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ダブル  作者: 茶の字
第1章 幼稚園時代
32/182

第32話 弱者さまのお通りだ

 恵風は真理ちゃんとすっかり仲良くなって、もはや寛いでいる。

 こいつ、何しに表に出て来たんだ?

 しかし精素の補給以外の要因でも、身体が元にもどる可能性があるとは、やはり精霊という存在はこれからも注意深く観察していかなければならない。

 そこでオレは気づいた。


「ん? 弟さま、真理ちゃんに触れてないな?」


 まだ真理ちゃんは青い世界に(いざな)ったばかりじゃないか。

 離れちゃって大丈夫なのか?


「いや、なんとなく場の空気を読んで離れた。肩に手を置いてただけだし」

「そうか。でも青い世界から戻る時は、もとの体勢にもどってくれよ。じゃないと絵里ちゃんと馬場ちゃん、藤平さんと田中くんに違和感を与えるからな」

「了解」「わかりました」

「で、真理ちゃん。気持悪くないの?」

「うん。何でだろう。わからないけど。今は大丈夫。全然吐きたいって感じじゃない」


 ふーむ。


「精素が定着してきたんだよ」

 恵風が言った。


「「「定着?」」」


「真理は俺に何度も接触してるからな。向こうの人間でもオレたちを何度も体内に入れないと精素酔いをするもんなんだが、ちょっと早いが馴れたんじゃないか?

 だから多分、一、二発ぐらいなら、俺が憑いてなくても風槍なら撃てると思うぞ」

「マジかよ」「すっげー。オレたちも出来るか?」

「寛司は出来るかもな。風槍だけなら。だが真司、お前は無理だ」


 そんなあからさまに言わなくても…………。


(あに)さま。ガチでへこんでるトコ悪いが、試したい。真理ちゃんもどうだい?」

「うん。やってみる」

「兄さま、(まと)


 へいへい。小間使いの兄さまですよ。いくらでも(まと)をご用意いたしましょう。ご存分に遊んで下せーよっと。

 ということでストライクボードをダブルで創造した。

 九つの(まと)に向かって風槍でも何でも打ち込むがいい。

 ただし狙う(まと)の宣言はしてほしいところだ。


 外れたら「外れた外れた」と手を叩くことが出来るから。


 さて、妄執はスルーしてもらって、廊下の先にぽつねんとストライクボードがある。これは実に安全性を考慮された設置だと思う。

 これなら人もいないし安心だ。

 例え風槍が外れた場合、その攻撃は位相がずれてるから透過するとは聞いてても、いっぱい人のいる園庭にストライクボードを作ったりして、そこで実験をする気になんてなれないからね。うん。安心第一。


「てことで先いいかな、真理ちゃん」

「どうぞ」


 弟さまが先陣を切ることになった。いつもはオレなのに。


「やっ」


 弟さまが軽く手首を振ると、やっぱり巨大な風の塊が槍となってストライクボードにまっすぐ伸び、見事ストライクボードを粉砕する。だがこれまでと違って手首を捻って、風槍を止めると、塊となってた精素が青い世界へと散った。

 巨大な風槍だっただけに、その蒸散するような散り方もダイナミックで勇壮だ。

 これはいい物を見た。

 全壊なので繊細なコントロールもクソもないけど。


「調子は?」

「全く気持悪くない。何発でも打てそうだよ」

 オレの質問に弟さまはまるで平気そうにケロッと答えた。

 すると恵風が警鐘を鳴らした。


「調子に乗るなよ。それは風槍だからだ。他の技だと寛司、たぶんおまえも真司同様無能になるぞ」

「マジ?」

「疑うならあの場所に風刃を放ってみろ」


 言われてひょいと寛司が風刃を放った。


「あれ」


 そして風刃は出なかった。ストライクボードも既に壊れてるので、あそこで風刃が発現したかもわからない。


「そういうことだ。己の無能さを理解したか?」


 ということは前回の風刃は、やはり恵風の補助合ってのことだと言うことになる。自分の力で(まと)()てたわけではないのだ。


「くっ。兄さまの気持がわかるぜ。悔しさと、それと恵風むかつく」

「そっち? オレ、むかついてはないぞ」


「ふん。何を言おうが出来てない物は出来てない。出来てないんだよ、寛司」

「あ。やべ。こう言われるとマジへこむな。魂に刻み込まれてる感じがするわ」

「冗談は置いといて、つぎ真理。やってみろ」

「うん」


 真理ちゃんにジッと見られて、(まと)の準備のお願いをされたので、弟さまと同じ場所にストライクボードを設置する。


「はい」


 真理ちゃんがパンチを放った。

 その線上に風槍がのびて行く。真理ちゃんは今度もキレイに五番の(まと)を打ち抜いた。


「やるなぁ真理ちゃん」「コントロール良いよね」


 と誉めてるそばから急に真理ちゃんが、ゲーゲー嘔吐(えづ)いた。精素切れだ。

 慌てて弟さまが真理ちゃんに触れて、状態回復をかける。


「大丈夫?」

「うん、ありがとう寛司くん。でも本当に恵風の言った通りだった。風槍打ったらとたんに気持ち悪くなった」

「位相のずれに馴染んだ精素も使ったんだよ。また馴染むまでもうちょっと苦しむと思うぞ」

「え? そうなんだ」

「向こうではそうだった。あきらめろ。馴染むまで」


 その恵風の経験訓に、弟さまが真理ちゃんをフォローした。


「まぁでも、そこまで深刻になる必要もないよ。状態回復をかけたから。こないだも青い世界が消えるまで効能を発揮したし。今回も兄さまが解くまで()つでしょ」


 恵風がぴょうっと飛んで寛司の脇に浮かんだ。そうして真理ちゃんの様子を興味深そうに見る。


「もしかしたら、その状態回復とやらのおかげで、精素の馴染むのが早かったのかもな。また次回、青い世界に入ってすぐに寛司が離れて、そのとき大丈夫かどうか、確かめてみるといい」

「うん、わかった。そうする。お願いね、寛司くん」

「おっけ~」


「で、真司。一応聞いとくが、お前もやるか?」

「いや。オレはいいよ。弟さまのを見て、もう察した」

「ん。そうか」


 慰めの言葉がないのは有り難い。事あるごとに何か言われたら、その都度へし折られてしまうかも知れない。

 こういう場合は先達はどうやって教えたんだろう。やらせても出来ず、誉めても出来ず、もう手の施しようがないと教えるのを放棄したんだろうか。それとも当人が諦めたんだろうか。

 なかなかに興味深い。考えるべきことは尽きないな。


「おい、兄さま。落ちこんでるとこ申し訳ないが、これで用件は済んだのか? 済んだのならもう位相のずれを元に戻してもらってもいいんだが。

 何ならオレがやろうか?」


「あ。ちょっと待て。恵風、お前のリクエストだったよな」

「ああ、そうそう。理由を知っておきたくてな」

「理由?」

「あの木下って奴だ。(とど)めを刺しに、いつ行くんだ?」


「「「止め?」」」


「だってそうだろう。真司は二度闇討ちされた。そのつぎは場所を変え、こんどは真理に戦闘を仕掛けた」

「いや、アレはアレで終わりだぞ?」

「そうなのか? 本当に?」

「だからそれはさっきも言っただろう。お前だって見野山病院ではオレたちに攻撃してきただろう。でもオレたちは止めを差し合ったか?」


 恵風が首を傾げた。


「ん? どういうことだ? 俺は別になにも壊してないじゃないか。だからお前らとは前哨戦、様子を探り合っただけだと思ってたぞ。その上で互いに会話を交わして、戦闘状態は回避されたわけだし。

 木下の件とはまるで違うじゃないか」

「いや。木下とも戦闘にはなってないんだが。ただの喧嘩だ」

「ん? ただの喧嘩で生命活動の危機までの不意打ちをするのか?」


 弟さまと真理ちゃんがその恵風の指摘に反応した。

 特に弟さまは厳しい顔になっている。


「真司。お前は木下から初撃の不意打ちで、ドロップキックと言ったか、あれで首の骨を折りかけたよな。

 あれは殺しに来てるとは言わないのか?」

「やっぱ、そんなやばい感じだったのか、最初のヤツ」

「ああ。オレは戦死認定されてもおかしくないと思ってたぞ。真司が自分で治してしまったが」

「そうだったのか」


 弟さまが肯くと、恵風が疑問に思ってることの思いの丈を述べた。


「だからこそだ。壊そうとしてきた相手を壊さないんだから戦いにもなってない。それどころか放置までしてる。これはどう考えてもおかしいだろ。

 最前も言ったが、子供の癇癪(かんしゃく)にしては度が過ぎる。あれは殺し合いだ。

 真司は喧嘩だと言うが、喧嘩であそこまでの不意打ちは俺のいた精霊世界ではしない。だがこちらの世界では、あの行為が認められるのか?

 そこは知りたいぞ」


 なるほど。恵風のいた精霊世界では、戦うと言うことはそれだけの重みを伴う行動であったわけか。

 精霊世界の鉄の掟が垣間見えるようだ。


「恵風」

「なんだ」

「オレは木下の行為は認めない」

「そうか」

「だが。だからと言って命を奪う気もない」

「ほう?」

「あいつがやってるのは喧嘩だ。たまたまで殺されてはかなわんが、いずれこういったことを続けてれば、そのしっぺ返しは必ずアイツの身に降りかかるとオレは思ってる」

「それで」

「その引き金を引くのは、オレでなくても良いと言うことだ。

 今日のこともオレたちだけでなく、くじら組の一部も、年中、年長組のみんなも目撃した。今はそれがどう落ち着くのかを見守ってればいいと、そう思う」


「…………」


 そして押し黙ったまま、恵風が真理ちゃんを見た。

 そうだ。真理ちゃんも木下にいきなり蹴られていた。

 これはつまり、ただ一方的にやられただけの真理ちゃんはどうしたいと、そう問いたいようだ。


「ちょっと聞いてくれ」


 オレが間に入るとみなの視線がオレに集まった。


「オレが木下を投げた件だが、あれは真理ちゃんの分はぶん投げといたつもりだったんだ。それでオレの中では消化されてる。もちろん、真理ちゃんが、ちゃんと報復したいというなら話はまた別だが」


 そこんとこはどうなのと全員の視線が今度は真理ちゃんに集まると、真理ちゃんは首を横に振って報復を拒否した。


「蹴られたのは恐かったけど、今はみんなのおかげで落ち着いたから」


 それが理由だった。

 だが恵風は納得いかないらしい。そうなのか? と尋ねてる。


「うん。それに」

「それに?」

「たぶんこのあと、絵里ちゃんとかみんなと、その事を話し合うことになると思うんだよね。だから、結論はその後で良いかなって思ってる」

「わかった。では真司。手間を取らせたな。もどしてくれていいぞ」

「了解。じゃあみんな、元の位置に戻ってくれ」


 そのオレのひと言で全員が配置にもどった。その立ち位置と振る舞いを間違いないと確認してから、オレは位相のずれを元に戻した。

 青い世界が緩やかに薄くなって行く。

 恵風が鉄の棲み家の中から顔を出して、ポッケの縁越しにそのもどって行く世界を眺めている。

 オレ達の耳に日常の音が届き、園庭から子供たちの遊ぶ声も普通の状態で聞こえるようになる。そして恵風はいつの間にか鉄の棲み家にとっぷりと透過して消えていた。



 ◇



 知美ちゃんと真理ちゃんを中心に、絵里ちゃんと馬場ちゃんが心配そうに様子を覗き込んでいた。


「大丈夫?」


 馬場ちゃんがしきりに聞いている。


 真理ちゃんは青い世界でオレたちと話してたこともあって落ち着いたものだったが、知美ちゃんはまだ足がガクガク(ふる)えていた。


 その隣に藤平さんがいて、藤平さんの後ろには加藤くんがいた。

 そしてその全員を囲むように緑川くんと、オレが陣取っていた。

 ちなみに弟さまはもう真理ちゃんの肩から手を外している。



 そして絵里ちゃんは怒っていた。加藤くんの電車の本が破かれて捨てられたことと、何より真理ちゃんが何もしてないのにいきなり蹴られたことに、憤慨していた。

 絵里ちゃんが真理ちゃんのお腹に触れて、痛くない? と尋ねている。

 平気だよと返事する真理ちゃんに、うちのグループの木下がご免と、絵里ちゃんが男前な謝罪を行っていた。


 やはり豪傑だ。


 さすがスイミングスクールで溺れた木下に、迷うことなく人工呼吸をして助けただけのことはある。本当に気っ風(きっぷ)がいい。

 ちなみに彼女はオレのことまで心配してくれていた。オレがサッカーしてる時に闇討ちを喰らったことは、もうくじら組の結構な人が知ってるらしい。

 馬場ちゃんが、それなのにお休み室に行ってもらってご免と謝ってきたが、謝られることでもないので、全然大丈夫だよと言っておいた。

 その馬場ちゃんもあいつには色々と酷いことをされて来たからな。カバンを開けられたり、お散歩では他人のフォークを隠されて犯人にされかけたり、あと、山本先生に仲直りの握手をさせられたこともあったっけか。


 そんなことをオレがつらつら物思いに耽ってる間も会議は続いていた。


「兄さまはマジで首がグキってなったみたいだし」

「真理ちゃんは蹴られた」

 絵里ちゃんが憤慨しながら言った。

「知美ちゃんは真理ちゃんの次にやられそうになったんでしょ?」

 緑川くんの質問に知美ちゃんはうんと頷いた。

「あたしは恐かったよ。加藤くんが前にいてくれたからあれだったけど……」

 最後はごにょごにょになりながらも藤平さんがつづき、

「俺は電車の本を破かれた。ついでにポイ捨てされた」

 と加藤くんが心底無念そうにつぶやいて、駄目を押した。


 そうしてみんなで相談した結果、今回の件は看過できない。給食が終わったら山本先生に相談しようと、そう言うことで話がまとまった。


 だがその時に遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。

 オレは耳を澄ましてこのサイレン音はどっちに行くんだろうと、そのサイレン音を追いかけてたら、その音がどんどん大きくなり、こっちに近づいて来る。


「あれれ」


 と思ったら我らが薫風(くんぷう)幼稚園の門前で救急車が止まった。


「誰だ? 誰が怪我したんだろ?」

「真司くんじゃない。真司くんが倒れたの、みんな見てたみたいだし」


 絵里ちゃんがそう告げた。


 でもオレはその後すぐ立ち上がって、みんなとサッカーをしてたんだよな。


 すると園長先生が園庭を転びそうになりながら園舎から急いで出て来て、救急車から下りて来た救急救命士に向かってこっちですと呼びかけ、園内に案内しようとしてた。

 でもまだ救急救命士は救急車から降りてきてない。

 何かの確認をしてるんだろうか。


「真理ちゃんにかな。真理ちゃんもアイツに蹴られたし」


 知美ちゃんが足を(ふる)わせながら、そんなことを口にした。まだ恐怖は色濃く残ってるらしい。

 そりゃ問答無用でいきなり真理ちゃんが蹴られ、その時木下に一緒に標的にされてたんだから、そうなるわな。


 救急車のサイレンがひと鳴きして止まり、救急救命士が二人下りてくると、大急ぎで後ろのドアを開けて担架の用意を始めた。

 その救急救命士を小菅先生が先導した。担架を持って駆け抜けてく救急救命士と小菅先生のために、園庭で遊んでいた子供たちが道を空ける。

 まるで海が割れるかのようだ。


 ちなみに案内に付き添ってる小菅先生だが、小菅先生はくじら組の副担任だけど、実は園長先生の奥さんでもある。親御さんがいない以上、小菅先生が案内役で付き添うのは自然に思えた。


「真司くんっ」


 オレはビックリした。

 呼んだのは担任の山本先生だ。

 オレは山本先生にそんな大声で呼ばれるとは思ってもみなかった。


「ちょっと教室に入りなさい」


 オレは問答無用で園庭の桟敷から教室に連れてかれた。

 先生のオレを握る手が強い。

 どうしたんだろう。

 すると一緒にいたみんながぞろぞろとついて来た。

 教室に入って自分の席に座らされると、先生がオレに訊いた。


「真司くん。木下くんをあんな風にしたのは真司くんですか?」


 面と向かって訊かれた。ちょっとおっかないほどの迫力だった。普段の優しい山本先生からは考えられないほどの迫力だ。


「木下?」


 あんな風と言われても、どんな風だかわからない。


「木下がどうかしたの?」


「木下くんはあなたに投げられたと言ってます。その時、木下くんのお腹にあなたが乗っかって、今もとっても痛いと言ってます。真司くん、あなた最近柔道を始めたわよね」

「あ、はい」

「先生は感心しませんね。覚えたばかりの技を、お友達に使うだなんて」

「んん?」


 どうなってんだ?


「ハッキリ答えなさい。真司くん」


「いや、先生。オレは別に覚えたばかりの技なんて使ってないよ。アイツが殴ってきたからそれを利用して投げただけだもん。

 柔道のじゅの字も使ってない。ただの自爆だもん、あいつの」


「でも投げたんですよね」

「担いで回したよ」


「投げたら受け身取れないから大けがするしね。ちゃんと担いで回してコントロールしたなら、真ちゃん偉い」


 緑川くんが誉めてくれた。わからないだろう先生に説明してくれたんだろうけど──。

 けど達人の緑川くんに誉められると流石に照れるな。


「笑い事じゃありません。木下くんは。木下くんはずっとうずくまって動けないんですよ」


「あっ」


 そこでオレは気がついた。

 やられたと思った。

 あいつは立てるのに立たないのだ。そうして騒ぎを大きくして、オレが虐めたという形に話をまとめようとしてるのだろう。


 よっく頭が回るな。見事な嵌め手だ。


「木下くんはお腹が痛いと言ってます。これから救急車で病院に行って、色々な検査を受けることになります。わかってるんですか? 真司くん。自分がやったことの重大性を」


「あー、はい。よくわかりました」

 裏の裏までわかりました。どんな顔してんだろうな。オレの困り顔でも想像してるのかな?


「本当にわかってるの? 自分で投げておいて、そのあと立ち上がれない木下くんを助けもしないで、そのまま見捨てるなんて。

 先生は本当に悲しいんですよ。怒ってるんですよ。

 これでもし何かがあって、木下くんに助けが間に合わなかったらどうなると思ってるんです」

「あーでも救急車が」

「救急車が来たって病院で診てもらうまで助かるかどうかはわかりません。一刻も早く連絡をすべきだったんです。それなのに、お友達を見捨てて遊んでるなんて。

 先生には信じられません」


「ちょっと待って下さい、先生」

 大声を出して止めたのは絵里ちゃんだった。


「先生は知ってますか。木下が先に真司くんにドロップキックをしたことを」

「え?」

「園庭でサッカーをしてる真司くんに、後ろからいきなりドロップキックをしたんです。そうして倒れた真司くんを助けもせず、木下くんは真司くんのお腹を蹴ったんですよ」

「え?」

「そんでもって逃げてますよ、木下は。山本先生」

「それ本当ですか? 寛司くん。いくらお兄さんが絡んでるからって」

「先生。それ、いっぱい見てる人いるよ。田中くんなんか木下くんに本気で怒ってたもん。年長組のお兄さんもまたあいつかよって言ってたぐらいだし」

「緑川くんまで。それは本当ですか」


 尋ねる山本先生が全員を見渡すと、全員がぜんいん肯いた。

 すると状況がわかってない山本先生のために、馬場ちゃんが動いた。


「みんなちょっと来て」


 馬場ちゃんがここにいない、くじら組のみんなを呼んだのだ。

 そうして今までの経過を話し、何があったのかを明確にすると、くじら組はそれはもう大騒ぎになった。総じて木下が酷いことばっかしてきたから、罰があたったんだとか、みんな木下にやられて我慢してきたのに、何で木下は我慢しないのとか、自業自得だとか、みんながみんな言い張った。

 だがそんな四面楚歌の中、山本先生はオレを見据え、真司くんの親を呼びました、と言った。

 その結末に、ひと際みんなが不満の声を上げると、みんなは給食にして下さいと、山本先生は先生強権を発動した。

 だがオレが先生の立場ならそうする。先生とはそうしなければならない立場なのだ。


 つと、オレは気づいた。

 意図せずにいきなり世界が青みがかって行ったのだ。こんな事が出来て、する理由があるのは一人しかいない。

 弟さまが青い世界を発動したのだろう。オレはとっさに向かいの席の真理ちゃんの足を踏んで、状態回復をかけつつ位相のずれに飲みこまれないよう連れて来ることにした。

 足を踏まれた真理ちゃんもすぐに位相のずれに気づいたようだ。オレに文句も言わずに位相のずれが完了するのを、踏まれたままに待っている。

 そうして青い世界が完成すると、弟さまがグリクラグループの机にやって来た。


「兄さま、いいのか」

「こればかりは致し方ない」


 恵風も出て来た。


「何とも理不尽な世界だな。殺されかけたのは真司だというのに」


 オレはハハハと乾いた笑いしかもう出て来なかった。

 正直、木下の作戦勝ちだ。この状況をひっくり返すことは出来ない。

 あいつは病院に行って検査をし、オレは家に帰って両親に怒られる。一日のこの流れを変える手立てがもうない。ないのだ。

 少なくとも、今日一日オレはこのあと怒られ続ける。それは確定事項だ。


 すると恵風が吠えた。


「全てをぶっ壊してやろうか。木下はもちろん、木下に味方するあんな大人も一撃で殺してやるぞ」


「やめろ。山本先生はオレたちの先生だ。絶対そんなことはさせない」

「だがこの女は、話を聞いても木下の肩を持ち、お前を害そうとしている。そんなのに教え導く導師たる資格はない」

「資格はあるんだよ。ちゃんと国からもらってる。でなきゃこの世界では教師になれないんだ」

「そんなこと言ってんじゃねー。なってねーと俺は言ってんだ」

「どうしてもやるのか」

「やる」


 理不尽には理不尽で立ち向かう。そして俺は理不尽だ。精霊世界の風の大精霊、ケーフだ。


「おい恵風。すまんが封じるぞ」

「やれるもんならやってみろっ」


 オレと恵風が(はら)を決めたその直後だった。


「ちょっと待って。喧嘩しないでっ」


 真理ちゃんが声を張った。

 それはとっても珍しいことだった。

 そうして真理ちゃんはオレと弟さまを、それから恵風に目を配った。おかげで動けない。


「わたしね、思うの。恵風にも知ってて欲しいの」


 真理ちゃんの必死な言葉にオレたちは押し黙った。


「わたしはもっと小さい時、親戚の恐い小父さんに酷いことをやらされそうになったの。そのときから生きてるのって嫌なことばっかりだなって思ってたんだ。

 だけど、そんなときに真司くんと寛司くんに出会ったの。そしたらこの薫風幼稚園に入る時にお父さんがこう言ったの」


”真理の長い人生で、これから色んな人に出会う。薫風幼稚園は真理の、その第一歩だ。素敵な友達がきっといっぱいできる。真理なら出来るさ”


「これはね。本当にそうだと思ってるの。お父さんの言った通りになってるなって」


「「真理ちゃん」」


「わたしの両親も、真司くん寛司くんとこのご両親も、そして山本先生も他の先生達も、思ってることはおんなじなの。

 みんなに楽しんでほしい。学んでほしい。幸せであってほしいって、そう思ってるの」


「だが真理。真司は幸せじゃないぞ。罠に嵌った」


「聞いて恵風。

 愚痴を言うのも立派な行動だとわたしは思うの。そうしなければならないと、己の心が理不尽だと感じてるのだから。

 でもね、こちらの世界では、きっとそのせめぎ合いなんだよ。

 世の中は、そのせめぎ合いで針は幸不幸の幅に振れるの」


 真理ちゃんがオレを見た。


「真司くんは、今日はずっと怒られると、もうそう思ってるんだよね。わかってるんだよね」


 オレはこくりと頷いた。


「じゃあ頑張ってね。しっかり怒られて下さい」


「うん」


「怒られ終えたら、きちんと先生に反論しよう。大丈夫。くじら組のみんなも、年中年長の人たちも、きっとみんな手を貸してくれると思うから」


「わかった」


「だから恵風も。ううん、わかってとは言わないけれど、ちゃんと見てて上げて。真司くんはきっと耐えきると思うから」


「……わかった」


「ごめんね、恵風。でもこれを見届けたら恵風もきっとこの世界が好きになる。

 だって助けたい真司くんと存在を懸けて戦おうとしたんだもの。

 あなたは本当はとっても優しいの」


「真理……」


「だからきちんと憑いて、見届けきって下さい」


「わかった。そうしよう」


 恵風が飛んで振り返った。


「それにしても」


「ん? なぁに」


「真理は精霊にも優しいな」


 恵風は真理ちゃんにそう告げ、オレと弟さまにはひと言も告げずに、戦闘をしようとしてたオレのポッケに戻って行った。


 何と言うか恵風。

 お前とはもうちょっと仲良くなれそうだ。そんな気がする。


 そうして弟さまは青い世界を閉じた。



 ◇



 オレは爺ちゃん婆ちゃんに連れられて帰った。二人ともお店をほっぽって駆けつけてくれたらしい。

 特に爺ちゃんは都議会ももう始まるというのに、申し訳ないことをした。

 ちなみにお母さんは山本先生と園長先生から説明を受けてる。

 どんな説明を受けてるのかは知らないが、ろくな事にならないのはわかっている。憂鬱とはこういうことを言うのだろうか。


 心が重い。


 だが爺ちゃん婆ちゃんはオレを問い詰めるようなことをしなかった。オレの表情を見て、自問自答をしろと、そう判断したのだろう。


 だが驚いたのはそれだけではない。


 父の宗也が、仕事を切り上げて帰って来たのだ。証券会社の社長室に勤めるとなったら、それこそ重大案件がせめぎ合ってクソ忙しいだろうと思う。それなのにオレの一件で家に帰って来てしまったのだ。


 これには参った。


 その足でお母さんが薫風幼稚園にいると聞いてそちらに向かったが。

 お父さんとも、ろくに話せなかった。

 何とも言えない気分だ。

 予想以上に物事が動いて、オレの心ではすべてを受け止めたくとも申し訳なさ過ぎて、受け止めきれなかった。

 ここまで家族に影響を与えてしまう物なのかと、ただただ愕然としていた。


 そしておそらく、未だ薫風幼稚園にいる弟さまにも、その影響は現れてるだろうと思う。

 恵風と一戦交えようとしたあの時から、弟さまとはひと言も言葉を交わしていない。

 魂の回廊も、今もオレが閉じたままだ。


 だがそれでなければ駄目だと思う。

 今オレがしなければならない事は、深く深く、物事を考えること。その一事だと思うから。



 ◇



 宗也は休みを取って慌てて家に帰ってくると、すぐに薫風幼稚園に向かった。そこで合流した妻の初江から、今回のあらましを聞いた。途中先生から現在の木下くんの経過と、それから先方の住所を教えてもらった。

 そうしてあれこれ事態を把握してるうちに、夕方も過ぎ、こちらは木下くんの予後がわかるまで動けないので、寛司は母に頼んで連れて帰ってもらった。

 そして木下くんの検査が終わり、これから自宅に帰ると言うことを教えてもらい、今は初江と二人、歩いて我が家に向かっている。


 とぼとぼ歩いていたが、その初江から切り出してきた。


「真司には、何て言うの」

「そうだな。怒るか、物凄く怒るか、そのどちらかだろうな。だがそれも、真司の顔を見てからだな」

「真司の?」

「ああ」

「それはまた何で。鉄は熱いうちに打てってのが最上家の家訓でしょ。こういう時でもないと、あの子は反省なんかしやしないわよ」

「いや。反省は普段からしてるぞ。多分そこらの三歳児よりもずっと多くを」

「そうかしら」


 宗也が黙ってしばらく歩くと、初江が重ねて宗也に尋ねた。


「そういえば帰る時に山本先生に何か言われてたけど、何を言われてたの」

「くじら組の子たちの言い分、かな」

「言い分?」

「まだよくわからないみたいなんだ。だから帰ったそこら辺を、真司と寛司にも聞かないとな」

「言い訳するような癖を付けさせるのだけは、やめてよね」

「しないしない。それだったらむしろ、もっときちんと喧嘩をしろってけしかけるさ」

「怒らないの?」

「言い訳するような、弱さを武器にするならね」

「あなた…………」

「俺はさ、真司にも、寛司にもだが、喧嘩のやり方もわからないような大人にはなってほしくなかったんだよ」


 初江が息を飲んだ。


 その宗也の言葉には、初江も実感があったのだ。

 以前、夫婦の語らいで聞かされた、傍若無人な弱い男たちのことだ。


 株価は愚かなことをしでかした人間が一人出るだけで乱高下する。

 会社の信用を積み上げることの難しさは、それはもう尋常じゃない緊張感の上で成り立っている。

 その緊張感で部下を潰す上司も出て来たり、耐えられずに辞めてく部下も出たりと、会社経営は思ったよりかなり繊細で、そういう情緒的なところも含めて、夫の勤めてる会社の上層部は、社員を細やかに見てることを知った。


 だがそれは夫の会社だけのことではない。


 そういう上層部の思惑とは裏腹に、部下に無謀な業務を課して使い潰しつづけ、それを自らの手柄とし、人事的にのし上がってきたりと、加減を知らないヤツが、この人材確保が難しくなるご時世に暴れ回るから、手に負えないで困ってるらしいのだ。


 そういう輩は使えない若い子を辞めさせて会社に貢献してるつもりだが、実は人事で選んだ会社の未来をも潰して行ってるという、暴走が多々あるのだ。


 加減のわからない輩というのは、平気で未来の土台をもぶち壊して行く。

 若手のわかってないところを理解して理解させるよう導き、若手を育てるのがお前の仕事だろうと、そう言いたい人は多いと思う。


 己の弱さを理解せず、立場の弱い若手を無能とこき下ろして、己を維持してくのだ。

 人を人とも思わない、弱さを知らず武器にする、そういう者の話だ。


 そして夫は、真司と寛司をそうはさせたくないと云う。


 ぽつぽつと歩いてた夫が、ぽつりと言葉をこぼした。


「加減のわからないヤツが、社会の細やかなところをぶち壊す」


「それは……、嫌な大人ね」


「だろ?」


「だから真司にも寛司にもきちんと喧嘩が出来るようになってほしいって思ってたのね」


「そうだ」


 頷く宗也を、まるでまぶしい物でも見るかのように初江は仰ぎ見た。


「しかし」


「しかし?」


初っ端(しょっぱな)から派手にやりやがったな」


 初江はそのひと言で思わず吹き出した。

 だが宗也は、先方がどう言うかわからないが、まずは謝りに行かなければならないなと、暗澹(あんたん)たる先行きを思っていた。


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