第36話 空へ行きたい
翌日、薫風幼稚園に行って、いつも通りみんなにご挨拶すると、みんながみんな、大丈夫だったとか、大変だったねとか、口々に慰労してくれた。
木下がやって来た時はみんな微妙な顔をしてたけど、同じ天才グループの絵里ちゃんと内田くんが木下に話しかけてあげてた。
うん。孤立するのはあんま見たくないしな。
誰も話しかけないなら、オレがずっと付きまとってやろうと思っていた。
ちなみに土井垣桜ちゃんはまだ来てない。ぷいっと顔を背けたまま、何の返事もしてくれなかったから、ああまた意地悪の一環なんだなと、あきらめて別れたのだ。
土井垣パパはいい人だったけど。
と思ってたらその土井垣桜ちゃんがやって来た。
つかつかとこちらにやって来る。
「パパが行って修羅場になったでしょ」
おお、相変わらずツンツンしてるなぁ。これでこそ土井垣桜ちゃんだ。
なのでオレはお礼を言っておいた。昨日は何を言っても取り付く島がなかったから。
「ううん。よく来てくれたよ。本当に助かった。もっと怒られるかと思ってた」
「そう」
残念そうですな、土井垣桜ちゃん。だが助かったのは事実だ。下げないでもいい頭を下げないで済んだ。それは突然現れたキミのおかげなのは間違いない。
「よかったわ。これで借りは返したからね」
「借り?」
「じゃ」
ツンツンして土井垣桜ちゃんは天才グループの机の方に行ってしまった。
しかし借りって何の話だろう。
土井垣桜ちゃんの意地悪な仕返しだと思ってたのが、実は御礼だったという話なのか。わからん。謎だ。謎だらけだ。
オレは土井垣桜ちゃんの様子をそうっと盗み見た。
いつもと変わらず木下たちと話してる。
聞いても教えてくれないんだろうな。それどころか怒られちゃいそうだな。
「おい、真ちゃん。遊ぼうぜ」
緑川くんがぼーっとしてるオレを呼びに来た。
「あ、うん」
グリクラグループにはもう真理ちゃんも知美ちゃんも来てて、席に座っていた。
オレもみんなのところに戻って、ぺちゃくちゃと昨日の出汁茶漬けのこととか話して、知美ちゃんと緑川くんの興味をとっても引いたりした。
ちなみに知美ちゃんは師匠のレパートリーとして非常に興味を持っていたし、緑川くんも戦飯ということで、腹の塩梅をそこまで考えてやるのかと、柔道の参考にしていた。
くじら組の教室に山本先生と小菅先生がやって来た。そしてやって来て早々、オレは木下と一緒に、山本先生に呼ばれた。
教壇の前に出る。
みんなが息を飲むのがわかった。そう言えば父母会の動きとかどうなったんだろう。オレは全く聞いてない。
そんな戸惑いの中にいると、山本先生が、
「仲直りの握手をしましょう」
と言った。
「オレと先生が?」
「あなたと木下くんですっ」
あはははは、とくじら組のみんなが笑った。
そっちか。
オレは昨日先生にいっぱい怒られたからな。
教えを請う立場のオレが、先生に謝罪なんかを求める気なんて全くなかったから驚いたのだ。
やべー。
あとちょっとで、握手なんかして、仲直りするまでもないですよと、言ってしまうところだった。
山本先生はいい先生だしね。悪い先生だったら対応も違っただろうけど。
でもそういうことならと、オレは木下に向き直った。
こういうことはパッパと済ませよう。
おそるおそる手を出してくる木下の手をガシッと掴んだら、ヒッと木下が息を吸った。情けない声を上げるのならわかる。だが、おっかながられるとは思わなかった。
別に握り潰したりしないさ。むしろこれからのお前の幼稚園生活を思うと、気の毒すぎて、オレが構ってやろうと思ってたくらいだ。
とりあえず男前な絵里ちゃんに感謝しとけよ。昨日も一番怒ってたけど、今日は真っ先にお前に話しかけてたんだからな。わからなかったら後で教えてやる。
そしてオレは握った手をぶんぶんと振って、先生にニカッと笑いかけた。
「はい。よく出来ました。木下くん、真司くん、もう暴力を振るっちゃ駄目ですよ」
はい、と木下が返事した。先生もご満悦だ。だが──、
「降りかかる火の粉は払いますけどね」
とオレはそう返事しといた。
あ、先生ごめんなさい。そんな目で見ないで。
「と言っても、出来るだけ喧嘩はしません。ハイ」
「ほんとうですか?」
「本当です」
「嘘くさいですね」
「ウソじゃないよ~。ホントだよ~」
「まったくもう、真司くん。あなたが一番喧嘩強いんですから」
「え? 先生それは違うよ。一番強いのは緑川くん。男前なのは絵里ちゃん。オレは常にこの二人の後塵を拝してるじゃん」
くじら組のみんながドッと沸いた。
みんな異論はないらしい。
絵里ちゃんだけだ。異論がありそうなのは。
「はあ~。真司くんは政治家に向いてるのかも知れませんね。とにかく、真司くんは加減を覚えなさい」
「はい」
それからは通常の幼稚園の時間割通りに授業が行われた。保護者の間でどんな動きがあったのかは知らないが、それは昨日うちの大人が全員、真理ちゃんちにいたことに起因してるのかも知れない。
あとで真理ちゃんに聞いてみよう。
そうしてオレは歌の時間になったので、ちからいっぱい歌を歌った。
朝から歌うのは気持がいい。そんな歌の時間も終わって、次はお昼までお外で遊ぶ時間になる。
もちろんオレはお外に出た。そして同じグリクラグループの真理ちゃんをまず確保して、それから弟さまの姿を探す。
いたいた。
馬場ちゃんと赤樫くんと話してる。
「お~い馬場ちゃん」
「あ、真司くん」
「昨日はナイス・ファインプレーでした」
「ごめんね。大変なことになっちゃって」
「いいっていいって。馬場ちゃんが連絡くれなきゃもっと大変なことになってたから」
お、赤樫くんが会話に入りたそうにしてる。
てかオレと話してるぐらいで泣きそうな顔するなよ。
相変わらず馬場ちゃん命なのね。おっけ~。お手伝いしましょ。
「でも馬場ちゃんがピンチになっても、馬場ちゃんは大丈夫だよね」
「なんで?」
「だって赤樫くんが助けてくれるだろうし」
オレが赤樫くんに視線を送ると、
「もっちろんさ」
と赤樫くんが胸を張った。
「じゃあちょっと弟さま借りてい~い?」
と訊いたら、赤樫くんから、どうぞどうぞと言われた。
よかったな。これで二人っきりだ。
何としても禿げる前に馬場ちゃんを嫁にするんだぞ。キミの野望にオレは全面的に協力する。だってキミのお父さんが幼稚園にお迎えに来た時、以前より髪の毛がまた後退してるんだもん。
そりゃ禿げる前に彼女を作らないと、嫁をもらわないとって、必死にもなるよな。
幼稚園の三歳児で、そこまでの悩みを抱えてるのは、くじら組ではキミぐらいだ。
ガンバレ赤樫くん。オレは応援しているぞ。
と言うことで弟さまを借りた。
「なんだよ、兄さま」
「いや、ちょっと相談したいことがあってな」
「今じゃないと駄目なの」
「早い方がいい」
「おっけ。なぁに?」
オレと弟さまは水飲み場で真理ちゃんと合流して、早速本題に入った。
「昨日、うちの大人たちが全員真理ちゃんちにいただろ」
「浅野の小父さんもいたよね」
「ああ。真理ちゃんそれ、知ってる?」
「寝る前だったけど、お客さんで来たのは知ってるよ」
「何を話したのかは知ってる?」
「う~~ん」
と真理ちゃんがうなり声を出すと、梅子ちゃんが来て、
「寛司くん遊ぼう」
と弟さまを誘ってきた。
話が始まったばかりなのだが、弟さまを独占してるのも悪いか、と考えを改めた。
だって秋穂ちゃんと彩花ちゃんもいるんだもん。相変わらず弟さまは大人気だ。
オレと真理ちゃんはヒラヒラと弟さまに手を振った。
(後で教えるよ)
(おっけ~)
と魂の回廊で話を合わせたところで本題だ。
「ねぇ真理ちゃん。孝介さんとうちの親たちとの間で、たぶん木下の件で父母会の方にも連絡取ったと思うんだよね。じゃないといきなり今朝みたいに山本先生が握手でお終いなんてことにしないと思うし」
「うん。そっか。そうだね」
「でしょ」
真理ちゃんがこくりと頷いた。
「オレはそれに多分、孝介さんとうちの親たちが父母会と一緒になって先生方に働きかけたと思うんだ」
「はい」
「だから何が話し合われたのか、真理ちゃんが知ってたら教えてほしいんだけど」
オレは真理ちゃんに色々と思い出してもらった。
とは言っても真理ちゃんが知ってるのは冒頭だけだった。
八時半頃には真理ちゃんはいつも寝てるらしいし、知っていたのもその冒頭の挨拶だけだった。
「いや、来て頂いて助かりました」
「いやいや、出る幕なかったじゃないですか。話し終えてらしたし」
そんなところだ。
意味がないじゃんと思うのは間違いだ。お向かいさんのうちと真理ちゃんちとで、オレの知らなかった基礎情報を、真理ちゃんが知ってたのだ。
それはうちの親と真理ちゃんの父、孝介さんも幼馴染みだったということだ。孝介さんが六年生の時に、うちのお父さんは一年生だったらしい。なので一年間、孝介さんにうちのお父さんはずっと一緒に大森小学校まで連れてってもらってたそうなのだ。
何というご近所づきあい。旧街道の下町ならではの風景だ。
そりゃ子供の頃なら損得を越えた関係性が築かれるはずだ。うちが創業祭の時とかに孝介さんを含めて招待してたのも頷けるってもんだ。
◇
さて──、
真司はそんな感じであったが、真理は違った。真理は木下に蹴られた一件で父に尋ねられたのだ。
「真理。恐くないか? 転園したかったら、転園してもいいんだぞ」
これは大問題だった。
確かに木下のことは恐い。またいつ理不尽な暴力を振るってくるかもわからない。
木下は、言わばすぐに感情を爆発させる子だ。
でも真理は思う。
薫風幼稚園から転園はしない、と。
入園する以前は、薫風幼稚園は金沢財閥の系列外の幼稚園で、親戚が立ち入る隙をなくすという観点で選ばれた、そんな駆け込み寺みたいな幼稚園でしかなかった。だが今は違う。いまはとっても仲良くなった双子と一緒にいられる場所になった。
その場所をなくしたくはなかった。
父がお向かいの宗也さんと仲が良かったというのは、真理にとってはとってもとっても大きな意味があったのだ。
◇
オレが裏の裏まで知る必要はないが、父母会の動きで今日も叱られるはずだった事態が回避されたのは間違いないと思うのだ。
その過程を知りたかった。
これは、家に帰ってお母さんに聞くのが一番なのかな。
先生とか身近な人にダブルで解析をかけるのは、産婦人科医の小野先生のショックを受けた姿を見て以降、弟さまと相談して御法度にしてるので、こういう時に山本先生にむけて使うのは気が引けた。
そもそもダブル遣いの、遣いの文字の持つ、その意味から逸脱してしまう。
それは自分が許せなくなる行為だった。
さて、どうした物かと思っていると、ポッケの中からちょいちょいと叩かれた。
オレは周りに目を配ったが誰も気づいてない。ポッケの中なので、やはり安全は保たれていた。
誰かに見つかったら目もあてられない。
「そう言えば恵風が話をしたいらしいよ」
オレはコードネームを告げて、物思いに沈む真理ちゃんをこちらに呼び戻した。
「恵風が?」
「うん。ちょっと場所を移そう」
そうしてオレと真理ちゃんは、水飲み場から園舎の端っこに場所を移した。
「靴と靴をあてよう」
「うん」
それだけで何をするのか真理ちゃんにもわかったようだ。
オレは迷わず位相をずらす。
園庭で遊ぶ子供たちの歓声がどんどん間延びして行き、透明だった世界が青みがかった世界へと彩りを移して行く。
時の流れが遅くなる世界。位相がずれた世界。青い世界がそうして完成した。
「どうした、兄さま」
寛司もこの事態にやって来た。
と同時に恵風も外に飛び出してきた。
「ごくろう真司」
なんて言われた。なかなかの小間使いっぷりだったらしい。
「恵風の申し入れか。何か用か」
弟さまが尋ねた。
「思いついたんだ。決まった時間に毎日、俺を空へ行かしてほしい」
「それはまた突然だな」
オレが弟さまの話を引き継いだ。弟さまには真理ちゃんへの精霊言語からの通訳を頼む。
「俺をこの世界に送り出した者は、きっと俺からの連絡を待ってるはずなんだ。でなければ俺をこの世界に送り出したりしない」
「それはそうだな」
「つまり、いつ位相のずれを起こして俺に接触を図ってくるか、わからないと言うことだ」
「なるほど」
「それに行かせてくれ」
「恵風。おまえ、体力は大丈夫なのか。精素はないとやばいんだろ?」
「それは鉄の棲み家で補給出来てる。だからここには必ず戻って来る」
「だから自由にさせろ、と?」
「そうだ」
確かにそれはそうだ。
先送りにしてたが、恵風の仲間がこの世界のどこかにまだ一人、残ってるかも知れない件もあった。
恵風としてはその行方は是が非でも知りたいところだろう。
それにセドリックメロディ病のことを調べれば、その病気の期間で、恵風以外の精霊がいつどこでどのように行動してたのか、あるいは送り出した者の精霊を放つスパンがわかるかもしれない。
「思ったより重大案件だな」
「恵風。オレたちが外遊びの時間の時だけ、探してもいいとオレは思うが、弟さまと真理ちゃんが賛成した場合に限る。その条件でどうだ」
「行けるのならかまわない」
「弟さまからは?」
「そうだな。恵風がオレたちの目がないからと言って、この世界の物を壊さないことが条件かな。うん。これは譲れない」
「そうね。それと送り出した者に会ったら必ず私たちに相談すること、かな」
「相談でいいの?」
オレは真理ちゃんに訊いた。
出来れば誰それに会って、こういう話をしたと報告してほしいところなんだが。
相談だと恵風の匙加減ひとつで、だいぶ話が変わる。
「だって恵風が今言いだしたってことは、今はもう忘れて思い出せないけど、身体がそろそろ報告しないといけない時期だってわかってるからだと思うの」
「うん」
「だから、送り出した者に会ったからと言って、わたしたちにサヨナラも言わずに向こうに帰られちゃうのは、寂しいかなって」
「真理。それはしないと風の大精霊、コードネーム恵風が誓おう。お前いい奴だな」
「真理ちゃんにヤツだなんて言うな。女の子だぞ」
「わかった。では許可は下りた、そう言うことで良いのかな?」
「早速行くのか?」
「ああ。なんか行かないとやばい気がする」
壊さない約束は弟さまが取り付けたし、恵風が行くことで他の精霊を送り出すことを止めることが出来れば、それはそれでセドリックメロディ病の予防にもなる。
止める理由はなかった。
弟さまも、そして真理ちゃんも、かなり恵風を信頼してることがわかる条件付けだった。
オレとしても、セドリックメロディ病の予防はしたい。これ以上何も知らない精霊をこの世界に送り込まれても、お互いにとって不幸になるだけだ。
「いいぞ。行ってこい。でも人には見つからずに必ず戻ってこい。出来るか?」
「当然」
まあ恵風自身が位相をずらせばそれで済む話だ。
今の人類にそんな事ができる人材はいない。
「オレたちが幼稚園にいる時は、この外遊びの時間だけだからな。たっぷりとした時間はないぞ」
「それでもいい。探すだけ探してみる」
「わかった。みんなもそれでいいね?」
「応」「はい」
「じゃあ、行ってこい、恵風。よい旅を」
恵風が面食らった顔をした。おかしなことを言ったろうか。
「気をつけてけよ」「迷子にならないでね」
それぞれから言葉をかけてもらって、恵風は嬉しそうな顔をした。
恵風がふわりと高らかに浮かぶ。
陽光を受けて、青い世界で恵風の身体が青緑色にキラキラ煌めいた。
「行ってくる」
ひと言だけ残すと、オレの作った位相のずれを越えて、高くたかく、大空へと飛んでいった。あっという間にその姿は見えなくなる。
「さすが、風の大精霊ね」
真理ちゃんがうっとりとしてその飛び去って行った軌跡を追いかけていた。
だが恵風の言うことはもっともなことばかりだった。
異世界の調査チームの担当者が、新たな精霊をこの世界に送り込む前に、なんとか恵風にはその担当者に接触してもらいたかった。
そしてオレ自身もセドリックメロディ病のことは、ほとんど知らない。
誰がいつどのように、そういう基本的なところを押さえて、向こうの思考や基本方針を類推していかなければならない。
これは思ったより大事な案件になりそうだと、オレはそう思った。
喜ぶ真理ちゃんの横顔を眺めながら、帰ったら真理ちゃんのお母さんの杏さんに話を聞きに行こう。そう決めた。
熱中症になりました。頭の芯がこんなに痛くなる物なんですね。
いつもより短めですが、待っててくれる方がいるという一念で出来たら投稿、がんばりました。楽しんでもらえたら幸いです。




