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第1章 幼稚園時代
19/182

第19話 セドリックメロディ病

 くじら組でお遊戯の時間が終わると、薫風(くんぷう)幼稚園全体での自由時間となった。これから昼食までは完全な自由時間だ。オレはこの自由時間が大好きだった。

 すると気の早い年長組の教室から、お兄さんお姉さんが怒濤の勢いで園庭へと飛び出していく。

 それに触発されたオレたちくじら組も負けじと元気よく表に飛び出した。

 あっという間に園庭は子供たちの遊ぶ声で賑やかになる。

 グループで遊んでる人もいれば、年少年長と年も関係なく一緒になって遊んでる者もいる。オレがザッと見回しただけでも、サッカーや鬼ごっこをやってて、ある種の無秩序状態になっていた。

 そんな中ではあったが今回オレにしては珍しく、集団で遊ぶ気にはなれず、ひとり園庭で鉄棒の順番待ちをしていた。

 これには(わけ)があって、柔道の引き手の強化をしたいというのと、我が家の家業である和菓子屋枡屋で毎月一度開催する、恒例の江戸時代の作り方を再現する日の、手練りでおはぎや羊羹の餡を練りあげる作業を、大人並みに出来るようになりたいという思いからだった。

 ネリネリは厳しい仕事だ。

 むかし我が家で育ったお父さんの弟である叔父ちゃんですら、五分もネリネリしてると汗まみれになって、木べらで大鍋の中をかき回す作業に()を上げたそうだ。

 何しろ重いは疲れるは仕上がりを気にしなければいけないはと、そのヘビーな作業のくせに針の穴を通すような最高の結果を求められる重労働で、それが嫌でイヤで、本気で逃げ出したいと思うぐらいキツイ仕事だと叔父ちゃんは認識してた。

 オレもこないだ創業祭の時にちょっとだけやらせてもらったが、アレはやばい。

 極限の全身仕事だった。

 だがそんなキツイ木べらを扱うネリネリという仕事も、鉄棒をやれば、きっとへっちゃらになれるぐらい鍛えられるとオレは思ったのだ。

 だから勇んで鉄棒で逆上がりや蹴上(けあ)がりの訓練をしてた。

 特に蹴上がりに関しては、オレが淀みなく成功すると、どよめきが起こって年長の人からも教えてくれと言われたりした。けれどもコツを教えてとせがまれて、足首を鉄棒に近づけて、振り下ろす際に今度は(へそ)を鉄棒に近づけると出来るよ、とオレなりのコツを説明しても、なかなか理解されることはなかった。

 でも鉄棒で遊んでる子たちも、自分の順番になると蹴上がりに挑戦する子が結構増え、おかげで持ち回りになって順番待ちをすることになるほど盛況になった。

 そうしてオレが列に並んで次の順番を待っていると、後ろから「真司くん」と名を呼ばれた。

 オレが何だろうと思って振り返ると、同じくじら組の土井垣桜ちゃんがそこにいた。

 土井垣桜ちゃんは上機嫌だった。何故かはわからない。でも嬉しそうにしてポッケで握りしめてた何かを取り出すと、

「これあげる」

 と笑顔でオレに言った。

 不思議に思いつつも受け取ってそれを見てみると、手渡してくれたのはあめ玉だった。

「どうしたの?」

 アメちゃんをもらう理由がわからなかった。

「内緒だよ。これ、実は木下くんからなの」


 そのひと言でオレの警戒度はマックスに跳ね上がった。


「何でアイツがオレにお菓子なんかをくれるんだ?」

「たぶん、海上公園のことを謝りたいんだよ。でも切っ掛けがつかめないんじゃないかな。それで私に『お菓子を渡して』って頼んだんだと思うよ」

 土井垣桜ちゃんは嬉しそうだ。

 オレがアイツと海上公園で喧嘩をして、その時に木下を犯罪抑制的な意味でがんじがらめにアイツを動けないようにしたのは彼女も知ってるだろうに、オレがアイツと仲直りなんて、そんなこと、本気で出来ると思ってるんだろうか?


「ふむ」

 オレは土井垣桜ちゃんをジッと見た。

「な、なぁに」

「いや。何でもない。ありがたくいただくよ」

 オレは土井垣桜ちゃんからアメちゃんを受け取った。

 そのオレたちの様子を洗い場から、のぞき見してる者がいる。

 木下だ。

 木下が、オレと土井垣桜ちゃんとがどういう顛末になるかを、見張っているのだ。

 オレは注意深くアメちゃんを包む袋を見やる。すると案の定このアメちゃんは賞味期限が切れていた。

 子供のやることだが、アイツは時々愚かだな。

「どうしたの」

「いや。どうせならアーンするから、頼むよ土井垣桜ちゃん」

「あ、アーン?」

「そう。知らない? アーン? オレが口を開けてるから土井垣桜ちゃんにアメちゃんを入れてほしいんだけど」

 木下に見せないといけないからな。

「あ、あーん……」

 土井垣桜ちゃんがアメちゃんを手にして、固まってしまった。

「はいはい。土井垣桜ちゃん、袋を破いて」

「う、うん」

「はい、アーン」

「じゃ、じゃあ入れるよ」

 何を戸惑ってんだ? もう口を開けてるじゃん。とは思いつつも一応オレは頷いた。

「ア~ン」

 そうしてオレは、手ずから土井垣桜ちゃんにアメちゃんを食べさせてもらった。確かに賞味期限は切れている。でも平気。ダブルで解析して問題ないことはわかってた。

 しかし木下の野郎。こんな物まで用意してたのか。

 食べ物を使い捨てにしたってだけでも価値観が違いすぎるが、悪事と知りつつそのまま悪意で仕掛けてきたわけだからな。

 オレに喰わせて満足か、木下。

 オレがアメちゃんを舐める様子を見ては、クスクス笑う姿がさもしいな。

 まあ、土井垣桜ちゃんが満足そうな顔をしてることが救いか。これでオレが木下に含んでるところはないと、少なくとも彼女はそう思っただろうからな。


 でもな、木下よ。おまえ、どんだけの人間を裏切ってんだよ。


 いや思わず人間とか大きく出てしまったが、ホント人間の話だと思う。

 人生において一番純粋な時期でもある幼年時に、同じクラスになった者を敵視し、ひたすら気づくかどうかもわからない悪事を働き続けるって、相当なワルだぞ。

 人間、上っ面はわかる。だが人にはその先がある。上っ面の下に、とんでもない顔を持ってたりする場合もある。

 少なくとも、幼稚園児現在の木下の人品は、どうしようもないクズだ。

 だからこそ思う。

 土井垣桜ちゃんには、もっと論理立てて考えて欲しいと。

 与えられた物だけではない。皆、自ら探求して理解に至ることがある。それが大人ってもんだ。オレたち揃って三歳児だけれど。

 それでも彼女と木下が同じ天才グループに所属してるとはいえ、木下の嘘のままに信じてしまうのはどうかと思うぞ。

 そこへ弟さまがやって来た。

「いま(あに)さまに何したの? 土井垣桜ちゃん」

「あ、寛司くん」

 土井垣桜ちゃんが困惑した。最近弟さまは彼女に冷たい。そのせいもあって彼女がちょっと困り気味だ。なので、アメちゃんをもらったんだよと、オレが間に入った。

「アメちゃん?」

「そう」

「土井垣桜ちゃんから?」

「んー、ちょっとわけありって感じのアメちゃんかな」

「何だよ、それ」

「すまぬ。弟さまにも言えないことはある」

「兄さまは庇ってくれるけどさ。土井垣桜ちゃん、もう兄さまを面倒事に巻きこまないで欲しいんだよね」

「そんな……」

「大丈夫だよ、弟さまよ。心配しすぎだ」

「そうなのか?」

 弟さまが流し目を土井垣桜ちゃんに送った。冷ややかな目だ。弟さまファンクラブの子達だったらキャーキャー喜ぶのだろうが、彼女には刺激が強すぎた。


「あの、ご免なさい。もう行くね」

 彼女は居たたまれなくなって、どこかへ行ってしまった。

 オレは弟さまに、そこまですることはないんじゃないかと思った。

「おい、弟さまよ。お前わざと追いこんだだろ」

 うんと寛司が肯いた。そしてつづけた。

「あの子は兄さまの敵になりたい節があるからね。だからオレは意思を示したんだ。そうはさせないよって。それだけの話だよ」

「おいおい。彼女とはもう仲良くなったんだがな」

「そうなの? 最近特に兄さまを虐めてくるようにオレは思うんだけど」

「虐めてる表情じゃないだろ、あれ。なんなんだよ一体」


 困惑なのか、戸惑いなのか。

 しかもご免なさいとは、弟さまに向けて言ったのか、オレに向けて言ったのか、オレにももうわからない。


 ただ──。

 木下が仕向けたこととはいえ、彼女には海上公園で馬場ちゃんのフォークを隠した前例がある。そして馬場ちゃんは弟さまと同じイチゴグループのメンバーだ。だから弟さまが彼女を警戒するのは、弟さまの気持を思えば、それも当然かとも思う。

 だがどうする。

 土井垣桜ちゃんは仲直りしたいと歩み寄ろうとしている。

 この流れは変えるもんじゃないと思う。

 オレはそれを拒絶しようとも思わない。

 くじら組のみんなで団結して、根気強くそういう和を作ろうか。


 ──しかしそういう和を作ろうとすると不自然に距離感を感じちゃうこともあるからなぁ。


 オレの脳裏には笹島道場で、受け身が大好きと公言して笑われた体験が生々しく残っている。


 ──みんなが同じ反応してるから、これまで築き上げられてきた道場仲間の和を感じて、新参のオレは微妙に距離感を感じてしまったんだよなぁ。


 あれは普段から一緒に柔道をしてるから生まれる空気で、オレはそこに入れて下さいと門を叩いたわけだから、笑いが収まるまで堂々と待っていたわけだけど。

 家に帰ったら爺ちゃんに盛大に暴露されて家でも笑われたんだよなぁ。投げ技楽しいと言わせたいがために、緑川くんは投げられ、先生は投げ技の楽しさを体験させてたのに、オレがそれでも受け身が好きだとぶちまけて、全てをぶち壊しおった、と。

 あの時弟さまが、ポンポンと肩を叩いて微妙に慰めてくれたのが屈辱だった。いえ~い。


 そんな経験をしたので、すでにくじら組というクラスの中にいるのに、和がどうのとオレが言い出しても、入る入らないは本人が決めるところだし、木下はなぁ、土井垣桜ちゃんに辛く当たるだろうしなぁ、と収拾が付かなくなり、こちらが勝手に色々考えても、結局は自分で動くしかなんだよな。こういうことは──。


 と(らち)が明かなくなりそうなので、オレは土井垣桜ちゃんのことを考えるのは、そこまでにした。


 代わりにお昼休みで園児でいっぱいになってる薫風幼稚園の園庭を、くじら組のみんなの姿を探して眺めやった。

 するといつにも増して元気のない蛍ちゃんが目についた。そういえば蛍ちゃんのお父さんに会って、治してあげたいと思ってたのを思い出した。

 解析かければ、少なくともセドリックメロディ病とやらの概要はわかると思うのだが、さて、どうやって(おと)なう方向に持っていったらいいのか。


「真理ちゃ~ん」


 オレは豪傑の中沢絵里ちゃんと遊んでる真理ちゃんを呼んで、砂場で砂遊びしてるその輪に加わった。前に決めた通り、困った時には真理ちゃんに相談である。


「こんにちは、中沢絵里ちゃん」

「どうも~」

「ちょっといい? 真理ちゃんに聞きたいことあるんだ」

「いいよ」

「どうしたの? 真司くん」

「あのさ、蛍ちゃんちに行きたいんだ。励ましてあげたいんだけど、どうしたらいいかな」

「そうだね。まずは蛍ちゃんの都合を聞かないとダメだよね」

 すると中沢絵里ちゃんが気を利かせてくれた。

「わたしは向こうに行ってるよ」

「あ、ごめん。ありがとう」

「いいよ。わたしも気になってたし。土日はうちのお仕事の手伝いがあるからさ、わたしには出来ないことなんだよね。だから頑張って」

「うん。ありがとう」

 オレも柔道の練習があるけど、午後三時には終わるし、その後かその前に行けば問題ない。どっちかというと午前中のがありがたいけど、いざとなったらお休みをもらおう。


 また後でねと交わしあって絵里ちゃんが相談の場を作ってくれると、真理ちゃんが手を挙げて、水飲み場にいる弟さまを呼んだ。

「寛司くん」

 弟さまは相変わらず秋穂ちゃん達に囲まれてたが、オレと真理ちゃんが呼んでるとわかると女の子達に手を振ってこっちに来た。

 ちなみにオレは、こんなことやったことない。女の子達に囲まれてるのにそれを袖に振って、弟さまの元に馳せ参じたことなどね。

 一度はやってみたいもんだ。

 いったいどんな気持なんだろう。


「なぁに、どうしたの? ふたり揃って。悪だくみ?」

 真理ちゃんが心外だ、といった表情をした。

 なのでオレが頷いておく。

「そうだ。悪だくみだ。蛍ちゃんち突撃計画だ」

「お、それか」

「まったくもう。冗談ばっかり」

「ごめんごめん。それで弟さまよ。相談なんだけど、蛍ちゃんに都合を聞きたいんだ。一緒に付き合ってくれよ」

「おっけ~。それにしても結構、間が空いちゃったな。もっと早く励ましてあげたかったんだけど」

「オレは柔道、弟さまはスイミング。日曜日が予定で埋まっちゃったからな。こればかりはしょうがない」


 そう。たしかにどうしようもなかった。習い始めたばかりなのに、こちらの都合で休みたいなんて言い出したら、せっかく高いお月謝を払ってくれたお父さんお母さんに申し訳ない。だが今なら、どういう風にやるのか、道場もスイミングも練習内容がわかってきたので、大体の時間なら時間通りに終わらせることが出来る。

 そう考えてると、ちょっといいかな、と真理ちゃんが言った。


「どうぞうどうぞ」「なぁに?」

「あのね。セドリックメロディ病について調べたんだ」

「うん」

「この病気なんだけど、カナダでセドリックメロディさんが最初に罹患(りかん)したのが一例目。そのセドリックメロディさんはひと月後に亡くなってるの」

「え?」「まじ?」


 ものすごい大病だとは何となく予想はついてたけれど、予想以上にあっけなく亡くなっていた。しかもまだ生きてると思ってたのに、亡くなった上で未だ原因がわからないなんて、世界で最初の症例だから検屍して調べただろうに、現代医学でそんなことがあるのかという感じだ。

 しかも蛍ちゃん、入園してからずっと悩んでる感じだったぞ。

 今は六月だから、少なくとも三ヶ月は蛍ちゃんのお父さんは戦ってるわけだ。よく生き延びてるもんだ。

 だがこれで蛍ちゃんが元気ないのがわかった。蛍ちゃんはそういう恐怖とも戦ってきたのだ。それは今もずっと、つづいている──。


「次がアメリカで、これが二例目ね。かかったのはフランス帰りのベリンダさん、この女性はすぐに亡くなってます」

「「…………」」


 もはや言葉にならなかった。


「そして日本での三例目が蛍ちゃんのお父さん、徹さん。徹さんは発症してから一ヶ月を過ぎ、二ヶ月を過ぎ、三ヶ月を過ぎました」


 お見舞いに行くなら早いほうがいい。

 ダブルで治してあげるつもりなら一刻の猶予もないよ。

 そう真理ちゃんに言われてる気がした。


「わたしもお見舞いに行きたかったけれど、わたしだけが行っても何も出来ないから。

 でもね、子供がいっぱいいれば元気になったという症例もあったのよね」

「へー、病気の時に元気な子供を見て、容態が持ち直すことってあるんだ」

 弟さまが思わず唸った。

 だがオレは、なんか、思い悩んでる暇はないよと真理ちゃんにひと押しされた気分だ。

 オレは真理ちゃんを見つめ、弟さまを見つめ、大きくうんと頷いて気を取り直した。

 とにかく行くしかない。


「今度の日曜、できれば夕方。必ず行こう」

「わかりました」「おっけ~」


 オレは前を向いた。すると真理ちゃんがオレのことをジッと見ていた。


「どうしたの?」

「あのさ、真司くん」

「はい」

「つかぬ事を訊くけど、わたしの使ってた手拭い、覚えてる?」

「手拭いって」「ああ、創業祭の時の?」

「そう」


 オレはしばし考える。


「忘れちゃった」「オレはよねちゃんのかまくら染めだったけど」

「わたしが使ってたのは青海波の手拭いだよ」

「ああ、そっか」「そうだったね。オレも思い出した」

「ちなみに真司くんは自分の使ってた手拭いの柄、おぼえてる?」

「う~ん、なんだっけ」「兄さまは何だったかな」

「くじらの目だよ」

「あ、そうだそうだ。イヤらしい目してたんだよな」


 するとそばに木下が寄ってきたことに気づいた。

 木下に聞かれた。


「イヤらしい?」


 ニヤニヤした目でこっちを見てやがる。盗み聞きするお前の方がイヤらしいわ。

 オレがムッとして睨みつけると、木下も睨み返して来た。


「やらぬ善よりやる偽善かよ、この偽善者」

 木下が粉をかけて来た。やっぱこうなるか。

「うるせーよ。お前がガタガタ騒ごうが、オレの行動に微塵も影響を与えないことをいい加減理解してくれ。そもそも相手にしたくもないんだよ、お前のことなんか」

「なっ。ふざけるなっ。お前ちょっとこっち来い」

「そうやって言うことを聞かせようとするのか?

 でもな、オレの行動はオレが判断する。そっちにゃ行かないし、偽善とも思わない。思うとしたらこうだ。善行、大いにすべし、とな」


 オレは木下に一歩近づいて木下の目を覗きこみ、オレの意思を、その目に叩き込んでやった。


「それと忘れるな。海上公園の監視カメラは、お前の犯罪する姿を捉えていたぞ」

「なっ」

「調子に乗るな。行動する前にいったん考えろ。オレはもう容赦しない。弁えろ」


「あっち行こうぜ、兄さま。あっ、知美ちゃんがいる」

 弟さまが言った先には、確かに知美ちゃんがいた。そしてそこには木下除けのご本尊、中沢絵里ちゃんもいた。これは知美ちゃんはフェイクで、絵里ちゃんが本命だな。

 木下はスイミングプールで命を助けられてから、絵里ちゃんには逆らえない。

 もう一人知らない人がいるけれど、そこはノリで混ぜてもらおう。


「絵里ちゃん、お話し終わったよ。どうもありがとう」

「決まったの?」

「決まったよ。今度の日曜日、蛍ちゃんちに夕方に集合ってことで」

「あ、ならあたしも行くよ。いいかな真司くん寛司くん」


 知美ちゃんが手を挙げた。


「知美ちゃんは蛍ちゃんち近いんだよね」

「そうだよ」

「じゃあ蛍ちゃんちに集合で」

「了解」

「なになに、知美の友達?」

「そうだよ。真司くんに寛司くん。ほら、あたしがこないだ遊びに行った、和菓子屋枡屋の双子だよ」

「ああ~、あなたたちが噂の双子くんか~。お父さんもよく食べるって言ってたよ~」

「お父さん?」「ん?」

 首をかしげるオレたちに、知美ちゃんがその女の子を紹介してくれた。

「あたしのお姉ちゃん。二つ年上でキリン組にいるんだよ」

「どうも~小林美雪です」

「どうも。最上真司です」「最上寛司です」


 なるほど知美ちゃんちの洋食屋さんで、オレたちはいっぱい食べたからな。うちのお父さんかと思ったら、知美ちゃんちのお父さんの話だったか。

 もしかしたらオレたちの知らないところで知美ちゃんと一緒に弟子入り志願の女の子が増えたのかと思っちゃったよ。あー勘違いかんちがい。


「ん? 美雪おねーさん何持ってるの?」

 弟さまが、美雪おねーさんが手に持つ物に、目をつけた。

「これ? ゲームだよ」

「おお、これがゲームか。初めて見る。ゲーム買ってもらえるなんて、美雪おねーさんすごいな」

「そ、そう?」

「うん。さすが年長組」

「ふ、ふ~ん」

 美雪おねーさんが誇らしげに照れた。なかなかチョロいな。

 でも実際オレたちの年齢じゃゲームなんて買ってもらえない。もしお父さんにお願いしても外で遊べと言われるのがオチなのだ。だから本物のゲームを見るのは、年上の親戚もいないオレたちにとっては、貴重な経験なのだ。

「今ね、召喚獣を見せてもらってたんだよ」

「召喚獣?」

 弟さまが中沢絵里ちゃんに訊いた。ちなみにオレもわからない。

「勇者が召喚して、敵を一気に薙ぎ払うんだよ」

「大規模殲滅できるんだ」「必殺技だね」

「そう。そんな感じ。見せてあげるよ」

「「お願いします」」

 オレと寛司と一緒に、隣で真理ちゃんも頭を下げた。ここら辺もノリだ。


「炎の魔獣ファイアードレイク、召喚」

 美雪おねーさんがノリノリで唱えた。

 画面の中で、全身が炎に包まれた状態で空から舞い降りる。この召喚獣は、洞窟や土葬の墓などに隠された宝物を守るドラゴンで、火の精霊または死者の霊が変化したものだとおねーさんが説明してくれた。

 歌舞伎の見得を切るようにファイアードレイクが首を回すと、派手なエフェクトと共に口から炎が奔流となって敵を薙ぎ払う。


「おおおおお」「すげー。ゲームすげー」


 後には何も残らない。敵は全滅した。


「ほい送還」


 美雪おねーさんの合図と共に、ファイアードレイクは霞のように消えていった。


「何これナニコレ」「美雪おねーさんの合図で消せるの?」

「そうだよ。時々レベルが高くて生き残る敵がいるから、そんな時は二射目を放って全滅させるんだよ」

「「へー」」


 そしてオレは気づく。

 魂の回廊をすぐに開いた。

(おい弟さまよ)

(なんだい兄さまよ)

(これ、送還ってやつ。ダブルに応用出来れば、いろいろと家族に内緒に出来るぞ)

(おっ、確かに。服とか、道具とか、兄さまなら必要な時に作って、使い終わったら送還で済むね)

(だろ? ダブルの使い道が無限に広がりそうだぞ)


 するとそこで園庭にチャイムが鳴った。

 自由時間はもう終わりのようだ。


「戻らないと」

 美雪おねーさんがいそいそとゲームをポケットにしまった。


「美雪おねーさんありがとう」「とってもタメになった」

「うん。面白かったでしょ。じゃあね。早くくじら組に戻りなよ~」


 と言いつつ美雪おねーさんは知美ちゃんの頭を撫で撫でして、真理ちゃんと絵里ちゃんに、ついでにオレたちに手を振ると、そのままキリン組の教室に駆け戻っていった。


「あたしたちも急ごう?」


 絵里ちゃんに促されて、オレたちも急いで教室へと戻った。

 なにせこの後は大好きな給食の時間だからね。急ぐのは当然だった。

 あー、お魚食べたい。今日の献立はいったい何だろう。

 そう思ってくじら組に戻ったら、望外な献立に出会ってしまった。


「幸せだ」


 この献立を考えた人は天才だ。

 オレの目の前に、白身魚の天麩羅とカボチャの甘煮があった。小さなおにぎりが三個とミニトマトと葡萄もある。

 そして定番であり、オレが大好きな牛乳も、もちろんある。

 そうしてみんなの配膳が終わるのを待ってると、弟さまから魂の回廊が開いた。


(兄さまよ)

(応)

(暇だから試してみない、送還ってヤツ)

(今か?)

(今だよ)

(飯の前だぞ)

(食べたら忘れるぞ)

(なるほど)

 オレたちは後回しにして、これまでも幾度も実験を忘れてきた。

(よしわかった。何を作ろう)

(じゃあ一分計の秒針で)

(おっけ~。物質創造で、弟さまの手の中に出すな)

(りょうか~い)


 寛司が手を机の下におろし、膝の上にかるく拳を握って乗せた。

 その左手の中に発動する。


(ダブルっ)


(お、来た来た。兄さま、出来てるぞ)


 よし。うまく秒針を作り出せたらしい。

 と言うことで実験開始。


(秒針を~、送還っ)


 って思ったところでオレの頭に誰かがぶつかった。


「いって」


 振り返ると木下が給食のお盆を持って立ち去っており、自分たちのグループの机に向かって歩いてるところだった。


 わざとだな。

 わざとオレにぶつかったが、オレが文句を言ったら、お盆を持ってたから偶々(たまたま)ぶつかったみたいだねと話を済ませるつもりだろう。

 だからオレも何も言わない。見え透いた手口に乗ってやるほどオレはバカではない。


 うん。


 そっちがその気なら構わない。いざという時は、(はら)を据えなければならないとはもう決めてたし、報復がないと思わせないこともしない。

 こちらは波風立てぬようそれ以上物事にあえて触れずに、これまでは遣り過ごして応対して来た。大人はそうやって相手の顔を立てるものだからね。だがそれを向こうは自分の事が恐ろしくて反撃ができないものと、相変わらず誤認している。

 もう幾度となく叩き伏せてきたんだけどな。

 いつまで経ってもアイツは学習しない。


(おい、兄さま)

(なんだい弟さま)

(燃えてるところ悪いが、こっちはキッチリ秒針消えたからね)

(お。実験成功か)

(大成功だ。これを幾度か繰り返して、送還をダブルの技術として確定させよう)

(おっけ~)

(ちなみにオレもやってみたいから、もう一回秒針を作ってよ)

(ほい、ダブル)

(来た来た。じゃあ、やってみるね。送還)

(どうだった? 弟さまよ)

(消えたよ。オレにも送還できた)

(よっしゃ)


 オレは調子にのって弟さまの手の中に、それから何度も歯車の一番車や、一分計の外殻を出現させた。

 そのたびに弟さまが送還して消して行く。


(面白いね、これ)


 弟さまも楽しんでるようだ。

 弟さまは、オレと違って物質創造だけは出来ない。だから創造系のダブルは出来なくても、送還は出来るという事実は、やはり嬉しいのだろう。


(美雪おねーさんには面白いことを教えてもらえたね。オレたちだけじゃ、こんな凄いこと思いつかなかった)

(そうだな。でも弟さまよ)

(なに?)

(家に帰ったら和服を作ってみるから楽しみにしとけよ)

(マジかよ)

(マジだぜ。でもって爺ちゃんみたいに和服を着てみようぜ。これでいつでも送還できるから、家族にもばれないし、色々と遊べるぞ)

(おっけ~)


 そうしてオレたちは新たな遊びを思いついて、喜びを交わし合った。


 ◇


「皆さん、用意は出来ましたね」

 山本先生がくじら組のみんなに給食が配膳されたことを確認してる。

「では、いただきます」


「「「「「いただきま~す」」」」」


 各グループから唱和する声が元気に上がった。

 オレもグリクラグループのみんなと一緒に大きな声を出した。

 早速食べに取りかかる。まずはお野菜からだ。


「うま~い」

 オレはカボチャの甘煮に舌鼓を打った。口の中で甘みと共にほろほろと崩れて行くカボチャがうまい。いや、甘いぞ。

 何というしっとりした甘さだろう。

 世界は美味しい物で溢れている。


「真司くんって本当に美味しそうに食べるよね」

 目の前に座ってる真理ちゃんが笑ってオレに指摘した。

「真ちゃんは美味しい物食べ慣れてるだろうにね」

 と緑川くんが追随すれば、

「師匠の子供だしね」

 と隣に座る知美ちゃんも相槌を打つ。

「ふむ」

「なぁに、真司くん」

「いや、一生懸命食べようぜって思ってね」

「そうだね」

 返事をして知美ちゃんはすぐにお皿に向き合った。立派な食べっぷりである。さすがは洋食屋さんの娘である。

 彼女はすでに食べることに夢中だ。

 しかしうちは、普段はお母さんと婆ちゃんがご飯を作ってくれてるのだが、知美ちゃんは平日もうちのお父さんが食事を作ってると誤解してるのだろうかとも思う。

 いくらうちのお父さんの趣味が料理で、プロ級の腕を持ってはいても、本職は証券会社の証券マンなのである。平日から料理をしたりはしない。

 まあそれも、給食の前ではどうでもいいことだ。オレも向き合おう。

 次は白身魚の天麩羅だ。


 そうしてオレは、おいしい給食を堪能していたのだが、おっといけねー、とすべきことがあったのを思い出した。


 オレは向こうに机を並べてる天才グループの木下に目をやる。

 木下はちょうど牛乳を飲んでいた。


 ──ほい、ダブル発動。


 オレは木下に向けて報復を仕掛けた。

 途端に木下がげふんげふんと()せる。牛乳パックを不審そうに眺めやっているが、それだけではわかるまい。


 まあとりあえず、さっきの配膳のときに、お盆か肘を頭にぶつけられた件もあるし、それでなくてもオレは土井垣桜ちゃん経由でコイツには期限切れのアメちゃんを食べさせられたわけだ。

 それはつまり、騙された奴が食べたらお腹の調子が悪くなるようにお前は仕向けたわけだ。ならば報復の結果もそれに準ずるようにしようと、こちらとしても思うところがあったりするわけだ。

 でも期限切れ狙いだと、もしかしたら幼稚園が行政から食中毒を疑われてしまい、給食を作ってくれた人に申し訳ない事態も併発してしまう。なのでオレは仕返しに、飲んでも飲んでも減らない牛乳を選択したのだ。

 その結果が咽せる木下である。

 とりあえず溜飲は下げた。報復完了である。


 みんなで「ごちそうさまでした」をして食器を片づける時、

「何したの、真司くん」

 と真理ちゃんがこそっと近寄ってオレに訊いて来た。

「さすがだね。わかったんだ」

「真司くん、あっち見てたし」

 と木下のいた席を見やる。

「飲んでも飲んでも減らない牛乳を三回ほど繰り返した。でも牛乳は美味しいから罰ゲームにならないって気づいてやめたけど」

「うわ、そんなことしたの。また、えげつないことを……」

「ええ? でも牛乳を飲んでからさ、喉元を過ぎる瞬間にうんこにしてもいいんだぜ。だけどそれはやってないでしょ?」

 こそっと答えたら真理ちゃんがどん引きして言った。

「うわぁ…………」

 去り際に、真司くんは怒らせないと真理ちゃんがボソッとつぶやき、処置なしとばかりに首を振って去って行った。

 ちょっと心外。


 ◇


 オレンジ寒天ミルクを持って真理ちゃんと一緒に蛍ちゃんちへと、オレと弟さまはすっかり準備を調えた。後は店を出て真理ちゃんちに行くだけである。

 今日は、真理ちゃんのお父さんの孝介さんに、真理ちゃんとオレたち二人を蛍ちゃんちにまで車で送ってってもらうのだ。

 なのでお向かいの真理ちゃんちへと出かけようかと外を見やると、今日は、お外は雨が降っていた。しとしととした梅雨の雨だ。


「「行ってきます」」


 お母さんの用意してくれた雨対策の完全武装で、オレと弟さまは外に出た。


「兄さま、向こうで真理ちゃんが手を振ってる」

「本当だ。もう待っててくれたんだな」


 オレと弟さまはいそいそと真理ちゃんちの車庫の方へと急いだ。

 真理ちゃんちの車庫は、いつもはシャッターが閉まっていて人の目には付かない。けれども今日は車を出してくれるので、既にシャッターが開いていた。


「「お待たせしました。今日はよろしくお願いしますっ」」


 オレと弟さまが小走りしながら揃って挨拶すると、車庫で待っていた孝介さんが鷹揚に手を挙げた。隣には長靴を履いた真理ちゃんを連れている。

 そして小走りしながらオレたちは、真理ちゃんちの車の多さに目移りした。

 真理ちゃんちには車が五台ある。まだ三台ぐらいは停められるスペースがあるが、そこはたぶんお客様用なんだろう。

 そしてその駐車場で、真理ちゃんが待っていたのは四輪駆動車の前だった。雨が降ってるから座席位置の高い車にしようということだろう。頑丈だしね。もらい事故でも乗用車より安全だろうと思える。

 オレたちは長靴をカポカポと音をさせて、孝介さんと真理ちゃんに合流した。


「真司くんと寛司くんの長靴は色違いなんだね」

 孝介さんが落ち着いた声で尋ねて来た。

「はい」「オレは空の青色で、兄さまが海のエメラルドグリーン色です」

「お、だからか? 真理?」

「なにが?」

「おまえ長靴を買う時、大地の緑色って言ってたよな」

「ちがうよ、森の緑色だよ」

 真理ちゃんが懸命に否定したので、孝介さんと一緒にオレたちも笑った。

 真理ちゃんは森の緑と言ったけど、オレたちは孝介さんのが正しいと思った。だって孝介さん、オレたちと同じ事を言ってるし。

 真理ちゃんがちがうよと無駄な抵抗するのも、あの時とおんなじだ。


 しかしすごいな。孝介さん、一瞬で見抜いてた。


 初めて真理ちゃんを送ろうとしたあの日、オレたちは真理ちゃんを送る途中で、真理ちゃんちの門から敷き詰められた敷石に心を奪われ、その敷石の上を飛び石かけっこして遊んだのだ。

 あれは面白かった。

 その時にダブルの秘密を絶対に洩らさないと、オレは海に懸けて誓い、弟さまは空に懸けて誓い、真理ちゃんは森と大地に懸けて誓ったのだ。

 その時の誓ったそれぞれの色を思い出して、オレたち幼馴染みの三人組は、しっかり各々の色を選んでいたと言うことになる。

 痛快ではないか。


「何で? 真司くんと寛司くんはお父さんの味方するの?」

「えっと」「いやいや」

「酷いよ、真司くん、寛司くん」

「いやいやそれもあるけど」

「あるんじゃない」

「あ、オレはないからね。真理ちゃん」


 はい、弟さまが裏切りました。


「でも示し合わせたようになったからさ」


 弟さまがフォローすると、真理ちゃんもさすがに言いくるめられて、うんと頷いた。

 でも実際そうなんだよな。これはこれで笑わずにはいられないだろう。

 オレと寛司は一緒に買ったからいいとしても、真理ちゃんまで誓いからのお揃いを選んでるとは思いもしなかったし。


「つまり、どういうことなんだい?」


「いや、孝介さん。オレたちの色なんだよ。弟さまが空の青で、オレが海のエメラルドグリーン、そして真理ちゃんが森と大地の緑。

 初めて真理ちゃんと一緒に遊んだ時だったかな? とにかくその遊んでる時に、自分たちの色を三人でこうしようって決めたんだ」

「そうなのか」


 真理ちゃんがツンとすましてる。まだ怒ってるみたいだ。

 なので疑問に思う孝介さんにオレからも肯いておいた。

 そして申し添える。


「まさか真理ちゃんが覚えてるとは思わなかった」

「覚えてるよ。何言ってるのよもう、酷いなぁ」


 孝介さんはスルーしたけど、オレには噛み付くのね。真理ちゃんがすっかりオレに怒っている。何か今日はこういう役回りみたいだな。別にいいけど。

 でもダブルを秘密にすると誓った「おもいでの誓い」の時の事だ。忘れたとは思ってなかったけど、こんなところで息が合うとは思ってもみなかったんだ。それは本当だし、今はそれだけなんだけどね。でも真理ちゃんはやっぱり不満そうだった。


「真理ちゃんに限って忘れるなんて有り得ないでしょ」

 弟さまがオレに向かって肩をすくめると、真理ちゃんがありがとう寛司くんとお礼を言った。

「あー、何かオレは、今また弟さまに裏切られた気分」

「バカ言ってないでさ。ちゃんとしようぜ。ほらご挨拶」


 お、そうだな。改めまして、だな。


「「今日は蛍ちゃんちまでよろしくお願いします」」

 オレと弟さまは、わざわざ送ってくれる孝介さんに頭を下げた。


「あ、それなんだけどね」

 と孝介さんが言った。

「蛍ちゃんちじゃなくて、見野山病院に行くから。ちょっと入院することになったらしいんでね」

「え? 入院? そんな状況なのにオレたちが行ってもいいんですか?」

「大丈夫。今は落ち着いてるという話だ。蛍ちゃんのお父さんも楽しみにしてたという話だぞ」

「「わかりました」」


 ならば予定に変更はない。きっちりこっそり解析をしようではないか。そしてあわよくば蛍ちゃんのお父さんの全治全快を目指す。今日はそういう予定だ。


「さあ乗った乗った」

「「はい」」


 オレたちは後ろのチャイルドシートに乗り込んで、シートベルトをした。すると店の方から婆ちゃんが出て来た。

「今日はよろしくお願いね~」

 と孝介小父ちゃんに傘を振ってる。

 まあ婆ちゃんからしたら、流石の孝介小父ちゃんも、昔面倒を見たお向かいさんの子供という位置づけなのだろう。

 孝介小父ちゃんも、お預かりしますと返事を返している。

 婆ちゃんに向けてハザードランプを点滅させると、孝介叔父ちゃんの運転する四輪駆動車が発進した。

 オレと弟さまは後ろの座席なので、見送りに出てる婆ちゃんに手を振りつづけ、角を曲がって見えなくなったところで、元の位置におさまった。


「ところで、見野山病院ってどこにあるんですか」

「品川の近くだよ」

「じゃあすぐですね」

 すると真理ちゃんが、十五分ぐらいかなと答えた。

 真理ちゃんはじっとナビの地図を見てる。でもって到着予定時間がナビには表示されていた。

「なるほど」

「なるほどだよね」

 弟さまがそう追随すると、真理ちゃんと孝介小父ちゃんがくすっと笑った。

「なぁに」

「なんでもないよ」

 と真理ちゃんがごまかすと、孝介小父ちゃんがフォローしてくれた。

「そうだね。真司くんはそのままスクスクと育ってほしいね」

「はい。頑張ります」

 わけがわからないのでそう返事をすると、ところで、と弟さまが言った。

「杏小母さんは来ないんですか? 蛍ちゃんちといっつも連絡を取り持ってくれてるのでお礼を言いたかったんですが」

 すると真理ちゃんが、そのことなんだけど、と言った。

「うちのお母さんも気にしてるんだ、ずっと」

「蛍ちゃんちのお父さんを?」

「そう。お母さんが立石醤油でOLしてた時の先輩なんだって。蛍ちゃんのお父さん。徹さんって言うらしいんだけど」

「マジ?」

「うん」

「それじゃあ気になるわけだね」

 弟さまが言うと孝介さんも会話に加わった。

「だから私も容態を見てきてくれと言われててね。本当なら自分でお見舞いしたかったけど、いま、お腹の中に二人目の子供がいるからね。無理は出来ないんだ」

「ああ、そっか」

「ふむ。なるほどね」

 納得する弟さまに続いて、オレがしたり顔でそう言うと、車の中がほんわりとした笑いに包まれた。


「え?なぁに?」


「また言った」

「口癖だよね」

 真理ちゃんと弟さまが、気づいてないのと言うような目をしてオレに言った。


 いやいや、そんな風ににやにやされると困る。オレからすると「なるほど」なんだけど、けど考えてみると、確かに三歳児がなに世界の中心にいるかのように振る舞ってるんだよって話に思えてくるね。うん、だね。

 何がなるほどだよ。恥ずかしい。


「時々兄さまって大物になるよな。孝介さんはバリバリの金沢財閥の社長なのに、よくそんな大物じみた態度になれるよね。どこのどちら様ですか」

「言うなよ、恥ずかしい。じゃあ何て言えばよかったんだよ」

「そこは黙って頷いとけばいいんじゃない?」

 すると孝介さんが笑って、全く構わないよと言ってくれた。

 オレは真っ赤になって、車を解析した。こんちくしょー。恥ずかしいから解析祭りだイエ~イ。四輪駆動車の解析ってしてみたかったしねっ。

 とバカをやってる間に見野山病院に着いた。病院に併設された立体駐車場に車を停めて、病院のロビーまで行くと、そこにはすでに田中くんと秋穂ちゃんと前田くんが待っていた。彼らは蛍ちゃんのお母さんのワンボックス車で来ていて、蛍ちゃんとお母さんはすでに病室に行ってるらしい。


「ようやく合流できたね」

 と前田くんが言った。

「そうだね」

 とオレが頷くと、隣で弟さまと真理ちゃんも頷いてた。


 ここに来たみんなとは、うちに遊びに来てもらった時にいつか徹さんのお見舞いに行こうと約束した仲だった。ようやくその約束を果たせる時がきたって感じだ。

 オレたちが蛍ちゃんちにお見舞いに行きたいと言ったら、彼らわんちゃんグループも一緒に行きたいという話になったのだ。そもそも蛍ちゃんはわんちゃんグループだしね。


「あとは知美ちゃんだけだね」

「あ、知美ちゃんなら来てるよ。一緒だったから。今お花摘みに行ってる」

「お花摘み? まあ病院はお花がいっぱいだけれど。

 よその家のお花を勝手に摘んじゃ怒られちゃうぞ」

「兄さま」

「なぁに」

「ボケはいらないから。ここ病院だし」

「おっけ~。じゃあでっかいうんちしてる知美ちゃんを待とう」


 頭を(はた)かれた。


「おう、ほーりー・くらっぷ」

「でっかい声で何てこと言ってるの」

「え? 妙なるうんちって」

「そこじゃない。あたしが何しに行ったって?」

「あ、そっち? ごめんごめん。言葉の綾で。勢いあまって」

「まったく。妙に発音もいいし。おふざけが過ぎるよ、真司くん」

 いないと思ってたらしっかり聞かれてた。

「ごめん。反省した。これからは目の前で言うよ」

「「「「「「言うな」」」」」」


 まさかの全員からのツッコミだった。しかも揃ってるし。

 別に三歳児の便所ネタなんて、今しか出来ないネタだと思うのだが、周りのみんなの真剣な目からすると、どうもこれは許されざる蛮行らしい。


「つまりオレはそういう集団にいるわけね。おっけ~。理解した」

「本当に?」

 と聞いたのは知美ちゃんだ。

「本当に」

 オレは大きく頷いた。だってここは紳士淑女の集まりという前提で行動しろってことなんだろ。オレが所属してるこの集団は、そういう集団だってことなんだろうから。

 そうするさ。


「あたし、傷ついたんだよ。悪いと思ってる?」

「うん」

「じゃあ今度、師匠にお料理習いに行くから、真司くん取り持ってね」

「え? マジ?」

「包丁は使わせてくれないだろうし、そうなると今できる料理はデザートぐらいだから、師匠のデザートの何かを教えてもらいたいわね」

 なぜか傷ついてたはずの知美ちゃんが嬉しそうだ。

 ダメとは言えないんだろうな。

 レディにうんちと言っちゃったわけだし。

「わかったよ。お父さんに聞いとくから」

「絶対だよ」

「うん」


 孝介さんがオレと知美ちゃんの頭に手を乗せた。


「さて、話はまとまったようだな。では静かにしようか。ロビーとはいえ、ここは病院内だ。病院では、騒いではいけないんだよ」

「「「「「はい」」」」」「「すみませんでした」」


 みんなが小さな声で返事をし、オレと知美ちゃんは孝介さんというより、主にロビーにいる皆さんに向けて謝った。


「では行こう。510号室だ」


 孝介さんに連れられてオレたちは病室に向かった。入院棟でエレベーターに乗り、五階へのボタンを田中くんが押した。

 五階の受付で孝介さんが、お見舞いに来た外来の者として名前を書いている。

 この隙にオレと寛司は頷き合った。

 五階の地図に510号室の場所が書かれている。

 オレと弟さまは眼を見合わせて頷いた。ここからはマジモードだ。


((解析))


 二人揃って迷わず病室へ向けて解析を発動した。この程度の距離なら足が床に触れてるので、十分に解析をかけられる。

 そう思ったところで気がついた。

 そういえば解析が届く範囲を調べたことはないな、と。

 今度調べてみようぜと弟さまに魂の回廊を通して話しかけようと思ったら、真理ちゃんに怒られた。


「真司くんと寛司くんも名前を書かないとダメだよ」


 やばいやばい。

 もうみんなは次々と住所と名前を書いている。入院患者にお見舞いをするには、病院側に自分の住所と名前を書いて許可を求めなければいけないのだ。

 オレと弟さまは急いで受付に行くと、既にみんなの名前がノートに書かれていた。字は汚いけどよく書けるものだ。みんなの親御さん、教育熱心なんだな。

 オレと弟さまも皆に倣って住所と名前を書くと、孝介さんがちょっと驚いた顔をした。硬筆を習ってる真理ちゃんも字が綺麗だけれど、オレと弟さまもそれなりの文字は書ける。思いの外キレイな文字を書いたもんだから驚かれたのだろう。

 でも赤ちゃんの頃から解析をかけてたので、大人の字を書けるのは当然だった。そもそも初めて文字を認識させてくれた、オレたちをこの世に取り出してくれた産婦人科医の小野先生には感謝しかない。基本は小野先生の文字で、そこからがスタートだった。

 それからも文字に関しては、テレビに登場した字の上手い人や、書道家の書く姿を見てブラッシュアップされてるので、オレも寛司もオレの文字と言える書体になってる。


(兄さま)

(ああ、オレも気づいた。眠ってた何かが起きたな)


 弟さまに呼ばれるまでもなかった。

 解析を発動したまま行動してるからと言って、動き始めた異常に気づかないわけがない。


(解析に反応したのかな)

(だとしたら徹さんは、何か能力を持ってるのかもな)

(いや、ないでしょ)

(だな。解析してて普通に人間だもんな。一点を除いて)

(その一点が妙なんだけど、これを警戒するなら病室に入室するの、どうする? みんなと一緒に入る?)

(解析に反応したわけじゃないんじゃないかな、てのがオレの見解。大方外の様子に気づいたとか。そんな感じだろう。だからとりあえず、みんなと一緒に入ろう。

 蛍ちゃん一家が部屋にいるし、徹さんの身に危険が生じたわけでもない)

(ま、何かがもぞりと動いただけと言えばそうだけど)

(向こうはアクションを起こしてない。だから今はこのままやり過ごそう。わからないうちから、みんなを危険にさらすわけにもいかないだろ?)

(わかった。じゃあオレが先に)

(いや、弟さまはオレのあと、背後から頼む。そっちのが得意だろ)


 全体視は、弟さまの領分だ。


(ああ、なるほど。じゃあ兄さま頼む)

(応。先陣を切ろうじゃないか)


 と、魂の回廊ではそう言葉を交わしたものの、やることは結局オレが要対応の態勢を取り、寛司が後ろから全体を哨戒した上で、何だかわからない何かの周辺を、警戒しつつ丁寧に解析をつづけてくということになる。

 二人で解析をかける二度手間をなくす分だけ、オレがフリーになる。あとはその都度対応するといった役割分担だ。


 510号室の扉を孝介さんがノックした。

 中からハイという知らない女の人の声がする。この声がたぶん蛍ちゃんのお母さんの声なのだろう。


「失礼します。金沢真理の父で、孝介と申します」

「あ、これはどうも、わざわざ。徹の妻の真知子です」


 ご挨拶がつづいてオレたちも蛍ちゃんのお母さんに自己紹介したが、その間も警戒は解かなかった。

 弟さまは今、あえて病室周りを解析してて、肝心な徹さんの解析にはわざと手を付けてない。

 何かが動く前に様子見してるわけだが、向こうもこちらを様子見してる感がありありだった。

 さて、オレから見た感じではこんな感じだが、弟さまの方からはどうなのだろう。

 徹さん、徹さんは寛司が今この時も解析してるはずだ。

 こちらも警戒してる以上、並行作業が出来ないのが地味に弱点だな。こちらの仕事もしつつ、寛司の解析情報も同時に見ることが出来れば、相当効率がいいのだが、そううまくはいかない。


(どうだ? 弟さま)

(いるね。確実に何かが憑いている。今は敢えて周辺を解析して、異常がないのはわかってるけど)


 ということは徹さんが何かの能力持ちという線は完全に消えたわけか。

 だがそうなると一体何が憑いてるというのだろう。弟さまは確かに憑いていると言った。


(憑いてるところだけか、異常なのは)

(そう)

(ああ、なるほど、これか)


 動きがないのを見越してオレも寛司の解析に重ね掛けした。そこからむしろ弟さまより踏みこむ。


(これは、オレが間違えてたな。ごめん。向こうはオレの解析をずっと追いかけてるな)

(でも大丈夫。どんまい)

(てか追いかけるどころか警戒してるな。

 しかしこの憑き物、よくオレの解析が人体のどこにかかってるかが、わかるな。

 確実に追ってるぞ)


 これまでオレたちが解析をかけて、その解析に対して反応できた存在などいなかった。だからこんな反応を返されるのは、オレたちとしても生まれて初めての経験だった。

 すると弟さまが(つつ)ましく言った。


(たぶんだけど、調べようとしてグッと上げると気づく。調べてるんだけど全く上げないと気づきもしない)

(上げる? 上げるって何をだ?)

 わからないので弟さまに訊いた。

(感覚だけど)


 感覚か。感覚なら致し方ない。

 弟さまのやり方で解析をかけてみるしかなかろうな。


(ふむ。ちょっとやってみるか)

(了解。気をつけて)


 オレは全体から包み込むように解析を動かしてみた。魂の回廊の延長で、特に上げるとかを気にせずに、そのまま平坦に解析をかける。


(反応しないな。憑いてるのはわかる。で、これを内容まで精査しようとすると)


 ああ、なるほど。

 こいつは魂の回廊より浅いところにいるんだ。

 だから浅いところでちょろちょろ様子見してる分には解析がかかってることに気づけるけど、こちらがいつも通りにダブルを遣うと、こちらのしてることに全く気づきもしないわけか。

 その代わりに精査しようとして意識を向けると、それがぞわっとして、びくっと反応を返すといった感じか。

 弟さまが上げると言ったのは、これのことだな。


(てか弟さまよ。精査せずとも、このままでも十分に解析できてるんだが)

(判断に困るよな)

(うん。この憑き物、狂ってるみたいだな。妖精だとか精霊だとか。えっと、自称じゃ風の精霊だとか土の精霊だとか)

(どっちだよ)

 と弟さまが笑った。

(まあ、てなるよな。だから何が本当かもわからなかったわけか…………)

(そう。どうする? 兄さま)

(精査したいか?)

(いや、それもこの状況じゃどうだろう。せっかくみんなでお見舞いに来たばかりなんだぜ)

(ふむ。ならとりあえず追い出そうか。

 このまま徹さんに憑かせたままってのは、セドリックメロディ病の顛末を知ってしまって以上駄目だろ。対処は早いほうがいい。そうでなくても人の身でこんなおかしな物に憑かれて、ここまで生き延びてるってのは最長記録みたいなんだし。

 このままだといつ不幸な事態に陥ってもおかしくないよな)

(そうだね。狂ってるわけだし)

(人の目もあるけど、オレとしては長く憑かせたくない)

(うん。蛍ちゃんのためにもね)


 それに今ならすべてを妖精のせいに出来る。ダブルを発動しても、オレたちじゃないよ、妖精だよと、言い訳が立つ。


(やるか)

(やろう)

(じゃあ行くぞ。解析をぶつけよう。気持ち悪がってるみたいだし)

(じゃあ兄さまはそのまま上から。オレは下から精査するつもりでかけるから)

(了解。一、二、三)


((ゴー))


 徹さんにかかってる掛け布団から、じんわりとした光が滲むように浮かび上がった。


「あ、お父さん」


 蛍ちゃんが真っ先に気づいて、うろたえたような声を出した。


「あなたっ」


 真知子小母さんも気づいて急いで掛け布団を引き剥がす。いつも真知子さんは、たぶん光る患部をさすってるのだろう。それで痛みや破壊衝動が収まるようにと。

 だがそれをすることは今回は出来なかった。

 光がそのまま徹さんのパジャマからも突き抜けて、じりじりと浮き上がる。

 パジャマは破けていない。つまり透過してると言うことになる。

 慮外の現象に、お見舞いに来たわんちゃんグループのみんなも言葉にならない。

 真知子小母さんと孝介さんも驚いてる。大人でも得体の知れない現象なのだろう。だが解析をかけ合った弟さまと、それを双方向で受け取ってたオレにはわかる。


「うわ、何あれ」「消えたり、透き通ったり」

「宮島さん」

 真理ちゃんのお父さんは流石だ。孝介さんは徹さんを心配して声をかけている。

 そのくせさりげなくオレたち子供を正体不明の謎の光源体から庇っている。

「寛司くん」

 秋穂ちゃんが弟さまの後ろに身を隠す。てか抱きついてるな。でも冷やかさない。

 オレも蛍ちゃんをお父さんの元に行かせないよう、後ろから抱きしめて彼女を留めている。


「あ、あっ」

 蛍ちゃんが夢中になってつぶやく。

「光がふわっと浮き上がったよ」


 オレにはよれよれと千鳥足で漂ってるように見えたが、蛍ちゃんにはふわっと浮き上がったように見えたらしい。

 その光が、徹さんから離れてオレは確信した。


「これが、セドリックメロディ病の元凶だよ」


 オレはその光が原因だと断定した。

 徹さんは今や憑き物が落ちて、おちついたように眠っている。

 みんながそれは本当かと問いたげにオレを仰ぎ見た瞬間、オレは弟さまに眼で語りかけると、阿吽の呼吸で弟さまがダブルを発動した。


(状態固定)


 光がその浮かんだ場所にガシッと固定された。

 動き回ろうとしてもダブルがそれを許さない。

 てか、なに動き回ろうとしてんだよ。


((状態固定を舐めるなよ))


 オレと弟さまが互いに眼を見交わし合ったその瞬間だった。

 弟さまの状態固定にそいつが反応した。光がどんどん強くなる。目を開けていられなくなった。思わず(まぶた)を閉じるが、明るさを増す光は、薄皮一枚程度の瞼では閉じてても意味がないとばかりに、その輝きを増した。


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