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ダブル  作者: 茶の字
第1章 幼稚園時代
2/182

第2話 名前が付いた日

 数多ある作品の中からダブルを読もうと思って頂き誠にありがとうございます。

 さて早速ですが、この第2話から第19話までは一話がかなり長いです。当方ダブルが処女作ですので、この頃は一話四千字から八千字という、なろう小説の常道を身につけておりませんでした。

 文量を気にかけるようになったのは第20話以降ですので、第2話から第19話までは本当に文字数が多いです。つきましては第2話から第19話までは、時間の余裕のある時に読まれることをお勧めいたします。

 お手数をおかけして申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

 ダブル──。

 それがこの能力の名前だ。

 ドイツ語ならドッペルゲンガー、日本語なら影法師と言ったところか。

 呼び名は色々とあるが、産婦人科医の小野先生の知識の中にあって、一番しっくり来る呼称が、英語でいうところのダブルだった。

 それは隣にいる弟も、ベビーベッドで手足をばたつかせて、文句を言う素振りもないので異存はないようだ。

 さしずめ弟を作り出した自分は「ダブル遣い」で、弟は「ダブルの体現者」といったところか。

 だがお医者さん、小野先生の読んでた数多ある蔵書の中で、一つ気になる項目があった。それはドッペルゲンガーに関する古い言い伝えである。不穏な言い伝えだった。

 曰く、もしも自分の分身たるドッペルゲンガーを見たら、見た者に不幸が訪れるだろう云々の(くだり )である。

 だが自分の分身を、見てしまったどころか作り出してしまった自分は、どうなってしまうんだろうとも思った。だが前例がないなら言い伝えなどそれは全く(あた )らないとも思った。なんたって見たのではない。創ってしまったのだ。ダブルには俗っぽい表現で双子を示すこともあるらしいし、だからダブルという英語の方が、自分たちの感じてる感覚により近しい気がしたわけだが。


(つ、ツインズ。いや……ないか)


 ないって何それ。おいしいの?

 色々と思うところがあったが黙殺した。

 そもそもさっきは一緒に声を合わせたではないか。なにを今更、と思うのだがその時ふと、気になることがよぎった。


 ──もしかして、オレの考えてることが読めた?


 オレは隣に寝てる弟の寝姿を仰ぎ見た。

 弟はのんきそうに手足をばたつかせている。しばし待つ。

 だがしかし、この問いに対する弟からの返事はなかった。



 生まれてから七日ほど経過した。オレたちは一昨日に退院し、今は、リビングに特設されたベビーベッドに寝かされている。

 リビングが寝所となってるのは、両親の寝室では祖父母が自由に孫の顔を見ることが出来ないから、と言うのが理由らしい。


(なあ兄さまよ)

(なんだよ、弟さまよ。てか、あにさま? 何それ)

(時代小説の愛好家から学んだ、由緒正しき呼び名なんだけど)

(ああ、産婦人科医の小野先生か。大好きみたいだもんな)


 その兄の返事に、弟はこころの中で肯く。

 退院の際にも、双子と見抜けずショックを受けてた小野先生は、双子と見抜けなかったことを両親に平謝りに謝っていた。その姿を見て、弟は小野先生には悪いことをしたと思っていたのだ。

 なにせ本来なら、小野先生の見立て通り、自分は存在しなかったはずなのだから。

 それがまさかの二人目の誕生に、小野先生は晴れやかな新年を迎えるはずだったはずが、とても穏やかな気持では迎えることは出来なくなっていた。診察時に小野先生に触れられる度に、自分の目はこんなにも節穴だったのかと小野先生は絶望していた。産婦人科医の看板を下ろしてしまいたいと、心が揺れてもいた。それほどの衝撃を受けていた。

 気の毒であった。

 自分が言葉を話せるものなら、気に病むなと肩を叩いて励ましてあげたかった。

 しかもその小野先生、兄さまがダブルを発動した際、小野先生の生まれてからこれまでの人生を解析されてしまい、その時に、小説にしろテレビにしろ、時代物が大好きだということが自分たち兄弟にばれてしまっていた。

 それどころか失敗体験から成功体験、嬉しいこと、恥ずかしいこと、人には絶対知られたくないこと、そんな己の秘密すらも本人の意志は考慮だにされず、暴かれてしまっていた。

 自分たち二人に問答無用で露見したのがばれたら、小野先生はどう思うだろうかと弟は思う。

 その時の心中を慮ると言葉がない。生涯秘匿しなければならない案件を、生まれながらにして背負ってしまったのは間違いない。

 これは多分、業というものなのであろう。

 まだ生後七日なのに。

 業とは重い。

 業ですか。


 もっとも、その解析時の読み込みのおかげで、小野先生の持つ古来から現代までの、医師になるために鍛え上げてきた様々な知見を得ることが出来た。これは素晴らしいことだと思う。

 だが、こんなことが出来てしまうのは、我ながら恐ろしい赤子だとも思う。反省すべきは反省すべきだが、最早知ってしまった以上、今更どうしようもない。

 業を受け止めて、きちんと運用していく他ないのである。

 そのためにも兄さまと自分には魂が繋がってるようなので、それのおかげで情報の共有や、今こうして会話をすることさえ出来てしまいもするわけだが、兄と思念で会話出来てしまうこの不思議な現象を、きちんと解析した方がいいと思った。

 なので本題を兄に話しかける。


(小野先生の好きな曲に「風の回廊」ってあるよね)

(ああ。あった。うん。あるね)

(なんかそれみたいだよね)


 弟は賽を投げた。

 薄ぼんやりとしていく情報を、解析するようにと促すために。



 兄は弟の方を顧みた。

 だが暗くてその表情は見えない。表情がつけられるほど赤子の筋肉は発達してないが、それでも弟の顔を見てみたかった。

 この弟さまは、のどかなようでいて節目ふしめをピタリと押さえてくる。


 だからだろうか。


 兄は、弟が言いたいのはそれだけでないような気がした。わかるのだ。

 だから小野先生の後先に集中する。

 回廊、回廊……。

 回廊の思い出へと辿る。

 小野先生の思い出に、子供のころ自宅の回廊をぐるぐる走り回って遊んでいたことがあった。小野先生はこの日本家屋の回廊が大好きだったらしい。

 離れの現代家屋のように、一つの部屋に一つのドアしかない構造ではなく、自由自在にどの部屋にも出たり入ったり出来る利便性の高さと、湿気の多い日本の風土から、風通しをよくすることで建物が傷まないように工夫を凝らしたりと、知れば知るほど叡智を結集して建てられたということがわかる、そんな日本家屋に魅了されていた。

 さすがこんなところでも時代小説を愛読書にしてるだけあって、日本家屋を今も愛して止まないようだと、そう思っていたら合いの手が飛んで来た。


(そ。まるでオレたちの廻りに張り巡らされた、回廊ってやつみたいだろ)


 ちょっとびっくりしたが、なるほどとも思う。

 どこからでも、どんな体勢になろうと、自由自在に意思疎通が出来る利便性。

 そこに風通しのよさも掛けてるわけか、と。


(確かにね。でも風と言うには、この詩のちょっと苦いみたいな感じってのはなぁ。オレたち若いじゃん)

(若いというか生後七日だしな。そんなのに挫折と言われても、う~ん、頷けないよなぁ)

(だろ? それにオレたちが通してるこの風通しのよさってのはさ、もっと熱血って言うか、滾る血潮だろ)

(血が滾るかどうかは知らんけど、まあ心の奥底って言うか、魂って感じはあるかな)

(おっ。たましいか。それいいね。ならこれからは魂の回廊と、そう呼ぼう)

(わかった、おっけー)


 そう決まったところで、兄は、ふむと呼吸をひとつ置いて考える。

 この魂の回廊のことだ。

 情報が双方向と言うことは、この回廊は、単廊ではなく複廊のようである。

 これも追々どこまで出来るのか、何が出来るのか、確認することになるだろう。試さなければならないし、確かめなければならないのだ。でなければどこまで運用していいのか判断がつかない。人類の未知の領域なのだ。

 とまあ、本来ならやるべき事は多いのだが、思考を巡らせつつ周囲に眼を配って、それは叶わぬ望みであると兄は思い知る。

 理由は簡単だ。

 動けないのだ。

 はいはいすら出来ず、首もろくに動かせず、ましてや身動きすることすらも怪しい。

 しょせん赤子なのだ。

 弟以外とは言葉を交わすことも出来ない。



 昨日こんなことがあった。

 突然におしっこに行きたくなり、どんどん募って行く排尿感に、便所に行かせてくれと両親と祖父母に訴えたのだ。だがしかし、リビングは真っ暗で、すでに家族は寝静まっていた。

 なので保護者を呼ぶことにした。赤ん坊が人を呼ぶ手段はひとつである。

 泣くことだ。

 だがしかし、その魂の泣き声が届くことはなかった。

 届く前に絶望してしまったから。

 だって、気合いを入れたら……。

 その時にはもう……中身が出てしまっていた。


 兄は苦虫を噛み潰す。

 開き直って、やったぜ、おむつに盛大に排便してしまった、とでも言えればいいのだが、言う前に隣で弟が笑ってる。お前も出来んだろうがとツッコミを入れると、それを兄さまが言うかと互いに不毛なツッコミを入れあった。


(とりあえず、おむつって文明の利器だよな。香ばしい匂いをまき散らさない)

(うん。文明って素晴らしい)


 弟が心底同意した。そこは互いに納得出来ることだったようだ。

 共通点を見出し、魂の回廊に意識を向けてみる。確かに弟とつながっている。流れが速いところ、淀んだところ、深いところ。色々とあるようだが話すことに不自由は全くない。

 この魂の回廊の感覚にも慣れてきたようだ。


(慣れたついでに試してみるか)


 遠目で物を透かすようにして弟の居る方をじっと見る。


(で、何をするんだ)

(なに、ちょいとばかしお前を大きくしようと思ってな)

(おいおいオレが実験台か?)

(いやいや、悪意はないさ。ほら、だってオレはオレを見ることは叶わないじゃん)


 返事はない。


(そ、それにでっかくなれたら、歩けるようにもなるし、便所の問題も解決じゃん)


 闇の奥から、じとっとした眼を向けられた気がした。だが特に何を言われもしなかった。これは了承したということでいいのだろうか。いいのだろう。積極的ではなさそうだが。

 とにかく、今後便意で困ることがないようにと、弟をでかくしようとした。


「ふっ」


 思わず鼻息も洩れた。きちんとでかくなれと試みたのだ。だが、それは出来なかった。

 もう一度力を込めてみる。


(どうやらダブルじゃ無理みたいだな)


 これでこれからもオムツの問題はつきまとうことになったわけだ。諦めるしかない。しかし弟の思うところはまた別だったようで、弟が自分ででかくなろうとしたらしい。魂の回廊を通じて、その意思が伝わってくる。

 すると隣で弟がみるみるでかくなって行った。


(おいおいおい)


 じわっと大きくなり始めたと思ってたら、あっという間にその体格はもはや立派な幼稚園児である。

 もっとも、もっと大きくなれるか試みようとしてるが、そこは自重させた。服がやばい。

 ということで弟をでかくしても便所問題は解決しないことがわかった。

 やる前にそこまで思い至らなかったのは、なかなかに間抜けである。

 ちなみにオレも同じことが出来るだろうかと試してみたが、オレの身体はうんともすんとも言わなかった。

 知識があっても自分で処理できないことがある。これはそのなかでも中々に尊厳に関わることだったが、だがしかし、いくら失敗しても、我が身体は身に染みないというか、我が意に応えてくれなかった。


(染み入るは 失敗による 羞恥のみ)(詠み人 弟)

(俳句にしてんじゃねぇよ)



 それからダブルの別の用途についても探ってみた。

 例えば産科医の小野先生の後先を全て知ってしまったことだが、これは歯止めをかけなければいけないというのが、オレと弟の一致した見解となった。

 幸いここ数日による両親や祖父母から溺愛と言ってもいいような可愛がりに、いくらオレたちを可愛がっても、ダブルを発動しようとしなければ何も起こらないということは確認出来た。

 ということは小野先生の場合は、子宮の中にまだいたいと思ったオレの無垢な衝動による結果ということのようだ。そう解釈したところで、膀胱にむずりと来た。今度はおしっこだ。だがそう思った時にはちょろちょろと垂れ流していた。


 はあ。


 知識は便利だ。便利だが、体験は生々しい。

 小便を洩らすという字面を知っていることと、小便を洩らしてしまったという体験とでは、こうも感じ方がちがってくる物なのだろうか。無論大便でも同様のことが言えるわけだが。

 臀の穴を拭けなくて身悶えし、小便と大便をおむつに垂れ流しても身悶えするのに、人様の、ましてや自分らを取り出してくれた恩人の房事までも知ってしまったのは、あまりに小野先生に申し訳ない。


 ダブルとは、恐ろしい物だと思う。

 ましてやこのダブルを、もっとも身近な近親縁者に発動させてしまうことは絶対に避けなければいけない。

 どうもダブルを発動させるに中って、対象の再現をするためには、まず対象の後先を解析してしまうのがデフォルトらしい。その解析時の副産物として対象の知見を知ってしまうわけだが、父と母の房事など見たくもないし知りたくもない。齢七日にして自殺したくなるような思いは味わいたくなどない。

 そういう感情面での葛藤があったので、家族に対してはオレは一切発動しないよう心がけている。弟からそういう情報が流れこんで来ることもないので、弟もそこは気をつけてるのだろう。そのおかげか、元から家族には発動できなかったのか、それはどっちだか知らないが、困った事態には陥ってない。そもそも生後七日にして、これだけ知識があるという一事だけでも異常なことなのだ。


 もしも、自分たち兄弟にこんなダブルなどという能力が備わってると両親や家族が知ったら、その後家族はどうなってしまうのだろう。

 気持ち悪いとオレたち二人を切り捨てられるだろうか。

 これが家族でなく親戚ならば、オレたちはもちろん、両親や祖父母をも忌み嫌って縁を切ってしまうだろうか。

 それともオレたち兄弟だけのことだと、オレたち兄弟だけを切り捨てるか。

 今は双子誕生に喜びの声と祝福がもたらされる我が家だったが、そうなってしまえば我が家に暗い影を落とすことになるだろう。これは、血族を含めた、家族がどうなるかという問題だった。

 いやだなぁ。


(そうだね)


 不意に返事が来た。

 多少驚いたが、意見を聞きたいところでもあったので問題ない。

 弟が話を続ける。


(親族だけでなく、世に知れ渡って日本中から気持ち悪がられる、そんな規模になるかもね)

(やっぱそうなりそうだよなぁ)


 互いに大きく頷き合おうとして、はたと止まった。まだ座ってない首がまずいことになる気がした。軽く動く。


(まあなんだ)


 ダブルは、この能力をうまく扱えるようになるまでは、大規模に発動などさせないように努めないといけないよな。


 それが二人の共通した見解となったところで母が離乳食を持ってオレたち二人に構いだした。そこでいったんオレたちの会話は終わった。




 しかし弟はダブルのことをどう思っているのだろう、と兄は思う。

 自分にとって大規模なダブルを発動したのは、無意識というか、怒りにまかせてというか、思ったままにやってしまったわけだが、とにかく、子宮にいたいと自分を母の子宮に残そうとしただけだった。

 そうしたら弟が出来ちゃったんだけど……。

 弟は自身のことをどう考えているのだろう。この件はまだ弟に聞いたことがない。デリケートな問題に思えるからだ。



 オレの見解は……。

 おそらくだけれども、弟は、ドッペルゲンガーの伝説について回るような並列存在ではない。本体である自分とも代わり得る存在、多重存在というべき存在なのだろう。伝記や伝説に残ってるようなドッペルゲンガーは不幸をもたらして終わってしまうけれど、愛情を目一杯受けて全く不幸ではないし、仮に弟をドッペルゲンガーとして扱おうにも、小野先生の病院において、弟は普通の赤ちゃんとして検査し、その結果もただの人間であった。

 それでもドッペルゲンガーと言い張るなら、それはなんというか、ドッペルゲンガーの質が違うのだ。

 ドッペルゲンガーには、自身のドッペルゲンガーを見た者は死ぬという伝説がある。そのことは重々承知した。小野先生が知ってた物語の全てが、その不穏な結末を迎えていたから。

 だがしかし、伝説は伝説であって現実は現実で、オレが気に病むことはないし、弟にも気に病むことはあってほしくない。

 ただツインズと言うには、生まれの全てを糊塗してるようで、そこは卑怯ではないかと思う。もしかして弟が気にかかったのはそこではないかと思う。そう考えると、オレたちを言い表すなら、やはりダブルなのだ。



 伝説など眼中にない自分に、我ながら大した物だと鼻息を荒くしていると、隣のベビーベッドから微妙な空気が流れて来た。



(なあ兄さまよ)

(なんだよ、弟さまよ)


 我が弟へと見つめる眼差しは優しい。人類愛、兄弟愛、である。


(うんこしたお尻ぐらいは、自分で拭けるようになりたいよな)


「…………」

 思い出した。

 その話をしてたのだった。

 放尿ついでにうんこがちょびっと出てしまった今、おむつの偉大さがよくわかる。おむつ万歳である。宇宙飛行士だって、おむつしてるのである。


(…………)


 だが、弟の意図は違う気がした。

 おちゃらけて、こちらが深みに落ちるのを防いでいる気がするのだ。思索は大人顔負けの思索を出来るけど、出来るが故に自分へのいらだちを募らせる状態にあると分析したのではないか。オレたちはなぜ出来ないと自縄自縛するが、実際は生まれたばかりで育っていないのだ。これが事実なのだと、そういう折り方をしてくる。

 そしてこれが意味するところは、我が弟は、憎まれ口も厭わないし、偽悪も厭わない、と言うことだ。

 これが本当にそうなら、いくら兄弟とはいえ、我が弟は腹の据え方が尋常ではないと思うのだ。

 オレたちはこれから赤子らしくいろいろと試し、その先の未来もいろいろと試せるはずなのだ。それはお前もオレもだ。だが時間があると言うことを、子供には無限の可能性があると言うことを、それを理由にして、甘えた選択を取ろうとしない。その厳しさが弟にはある。

 武士である。

 兄は、暗がりの向こうにいる弟に話しかけた。


(なあ、弟さまよ)

(なんだよ、兄さまよ)

(その……調子に乗って悪かったな)

(……いいさ。おとなしく、赤子らしくしてような)

(ああ。てか、恥ずかしいなぁ、もう)


 手足をばたつかせる。

 今はこれしかできません。

 泣いて叫んで親を呼び寄せてしまったら、もう羞恥で真っ赤になってしまいます。だが一向に来る気配がないので存分にばたつかせます。

 突然丁寧語になったのは、そんな気分だからです。


(悶えてるとこ悪い、兄さまよ)


 兄は七転八倒してばたつかせてた手足の動きを止めた。


(ただしだ、ただしだよ。知識だけは仕入れられるだけ仕入れないか。オレには出来ないみたいだけど、兄さまなら触れたらダブル発動するための事前調査みたいな感じで、相手のこれまでのことがわかるみたいじゃん)

(ああ。でも親にそんなことはしないぞ。恥ずかしいことは今、身をもってわかっちまったからな)

(おっけー。じゃあ知識だけでも学び取れないかな。加減が難しいか)

(とりあえず試してみる)

(おっけー。じゃあそういうことで)



 と言うことで方針が決まった。

 方針が決まると急に眠たくなった。随分と長いこと話しこんでたしなと思う間に、いつの間にか眠っていた。

 弟も兄が眠ったのがわかった。魂の回廊が閉ざされた感覚があった。お休みなさいのひと言も告げられないほど、自分の意のままにならぬ身体ではあるが、と苦笑しつつ弟は最早聞こえていない兄に向けてつぶやいた。


(おやすみ、兄さま。明日があれば、また話そう)


 自分もそこで思考を止め、後を追うようにして闇に落ちた。




 目覚めると、台所から朝餉の支度をする祖母の包丁を刻む音が真司の耳に聞こえて来た。

 年が明けて初出勤となる父にあわせて、我が家の朝は忙しいもののようだ。

 父の宗也は証券会社に勤めてて、これから通勤で東京駅に向かうらしい。とはいえ品川駅から東京駅までならたいして通勤時間はかからない。

 だが父は早送りのように立ち回ってる。

 この原因はわかってる。自分たちが会話しつつも寝付きに入ってる最中も、父は自分たちの顔を眺めては、にやにやしてたからだ。

 祖母の早苗が、いつまでも眺めてるんじゃないよと父を叱っていたが、それからも動く気配がなかったので、父がいつ寝たのかはわからない。

 父は父でこんな感じだが、母の初江はといえば、オレたちの隣でまだ身体をゆったりと横たえていた。無論昨夜も母はしっかりと睡眠を取っていた。しかし退院したとはいえ、産後の肥立ちを甘く見ちゃいけないよと言う、祖母の言いつけを守ってゆったりしているのだ。

 いくらでも眠れるのか、母は、静かに寝息を立てていた。

 父が、忙しいのに気を利かせてカーテンを閉め、一角を薄暗くした。



 出汁のパックを入れたのか、味噌汁の匂いがふわっと漂ってくる。しかしどうせ飲めはしない。自分たち兄弟は、離乳食だ。

 小野先生曰く、味噌汁は日本人の魂とまで謳われる汁物だ。是非飲んでみたい。飲んでみたいが、これも叶わぬ願いである。

 本当にどうなってるんだ赤ん坊は。

 これほど知識に恵まれることなど通常の赤子には出来ない。だからこそ自分たち兄弟は恵まれている。それはわかる。だというのに、知識を得たことで、親たちが数多起こす事象を解析することに努め、理解すれば理解するほど狂おしくなるとは、何と言う拷問だろうか。

 自分では何も出来ぬのだ。

 何かをしたい。

 退屈だ。

 刺激が欲しい。

 思ったところで声を出してみる。

 両親や祖父母に懸命に訴えてみる。だがこの要望が届くことはない。


「おぎゃああああ」


 言葉になってなかった。

 父はワイシャツを探してバタバタと慌てふためき、祖母は朝餉の準備を終えて朝刊に目を通している。


 それでも懸命に伝えるが、いくら伝えようとしても両親にも祖父母にも伝わらない。兄弟で当たり前のように出来ることが、兄弟でしか出来ないことらしいと、募る恨めしさとともに実感として身に染みた。

 段々わかってきた。

 ダブルで小野先生の知識をざっと解析しても見つからないので、ダブルが人間に備わってる能力ではないというのは本当のことのようだ。

 どうやら兄弟の中でしか魂の回廊はつながっていないらしい。例え家族といえども、魂の回廊は備わっておらず、家族とは意思の往来は出来ないと、そう理解した方がいいようだ。

 すると出勤前の朝の時間帯で、せわしなくベビーネッドの横を行き交っていた父が、突然に自分たちの脇で立ち止まると、大きな声を出した。


「お母さん、テレビつけてくれ」

「仕事始めだろうに、だらしないねぇ」


 祖母が食堂の席を立って父を見、嘆息する。父はスーツのズボンを急ぎ履こうとし、かえってどこかに引っかかって遅くなっていた。どうやら我らが父は本当に遅刻しかねないほど時間に追われてるらしい。

 祖母が仕方ないねぇとぼやきながら朝のニュースをつけた。


(お、ラッキー)

(情報が手に入るね)


 我が家を支える大黒柱の動勢は顧慮せず、二人して喜んだ。

 自分たちの置かれてる状況は変えようもないが、世の中の流れを知ることが出来るのはありがたい。忙しい父と違ってこちらは何もやることがなく、暇なのだ。



 すると、今朝のスポーツが終わった後、フランスで新たな電気供給の仕組みが登場したことを特集でやり始めた。

 何でも太陽光のエネルギー変換率がこれまでの数倍にもなり、これまでの電気産業より高効率に、しかも格安となり、そんな高性能な太陽光発電機が開発されたらしい。

 これからもっと研究を進めて、いずれは世界中に貢献したいとのことだった。



「お母さん、飯」

「出来てるよ」

「お、とろろかぁ」

 嬉しそうな声が聞こえてくる。父がサンキューとつぶやくや、いただきますも程々に、すぐに臓腑に流しこんでいる。


(…………)

(きたない食べ方だね)


 ノーコメントを通したが、掻き込むとろろが正確に口腔に入って行かない。それはビシッと朝餉を作った人の気持を考えると、まずいことをしてるなと思うが、案の定、朝餉を作った祖母に、姿勢を正せと怒られている。


 父はあれですか。

 カレーは飲み物とか言っちゃう人たちと同じですかね。

「ご馳走様」

 言うやいなや父がリビングに駆けこんで来た。


「おお~~~。かわいいでちゅね~~~」


 だらしない笑顔の父がいた。

 もしや。

 まじかよ。

 嫌な予感にぞっとして、目を見開く。父のその口辺には、流し込み損ねたとろろで、とろろまみれになっていた。やめてくれと懇願までしてるのだが、その時にはとろろ飯の粘り気たっぷりな唇で、ぶちゅぶちゅ接吻されていた。



(べたべたする。べたべたするぞ)



「何て柔らかいほっぺなんだぁぁっ」

(いや)

(台無しだよ)


 兄弟で声がそろった。

 だが父は止まらない。


 ねばねばな感触に、父のたっぷりな愛情が込められていた。

 こちらは必死に避けようとしてるのに。

 避ける。よけよう。避けるのだ。

 意味のわからない三段活用までして、渾身で拒絶する。身悶えして伝えてるのだが、それが父には伝わらない。弟には簡単に意思疎通ができるのに何故だ。


(何故だっ、なぜだぁ)

(こだましてんじゃねぇよ)


 弟のはじける笑みと父の満面の笑みが、我が隣にある。我が意に反して、被害は唇からほっぺへと拡がって行く。

 無駄と悟りつつ、だが身悶えせずにはいられない。糸を引いてるのだ、糸を。

 いやいやと首を振ればますます被害は拡がってゆき、そんな負のサイクルに苛まれるオレを、弟がオレも三段活用しただけじゃん、と屁理屈こねて笑ってる。


 ──この野郎。


 だが踵を返して自らのベッドに近寄る父を見、弟もぎょっとした。その後の自分に訪れる運命を、父のでれでれした顔を目の当たりにして理解したらしい。


 ──ざまあみろ。


 拒否する、断固拒否、と言ってるが単なる呻き声にしかなってない。

 そして弟も、問答無用でとろろまみれにされていた。

 わはははは。


「さて、歯磨きハミガキ」


 去って行く父は、気分上々に鼻歌を歌っている。

 その後ろ姿を眺め、視線を移すと、オレと弟の視線が、つと絡み合った。そこにはこれまでの経緯は忘れる、暗黙の流れがあった。互いに頷きあう。

 親父殿、順番が逆だろう、と。

 息はぴったりだった。



(ところで兄さまよ。さっきのテレビに出てたおじさんが何話してたかわかったか)

(いや。フランス語はよくわからん。オレにわかるのは日本語、ドイツ語、英語だけだ)

(いっしょだ。ということは、知見はお互い共通してるということのようだな)

(そもそもダブルの前段階で拾得してるだけのことだからな。本来ならこの後ダブルを発動して対象を作り上げるはずのところを、手を抜いて作らないだけだし)

(ほう。ということはそこはやはり兄さまの匙加減なわけか)

(汎用性が高いと言ってくれ。おかげで産婦人科医の小野先生から日本語、ドイツ語、英語を学べたんだから)

(で、その汎用性の高さでも、出来ないこともある、と)



 またこんなときに鋭いとこを突く。

 兄は忘れてたことを思い出さされて顔をしかめた。

 調子に乗らないこと。それは身をもって学んだのだ。



(ところでこの魂の回廊、父さまに熱烈な接吻されるのが嫌で閉じてみたんだが、兄さまに伝わらなかったか)

(うん? そんなこと考えてたのか。言われてみれば、気持ち悪いとかそんな気持ちは伝わってこなかったな)

(なるほど。ざまぁみろだけ伝わってきたのはそういうわけか)

(え? おい、ちょっと待て)

(兄さまは素直だからな。全部駄々漏れだよ。この七日間)

(マジかよ)


 と思って感覚的に遮断してみる。


(お、兄さま。たぶん成功だ。いま閉じただろ。魂の回廊を)

(おお。成功か)

(ダブルは便利だけど、何から何まで共有するのは、互いの思索が散漫になる。うまいこと使いこなしてこうぜ)

(おっけー。それと、ごめんね)

(いいさ。オレも笑ったし)


 そうして兄と弟は、ふたりで少しずつ探りながら、ダブルと名付けたこの能力の性能を知って行く。


 それから穏やかな時を過ごした。

 母がかいがいしくおむつを替えてくれたりする。母はあまり乳が出ないようなので、そこを気にしてるようだが、問題ない。離乳食を食べさせてくれるので空腹を感じたことはないからだ。

 母は母乳で育てるのが夢だったらしく、そこは母にとっては残念だったかもしれないが、常に満腹感の状況は、甘えさせすぎではないかと思ったりもする。ひもじい思いもしないと、人の気持がわからない大人に育ってしまいますよ。

 母には聞こえないけど。

 弟と頷きあったりする。

 時々祖父母が店から時折顔をのぞかせたりもする。祖父母は江戸の時代から百五十年もつづく和菓子の枡屋を切り盛りしてるのだ。その忙しい合間を縫って会いに来てくれる。その祖母に応えたりしてるうちに、夜になり、父が帰って来た。

「決めたぞ」

 何を決めたのか知らないが、こちらは腹が減っていた。

 父からの電話以降、家族皆がそわそわして、母も自分たちだけに構ってられなくなったようで、父の帰りを今か今かと待っていたのだ。

 その父が熱烈な頬ずりをしてくる。

 髯が痛い。もう伸びてやがる。じょりじょりと玉のお肌を削って行く。

 祖母が、いい加減におしと父をたしなめて、ようやく拷問が収まった。

「で」

 と母が父に何かを促す。

「兄を真司、弟は寛司」

 わっと家族のあいだに歓声が上がった。

 母が弟を抱き上げる。

「寛司くん、こんにちは。これからずっとよろしくね」

 父はオレに対してひと言もなかった。その代わりに未だ頬ずりを続けている。メロメロになってるところを悪いが、一日を過ごして中途半端に伸びた鬚が痛い。まるで、おろし金でおろされてるようだ。


「んぎゃあ」


 痛いと発音出来ずにむずっていると、祖母がぺちんと父を叩いて、ほら、およこしと父からオレを取り上げた。

 父は無念そうだが、オレはほっとした。


「お母さんは日中ずっとかまってただろう」

「バカだねぇ。あんたの鬚で痛がってたんだよ」

「え?」

「剃るまで抱っこさせないよ」

 慌てて父は風呂場へ駆けこんでいった。

 どうやら我が家では、オチに父を持ってくるのが基本らしい。



 名前が付いた。

 オレが真司で、弟が寛司。名字は最上なので、双子の兄が最上真司、双子の弟が最上寛司となった。


髯と髯と鬚のちがいを思い出しつつ、今回は鬚の字をチョイスしました。


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