第33話 難儀な夜
弟さまが薫風幼稚園から帰ってきたようだ。婆ちゃんと一緒らしい。お店の方から、ただいまぁと言う声が聞こえてくる。
今日はお店の方に、オレは一切顔を出してない。反省してる体裁というものがあるし、根掘り葉掘りお店のおにーさんおねーさんに説明するのも、心を重くしてしまいそうだということもあった。
思ったよりダメージを受けてるらしい。
殴ってくる木下のその手を取って、木下の勢いのままに巻き込み一本背負いをしただけなのだが、完全に木下の作戦勝ちだった。
やられたまま動かずにいるとは。
しかもそれで救急車が出動する緊急案件にまで格上げしている。世間的には、ただの子供にやられた子供同士の喧嘩と、救急車まで来た子供同士の喧嘩とでは、その受ける印象が格段に変わるだろう。
そしてオレは、加減を知らない乱暴者として、認識されてくのだ。これは後々に出会った人たちとも、初見では仲良しになれない可能性が出来たことを意味する。
出会う前からその事実だけを知ってたら、最上真司という一個の人間であるこのオレを、出会った瞬間に警戒するだろうから。
難儀なことになった。
かといって木下に謝りたいかといったら、別に謝りたくもない。痛かったというのなら、それは謝ってもいいが、それは強くてご免ねと、そういった意味合いで謝るだろうし。
木下とは色々あったから、積もり積もった物がある。
でもまぁ、それが通用しないのが今回の一件なのだろう。
オレが柔道を使ったつもりがなくても、柔道経験者が投げたと、そう思われても仕方ない側面もある。むしろ柔道経験者という部分を出すなら、受け身の取れないだろう木下に配慮して、投げ捨てずにきちんと回して投げて上げたことで大怪我を防ぎ、きちんと回しきったところが見るべき所だと思うのだが、それもわかってもらえないだろうしなぁ。
最上真司は今、アンニュイである。意味は知らない。使いたくなっただけだ。
「はあ」
溜息をついてると、お店の方からの喧噪も聞こえなくなった。
ひそひそとオレのことを噂してるのだろうか。
それはそれで盛大に溜息を吐きたくなるなぁとオレは独りごちた。
「はあ」
つまりオレは木下に関しては、毛ほども心が痛まないでいるらしい。
むしろこの騒動で振り回してしまった、爺ちゃん婆ちゃん、お父さんお母さんに、それから爺ちゃん婆ちゃんがお店から抜けたことで仕事の負荷が上がり、それを黙ってこなしてくれたお店の人に心を痛めてるらしい。
反省とはこういうものなのだろうか。
違う気がするな。
ならば──、
木下ご免。
違う気がするな。
反省することは、思ったよりも難易度が高いことがわかった。
難儀なことだ。
すると階段を上がってくる音がした。これは、わざと音を立ててるな。近づいてるよと報せてくれてるらしい。
「ただいまぁ」
と弟さまが子供部屋に入って来た。
恵風とひと揉みしてからは、オレに全く話かけて来なかった弟さまだが、流石に自分たちの子供部屋では話が別らしい。
「兄さま、大丈夫か」
とオレの様子を窺ってきた。
「大丈夫も何も、弟さまよ」
「ん?」
「反省するってのは、なかなか難しいぞ。オレは反省しよう、反省しようと思ってるんだが、木下に関しては全く反省することが出来ない」
「へ~」
「じゃあ何を悶々としてるの?」
「わかってて言うなよ」
「おっけ~、悪かった。でもこういうのもある意味、親とか肉親の仕事だからね。存分に迷惑かけて、そうして大人になってくもんじゃないの?」
「お前、達観してるなぁ」
「子供は怒られてなんぼだって。それでお父さんお母さん、みたいな人になれて、爺ちゃん婆ちゃんみたいな人になれるんなら、怒られてその神髄に触れるんだから、良い機会だと思うけどなぁ」
「おおっ。その発想はなかった。
だがそうか。お父さんみたいになれるんなら悪くないな。料理もうまくなれそうだし」
「いや、そこは違うと思うけど。まぁお父さんは場数は踏んでるよね。爺ちゃんはもっともっと踏んでると思うけど」
「政治家の家をわざわざ訪れる、そんな癖のある大人に毎日揉まれてたんだもんなぁ、お父さん」
「それを呼び寄せる爺ちゃんも居るぞって話だけどね」
なるほど──。
「なんか心が軽くなってきたよ」
いや、いいのか、オレ。
両親や祖父母、それにお店の人に迷惑をかけてるのは間違いないのだ。
すると弟さまが首を傾げた。
「悩むことなんかないよ」
「ん? どうしてだ?」
「だって悪いのは木下じゃん。しかも痛がる演技までして話を大事にしてさ。緑川くんが説明してくれて、みんな木下が演技してるってのわかってるぜ?」
「そうなんだ」
「あ、それと兄さま」
「なんだぁ」
「馬場ちゃんがご免なさいだってさ。こんなことになるなら呼びに行かなければ良かったって言ってるよ」
「いや、でも馬場ちゃんが呼びに来なかったら、真理ちゃんに知美ちゃん、それから藤平さんに加藤くんも、大変なことになってたと思うぞ。手当たり次第噛みついてたじゃん、あいつ。
気にしなくていいのに。むしろよく呼んでくれたって感じじゃん。
なにげに今回お手柄だった一人だよね、馬場ちゃん」
「そう言うと思って、馬場ちゃんにはそんな感じのことを言っといたよ」
「お、そうか。さんきゅ」
「でもお手柄だとまでは言わなかったな。兄さまに言われて確かにそうだと納得したよ。兄さまが行かなかったら、マジで酷い事になってただろうし。
よし、後で電話して馬場ちゃんに言っとくよ、お手柄だったって」
「堪忍してつかぁさい」
オレは、へへー、と頭を下げた。
「てかお前、わざと言ってるだろ。あんまりからかうなよ。オレはこれから忙しいんだぜ?」
「おっけ~。とにかくオレが言いたかったのは」
「うん」
「オレは兄さまより恵風寄りの立ち位置だってことだ」
「お。なんだ? 恵風の肩を持つのか? オレは先生を殺させないぞ」
「うん。その一線はそうなんだけどね。でも心情的には恵風の方がよくわかる。そういう話だよ」
「そっか。わかった。覚えとく」
「じゃあね、兄さま?」
「何だよ、もう行くのか? てかどこ行くんだよ。オレが暇になるぞ」
「バッカだなぁ。婆ちゃんが兄さまの様子を知りたがってるに決まってるじゃん。お店のおにーさんおねーさん達だって」
「お、そうか。そうだな。よし、きちんと報告しといてくれ。難儀なことになったと頭を抱えてると」
弟さまがぷっと吹いた。
「難儀の内容を明かさないところが兄さまの笑っちゃうところだよな」
「それを言ったら角が立つから」
「りょーかい。まあ暇なら本でも読んでろよ。物理とか、そっち系の本。集中出来るぞ」
「そうだな。おっけ~。みんなによろしく」
「応。本当に言うからね」
「あ、ごめん。調子に乗った。そこは穏便に頼む」
弟さまが親指をグッと立てて、扉を閉めて出て行った。
◇
午後六時を過ぎた頃にお父さんとお母さんが帰ってきた。
オレはもうその場で怒られるものだと思ってたのだが、お父さんは話は聞いたと言っただけだった。
「さて飯にするぞ。今日はサラッとしたお茶漬けにしよう。鮭焼くぞ」
「お父さんが作るの」
と弟さまが聞いた。
「ああ」
とお父さんがうなずいて、お買い物袋からアラレといくらと鮭を取り出した。
相変わらずの辻くんちのお魚ですな。お魚は辻くんちのお魚屋さんに限る。これは最上家の伝統だった。
そういえば今日は辻くんとはサッカーでしか遊ばなかったな。
お父さんは辻くんのお父さんと何か話をしたんだろうか。
聞きたい。
でも聞けない。
「いくらとアラレは後から乗せるぞ」
「あ、はい」
するとお父さんがオレの頭に手を乗せた。
「真司。あんまり緊張するな。これから先方の家に一緒にうかがって挨拶するからな。だからこんなに早くから食べるんだ。言わば戦飯だ。サラッと腹に収めて、腹を空かさないよう、かといっていっぱいにして緊張感が解けぬよう、そうするんだ。わかったか?」
「うん。その、お父さん、ご免。みんなもご免」
「それは後でいい。まずは食べるんだ」
「うん」
そうして最上家は早い夕飯となった。
てかうまい。お茶漬け美味いぞこんちくしょー。
出汁茶漬けはこの世の叡知の集積だな。うん。自分でも何言ってるのかわからない。
ただもう、鮭といくらとアラレは反則。
「お代わり」
弟さまがお代わりをしてる。
くそー。オレもお代わりしてー。
でも立場上出来ないのが悔しいー。だって腹いっぱいにはしないってお父さんに前もって言われちゃったし、これから木下んち行くみたいだし、あー、お代わりしてー。
弟さまがそんなオレを見てニヤリとした。
この野郎っ。悪い顔だぜっ、弟さまっ。
「真司、アンタ反省してる?」
視線を感じて、バッと振り返るとお母さんだった。
お母さん。それは実の息子に対して向ける眼でしょうか?
でも恐くてちょっと聞けない。
「う、海よりも深く」
お母さんがジッと見つめている。
何故に視線を逸らしてくれないのでしょう。
「あー、あんた海担当だったわね。寛司が空だっけ」
「おい兄さま。何故かオレに飛び火してるぞ。どうにかしてくれよ」
「寛司」
お母さんの眼が一瞬で弟さまを射抜いた。えらい早いぞ。振り向くのが。
おっかない人形みたいな動きだ。
ガクンと急に首だけ動いて見つめられるような。
(おっかねーこと言うなよ、兄さま。夜眠れなくなるじゃねーか)
「あ、ごめん。お母さん。お代わりやめとくわ、オレ」
弟さまが無形の圧力に屈した瞬間だった。
「あーまったく。大地よりも深く頭を低くして謝ってほしいわ」
「それ。めり込んでるよね」
「真司。アンタやっぱり反省してないわね」
「だからしてるって。家族のみんなには、今日一日台無しにしちゃってゴメンて、ホントに思ってるよ」
「木下くんには?」
「アイツ頭良いなって」
「「「「はあっ?」」」」
「あー、お母さん。兄さまの肩を持つようだが、この際ハッキリ言っとく。兄さまは微塵も悪くないぞ。むしろ今までよく我慢してたぐらいだ」
「救急車送りにすることが?」
「そうだよ。白黒つくまで黙ってるつもりだったけど、くじら組のみんなの総意だ。明日、みんなでこれまでのことを訴えることにしてんだ」
お母さんが押し黙った。
爺ちゃん婆ちゃんも最後のひとすすりを終えて出汁茶漬けの碗をテーブルに置いた。
「まず最初に、木下は今日真理ちゃんを蹴った。それもいきなりだ」
「「「「えっ?」」」」
「真理ちゃんと次にやられそうになった知美ちゃんの前に立ちふさがったのが、兄さまだ」
「それは本当か? 寛司」
爺ちゃんが訊いた。
「本当だ。真理ちゃん達を助けてと馬場ちゃんが呼びに来て、兄さまが助けに行ったんだ。そして真理ちゃんの前に立ちふさがった結果、殴りかかられて、その勢いのままに担いで投げた。それだけのことだよ」
爺ちゃんがオレの方を見てニヤリとした。
立場上言えないが、よくやったと誉められたようだ。
「真理ちゃん、それからずっと顫えてたんだぜ。おっかなかったんだろうな。婆ちゃんは、兄さまに真理ちゃんを見捨ててほしかったかい? 蹴られまくってろって。うちの孫に暴力を振るわせるんじゃないって。そう言うかい?」
「何で私に振る」
「言い辛いだろ? しかも兄さま。木下が殴りかかって来たから、その手を担いで回しただけなんだぜ。力なんか全く入れちゃいない。いわば自爆だよ。
緑川くんは誉めてたよ。真ちゃんにしか出来ない咄嗟の動きだって」
お母さんも、それからお父さんも黙って弟さまの話を聞いていた。
「まあそれ以外にも本当は色々あるんだけどね。それは追々教えて上げるよ。時間だろ? もう」
弟さまが時計を見た。
「そうだな。出かけるか」
お父さんがお碗を置いて、話を打ち切った。
「おい、宗也。儂も行こうか」
「お父さんが?」
「儂は都議会議員だ。弁が立つ」
「その申し出は有り難いけど、お父さん。これは親の仕事だ。俺だって忙しい中、時間をひねり出して来たんだぜ」
「む」
爺ちゃんが言葉に詰まった。
「ならば致し方ない」
そう言って寛司に目をやると、寛司が爺ちゃんの今は使ってない古いボイスレコーダーをオレに渡してきた。録音しとけ、と言うことだろうか。
「というか寛司。お前も行く気だったの?」
お父さんのヤレヤレといった顔に大まじめに頷く。
「あのなぁ、みんな」
爺ちゃん婆ちゃん、お母さん、寛司の目がお父さんに集まった。
「今夜は謝りに行くんだから」
「「「「えっ」」」」
「それをはき違えてはいけない」
「しかしそれは」「いやいやいや」「あなた頑張って」「筋を通しすぎだわ」
「はい、質問です。息子が先様の子供に大怪我を負わせました」
「仮病だけどね」
弟さまがボソッと合いの手を入れた。
爺ちゃんだけが笑った。婆ちゃんとお母さんはビックリしてる。
「えー、ゴホン。大怪我を負わせて謝りに行くべき時と場で、親が喧嘩を売りに行ってしまいました。そういう親は親と言えると思いますか?」
「だが一度謝ったという事実を嵩になってかかられるぞ」
「うわ、負け戦だよ」
「頑張れあなた」
「何とかせんかい、ドラ息子」
「では具体策はないと言うことで。俺は真司と先様に謝りに行ってきます。ホレ、真司」
「あ、うん。行ってきます」
そうして玄関先でさんざん家族の大喜利を見せられた後、立場上なにも言えないオレは、木下の家に向けて出発した。
木下の家には十分ほど歩いただけで到着した。
アイツの家がこんなに近かったことにオレはビックリした。
しかも量産型ではない、注文建築の立派な家構えだった。
「いいか。行くぞ、真司」
お父さんがオレに気持の整理をさせてくれた。
息を吸い、吐く。
そうしてオレは頷いた。
お父さんが呼び鈴を押した。
「はい、どちら様ですか」
「最上と申します。このたびはウチの息子が申し訳ないことをしました」
「…………」
「お詫びのご挨拶に伺わせて頂きました」
「少々お待ち下さい」
木下の母親だろうか。わからん。祖母かもしれない。
それから五分経った。何の音沙汰もない。また五分経った。それでもお父さんは微動だにしない。オレはもうだれそう。日中の相場で強含みに推移したのに、その活気がなくなって安くなっちゃう感じだ。鼻くそほじりてー。もう五分待ちそうだと思ってしばらくしてから、ようやく玄関の扉が開いた。
出てくるまで散々待たされた。
なかなか難儀な夜になりそうだ。
「このたびはうちの真司が申し訳ありませんでした」「申し訳ありませんでした」
納得は出来ないが、お父さん頭を下げさせといて、オレが下げないわけにはいかない。これはお父さんへの配慮だ。
そうしてお父さんが包みを取り出した。
「これは?」
「些少ですが、お見舞い金です」
おお、お見舞い金か。こないだ蛍ちゃんにあげたな。お見舞い品だけど。
ハタと気づいた。
あれ、オレ、快気祝いと言ってなかったか?
お見舞いの「品」だったんだよな。
やべー間違えてる気がするぞ。お父さんはこういうのしっかりしてそうだから、お父さんは正しいんだろう。
うちに帰ったら調べよう。たぶん、お母さんも間違えてるぞ。お母さん二十七、八で若いから、何気な~く思い込んじゃってる可能性もある。
みんな知ってて子供のオレだからと生暖かい目で見てたのかなぁ。
やべー。超恥ずかしい。
◇
ちなみに初江は二十六歳である。真司くん、流石である。
◇
木下の父親は、お父さんの差し出したお見舞い金をなかなか受け取ろうとしなかった。というか受け取る素振りもない。
お父さんも出した手を引っ込めることは出来ない。
大変そうだ。
申し訳ない、お父さん。
そして木下の父親が口を開いた。
「金で解決出来るとでも思ったんですか」
「金で解決出来ることではないので、本日は伺ったのですが」
おおっ。お父さんも言うなぁ。
お父さんを盗み見たら結構本気だった。素晴らしい笑顔が木下の親父に向けられている。
いいぞ。
お父さんもカチンと来たらしい。




