第21話 青い世界
「詳しく。兄さま」
弟さまが戦闘態勢から警戒態勢へと移行しながらオレの出した結論を聞きたがった。思ったより前のめりではなかったらしい。
オレの方でも風の精霊の現状を確認する。
風の精霊は今、オレがダブルで創造したゴム板の後ろに隠れていた。
この状況を維持しながらなら、少しは話す余裕がありそうだ。
風の精霊はもとからヘロヘロだったのが、今のひと戦闘で、いわばタンクの底に所々に残ってたガスさえも使い果たし、今にも頽れそうだ。
端的に言うと、精霊は床を隠れ蓑にしたのだ。
幾つもの風刃を上空に飛ばしつつ、意識が上にばかり向いたところを下方からの不意打ちで奇襲したのだ。
これは避けられない。
普通なら。
でもオレがそれに気づけたのは、薫風幼稚園の宝探しゲームで、みんなの目を視線誘導した経験があったからだ。
弟さまが最初この青い空間に対処出来ずに階下へと床をすり抜けていった時から、正直オレはこの手の攻撃を予測していた。
そして、こんなことが出来ると言うことは、こいつには知恵があるということも意味する。知恵がなければ表と裏の両面攻撃など出来はしない。
そしてこいつはそれをやった。
知恵とは叡知だ。その種族が築き上げてきた歴史の積み重ねである。オレたちで言えばそれは人類の歴史になる。
その人類の積み重ねてきた叡知のうえに学ばせてもらい、生活や慣習、そして日本や世界の明らかにしてきた叡知の蓄積を、体系的に教わっているのだ。
オレたちの通う薫風幼稚園にだって、未だ本能丸出しで人間と言うより動物に近い園児たちに、人間としての基礎を叩き込む教育が施されている。
それぞれの年代、階層において、叡知の結晶が惜しみなく与えられてるのである。
それが今オレたちがいる環境だった。
そしてその人類が到達してる文明に、この風の精霊は分類出来ない何かをもたらした。十進分類法にそれは記されてないだろう。
そこには精霊は精霊で築き上げてきた、その文明の方向性の根拠があるはずだった。
だから色々なことが判明したのだ。
こいつはただ狂ってるだけではない。狂っていても、精霊の文明に裏打ちされた狂い方だとオレは考えている。
知恵があると言うことは、そうせざるを得ない行動理念があるはずなのだ。でなければ床を隠れ蓑にしてまで風刃を中てに来ようとは思うまい。
何が目的だったのか。
そう考えつつオレが尚も風の精霊を見据えていると、
「この野郎」
と弟さまが距離を詰めた。
その理由はすぐにわかった。
また秋穂ちゃんが風刃で狙われたのだ。
しかし何故だ。なぜ動ける。もうへろへろだったはずだ。
解析でも空っぽだったのだ。動けるはずがない、とオレは疑問が先に来たのだが、弟さまは怒りが先に来たようだ。
もっとも秋穂ちゃんは同じイチゴグループのメンバーだ。仲間がまたもや標的にされたなら頭に来るのも当然か。オレもちょっとむかついてるけど。秋穂ちゃんとはお友達になってるし。
しかし弟さまはダブルで肉体強化をして、能力の底上げを行っていなかった。
なので口では乱暴な振りをしても、実はそれほど我を失ってはいないことはわかっていた。
ただの景気づけだろう。
精霊も慌てて弟さまに攻撃を向けるが、弟さまはその攻撃のことごとくをはたき落とすというか、消滅させている。
弟さまの状態固定は固いな。
おびえがないから行動が小揺るぎもしない。頼もしい限りだ。
「強いな」
オレが呟いた時には、もう弟さまは風の精霊の目の前だ。
名目上で風刃をはたき落とす体裁を取っていたが、実際は状態固定を遣った蹂躙だ。止めを刺すにあたって、自らに攻撃された風刃を防御もせず、中るに任せて無視し、風の精霊を鉄の壁に向けて蹴り飛ばす。
叩きつけられた精霊から呻き声が洩れる。
これは万国共通だな。言葉がわからなくても呻いた声だとはわかる。
そこにオレも突っ込んで膝を入れてみた。
うん。えげつなかったかな?
弟さまが若干引き気味である。
(な。知恵があるだろ? 目的もあるぞ、絶対)
狂ってまでしなければならない、そんな目的意識が。
すると弟さまが小さく頭を振った。
(オレはさ、こいつに痛覚があるのがわかったよ)
弟さまは…………話をすり替えらせてはくれなかった。
「というわけで、さて」
オレは無理矢理話を展開して、みんなの前に鉄壁を作る。厚みは五センチメートルほどの鉄の壁だ。おそらくこれで奴の風刃には十分に耐えきれる。
そもそも一ミリメートルほどの厚みしかない、一分計の薄い外殻で防げたのだ。その一分計より強度が強く厚い鉄の壁なら、鉄壁というその名の通りの効力をきっと発揮してくれるはずだ。
オレはみんなの眼前に屹立させた鉄壁に満足した。あとはこの精霊を余計な方向に移動させないこと。
それとあとは──。
風刃の乱射に関しては、下の階と上の階と隣室それぞれに円形状の鉄の防御壁を構築しよう。これで月の弧のような軌道にも対処出来るだろう。
オレは鉄壁に挟みつけてた膝を外す。
精霊がげほげほと咽せている。解析した以上なんとなくそうかなとは思ってたが、思ったより人間の肺機能にちかい内臓を内蔵して生きてるんだな。
弟さまがガバッとこちらを仰ぎ見た。
ぱお~ん。言わなきゃよかったぜ。
「んで兄さま、取り押さえないのか」
「うん、まだだ。きちんと敗北を認識させる」
弟さまが二度見して振り返った。その顔が、そこまでやるのかと驚いている。
だが絶対にそうした方がいい。中途半端に捕まえて、また隙を見て暴れられる方がオレたちにとっては都合が悪い。
幼稚園に行ったり、習い事に行ったり、お友達と遊んだり、オレたちは普段とっても忙しいのだ。その都度対処するなんてことになったら目も当てられない。
「しかし」
「じゃあ弟さまよ。お前にこの精霊を殺せるか」
後顧の憂いが全くなくなるという点では最善手だ。
「いや。気持悪い」
「じゃあ放置するか?」
「それもない。セドリックメロディ病は見過ごせない」
「なら病院に、あるいは国家に献上するか?」
いわゆる丸投げである。
「場合によってはアリだけど、どうせすぐ逃げられるぞ。この変な空間を作られたら、オレたち以外対処出来ないんじゃないか?」
そういうことだ。
言って弟さまも、なるほどね、と納得した。
オレたち以外、風の精霊を御することは出来ないのだ。
「そうなると気もそぞろに時を過ごすより、精霊に理解させて協力関係を築いた方が遙かに楽だろ?」
弟さまがオレの膝をチラリと見た。
うん、これはこれ、それはそれで。
「そうだね。でも兄さま、そのためには」
みなまで言わせない。
うん、と寛司に向かって大きく頷いた。
最早絶対に負けない。その自信がオレにはあった。
「ん。了解」
オレが離れると精霊ががっくりと鉄の板の上に手をつき疲れ果てていた。
肩で息をしてる。やはり精霊は本気で疲れたみたいだ。
でもたぶん、オレと弟さまにやられたダメージだけではないんだろうな。死力を振り絞って放った風刃が、おそろしく疲れてる最も大きな理由だろうと思う。
となると、一分計を壊すほどの威力の風刃は、奴にとっても大きな負担となるようということか。
その風の精霊が鉄の板からゆっくりと立ち上がり、その板にハッと目をやり、透過しようとしたのでオレはすぐに状態を固定して入れないようにした。
ついでに周りに張った鉄やゴムの防御網は固定せず、すべて送還した。
精霊は悔しそうにオレを見、ふらふらと鉄壁のうえに佇んでる。
オレは鉄壁を動かす。オレたちの所へと。
だが今度はこちらへ接近してるのも厭う様子がない。むしろオレたちに近づきたくてしょうがないが、オレたちが警戒してるので迂闊に飛びこんで来れないように見える。
欺瞞か?
さっきもヘロヘロな振りして、こんなとんでも空間を作り出している。弟さまとわかったことを話しあおうとした時も、その瞬間に有り得ないほどの復活劇を果たして、オレたちに攻撃もして来たし。
本当にすっからかんに思えたのに、そこから異常な攻撃をして来たわけだからな。
気をつけるに越したことはない。
こいつにどれだけ隠し球があるのか、それをオレたちは知らないんだ。だから最適解がわからないわけだし。
狂ってるようだから解析でわかったことも何処まで信憑性があるのか信用も出来ないし。さて──。
(負けない自信はあるけど、考えれば考えるほど、なんか、やばいな)
(そうだね。狂ってるから見境ない。また今みたいなのを乱発されたら防げないとは言わないけれど)
(苦労はするな)
(でも考えるほど自縄自縛になるとも言うからね。そこは匙加減でしょ)
そうだな。やばい。今さっきそれになってたかも。
弟さまがいて良かったよ。
(となると気をつけるべきは精霊狂乱か。なら、また状態固定かけてみるか?)
(でもそれで光って、一度は逃れてるからね。また新しい技を使われるかもしれないし、他にも対策練られてると考えたら、まだ今の膠着状態のままのがいいだろ。だってオレたちはいいけど、お友達のみんなは避けれないんだぞ)
それを言われるとつらい。身動きが取れなくなる。
(う~ん。参ったな)
(参ってないだろ。兄さまは余裕ある選択をしてるぞ。オレももうアイツの風の攻撃は全部防げる自信もあるし。うん、あるんだけれど…………)
(だよなぁ。みんなが動けない謎は解けてない、からなぁ)
解析で状況はわかっても、解き方がわからない。
あれだ。問題文は読み解けても、問題文を読んだだけじゃ、答えがわからないのと一緒だ。
(でも、おかげで兄さまがダブルを遣えてるんだけどね)
(まあそうなんだが)
おかげで普段は秘匿して、人には絶対見せないダブルを、こうして戦闘時に遣いもし、展開もしてる。
(でも、まずいのは事実だ)
(みんながみんな眼をぱっちり開けたまま動かないなんてさ、ホント何でだろ)
(弟さまの見解としては?)
(そこらへんも実は向こうの思う壺で、実際人質にされてるのかもね)
(…………やりづらいな)
本当にこの状況はどうなってるのだろう。この病室にいる誰もがピクリとも動かない。
負けない自信はあるが、風の精霊が未だ手札の全てを切っておらず、奥の手を残しているとみるのが自然だろう。そのことをオレは考慮していなかった。
実際みんなを利用されたら、この謎空間の謎を解いてない以上、後手に回る可能性は多分にある。
ここらへんが知識はあるけど経験が足りてないという思慮の足りなさなのだろう。
(仕方ないよ、兄さま。一つずつ潰して行くしかない)
そうだな、とオレは弟さまに頷いた。
(で、おまえ、状態固定をみんなにかけたわけじゃないよな)
(まさか。ちゃんと光ってるのだけにかけてたよ)
(ふむ。そのくせこいつは騒げてたのか)
目が合った瞬間、へろへろになって鉄の板の上でジッとこちらを窺っていた風の精霊が、オレと寛司が話の出汁にしたと察したのか、何事か叫きだした。
なかなか鋭い奴だ。
だがまあいい。ほっとく。動けないのはわかってる。解析の解析結果は絶対だ。騒ぎ立てるのは黙殺する。慮外の行動を始めた時か、奥の手だけに注意を払う。
すると弟さまが魂の回廊を通して話しかけて来た。
(みんなが動けないのとはまた別の話なのかもね。
とりあえずコイツに関しては、状態固定をかけたのに、光って反抗されたことが衝撃だよね)
(ふむ。光ってる物の奥にも状態固定かけないと、いけなかったってことかな)
オレがぼやいたが、そこから先は堂々巡りだ。何をされてるのかわからない。そして何を人質にされてるのかもわからない。
光の奥にいる不思議な生き物が、さっきから得体の知れない言語らしきものを叫いてるが。叫いてるだけだ。こちらには届かない。
さて、何を叫いてるのだろう。
しかしまあ、こいつもオレたちの行動待ちの膠着状態になってるのに、よく叫けるものだ。
オレたちが奥の奥まで状態固定をかけてたら、こいつは命がなかったろうにと思うのだ。
だって全部止めちゃうんだもん。生命活動だって止まるだろ。
やったことないから断定は出来んけど、弟さまはそのリスクも考えて、お前の表層の動きだけをわざわざ固定してくれたんだぞ。
お前にはわからないだろうけど。
(兄さま。さっきこいつにかけた状態固定の話だけど、たぶん、動かさない形で状態固定をかけてたって事だと思うんだ。だから内臓だとか、内側からの物はそのまま発露できるってところじゃないか)
(なんつーか、状態固定は幅が広いよな。状態固定のどれをどこにかけたのか、当人じゃないと、それが判別しづらいしさ)
(そうだね)
(なあ弟さまよ)
(なぁに)
(その気になったら生物的な動きも止められるだろ)
弟さまがギョッとしてこちらを見た。
それからおそるおそる確認してくる。
(今やった?)
(うん。声もやんだな。でもこれじゃ訴えてる物がわからないから、最初の状態固定でいいか)
「それじゃもう終わってるじゃん。捕まえてまた奥の手第二弾とか出されたらどうすんだよ。膠着状態に置いといて警戒するって話だったろ」
「おっ」
「兄さまは天才肌かも知れんけど、思ったらすぐに動いちゃうとか、野性剥き出しなのも今は勘弁してくれ。ここにいるのはオレたちだけじゃないんだぞ。
ちゃんと警戒してくれ」
「声、声に出てるぞ、弟さま」
(おっけ~)
返事はくれたが、弟さまは相当怒ってるようだ。事務的な返事しか返してくれない。てか声が冷たいぞ。
(なんなら離そうか。状態固定も解くし)
(解かんでいいよ。解いてどうすんだよ。ピンチを作り出して)
「お、おっけ~」
思わず声が出た。じろっと眼で怒られる。いかんいかん。
(ということで確認は出来た。みんなにも聞こえてないはずだ。反応がないからな)
弟さまが、はあ、と溜息を吐いた。
(てか兄さま。隣にいる真理ちゃんにでも解析かけてくれよ。今どうなってんだ? オレたちじゃないのに、こんなことが出来る奴って)
(ああ、こいつだろうな。ちょっと警戒してくれ)
(了解)
余裕が出来て、ようやくみんなの陥った状態に解析をかけることが出来るようになった。
そんなわけだし、怒られ損な気もするが、そこは黙っておこう。弟さまの言うようなリスクの方が大きかったのだ。
いや、暴走した。すまん、みんな、弟さまよ。
そうしてオレは鉄壁の陰にいるみんなの元へ移動する。
オレが真理ちゃんの位置まで下がると、弟さまが鉄壁の前に立った。
厳重な警戒態勢だな。あんしん安心。
(じゃあ待っててくれ。と言うことで解析)
オレは真理ちゃんに触れて解析をかけてみた。
(動いてるな。でも、ものすっごく遅い。ちょっと人がこんなに遅く動けるなんて考えられないくらい遅いんだけど。これ、やっぱそこの風の精霊くんがやってんだろうな)
(てことはみんなには認識出来てないってことでいいのか?)
(だね。真理ちゃんにオレたちは認識出来てない)
(ふむ。兄さまにこれ、出来る?)
この妙な状態、いや、空間のことだろう。
オレはザッと辺りを見渡してみた。その上でこの空間みたいなことは、オレたちのようなダブル所持者なら簡単に出来そうな気がした。この空間のドッペルゲンガーを作るつもりで操作して、ダブルを発動してしまえば良いだけのことだ。
創造系というより操作系に思えるから、弟さまにも出来るだろう。
(たぶん出来る。解析したから。人じゃなくて空間その物に働きかけてるみたいだぞ。
ほい、弟さま)
(おっけ~届いた。なんか、道具を使ってこうしたみたいだな)
(だな。光ってるのの固有能力じゃなさそうだ。けどコレ、出来そうだろ)
(そうだね)
「あ、ちょっと待て。試してみるわ」
弟さまが訝しげにこちらを見た。
いやいや、ダブルは発動せんて。
今怒られたばっかじゃん。
オレは一分計を手にして、ストップウォッチのボタンを押す。
秒針がカチカチカチカチと一秒を十に割って滑らかに、優雅な時を刻んで進んだ。
オレのはダブルで修理したからな。あの阿呆の精で。
(いや、そこは「所為で」としたげようぜ。びびってるじゃん、兄さまに)
(却下)
(了解。でもいいのか? 協力関係を結ぶってのもテーマにあった気がしたけど)
(む。そうか)
そうだった。
今後の生活で、ギスギスした関係で好き放題うごかれるのは、大いにマイナス要素である。狂った精霊を躾けるにしろ、オレたちが自由に動けるという最低ラインは確保したい。
そのために全ての攻撃を封じるなんていう面倒臭い選択肢を選択したのだ。
仮にそれが出来なくとも、その時は風の精霊にダブルで制限を付ければいい。透過させずに封じ込めることが出来るのは、ほぼ確定してる。
だがその前に──。
(脅しは無しで行く。すまん。我を忘れた)
(じゃあオレの一分計を動かすぜ)
ここでオレの失敗をあげつらわずに話を進めてくれるのが、弟さまの有り難いところだ。だからオレは流れのままに素で返事をした。
(応。頼む)
弟さまが首にかけてたおそろいの一分計を、首からごそごそと取り出そうとして、服の中に手を入れている。
オレはその光景を目の端に利かせながら、うずくまったままの風の精霊に注視した。
不思議な生き物だった。
そしてこいつがこれだけヘロヘロになってるにもかかわらず、未だ世界は青いままだった。
どうやって維持してるのだろうか。
青い世界はゆらぎもなくオレたちを包み込んでいる。
精霊のもたらした世界。
物質を透過して落ちて行きそうにもなれば、落ちるなと思えば落ちるのが止み、何もない空中でさえ念じれば中空を駆けっこ出来、不思議な空間なのに静謐さを湛えた青い世界。
このセピア色に染まった青い世界は、人類の誰もがまだ経験したことのない世界。
一緒に蛍ちゃんのお父さんをお見舞いに来たみんなは、生命活動こそ止めてないが身動ぎ一つせず、今も青い世界が始まった瞬間のままその場に留まって、その動きを止めている。
そんな世界をオレは寛司と二人で行動している。
一人だったら、どれだけ心細かっただろうかと思う。おそらくオレだけでは、ここまで動けることはなかったと思う。
心細さも、役目の重さも、分かち合ってくれるから、相談に乗ってくれるから、諫めてくれるから、今も平常心で前に進める。
(準備が整ったよ)
そう言って弟さまがニヤリとする。
聞こえてたかな?
ちょっと恥ずかしい。
でもさすがは弟さまである。オレの訴えたいことをすぐにわかってくれる。
そうなのだ。オレは実験したかったのだ。
ダブルで修理した一分計と、未だダブルの手の入ってない純粋な一分計とで、何か差異が生じるかどうかを。
「い~い? 兄さま」
「いつでもどうぞ」
弟さまが機械式ストップウォッチのスタートボタンを押した。
だが弟さまの秒針は動かない。
手を振ってみる。逆さにしてみる。ぐるぐる回してみる。ふるちんダンスした時みたいにくねくね踊りながら立体的に一分計を振ってみたが、それでも秒針は一ミリたりとも進んでいなかった。
「兄さま。ご覧の通りだ」
弟さまがオレに一分計をかざして見せた。
さて、とそこでオレは自分の一分計のスタートボタンを押す。
カチカチカチカチとこれまで通りに一秒間を十分の一秒ごとに時を刻む。
体感とも合致してる。
オレの一分計の秒針は動く。しかし弟さまの一分計の秒針は動かない。
オレたち兄弟の一分計は、叔父ちゃんちで一緒に作ったハンドメイドだ。部品も叔父ちゃんの勤める自動車会社のエースが車を組み立てる並の精度で作り上げてくれた物だ。
そこに差異はない。
あるとしたら精霊の攻撃を受けて損傷したのをダブルで直したオレのと、損傷せずに無事なままあった弟さまの、という違いだけである。
ダブルで直したかどうか、それだけの違いなのだ。
つまりこの精霊は、時の流れを遅くしたらしい。だからみんな動かないのだ。動いているけれども、それは極めて遅い時の流れにいると言うことだ。オレたちダブル遣いとダブルの体現者には、効かなかったみたいだけれど。
それでも大変な脅威だ。
この青い世界で動けなければ、人類なんてコイツの気分次第で幾らでもやられ放題になってしまう。
しかもこいつに憑かれたりでもしたら、もれなくセドリックメロディ病に罹患するのだ。繰り返すが、こんなの脅威以外の何物でもない。
「弟さま。一分計に動くようコイツの変なのを、その効力を跳ね飛ばすよう状態固定をかけてみてくれ」
「了解」
と返事した後に──。
お、動いたと弟さまが呟いた。
これでハッキリした。
コイツの青い世界に、オレたちのダブルは通用する。
そしてみんなが動けないのもハッキリした。
時の流れが遅いのだ。と言うか、オレたちが加速した世界にいるから、周りのみんなが止まってるように見えるのだ。
おそらく効果範囲の外側に行くにつれて、時の流れは緩やかに通常の流れへと落ち着いて行くのだろう。
そして一分計はオレたちの時の流れに対応できる仕様になった。これはオレと弟さまがそれぞれにダブルを一分計にかけたからだろう。オレたちの時の流れと同軸の時の流れに乗ることが出来るようになった。
多分だが、そういうことなのだろう。
だがまあ、これはオレたちにとっても好都合だ。何せダブルを遣っても、みんなには認識出来ないと言うことなのだから。
これで存分にダブルを遣える。それが今まさに、オレたちがいるこの状況なのだ。
オレは風の精霊に、心の中で語りかけた。
青い世界はお前に恩恵をもたらすと考えてたのだろうが、残念だったな。
むしろオレたちに、多大な貢献をしてくれてるぞ、と。




