、そこに銃弾を通すようきちんと訓練されている。
そんな印象をオレは受けた。だが、ほぼ間違いないだろう。
それが名目上とはいえ、ジャン・ジゼル護衛隊の通常訓練なのだろう。練度も精度も非常に高い。
たかが通常兵器と拳銃のことを舐めてかかるんじゃなかった。
あいつらの手札は──、
謎の起爆兵器。
それとオレたちには通用しないと思っていた通常の拳銃。
展開が遅くてあくびが出るぜと思っていた深度一。それを二度掛け三度掛け、それ以上に次々と掛けつづけて、世界の位相を次々と偏差させてずらす。
赤いあかい世界。
時を遅くし、もっと遅くし、時々通常にもどったりもするが、すぐにまた遅くなり、どんどん遅くなる。
そんな赤いあかい世界。
それだけしかなかった。
だがそれだけで違いを生み出し、オレたちは追いつめられている。
そして人数が、人手があると云うこと。
この恐ろしさを、オレはいま身に染みて感じている。
あいつらが深度一を解いて通常空間に復帰し、オレたちの結果を確認しに駆け寄って来ている。
だがその世界が一瞬だけ青く染めあがる。
オレが放った深度一が、弟さまの身体を覆い、オレたちをも覆い直す。
「解いた覚えはなかったけど、解かれてたな」
オレが恵風に話しかけると、恵風も何を話しかけられたのか察したらしい。
「お前のほどこしてた深度一か?」
「そうだ」
「たぶん、背後で爆発物を喰らった時だ。あれで途切れさせられた」
「あれか……」
あれも謎だ。
オレが深度一を展開してるのに、何故そこにいきなり爆発物を放り込めたのか。そもそもそんな爆発物をオレは見ていない。
周囲にもちゃんと眼を配ってたはずなのだ。
「すまん真司。オレだったら間に合わなかった」
恵風がポッケの中で頭を下げていた。
異変をただひとり感知してたのに、たとえ精霊魔法を発動することが出来ても助けるのは無理だったと言ってるのだろう。
だがそこは仕方ない。
恵風の精霊魔法は守備に向いてない。攻撃偏重とも言える。これはすべての精霊魔法がそうなのかも知れないけれど。
そもそもポッケの中からじゃ精密な操作など見えてないのだから出来やしないだろうに。感知しただけ大した物なのだ。
「気にするな。真理ちゃんも弟さまも生きてる」
恵風がホッとした顔を見せた。だがすぐに顔を引き締めて、まだ何かを訊こうとしたので、オレは恵風から視線を切って、真理ちゃんと弟さまの姿を確認した。
うん。頑張った甲斐はあった。ふたりとも無事だ。報われて良かった──。
しかし真理ちゃんを連れる弟さまを迷わず狙うとは、あいつら地球人だと思って容赦ないな。いや、フランス人も居るのか? セプトの人間と比べたら、日本人の方がまだ同胞だろうに。
手下どもも動きは遅いが動けなくはない。
「やられたな、兄さま」
「ああ。完全にやられた。真理ちゃんも大丈夫?」
「だいじょうぶ。ちょっとビックリしたけど。痛くもなかったよ」
銃弾が命中したことを言ってるのだろう。
それにしても、距離にしたら壁から投げ出されて四、五メートルのところに散らばったのに、弟さまへの距離も、真理ちゃんへの距離も、やたらと遠く感じた赤い世界、深度一だった。
「今はオレが深度一を張り直している。恵風との話を聞いててわかったろうけど、どうも切断されたようだ。その方法が今もってわからない」
「ああ」「はい」
「あいつらは強敵だ。ダブルがあるからって舐めてかかると、今みたいに簡単にやられちゃうぞ」
「ちょっと待って、兄さま」
「なんだ?」
「違和感の理由を知られる前に解除しよう、兄さま」
「いいのか?」
「大丈夫だ。死ぬはずだった運命を回避した気分だよ。そうそう死ぬ気はない」
真理ちゃんが弟さまの背中を軽く殴った。
真理ちゃんは怒っているようだった。
でも感情の発露はさせない。そこまでだよ、真理ちゃん。オレは手をかるく振って真理ちゃんを止めた。そんな暇はないのだと。
「兄さま。恵風は位相をずらすことは出来ない」
「何を言ってるんだ? 当たり前だろ」
「でも今の今まで忘れてただろ」
「ん? 言われてみれば」
「ごっそり記憶を消されてたんだよ。それどころか違う形で覚えてた節がある」
そんなことが出来るのは──。
「あれか」
「アレだと思う」
超臨界水みたいなアレだ。
オレと弟さまはさらに周囲に気を配った。
これからお前について話そうとしてるのだぞ、と。
わかってるんだろう? と。
だがしかし、気持悪いほど何も起こらなかった。
フランス人とセプトの連中が、見知らぬ深度一を深度一ともわからずに懸命に走ろうとしてることと、真理ちゃんが見慣れた青い世界にホッとしてることと、それ以外に物の動く気配は全くなかった。
周囲の確認で首を振ったときに感じた、生暖かい風が、まるでオレたちのいる底を這い回るようで、ひどく底気味悪かった。




