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ダブル  作者: 茶の字
第1章 幼稚園時代
17/182

第17話 時計作り

 お母さんと婆ちゃんに連れられて、今、オレと弟さまは電車に乗っている。京浜東北線だ。もしもここにくじら組の彼がいたなら、電車の車両番号やら形式称号やらをくわしく説明されたのだろうが、ここに加藤くんはいないのでぶっちゃけそこまではわからん。

 だが乗り心地がいい。電車とはほんとうに見事な物だ。大量に人を輸送できるというのがまた実に素晴らしい。

 弟さまは景色に夢中になっているが、オレは乗り心地にすっかり夢中になっていた。

 なにげに移動手段は自転車か車が多いので、人生で数えるほどの電車体験な気がする。てか入園する記念写真を撮りに日比谷に行った時以来の二回目か?

 我が家は電車に乗らないな~。

 叔父ちゃんちも車しか使わなそうだから、息子の義雄くんも電車に乗ることはないんだろうなと思ったりもする。義雄くんはもう歩けるようになったのだろうか。こないだはハイハイも出来なかったけど。


(たった一週間で歩けるようになるわけないだろ、(あに)さま)

(そうなのか?)

(まだ六ヶ月くらいだろ。オレたちだって寝返りがやっとだったぞ)

(ああ、思い出した。トイレにも自力で行けず、(たえ)なるうんちをおむつに垂れ流す日々。なかなかの屈辱の日々だったな。そうか、義雄くんは今、その痛苦に耐えているのか)

(だから思考もそこまでないって。義雄くんは普通の赤ちゃんだったんだから)

(そうか。でも本当にそうなんだろうか)

(いや、オレに訊かれてもな。兄さま自身で確かめろよ)

(そうだな。一分計を作る前に、いろいろと試してみよう。義雄くんの試練だ)

(叔父ちゃんの迷惑も考えろよ。それより大井町から横浜まで二十五分しかないんだから、兄さまも今のうちに外の景色を見といたほうがいいんじゃないの?)

(む、そうだな。外見るか)


 慌てて窓の外を見る。乗り心地はこの際どうでもよくなってしまった。オレが落ち着きないと評される由縁だ。その評価に思うところはあるが、まあいい。

 鉄橋だ。名前も知らない鉄橋だ。だが下を流れる川の名前は知っている。多摩川だ。電車で橋を渡ると三角の頂点と底辺が交互に現れて、かなりせわしない近景だ。しかし遠景は思ったよりビルが並んでるんだな。音もガタンゴトンという音が、陸地を走ってる時よりも二割増しぐらいで大きく響いてる。ちょっと楽しい。


 なるほど。弟さまが流れる景色にかじりつくわけだ。


 ふと思った。

 窓を開けたら川の匂いがするのだろうか。

 しかし電車内という公の場所で勝手に窓を開けて、企業戦士の小父さん小母さんの邪魔をするわけにもいかない。それが公という物だろう。普段使いの人と通りすがりの一見(いちげん)さんとでは、どちらがそれを支えてきたのかという話だ。オレはそんなに電車を使わないだろうし、企業戦士はほぼ毎日のように使う──。

 この電車を維持して来たのはオレでなく、周りにいる企業戦士の皆さんなのだ。オレたちはおこぼれで、ちょこっと利用させてもらってるだけ。

 いや待て。オレは何を考えてここまで来たんだ。橋の上から川の匂いを嗅いだらどうだろうなと思っただけではないのか。そうハッとした時には、電車はもう鉄橋の上を駆け抜けていた。


 なんてこった。


 その後も線路の多さに目を(みは)り、すれ違う電車に窓を叩かれたり、その際におでこをくっつけてたので結構な衝撃があって首がゴンと後ろに弾かれ、お母さんと婆ちゃんが泡を食って慌てたりしたが、全然平気なオレは懲りずにその衝撃を逃がす遊びをしたりと、それなりに面白いことを体験できた。


 横浜駅に着いた。

 ここから五分ほど歩いたほど近い場所に叔父ちゃんの家はある。車でしか来たことないが、十五階建てのマンションの七階が叔父ちゃんの家だ。

 叔父ちゃんがそのマンションを購入した際に聞いた逸話がある。

 叔父ちゃんはエレベーターに長いこと乗るのがだるいので、できれば二階ぐらいがいいと知子叔母ちゃんに相談したらしいのだ。だが知子叔母ちゃんは、私は眺めのいいところが良いと言い、叔父ちゃんと知子叔母ちゃんの意見がぶつかり合ったそうだ。

 それから賑やかな意見の交換があって、結局ふたりの意見の間を取って、七階で落ち着いたということのようだった。ちなみにお金はうちの爺ちゃんが大分融通したという話も聞いている。

 だがそこはまあいい。問題は別にある。七階にあるという立地の件だ。仮にの話だが、もしもオレが遊びに来たいまこの時に、過去に起きた大震災級の地震があったりしたら、そしてその時に運悪くオレたちがエレベーターに乗っていたりして、そのエレベーターが動かなくなってしまったりしたら、オレたちは徒歩で七階から一階まで階段を下りることになるのだ。


 ほーりー、くらっぷ。


 これはもう大変な労力だと思うのだ。なのでオレの意見は叔父ちゃんに近い。

 いや、ぶっちゃけもう二階ぐらいで十分でしょ。エレベーター使うのが面倒臭いぐらいで丁度いいと思うのだが──。


 こほん。まあもしも震災級の大地震が来ても、オレの場合はダブルの状態固定をつかえば怪我をすることはないだろうから、そこは安心なのだが、それでも階段を下りるのに余計な時間がかかるのは事実だ。


「混むだろうしね」

 うん、しっかり聞かれてたのはスルーしよう。

「ということで弟さまよ。地震がないことを祈ろう」

「なに、何の話ししてるの?」

「お母さんはマンションで大震災が起きたらどうする?」

 オレが尋ねた。

「まずは動かないでやり過ごすわね」

「その後は? 下りるのにも階段が大渋滞して大変なことになるよ」

「うふふ。知ってた? 津波を警戒して、みんな避難するために高いところへ上りたいのよ?」

「あっ」「ああっ」


 盲点だった。そういえば大震災には津波があったんだな。


「下手に動かない方が安全なのかな?」

「そうね。哲也叔父ちゃんのマンションは、とっても頑丈だから選んだって、叔父ちゃんと叔母ちゃんが言ってたわよ」

「「そうなんだ。なら安心だね」」


 なるほど。下りるのが苦労するなら、下りなくてもいいようなマンションを買えば良いわけか。叔父ちゃんと叔母ちゃんの知恵は深い。日本の土木工事万歳。




 横浜駅は行き交う人が多くて、みんなが目的地に急いでるような、そんな感じの駅だった。オレたちは西口に出てそこから歩き、目的地には着いてたが、そこでお母さんがメールをしてるので、今頃あちらでは大慌てだろう。

 行くとは言ってたけど、いつ出るかのメールは打つのを忘れてたそうだ。お母さんも爺ちゃんに枡屋のことをお願いする際に色々と報告があって忙しかったから、そこも致し方ない。

 待ちぼうけも致し方ないのである。

 そうして雑踏に取り残されて、お上りさん気分でオレたちが叔父ちゃんたちが来るのを待ってると、人波の向こうから知子叔母ちゃんが迎えに来るのが見えた。

「知子叔母ちゃん、こんにちはー」「こんにちはー」

「いらっしゃい、待ってたわよ」

「義雄くんもこんにちはー」「義雄くん眠そうだな、こんにちはー」

 オレは義雄くんの手を握る。

「おおっ。見たか? ギュッと握り返してきたぞ。可愛さマシマシだ」

「ラーメンみたいなこと言うなよ、兄さま」

「そうか? ラーメンみたいか?」

 知子叔母ちゃんが華麗にスルーして、婆ちゃんに笑顔を向けた。

「お義母(かあ)さんもお義姉(ねえ)さんもいらっしゃい」

「はい、こんにちは。今日は世話になるね。それで知子さんや、ちょっといいかい?」

 あ、婆ちゃんが義雄くんを抱きたがってる。出会ってすぐにこれだ。婆ちゃんの孫好きは筋金入りだ。そうして、どうぞどうぞと義雄くんを手渡され、婆ちゃんはでれでれになった。


(これ、長いんだよな)

(もうどうしようもないでしょ。婆ちゃんはトリップしてしまった)


 確かにどうしようもない。オレは横浜駅近くの眺望を、というか人の流れを眺めやった。

 すると面白いことに気づいた。

 知子叔母ちゃんは美人だ。ここまで一緒に歩いて来てお母さんに振り返る人はいなかったが、ここではみんなが知子叔母ちゃんに振り返る。

 別に知子叔母ちゃんは着飾っていない。普段着のラフな格好だ。それでも男の人が振り返るのだから、知子叔母ちゃんは美人なのだろう。

「はいよ、ありがとうよ。義雄くんは可愛いね~。生意気な口も聞かないし、時計を作るんだなんて無茶も言い出さないし」


 途端に道行く男の人が子供がいるのかとガッカリしてたが、そこはまあいい。


「なにそれ、ばあちゃん。むちゃじゃないぞ」

「オレたちは断固抗議する。てか兄さま、それじゃ棒読みだぞ。怒ってないのがバレバレだと台無しじゃん」

「うるさいねー。ほれ歩くよ。五分ぐらいピーピー言わずに我慢しなさい」


 いや、ピーピー文句を垂れてはいないのだが。しかしここは黙ってた方が無難か。オレは早く時計を作りたい。

 ということで知子叔母ちゃんの後に付いて、オレたちは歩き出した。

 道中暇だったから、対策も練った。婆ちゃん対策だ。


「まあ、これは婆ちゃんの病気だ。義雄くんには一身に婆ちゃんのかまっちゃう攻撃を受けてもらおう」

「おかげでオレたちへの攻撃もなくなる」

「そういうこと。しかも叔父ちゃんちだ。婆ちゃんは料理を作れない」

「なるほど。食べろ食べろ攻撃もないわけか。お腹いっぱいでも容赦ないからな、うちの婆ちゃん」

「そうだ。そしてその料理攻撃の対象は、今回に限ってオレたちだけに留まらない」

「そうだね。義雄くんがいるからね」

「しかもだ。義雄くんはまだ婆ちゃんの手料理を食べられない」

「なるほど。義雄くんバリアーか」

「そうだ。義雄くんは今、無敵状態なんだ」「最強かっ」「最強だ」

 婆ちゃんに小突かれた。

「ほれ、馬鹿なこと言ってないで入るよ」


 オレたちはマンションのエントランスに、元気よく入りました。

 そうして知子叔母ちゃんが改めてオートロックを解除してくれてたのに気づき、オレたちはマンションに迎え入れてもらえた。

 それにしてもマンションは自動で鍵がかかるからすごい。

 爺ちゃんは宅配便の人たちは届け物を届けるのに玄関に回れず、オートロックが開くのを待たされるから大変そうだと言ってたが、それは枡屋のようなお店をしてるか、都議会議員のお仕事もしてる爺ちゃんならではの意見だと思う。

 でも爺ちゃんには来客が多すぎて、確かにマンション住まいは大変そうどころかお話にならないとは思う。


「真司くんは相変わらず楽しそうよね」

 知子叔母ちゃんがエレベーターを待つ間に話しかけてくれた。

「うん」

 エレベーター前でオレの頭を撫でてくれる。

「にこにこしてそんなに楽しみにしてたの?」

「あー腕時計楽しみだ、ってぐらいに楽しみにしてたよ」

「え? あの人が用意してたの秒針計だったけど」

 知子叔母ちゃんの顔色が変わった。オレをガッカリさせると思ったのかな? でもオレはオレで気にかかった。

「あの? 秒針計? 一分計じゃなくて?」

「そうそう、その一分計ね」


 知子叔母ちゃんが頷いたが、オレに話を合わせてくれた感がある。だが、そうか、知子叔母ちゃんは機械式のストップウォッチのことを、秒針計って習ってたのか。

 でも知子叔母ちゃんに甘えましょう。オレも欲しい物を駄々洩れで口にしてたし──。


「間違えちゃってごめんなさい。腕時計じゃなくて一分計だよね。一分計も欲しいし」

「兄さま、時々舞い上がって言い間違えるよな。腕時計と一分計」

「腕時計が欲しいのも事実だからな。叔父ちゃん手作りのアレ。あれは本当に格好いい。いつかオレも作りたい」

「そこまで誉められたら叔父ちゃんに後で言っといてあげるわね」

「え?」「いいよ言わないで」

「つ、どうして?」

「叔父ちゃんもきっと調子に乗るし。最上家の男は調子に乗せちゃダメなんだよ。爺ちゃんもお父さんも、それからたぶん、叔父ちゃんも」

「そりゃあんた達もだろ」

 婆ちゃんがニヤリと笑ってオレのおでこを小突き、それから知子叔母ちゃんに尋ねた。

「そういえば哲也はどうして迎えに来ないんだい?」

「部品の確認してたら、うっかり秒針計を全部組み上げちゃって、いま慌ててバラしてるんですの」

「あれまあ」

 婆ちゃんが肩をすくめた。

「確かに、調子に乗らせちゃダメな血筋かもね」

 場が朗らかな笑いに包まれた。



 叔父ちゃんの家に入ると、叔父ちゃんは冷や汗を浮かべながら何事もなかったかのようにオレたちを出迎えた。


「叔父ちゃん、今日はどうもありがとう、よろしくね」

「よろしくお願いします」

「おう。任せとけ」


 ドンと胸を叩く叔父ちゃん。

 笑ってはいけない。

 なのでオレは弟さまに話を振った。


「任せとけなんて、頼もしいよな叔父ちゃん」

「そうだね。でも叔父ちゃんに任せたら、うっかり一分計を組み上げちゃいそうだよね」

「あー叔父ちゃん確認してたら勢い余って作っちゃいそうだよね」

「ちゃんとはまるかなーとか」「ネジのおおきさはあってるかなーとか」「はぐるまはどうだろうかなーとか」「しもんがついちゃったから、ふかなきゃなーとか」


 やばい。オレも弟さまも、そろそろ棒読み丸出しだ。

 もうもたないので、叔父ちゃんに向けて、ニヤリと笑う。


「ちゃんと動くかなーって、うっかり作っちゃいそうだ」「それから慌てて元にばらしたりしてね-。あははは」


「おい、知子」

「ごめん。しゃべっちゃった」


「だって叔父ちゃんがすかしてるんだもん」

「だね。そりゃ最上家のお約束をかまさないと爺ちゃんに怒られちゃうでしょ」

「ここにはいないけど、ね」

「あんたら……」

「婆ちゃんだって知ってるでしょ。議会で爺ちゃんがあいつらすかしよってって文句言ってるの」


 ていうか議会があった日の後の、我が家の定例行事だ。

 野党の連中が現場を確認もせずにメディアに煽られて、爺ちゃんに文句を言うのだ。だから爺ちゃんは、それの何が悪いのか詳しく説明しろと言うのだ。すると難癖つけてきたはずの向こうからは、全く説明が出て来ない。出来ないのだ。

 だから爺ちゃんは、すかした態度で人のことを責めるくせに中身が何にもありゃしない。せめてどこが悪いのかわかってから質問しろと、無人の荒野を行くがごとくばっさばっさと切り伏せてくのだ。

 あ、お母さんが席を立った。お花を摘みに行くんだろうけどってのはわかってるけどさ、爺ちゃんの武勇伝は、って、問題はそっちじゃないか。どうでもいい話だから席を立ったんだよね。

 あぶねー。脱線しかけた。お母さん、ありがとー。


「あ、でも叔父ちゃんには中身があるからね。頭空っぽの野党と一緒じゃないからね」

「向こうは向こうで老害とか言ってそうだけどね。もしそれを本当に言ってて聞いちゃったりしたら」

「したら?」

 と叔父ちゃんが問うた。

「ぶっ飛ばしちゃいそう」

 間髪入れずに弟さまがそう言うと、叔父ちゃんが首を振った。

「いやいや、いくら爺ちゃんでもそこまではしないだろう」

「何言ってるの、叔父ちゃん。オレが」

 と弟さまが言ったのでオレも手を挙げた。

「オレたちがぶっ飛ばすんだよ、あたま空っぽの連中を」


 叔父ちゃんが苦笑いした。


「わかったわかった。オレもすかしたことはしないようにしよう。つい組み立ててしまってな。さっきまで、ばらすのに必死だった。

 でもな、大人をぶっ飛ばそうとしても、お前たちじゃ無理だぞ」


 なるほど、身体が小さいからな。弟さまなら何とか出来そうだが、まあそこはいいか。


「なら闇討ちだな」「じゃあオレは止めを刺すよ。おちんちんを蹴れば痛いんだよな」

「おいおい、やめろよ」

 と叔父ちゃんが言う。

「でも本当に痛いのかな」「そういや試したことないな」

 オレは自分で軽くおちんちんを叩いてみた。

「痛くないぞ」

 弟さまも試してみる。

「本当だ。痛くない」

「都市伝説だったのか」「な~んだ。嘘っぱちだったのか。騙されてたよ、オレ」

 婆ちゃんと知子叔母ちゃんが笑いを堪えてる。

 なぜだ。

 オレたちは笑われる覚えはないぞ。

「叔父ちゃんが何かしたのか?」

「まだ何もしてないぞ。そうだな真司、試しに自分のおちんちんを下から叩いてみろ」

「うん? まあいいけど」

 オレは言われるがままに、おちんちんを下から叩いてみた。


「「おうっっっふ」」


 オレはその場にうずくまった。

 そうしてオレは、生まれて初めての悶絶という状態を体験をした。それは生まれてこの方いちばん痛い体験だった。

 ちなみに弟さまも隣で体験してみて悶絶してる。一緒にやるなよ、弟さまよ。見てれば良かったのに。


 ちなみに婆ちゃんと知子叔母ちゃんが、涙を流しながら笑い転げていたのは、後々のいい思い出にきっとなることでしょう。

 あ~いたかった。マジ痛かった。


「しかしこれは十分に止めになるな」

「いや兄さま。オレは、たった今、止めを刺してはいけない派になったよ」

「そうか。そうだな。後に響きすぎるよな。一瞬で介錯してやるのが武士の情けだよな。武士の情けの意味がよっくわかったよ。なるほど。確かにそうだ」


「ということで、もういいな。組上げはすぐに終わるから、お前たちもちょっと休め」

 叔父ちゃんが気の毒そうに、前傾姿勢でうずくまるオレたちを眺めやりながら、言った。

 武士のお情け、かたじけない。


「麦茶持って来ますね」

「あ、知子叔母ちゃん、砂糖もください」

「はいはい。わかりました」

 うずくまりながらリクエストするオレを見て、もう一度知子叔母ちゃんはぷっと笑った。

 ひどいよ、叔母ちゃん。この見返りは必ずもらうぜ。たっぷりの砂糖でだ。ふはははは。


 オレと弟さまは、義雄くんのベビーベッドの脇に陣取った。立てないから座ってるわけだが、この位置からでも義雄くんの顔はよく見える。


「なんか見覚えあるな」

 オレは義雄くんのベビーベッドに触れてみた。

「てか、オレたちのどっちかが使ってたベビーベッドじゃない?」

「そうだよ。真司のか寛司のかはわからないが、使わなくなったからって捨てるのももったいないからって、取って置いてくれたのを譲ってもらったんだ」

「あ、知ってる。リサイクルってやつでしょ」

「そうだな。この場合もそう呼ぶのかは知らんが、まあそんなもんだろ」


 お、義雄くんと目が合った。こっちを見てニヤッと笑っている。

(お~い、聞こえるか義雄くん。真司兄ちゃんだ)

(お~い聞こえるぞ。平伏(ひれふ)せよ)


「え? え? はは~っ」

 ノリでやってみたら、知子叔母ちゃんがまたぷっと笑った。知子叔母ちゃんが丁度麦茶を持って来てくれていたのだ。そのおかげでまるでオレが麦茶を持って来てくれた知子叔母ちゃんに対し、平伏して感謝してるみたいな形になっていた。


「真司くんは、本当に面白いわね。でもそんなことしないでいいからね」

「知子叔母ちゃん、最後棒になってるよ」

「え? そんなことないわよ」

「いいんだよ。笑いたければ笑って、ホラ、思いっきり笑おうよ。

 はは~~~っ。知子叔母ちゃんのお指図に、感謝の念に堪えませぬ~。麦茶もわざわざ持って来て頂きありがとうござりまする~。さあ飲むぞのむぞ~」


 もうやけくそです。

 弟さまに(かつ)がれたので、どうせならとことん担がれようと思っただけです。

 そんなオレの自棄(やけ)っぷりに、知子叔母ちゃんは優しく笑って見守ってくれてました。目尻に涙が溜まってたけど。


(てことで、おい、弟さまよ)

(義雄くん、まだしゃべれないな。残念だ)

(いや、そこか?)

(ノリノリだったじゃん、兄さま)

(まぁそうなんだけどね。しっかしとんでもないタイミングで、とんでもない事かましてくるな、お前は。マジで視野広すぎ)

(兄さまも楽しんでたから、おっけ~と言うことで)

(はいはい、おっけ~)


 と魂の回廊で話してる間に、知子叔母ちゃんが木箱をのけて、テーブルの上に麦茶を置いてくれた。

 オレのコップの脇には角砂糖がいくつか置かれた。お、すごいな。角砂糖付きだ。うちだと台所から砂糖の容器を直接持って来て、そこからスプーンでわっさわっさと砂糖を入れて終わるから、お上品仕様にビックリだ。

 これが叔父ちゃんちの基本なのか? 叔父ちゃんの流儀はオレと同じだろうから、これは知子叔母ちゃんちの流儀か。育ちがいいんだな。

 そうしてオレは生まれて初めて角砂糖で麦茶を飲んだわけだが、まったりとしたコクが出て最高でした。

 きっちり麦茶を頂いて、それから義雄くんのところにオレは戻った。やっぱり心のどこかで気にかかってるからだ。


(お~い義雄くん)


 呼びかけたが返事がない。

 今回は弟さまも空気を読んだようだ。

 結論。義雄くんはまだ言葉をしゃべれない。やはりさっきの魂の回廊での呼びかけは弟さまで間違いないようだ。しかし義雄くん、キミの寝返りは元気だな。物を持って振り回してもいるし、なかなか腕白そうだ。

「もう少しで一緒に遊べるな、義雄くん」

「遊べるようになったら、かけっこしようぜ義雄くん。大丈夫。ハンデはあげるから」

 すると婆ちゃんがベビーベッドから義雄くんを抱き上げて膝に乗せた。

 義雄くん抱っこはさっきもやっただろうに、婆ちゃんは本当に何回でも抱っこをしたがるな。

「あんたら年上なんだから、自分のやりたいことじゃなくて義雄ちゃんのやりたいことを聞いて上げるように」

「え?」「マジで?」「いやいや、それはないだろ、お母さん」

「哲也までなんだい」

「いや、普通は年上が遊んでるところに興味を持って、俺も入れてくれって年下の方から遊びの輪に入っていくもんじゃないか」

「む」

「だろう?」

「でも真司と寛司は尋常じゃないからね。頭だけじゃないんだよ。入園式の時、式そっちのけで砂場で前方宙返りしながら幅跳び遊びしてたって、うちの人が驚いてたんだから」

「おいおいそりゃ本当?」

「あ、とんぼね。出来るよ。弟さまが先にやったんだけどね」

 弟さまは当然といわんばかりにピースした。

「マジかよ。確かに走るの速かったが、そんなことも出来んのかよ」

 寛司が肯いて言った。

「てか普通の幅跳びより飛べるよね、アレ。爺ちゃんに止めろって言われたけど」

「禁止走法になったんだっけ」

「禁止跳躍法? 禁止競技法? 略し方は聞かなかったから、わからないや。でもそんな感じだよね」

 その寛司の言葉を聞いて、叔父ちゃんは言葉もない。

 婆ちゃんが肩をすくめて念押しした。

「わかったかい。尋常じゃないんだよ。義雄ちゃんにそんなのについてけってのかい?」

「それは確かに、考えてしまうな」

「だいじょぶ。ちゃんと加減するよ」「怪我なんかさせないし」

 義雄くんとは年の差があるもんな。

 オレたちは顔を見合わせて、ニッと笑った。

「まあ、普通に駆けっこぐらいは教えてやってくれ」

「「もっちろん」」

「おまえらのためらいのない返事を聞いちまうと、なぜか一抹の不安が出てくるな。ふむ。まあ、そのための道具を今日作るんだしな」


 そう言って叔父ちゃんが麦茶でのけてた箱をテーブルの真ん中に戻した。


「ねえ、叔父ちゃん、これって正式には秒針計って言うの?」

「お? 何でだ」

「さっき知子叔母ちゃんがそう言ってたから」

「そうだな。普通は秒針計かもな。でも趣味の一品で製品じゃないからな。真司と寛司が一分計でしっくり来てるなら、呼び名なんてどうでもいいんだよ。

 一分ごとに計れるのも事実だしな。大事なのはどういう動作が出来るかを確認することで、名前じゃない。売るんだったら名前も考えないと商売にならんけどな。ははは」

「そうだったんだ」

「俺も小学生の頃は五十メートル走の時に機械式のストップウォッチを先生が持っててな。その時計のことは一分計って呼んでた覚えがある」

 ふふん、と婆ちゃんも加わる。

「私の頃はまさに機械式しかなかったからね。それのことは五十メートル走を計る奴ってみんな呼んでたね。だから(のち)にデジタルのストップウォッチが出て来た時にはビックリしたもんさ。何これ、数字が動いてるって」


 婆ちゃんが遠くを見やった。その視線に釣られてオレは婆ちゃんの子供時代の姿を想像した。


「うわぁ」「婆ちゃんの思わぬ物を知ってしまった」

「いやいや、それが文明の発展というものだぞ。なかなかに興味深い」


 うん?

 叔父ちゃんが言うんなら、そうなんだろう。


「そうなのか」「うん。オレもそう思ってた」

「あんたら」

 婆ちゃんが青筋立てそうなので先に頭を下げといた。

「婆ちゃんゴメンね」「婆ちゃんにだって子供だった頃あるよね。そりゃそうだよね」

 だがそれでは許してもらえずに、オレたちは婆ちゃんに抱き寄せられて、それからそこにずっと座らされる事になった。

 婆ちゃんは左右にオレと寛司をがっちり抱き寄せて、その姿はまるで鳥のコンドルのような──。


「じゃあコンドル婆ちゃんで」

「寛司?」

 婆ちゃんに意味不明にしか聞こえないらしい。弟さまに確認を求めてる。

「あ、いや、コンドルみたいでしょ、婆ちゃん」

 弟さまも婆ちゃんの素の反応に困っていた。

 オレの駄々洩れの魂の回廊からの情報を口にするからそうなる。

 しかし自分で言っといてなんだが、確かに婆ちゃんが両手を広げた姿は、まるでコンドルが翼を広げたような感じだ。


「てかコンドル婆ちゃんって語感がすごいな」

 叔父ちゃんが感心する。

「何で? 語感じゃなくてそう見えない? コンドルの婆ちゃんみたいでしょ」

「ああ。わかったわかった」

「わかってないよ、叔父ちゃん。両手を広げて~、コンドルっ」

 弟さまが婆ちゃんに抱き寄せられたまま翼を広げた。さすがは真理ちゃんに空を賭けた男。

「コンドル婆ちゃんっ」


 叔父ちゃんがぷっと吹いた。知子叔母ちゃんは平静を保ってる。流石だ。義理のお母さんだもんな。

 しかし弟さまは臆面もなく婆ちゃんの手の中でよく言い切った。秋穂ちゃんや梅子ちゃんへの扱いを見てて思ったが、やはり弟さまは大物だ。

 婆ちゃんは閉口してたが、オレたちを抱き寄せるのをやめはしなかった。ちょっとコンドルの力が強くなったけど。


「で、ここまで冒険して来てどうだった」

「座席に座れたよ。混んでなかった」「電車は速かった」

「そうかそうか」

「そういや叔父ちゃん、電車と車の違いってなんだ?」

「ふむ。お前たちはどう思った?」

「大量輸送か個人輸送か、てことかな」

 叔父ちゃんがぽかんと口を開けた。

「電車は大まかな目的地に運んでくれるけれど、車はピンポイントで自分の目的地まで行けるってところかな。

 それと自分で運転するか、運転してもらうかの違いも大きいな。今日は電車で正解だったと思う。楽だったし、外も見れたし、楽しかったし」


 弟さまのより詳しい分析に、やれやれと叔父ちゃんが首を振る。

 だが弟さまの言う通りだ。正直今回の道行きは、車より電車の方が利点があったと思う。だって楽なんだもん。電車の運転手さんが運転してるから。オレたちは景色や乗り心地を楽しむことが出来た。

 車でもおんなじ状態ではあるけれど、家族の誰も運転しないで済むというのは大きい。

 オレは叔父ちゃんに言う。

「叔父ちゃんさ、叔父ちゃんは自動車メーカーに入っちゃったけど、電車の方が一般の人には楽なんじゃない? 運転しなくていいんだよ。大まかな場所まで運んでくれたらちょっと歩けばいいだけだし」

「よし。じゃあ真司には帰りに、そこにある段ボールを爺ちゃんにまで運んでもらおうかな」

「え? あれを?」


 オレからすればひと抱えはある段ボール箱だった。叔父ちゃんなら軽いもんだろう。しかしオレからしたらたとえ軽くても、かさばってしまい、身体の小さいオレが運ぶには大きすぎる、そんな箱だった。


「どうだ? 一般の人には電車の方が楽なんだろ? たのむよ真司」

「ううっ……」

「わかったか?」

「わかった。勘弁してつかぁさい」

「おいおい。どこで覚えたそんな言葉」

「爺ちゃん」

「あ、爺ちゃんね。時代劇面白いか?」

「オレは好き」「オレも好き」

「そうか。俺とは違うんだな」

「そうなの?」

「俺は、まあいいか。これは後にしよう。まずは一分計を作ることから始めようか」

「おっ、いよいよですか」「やった。本当に楽しみだったんだ~」

「そうかそうか。じゃあ早速組み上げるぞ」

「「はいっ」」


 なんていうか、気分はお母さんが毎日お昼前に録画してる三分クッキングの気分だ。あれのテーマソングを鼻歌で歌う。

 ではでは、本日は秒針計です。秒針が六十秒まで達しますと、一分計にもなります。なので今日は、叔父さんの用意してくれた部品をキレイに()めて行き、見た人がアッと驚くような一分計を作りましょう。


 ということでさて、改めてリビングのテーブルの上に叔父ちゃんが用意してくれた二つの大きな箱を見る。その箱には仕切り板がついてて、十二の部屋に区分けされており、各部屋には一分計の外殻、歯車、ゼンマイ、その他諸々の構造材が入っていた。


「どうだ。それが一分計だ。お前たちが初めて作る時計だ」

「うん、すごい。思ったより大きい。これで幾らぐらいするの? 大きくなったら返すからさ」

「ははは。要らないよ、そんな物は。俺は爺ちゃん婆ちゃんからいっぱい工作機械や道具、それに材料なんかも世話になったからな。今度は俺がお前たちや、それからそこで眠る義雄にいっぱい工作の面白さを叩き込んでやる」

「そこは叩き込むじゃなくてさ、曲がりなりにも親から受けた恩は、その恩返しは孫にしてやると言ってほしかったよ、あたしゃね。金食い虫だった哲也くん」

「あ、どうも。お母さんありがとう」

「まったく。宗也は酒席であたしらを泣かせるようなことを言ってくれたのに、お前と来たら、まだまだだね」

「婆ちゃん」

「ん? なんだい」

「どうもありがとう」「どうもありがとう」

「おお、おまえたち……」

 感極まったのか婆ちゃんに抱き寄せられた。今度はコンドルじゃなくて真正面からだ。

「でも邪魔」「うん邪魔」

 これから人生初の大仕事が待っているのだ。その大仕事の前に、婆ちゃんの楽しみの餌食になるわけにはいかない。

「お、お義母さん、がんばれ~。私と義雄は応援してますよ~」

 知子叔母ちゃんの額に冷や汗がひとつ浮かんでいた。

 だがオレたちは婆ちゃんの腕をもがいてふりほどく。

「うちの、最上家の男は、ホントどうしようもない」

「いや、だからこれから作るんだって」「婆ちゃんに抱えられてたら動けないじゃんオレたち」

 婆ちゃんは悲しそうな顔をして、知子叔母ちゃんと義雄くんの元へ席を移動した。

「あら、どうしたの?」

 お花を摘みに行ってたお母さんが、のんきな声を出して戻って来た。

「何でもないよ」「これから作るぞってところ」

「あらそう。がんばってね。哲也さんお願いしますね。ほら、あんた達もご挨拶なさい」

「よろしくお願いします」「お願いします、叔父ちゃん師匠」

「叔父ちゃん師匠って」

「あ、最近の流行りなんだ」「オレたちのお友達の知美ちゃんが、お父さんの料理を食べて師匠を見つけたって言ったもんだから」


 するとその弟さまの言葉にお母さんが食いついた。

「知美ちゃんって、昨日来てた子の?」

「うん、そう」「洋食屋さんの子だよ」

「宗也さんの弟子になるって?」

「うん、言ってた。お鍋が振れるようになったらお願いするって」「あ、もう決定事項みたいだよ。お父さんに拒否権はないみたい」

「弟子……」

 時間の止まったお母さんに代わって、婆ちゃんが聞いて来た。

「なんでまた宗也なの?」

「美味いからでしょ」「簡単な話だよ」

「まあ料理人は味を盗むためにたくさんの場所に修行に入るからな。兄貴もそうだったじゃない。洋食屋さんの娘さんと言うことは、その辺の事情も知ってるんだろうし…………」

 叔父ちゃんがフォローしてくれた。

 さすがだ。世故(せこ)()けている人はちがう。

「しかしそうか。兄貴にも可愛い弟子が出来るわけか……。よし。では弟子達よ」

「「はいっ」」

「とりあえず読めないだろうが、これを見ろ」

 叔父ちゃんに書類を手渡された。


 それにしても叔父ちゃんにも舐められたもんだ。オレたちに読めない物があるわけないじゃん。日本語、英語、ドイツ語、オレたちにかかればすらすら読めちゃうぜって話だぜ。


「む……」「だが確かにこれは、読めん」

「これが何かわかるか」

「わからん」「兄さまに同じ」

「これが設計図だ」

「おおっ」「これが噂に聞く設計図か」


 すごいじゃないか。設計図なんて初めて見たぞ。内田くん流にいえば、悪の秘密結社が奪いに来てもおかしくないような代物だぞ。そしてそれを守るのだ、とか言いそうだ。


(そうして喧嘩ごっこが始まるんだよね)

(たぶん防衛ごっこ、かな。この場合)


「しかしそうか、さすがに読めないか」

「哲也、アンタも馬鹿なこと言ってないで説明しておやり。真司も寛司もまだたった三歳なんだよ。こんなの読めてたまるかい」

「いや、まあ普通に考えたらそうなんだけどね。でもこいつら異様に理解がいいから、もしかしたらと思ってね」

「何言ってんだい、まったくもう」

 婆ちゃんがプリプリしてる。ちょっと面白い。てやんでい、って江戸弁使ったらいいのに。

 叔父ちゃんがコホンと咳払いした。

「さて、これは設計図と云う。図面に描かれてる部品が、そのひとつ一つが、その箱の中に用意されてる」

「おおっ」「ついに来たか」

「まあ見てわかる通り、設計図とはこの一分計の肝だ。一分計の全てがその図面の中に表されているわけだ」

「すべて?」「すごいな。設計図」

「そうだ。これが読めれば何だって作れる。基本的にな」


(おい、弟さまよ)

(ああ、これは(もん)で覚えた方が早い)

(だよな。これが読めれば何だって作れるんだぞ)

(むしろ絶対に覚えないといけないよね)


 だがひとまずその設計図を頭に叩き込む。意味はわからないが作ってるうちにわかるかも知れない。


 とりあえずわかったことは、この一分計は、十分の一秒まで計れると言うことだ。そしてストップウォッチの構造が順繰りに描かれている。


「あ?」

「どうした真司」

「この箱の仕切りって、組み立てる順に並べてある気がするんだけど」

「大したもんだ。よく気づいたな」


 そのひと言に喜んで顔を上げたら、また別のことにオレたちは気づいた。

 叔父ちゃんがビデオカメラを構えてオレたちを撮影していたのだ。


「「叔父ちゃん、何でオレたちを撮ってるの?」」


「そんなの簡単な話だ。俺の同僚が三歳の双子が秒針計を作りたがってるという話をどうしても信じないんでな。なので証拠の映像を見せるんだ。だから撮らせろ」

「「そういうことね。おっけ~」」


 状況がわかったので再び設計図の解読に入る。

 といっても、大きめに設計されてるから叔父ちゃんの意図は読みやすい。いや、最初の時計だから、「わかりやすく大きく」を基本にしてるのだろう。上から目線での読みやすいというのは叔父ちゃんに失礼だな。

 オレが自分がバカだと言う、またひとつの証明になる。

 なのでここは、叔父ちゃんがわかりやすく図解してくれている。これで行こう。


 うん。


 ひとつのブロックが明確に役割を持っているのがわかる。時計を進めるスイッチ、止めるスイッチ。秒針計を動かすと、分針計にも動力が伝わり、秒針計が一周すると分針も文字盤の一分ぶんだけわずかに進む。構造が重なり合って、一つ一つの歯車を動かし、その意味するところのブロックごとに、区分けもされてるのだ。


 なるほど。設計図が読めなくてもわかるように叔父ちゃんが工夫してくれてるのだ。


「すごいな、叔父ちゃん」

「そうだろう。格好いいだろう」

「じゃなくて、作業の効率で分けてることと、ブロックごとに何の役割をあてがわれてるのかを、わかりやすく置いてくれたことに、だよ」


 ゼンマイの巻く加減を決める部品、動力をコントロールする部品、伝える部品の組み合わせ。それらがブロックごとに整然と置いている。それが組み上げる順番なのだから、どこまで叔父ちゃんが叡知(えいち)を注いだのかは一目瞭然だ。


「お、お前本当にすごいな、真司」

「いや、弟さまもわかってるよ。なっ」

「そうだね。大きいサイズに設計したのは、最初に持たせる物だから、時計の基本の動きをわかりやすいようにしてくれたからだろうし、小さくして()くすよりは、大きくして重みを持たせた方が、失くしにくいよね。

 後々の技術革新の部分で、ここまで知恵をしぼったのかと言うことがよくわかるようにもなるし。

 軽量化ってのは時計の技術革新の醍醐味なんだろうし」

「そうだね。だからこそ基本を基本らしい形で持っとくのは、いい出発点だよね」

「うん。いつでも原点に返れる」


「いや、参った。こりゃうちのエースも舌を巻くぞ」

 どうなんだろう。ここまでお膳立てされれば誰でもわかると思うのだが。

「真司、寛司、これうちの会社のみんなに見せてもいいかな」

「叔父ちゃんの仲のいい人ならね」「仲の悪い人には見せちゃダメだよ」

「ははは。了解した」


 叔父ちゃんが撮影にもどったので、オレたちも解読に戻った。

 オレは部品のひとつを手に取ってみる。

 歯車を支える構造材の部分だ。普通に何の気なしに見てたら、歯車を置くただの板にしか見えないだろうけど、たぶん、これを組み上げると一分の隙もなくピタッ、ピタッと嵌まってく精度でカッティングされてるのだろう。

 試しに隣の箱から土台だけを取り出して合わせてみると、恐ろしいぐらいにピタリと嵌った。

 動かす際に必要な歯車ならその精度もわかるが、土台にしか過ぎないパーツで、これだけの精度を出してくる。それはものすごい技術だった。自分の手ではこんな風に機械を操れない。それが最近身に染みてわかってるので、その感慨は尚更だった。


「たぶんだけど、水が入っても全体が水浸しになる事はないよね」

「防水ってやつかな」

 弟さまが問題提起してくれたけど、その答えはオレにはない。

「残念だけどわかんない。だけど、すごいってのはわかる。叔父ちゃんが機械好きってのは知ってたけど、実際に見ると、こういうことが出来るから車のメーカーに就職したんだなって思う。すごいや」

「オレたちではこんな風に削り出せないだろうしね」


 すると叔父ちゃんがハハハと笑った。


「その誉め言葉も見せておくよ」

「「え?」」

「その部材、うちの工作班の班長が狂ったように協力してくれて作ったんだよ」

「え?」

「だからそのパーツの精度は俺が作ったのより更に精密なはずだ。なにせ我が社のエースが作ったパーツなんだからな」

「それ本当?」「うわ、すごいことになっちゃてるね」

「そう思うなら手を振れ、真司、寛司」

「やっほ~」「どうもありがと~」


 そして組上げ作業が始まった。

 文字盤を保護する透明なポリカーボネートを時計の外殻に嵌め込む。大人の手にほどよく馴染むサイズとボリュームを持つその外殻が、自分たちの手にとっては大きく、ずっしりとして、持っただけで所有する喜びというのが湧いてくるような感触だった。

 文字盤を眺めてはニヤニヤし、それの裏側に隠れる構造材と歯車を眺めてはニヤニヤし、そんなオレたちを見つめる肉親たちもニヤニヤしていた。

 そうしてひとつ一つを組み込んでは、それが調速機、それが脱進機と叔父ちゃんから説明を受け、設計図とにらめっこし、その部品の持つ意味を理解して行く。

 調速機はてんぷと呼ばれ、この部分が一定の速度で往復運動をしてくれるから、ゼンマイが一気にほどけることなく一定の「時」を刻んでくれるのだということがわかった。

 そしてその際の「時の長さ」を決めるのが、それに連動するガンキ車とアンクルである。調速機からの「時」を進める力を受け止めるアンクルの二つ爪は、左右に振れることでゼンマイの力を抑え、「時」を一定に調えるのだ。その動きはちょっとそこだけを動かしてみると、カタンカタンとガンキ車を肩叩きしてるようだ。


「かわいいね」

「うん」


 肯いた弟さまも言葉がつづかない。

 駄々洩れのオレの心を聞いちゃうからそうなるんだ。


「でも、ここで時の長さを決めてるんだね」

「一分、十分の一秒、歯車の大きさを変えることで、時の長さを変えてるわけか。おんなじゼンマイの力を使っているのに」

 そう。この一分計は、一秒ごとには秒針が進まないのだ。秒針は十分の一秒ずつ進んで、十枡すすんだら一秒になるのだ。

 そして一周すると、一分になるわけだが、その一分を示す時計は秒数を計る時計とはまた別に、真ん中上部に分計として用意してある。この分を計るとけい部分は最大十五分まで計れるようになっている。あとはそれだけの長時間を知りたい場合、ここを何周したかをオレたちで覚えて二十分とか三十分は見極めていくしかないようだ。


「しかしこれは、恐ろしい機能美だな」

「短い時間を計るという前提に特化してるよね」

「オレたちが何も知らない状態でこれを作ろうとしたら?」

「たぶん、一生かけてもここに辿り着けてないと思うよ」


 そうなのだ。これにはここに辿り着くまでの試行錯誤が、人類の叡知と奮闘が、この形に、ここに、結集されているのだ。

 一体この形に集束するまで、人類はどれだけの時をかけて、この形に練り上げたのだろうか。


 正直圧倒される。


 そんなオレと弟さまの、人類が時を決めて来たこれまで歩みを含んだ畏怖ともいえる述懐に、叔父ちゃんが寄り添ってくれた。

「不思議だろう?」

 オレと弟さまは言葉もなく肯いた。


 人類に、これまでどれだけの数の人間がこの世に誕生してきたのか知らないが、この時計という道具が開発された以降のすべての人間が、「時」を意識して生き、活動をし、そして死んで行ったはずなのだ。

 この「時」というものは、果たしてどれだけの人間の人生を左右したんだろう。

 どれだけの人間の基準となり、苦しめ、余裕をもたらし、そして人間本来の動きを制限して来たのだろう。


 オレたちは、ガンギ車を嵌めたところまでで、とりあえず午前中の作業を終えた。

 行程としてはすぐなんだけど、理解しようと努めながら進めてるので、ちょっと時間がかかってる。

 叔父ちゃんは気長に付き合ってくれてるけど。

 たぶん叔父ちゃんだけならすぐに出来ちゃうんだろうな。


(いいんだよ。解析を使わないで自分だけで理解する訓練にもなる)

(お、いいこと言うな。弟さまよ)

(実際これでオレたちの血肉になるからね。設計図も徐々にわかりかけてる感じだし)

(あ、それは思う)


 軽い口調で答えたが、あえて人類の深奥の廻りで自重する弟さまに、オレも倣って踏みこまなかった。そうでないと人類の歩みの重さに、ひとり一人を省みようとして、オレたちの心がきっと潰されてしまうと思ったから──。


「ということでテーブルの上をいったん片づけるぞ。昼飯にしよう」

「「は~い」」


 オレと弟さまは組み上がってる部分を一番最初の箱に入れ、設計図は大箱のうえにとりあえず置くと、部屋の脇に大箱自体をのけて、昼ご飯をのせられるスペースを作った。


「知子叔母ちゃん手伝うよ~」「はこぶぜ運ぶぜ~」


 無理矢理いつものテンションに戻して、そうして知子叔母ちゃんとお母さんの合作お昼をテーブルに運ぶ。

 だが運んだのがよかった。

 オレたちは準備された料理に目を奪われる。

 今日はナポリタンとポテトサラダとミネストローネだった。その料理の色合いに食欲が刺激され、重いところに囚われそうになった心が一気に広がった。


「ようし、食べるぞ~」

 叔父ちゃんの合図にみんなの声が重なった。

「「「「いただきます」」」」


 と同時に、オレも弟さまも箸が止めることなく、ひたすら料理に向かった。それはもう存分に堪能した。これぞまさに健康な幼稚園児と言わんばかりの勢いだ。

 おかげで人心地がつきました。


「「ごちそうさまでした」」


 いろんな意味で助かりました。お腹も、心も。


「どうだった?」

「大変おいしゅうございました」「ホッとした」

「そうですかそうですか」


 知子叔母ちゃんがご機嫌になった。

 何かアレだな。

 知子叔母ちゃんは知子叔母ちゃんで、オレたちに料理を出すのに緊張があったみたいだな。うちのお母さんも主婦歴では知子叔母ちゃんより長いし、うちのお父さんはお友達の知美ちゃんに職業間違えてると言われるぐらいに料理がうまい。

 その基準で自分の腕を判断されたらどうなっちゃうんだろうと、オレたちを迎えるにあたって結構心配だったのかもしれない。

 それらを踏まえた上でメニュー構成を考えてみると、知子叔母ちゃんが子供が喜びそうなメニューを考えて、出してくれたことがわかる。味の濃いナポリタンに鉄板のポテトサラダ。これを出したら外すことはないだろうと考えられたメニューだ。

 でもオレが特に美味しかったのはミネストローネだった。うちでは普段はトマトとベーコンと玉ねぎとにんじんを入れてるのだが、知子叔母ちゃんのミネストローネには、そこにセロリを足していた。

 そしてそのセロリを入れることで、普段オレたちが家で食べてるミネストローネの味よりも味がまろやかになって、意外にも食材同士の味もよく馴染むことがわかった。本体のセロリだけなら苦くて全く食べたいとは思わない食材なのだけれど、ミネストローネにはセロリが入った方が味がまとまって美味しくなることを知った。

 これもまた叡知だな。

 なぜこういう反応が起きるのだろうか。苦いのを入れたのに。料理の奥は深い。


「知子叔母ちゃん」

「はい」

「特にミネストローネが美味しかったよ」

「あらそう」

「うちのにはないセロリが入ってたんだよね。でもうちのより味がまとまってて深みがあった」

「おーおー、生意気な舌をお持ちだね、うちの腕白は」


 やべ。お母さんの琴線を刺激してしまったらしい。


「そんな真司には今晩セロリ祭りを開催してやる」

「え? いいよ。いらないよ。のーさんきゅだよ」

「開催してやるんだからっ」

 と言ってお母さんが泣く真似をした。

「あ、そうだ。知子叔母ちゃん。オレ、知子叔母ちゃんの他の汁物も食べてみたい」

「あ、それ、オレも食べたい」

 弟さまも参戦した。

 鳴き真似をやめたお母さんの目がキランと光った。どうやら弟さまもセロリ祭りに参戦が決定したらしい。いえ~い。

「そう言われても、残り物のお味噌汁とかでもいいかしら?」

「あ、それでお願いします」「いただきます」

「じゃ、ちょっと待っててね」

 と知子叔母ちゃんがいそいそと台所に向かう。



「真司、寛司」

「なぁに、婆ちゃん」

「実はうちでもセロリは入れてたんだよ。ただアンタらが嫌いだろうから、初江さんはアンタらのために抜いてあげてたんだからね」

「「え? そうなの? お母さん」」

「アンタら、あたしの言葉を疑うのかい」

「あ、いえいえ。疑ってないよ」「ちっとも疑ってないよ」

 あははは、と叔父ちゃんが笑った。

「真司、寛司、それは本当だぞ。兄貴がミネストローネにはいつもセロリを入れてる。それ以前は最上家にミネストローネなんて食事は存在しなかったからな。ミネストローネを最上家に導入したのは兄貴なんだよ」

「へえ~」「知らなかった」

「「じゃあやっぱりそうなんだ」」


 婆ちゃんがちょっと不満そうな顔をしたが、お母さんが名誉挽回されて機嫌がよくなったので、オレたちにそれ以上の追求はしてこなかった。

 これでセロリ祭りを回避できてたらいいのだが。恐くてそれ以上は踏み込めない。虎の尾を踏みに行くのはバカのやることだ。うん。


「で、哲也、アンタの方はどうなんだい。順調なのかい」

 婆ちゃんが今度は叔父ちゃんに尋ねてた。

 叔父ちゃんも食べ終えたばかりで楽をしたいのか、グテッと壁によりかかりながら、

「最近は自動車業界も新興のメーカーが意気盛んに世界に名乗りを挙げてるからね。老舗の自動車メーカーとしてはなかなかに大変な時期に入ったと思うよ」

 と、だらけきって言った。

「潰れたりはしないだろうね」

 婆ちゃんのその気持はわかる。わかるが黙ってた。叔父ちゃんは今日は叔父ちゃん師匠なのだ。

「それは大丈夫でしょ。うちだって頑張ってる」

「とは言っても、アンタはまだぺーぺーだからねぇ。情報の分析はうちの人か宗也の方が、それこそ数段上だろうしねぇ。財務状況とか知ってるのかい?」

「それを言われるとそうなんだが、世の中の流れはちゃんと見てる」

「どうだか。あんたは工作ばっかりに熱を上げたからねぇ」

「新しい技術への模索はしてる。燃料電池の改良とか、走行距離を伸ばすための実験だとか、そりゃもう地道にこつこつ一つずつ潰して確認してるよ」


 オレは気になったので訊いてみた。

「それってさ、老舗が変わろうとしてるんだよね」

 それに対して婆ちゃんが懐疑的に、どうだかねと言った。

「ガソリン車が何だかんだ言っても主流でしょ。米山さんともこないだ話したけど、産油国の経済制裁でまたガソリンが上がりそうだから、アメリカではまた採算ラインに到達しそうだからシェールガスが息を吹き返しそうだとか目を配ってたよ」

「お母さん、それ、米山さん本人から直接聞いたのかい?」

「そうだよ」

「すげーな、お母さん。あの人が言ってたってことは、業界をそう動かす気でいるってことだろうな。石油業界がそう動くか……」


「叔父ちゃん?」


「ああ、すまんすまん。何気にお母さんが物凄い爆弾を投下してくれたんでな」

「米山のお婆ちゃんって、こないだ言ってた物凄いお婆ちゃんのことでしょ」

「そうだ。お母さんが話を聞いた創業祭から一週間経ったから、その動きが表面化するのはあと一週間ぐらいかなぁ。

 油は自動車業界とは切っても切れない関係だからね。シェールガスをちらつかされて産油国も思い切った値上げは出来ないだろうし、それでもしばらくはハイブリッドの方にお客さんの目も向くだろうし……」

 弟さまが首をかしげた。

「何で叔父ちゃんがそんなこと気にするの? 叔父ちゃんはエンジニアでしょ」

「寛司のお父さんは株式市場を見てるが、料理の世界は見ていないか? 銀行の動きとか、政治の動きとか、商社の動きとかは」

「あ、もうわかった。おっけ~」

「つまりはそういうことだ。表に出てない情報で、その確度が高いならば、俺だって会社に報告するよ。そうすることで工場の体勢を注文前に動かすことが出来れば、それだけ同業他社に先んじれるからね」

 寛司が、ふむと頷いた。

「やっぱりそういうのって、兄さまが言ってたみたいに、老舗も変わろうとしてるんだなってしか思えないんだけど」

「寛司もそう思うか」

「うん」

「しかしちがうな。叔父ちゃんの見解はな」


「「え?」」

 弟さまがビックリしたが、オレもビックリした。


 しかしさすがは叔父ちゃん。これだけ言っても意見を変えない。そして大人の意見は物の見方が多角だからとっても参考になる。

 オレは脇にのけてる作りかけの一分計に目をやった。

 特にこんな物を作れてしまう叔父ちゃんは、嵌めようとして上手く行かなかった時にどこが悪いのかもピタリと当ててしまってた。オレにはその洞察力はない。解析かければ出来るけど。それでも叔父ちゃんのスピードの方が早い。そしてそれは、社会の目に対しても同じことが言えるだろうと思うのだ。


「どんな見解なの?」「おしえて教えて」

「それはな、変わろうとしてんじゃないんだよ。文明を進めようとしてるのさ」

「「文明を?」」


 話が大きいぞ、叔父ちゃん。まあ世界に車を売ろうとしてる叔父ちゃんだ。物の見方のスパンがでっかいのも仕方ない。それを教えてもらえるだけでも見識が広がるという物だ。


(ラッキーだよね)

(そうだな。環境に恵まれてるな)


「例えばフランスにとある電気会社が生まれた」

「知ってる」「すごい安いんだよね」


 生まれたばかりの頃、ゼロ歳児でろくに動けずに退屈だったが、そのフランスの会社のニュースはよく耳にしていた。当時は、すごいな~と刺激をもらったりしたもんだ。


「そのジゼル電気という会社は、一代でヨーロッパをあっという間に席巻した。文明を一気に押し進めたと言ってもいい。それぐらい革新的なことをした」

「どんなどんな?」「具体的には?」

「具体的か。そうだな。まず光が優しいと言っている」

「へえ」「よくわからんな」

「海外のオーディオマニアがオーディオの音が良くなってるとも言っている」

「うん?」「電気で音が変わるのか?」

「実際にフランス出張した奴から聞いた話では、光自体に何とも言えない(ぬく)みを感じるそうだ。もちろん明るさはこれまでと同じなのだが、光から受ける印象が本当に違うそうだ。そして電気代が安い。半額、あるいは三分の一まで抑えられてると言うから、そのコスト効率は驚嘆に値する」

「コスト効率?」「難しいぞ」

「ははは。例えばこないだ百円やったな」

「うん」「あの時はありがとー」

「その百円で買いたい物があった時、その買いたい物の価値が三分の一だったらどうなる」

「あ」「三つ買える」

「そういうことだ。どっちが嬉しい? 一つしか買えないのと、三つ買えるのと」

「「三つ」」

「そういうことをしてるってことだ」

「うわぁ」「すごいね、ジゼル電気」

 オレたちが歓声を上げると、婆ちゃんが言った。

「でも哲也よ。わたしにゃその原理がよくわからないんだけどね。人工衛星がどうたらこうたらってのは、うちの人からも聞いたけどさ」

「俺も詳しいことはわからない。おそらくこの部分はジゼル電気の秘中の秘だろうからね。でも一般に公開されてる情報は、それを聞いただけでも物凄い技術だというのがわかる」

「どんなの」「おしえて教えて」

「太陽光からエネルギーをもらって、それを弾丸のように地表に向かって照射する。それはつまり、一瞬で電力に何らかの処理をしてると言うことだ。一発の弾丸のようなエネルギーの塊で、それでどうやってあれだけの電気化をしてるのか」

「わからなくて当然ってことかい」

「お母さんこそ米山さんから何か聞いてないかい?」

「まったく」

 婆ちゃんが首を振った。

「やっぱ言わないか。油業界は特に敏感になってもおかしくない話だからなぁ。

 うちの会社でもジゼル電気に技術提携を申し入れてるけれども、色よい返事はもらえないんだよなぁ」


 哲也は思う。

 あれがうちの会社に導入できたら、電気自動車の概念が変わる。一瞬のチャージでフランス全土や、スイスの一部、その他周辺国の一部の電力のすべてを賄ってしまうのだ。

 車一台程度の電力など、コンセントを差し込んだ瞬間に終わってしまうはず。しかも一瞬で送電が済むということは、どこかで蓄電してるはずなのだ。

 その蓄電の仕組みがどうなっているのか、どんなブレイクスルーで成し遂げたのか、技術者の端くれとして非情に興味深い。


「叔父ちゃん、それ言っちゃいけない(たぐい)のボヤキだろ」

「ん? おまえらにぼやいても問題ないだろ。身内の、ただの幼稚園児だろ」

「まあ、そうだけどさ」

「それに、日本中の企業がいろいろと接触を図ってるはずだぞ。こんなのはどこにでも転がってる話さ」

「そういえば爺ちゃんも浅野の小父さんと話してたな」

「お、また悪巧みか。俺が実家に住んでた頃もたまに来ては相談してたな。今も変わらずか」

「うん。なんだかんだで毎週来てるよ」

「ふ~ん、そうか。社会人になると恐ろしくて聞けんな。学生の頃は当たり前の日常だったから平気で適当なこと言ってたけど」

「あれはあれでいいんだよ。若者の意見をおまえから探ってたんだから」

「ん? 世間話しかしてなかったぞ」

「お前の理解とか、目を付けてるところとか、周りの反応がどうだったかとか、十分向こうは把握してただろうよ。うちの人が、いや、爺ちゃんがいつもアチャーって顔してたの気づいてたかい?」

「ウソ。マジかよ」

「宗也はそつなくこなしてたがね。時々逆に情報を引き出したりして。何に得た情報を使ったのかは知らんけど」

「あ。兄貴は想像がつくな」

「口に出しちゃいけないよ。身内なんだから」

「言わない言わない。何で今の職業が証券会社なのかだなんて、ちっともおもわないよ。つながらないしね」

「いえーい。叔父ちゃん棒だぜ」「そうか、そうだったのか。お父さんもワルだな」


 するとそこへ知子叔母ちゃんがやってきた。

「宴もたけなわみたいだけど、真司くん、寛司くん、リクエストのお味噌汁持って来たわよ~。どうぞ」


 おおっ。待ってましたっ。


 早速朝の残りだというお味噌汁をいただいた。

 ズズッとひと口すする。

 鼻腔の奥にこれでもかとキノコ系の香りが広がった。


「何だこれは」「すごいね」


 衝撃だった。


「こんなにも薫り立つ味噌汁がこの世にあったのか」

「しかもこのキノコ、噛み応えもいいよね。そのうえ噛んだらまた香りが広がるし」


 オレと弟さまが揃って知子叔母ちゃんを見た。


「「これは何ていうお味噌汁ですか?」」

「何だと思う?」


「わからない」「前に爺ちゃんがもらってきた松茸の味噌汁よりうまいよね」


 オレは弟さまにうんと頷いた。

 うちでも食べたことのないキノコだ。袋茸とか椎茸とか、そういう物とも違う。香りの次元が数段上だ。


「知子さん。真司と寛司にはわからないよ。うちの人がシメジ派だから、舞茸は滅多にというか、絶対食卓に並ばないんだよ」


「な、なんだって~~っ」

 オレは本当にビックリした。いや舞茸という名前にではない。こんなうまい物を爺ちゃんの嗜好のせいで今まで食べられなかったのか。その一事だ。


 ていうか、爺ちゃんの舌はバカなのか?

 こんなうまい物なのに。


 そしてオレは、この世にシメジ派と舞茸派の熾烈な争いがあることを知った。

 そう、熾烈なのである。なにしろ舞茸は、爺ちゃんに敵対する野党議員の選挙地盤の特産品だったのだ。つまり我が家が舞茸を一パック買う度に、うちのお金が敵に流れると言うことなのである。爺ちゃんは利敵行為は絶対にしない。その爺ちゃんの強い信念があるから、今後もどれだけ美味しかろうと我が家の食卓に舞茸が並ぶことはないのだ。そのことがわかった。わかってしまった。

 わかってしまいたくなかったけど、わかってしまった。

 しかしなるほど。それならば仕方ない。爺ちゃんの敵はオレの敵だ。ならば──。


「知子叔母ちゃん。うちでは食べることが叶わないみたいだから、今度から遊びに来たら舞茸のお味噌汁食べさせて下さい」

 オレは頭を下げた。すると隣で弟さまもつづいた。

「神奈川県産でお願いします」

 お、弟さまは楽だな。それだけで済ますとは、うまいことやりやがって。


「いや、別に新潟産とか」

「新潟は野党が強いよ、叔父ちゃん」

 浅野の小父さんの話を聞いてるからオレでも知ってるぞ。

「なら静岡産とか」

「静岡は聞かないから与党系かな? じゃあ知子叔母ちゃん」

「いや真司、そうじゃなくてだな、自分の家でも静岡産なら食べてもいいじゃないか」

「おおっ」「叔父ちゃん天才かよっ」

 そんな方法があるとは思いもしなかった。確かに爺ちゃんの敵でなくて、味方から購入すれば、味方の懐も潤う、オレの食欲も満たされる、なんという好循環になるんだって話だ。

 これだ。これしかない。


「あ、無理だね。もう舞茸に過敏になってるから」

「マジかよ、お父さん、そんなに酷いことされてんだ」

「審議拒否とか議長の解任動議とか、あれはかな~り頭に来てるね」

「げ、知らなかった」

「だからまあ真司、寛司。宗也にこそっとお願いしなさい。爺ちゃんに見つからないように。宗也専用の冷蔵庫に入れておけば見つからないだろうし」

「コンドル婆ちゃん」「コンドルこんどる、コンドルしていいよっ」

 素晴らしいアイデアだった。

 婆ちゃんも両手にオレたちを抱き、満足そうだ。これぞウィンウィンの関係である。

 舞茸の確保は、これで可能となったのだ。万歳っ。


「よーし、元気も出たな。それじゃ一気に作り上げちまうぞ。本来なら部品を組み上げるだけでいいんだから、あっという間に出来ちまうんだからな」

「いやいやいや。それは違うよ叔父ちゃん」

「ん? どこがだ?」

「手を動かせば確かにすぐ出来るよ。でも理解しようと努めたら、集中力を出して為そうとしたら、それはもうたったこれだけの大きさだけど尋常じゃないほど時間かかるでしょ」

「疲れるしね」

「どこがだ」


 オレは弟さまがこっちを見てることに気づいた。てかオレから行けってかよ。

「じゃあまあ、考えるところ、かな。疲れちゃうのは」

「脳とも言い切れないよな。身体全体が疲れるし」

「てかさ、人類がこの時計の機構をここまで練り上げるのに、どれだけの時間がかかったかって話なんだよね。それを一瞬で理解して作り上げろって言われても、オレにも人類が費やした分の時間をくれって言いたくなるんだけど、叔父ちゃん」

 言われてみれば、そりゃそうだと婆ちゃんが脇で頷いた。

「まあオレも兄さま同様、設計図は何となくで読んでるだけだしな。何もない状態からはそりゃ時間かかるよ」

「あれだな、叔父ちゃんが部下を持ってこんなこと言い出したら、叔父ちゃんブラック上司になっちゃうよな」

「そうだね。見ただけで出来ろと言うなら、叔父ちゃんはその人のことを自分以上の天才だって扱いしてるよね。上司のくせに」

「うわぁ。おまえら爺ちゃんに鍛えられてるな。相変わらず相談も多いのか、お父さんは?」

「しょっちゅうお客さんは来てるよね」

「枡屋にもね」


「なるほど。それを聞いて育って来たわけか。困ったもんだ」

「困ってないよ」「うん、まったく」

「ははは。わかったわかった。幼児は全身でぶつかるもんだからな。何となくお前らが言わんとしてることはわかる。ブラック上司は笑ってしまったが。

 だがな、組み上げは、本来一気にやった方が仕上がりが美しくなるんだぞ。

 何故かは知らないけれどな」

「そうなの」「経験則?」

「そうだ。お前らも物作りを繰り返すと、今後幾度となく体験するよ」

「マジかよ」「じゃあやってみるか」


 ブロックに分かれてる各台座にそれぞれの歯車を嵌める。


 一分計の一番上に付けるスイッチも構造の内部へと中に軸を通し、そこから軸受けに斜めになった歯車を留める。

 設計図にはこの部分の名称が、竜頭(りゅうず)と書かれている。難しい言葉だ。でもこの竜頭を回すことによって、ここから一番車に動力を伝えるのだ。


 午前中に組み上げてたガンキ車とアンクルのブロックをセットすると、一分計の右下部分に収まった。


「これ、真ん中に置かないの?」

「重量配分と修理のしやすさを考えるとな。その位置に来るのがベストだと思ってな」

「ブロックがガッチリ隠してないんだけど」

「そうだよね。他の歯車は見えないのに、ここ、心臓部なのに丸見えだよ」

「一番車と二番車は見えるだろう。そこは一番車の伝達を二番車でゼンマイを巻くために、裏蓋をとったときに確認しやすいよう、構造の内側じゃなく、外側に付いてるんだぞ」

「あ、本当だ。台座を留めるネジが他のブロックとは逆側に付いてる。こっちが裏側だったんだ」

「なるほど。時計の機構ばかり見ていた。

 そうか。固定する方向も、このネジひとつで表にも裏にも、自在に場所を変えられてたのか」


 弟さまが設計図を見る。


「すごいね。このネジの置き方ひとつで、叔父ちゃんが注いだ叡知(えいち)がわかる」

「本当かよ。大袈裟だな」

 叔父ちゃんが照れたが、まんざらでもないようだ。知恵をしぼったのは間違いないのだろう。


 オレも慌てて弟さまの後を追って設計図で確かめる。

 そしてそういった目で見て、初めて気づいた。

 何の気なしに設計図を読んでると、すべて表に思えてくるが、実は設計図で説明されてるそれが、ネジの配置で確認すると裏側の説明だったとか、目から鱗だった。オレは気づかなかった。


「本当にすごいな。こんな小さな一分計に、これだけの工夫が隠されてたのか…………」

「しかもそこは裏蓋を閉めたら見えないんだぜ? 兄さま」


 そうなのだ。表の蓋ではないのだ。裏の蓋を閉めたら見えなくなるのだ。ただでさえ見ない裏側の部分だ。その裏側部分の蓋を閉めたら、そこはもう完全に見えなくなってしまうではないか。

 見えない場所の見えないところから、オレたちが見えるところにある針を動かして行くのだ。

 この練り上げられた機構が、人の目に付くことはないのにだ。


「…………」「…………」


 オレも、弟さまも、言葉もない。

 そんな裏の裏という場所に、これだけの叡知を注いでいるのに、それを秘奥に隠してしまうエンジニアの恐ろしさを感じた。


 軽い気持で頼んでしまったが、腕時計じゃないのかとも思ったこともあったが、今は物凄い物をいただいてしまった気分だ。


 オレたちが動かないから叔父ちゃんが(ごう)を煮やしたようだ。

「修理をする時のことを考えたと言っただろう」

「「言ってた」」

「だからそこには構造材を置かないようにしたんだ。()えてなんだぞ、あえて」

「なんか、叔父ちゃん誤解してるようだ」

「そうだね」

「ん? 俺が?」

「そう」

「オレも兄さまも感動してたんだよ。設計図でこんなことも表現してたのかと」

「そうそう。見えないところなのに、そこにぎっしり詰め込まれた知恵の結晶に感動してたのに」

「そ、そうか。感動してたのか」

「そうだよ。それなのにがっかりだよ。怒られるなんて」

「本当だよな。台無しだよな。オレたちの感動を返してくれって言いたいよ」

「言ってるじゃねーか」

「と言うわけで兄さま」

「応」


「「叔父ちゃん師匠ありがとー」」


 知子叔母ちゃんと婆ちゃんがぷっと吹き出した。

 ごめんよ、こんな双子で。

 悪気はないんだ。ないんだけど、江戸っ子なんでね。口が悪いのは堪忍してつかぁさい。


「お、おう。しかしなんだか煙に巻かれた気もするな」

「子供はあっちこっちに興味が移るんだよ。お前も大概だったじゃないか。そこら中に部品を置いて、それに触るな。動かしたらわからなくなるとか」

「え? 叔父ちゃんそんな子供だったの」

「まったく。親をつかまえて命令するんだからね」

「いや、命令なんか」

「だから私も爺ちゃんもうんざりして来てね。工場に哲也専用の工房を作ってそこに閉じ込めたんだよ。作業は全部ここでやれって」

「うわぁ」

「あの秘密基地に、そんな秘密が…………」


 何というか、人に歴史ありですな。


「よっしわかった。お前らも設計図を見ろ。まだもう一つの問いに答えてないだろうが。それとももう俺の言ったこと、わかったのか?」

「あ、そういえばもう一つあったな」「隠してないブロックの秘密か」


 そうなのだ。上の方は各構造材がピタッとつながって、歯車を隠してしまうのだが、なぜかガンキ車とアンクルのブロックは、裏から丸見えなのだ。


「設計ミス、じゃないよね」

「失敬な」

 叔父ちゃんが鼻でふふんと笑った。

 クソ。絶対解き明かしてやるんだからっ。


「でも見えないところに力を入れろって感じなのに、この部分だけ設計思想が違うのって、違和感なくないか」

「そうだね。兄さまの言う通りだ。てことはその逆を考えればいいのかな?」

「だね。叔父ちゃんの性格を考慮して」

「おいおい。お前ら三歳だろうが。俺は二十五歳だぞ」

「ふふん。見抜けるわけがないと思ったかね、叔父ちゃん」

「弟さまの言う通りだ。見抜けないわけがないんだな」


 ちなみに弟さまが、ふふん、をやり返している。結構負けず嫌いなのね。やりたかっただけなのかも知れないけれど。

 弟さまが設計図を食い入るように眺める。


(あ、てっきり(もん)をかけるのかと思った)

(しないよ。したら叔父ちゃんに負けたことになるじゃん)

(そうか。じゃあもうちょっと黙っとく)

(え? わかったの? 兄さま)

(何となくな。婆ちゃんが話してたあの話を聞いてな。思い当たるところがあった)

(マジかよ。そういうところ兄さま得意だよな)

(得意でもないさ。オレがわかるんだからお前にもわかる。それが普通)


 弟さまが、ふうっと息を吐いた。

 落ち着いたようだ。食い入るようにではなく、今度はひとつ一つを潰して行くように設計図を眺めやる。


 さあ気づけ。

 ガッチリと、動きを固定した物の中に、ひとつだけ動く物がある。

 それは違和感ではなく、設計思想そのものにのっとった物だとオレは思う。むしろ設計思想の異物ではなく、設計思想の根幹だと思ってもいい。

 道具とは使う物だ。

 使っていけばどうなるのか。


「あ、修理か」

 弟さまが膝を()った。

「そうか。ゼンマイからの動力をもろに伝えるここが、心臓なんだもんな。ここが一番壊れやすいのか」

「そうだ」

 叔父ちゃんが頷いた。

「だからブロックを丸ごと取り外しやすいように、こう、隙間を空けてるわけか」

「正解」


 寛司がパアッと笑った。


「なるほどね。それで取り外ししやすいように、一分計の右下の部分に組み込まれてるわけか」

「お前たちは右利きみたいだからな」

「すげーな叔父ちゃん」「さすが自動車会社のエンジニア」


「はい」

 お母さんが手を挙げた。

「何で歯車がふたつ、裏側についてるのでしょう」

「確認するためって叔父ちゃん言ってたじゃん」

「あ」

「何、弟さま」

「確認するだけじゃない。不具合が起きた時に見極めるために、そのための調整も兼ねてるんだ」

「ん?」

「一番車と二番車が問題なければ、次は三番四番とすぐに故障箇所がわかる。それと動力の伝達の肝の部分だから、間に構造材を挟むことで、歪んでもその影響力が全体に及ばないようにしてるんだ」

「あ、なるほど、ねぇ」

 とオレは叔父ちゃんをチラリと見る。


 本当にそんなことを考えていたの?


 叔父ちゃんが手をパンパンと叩いた。

「よしわかったなら先に進めるぞ。ブロック(ごと)にとっとと組み上げるんだ」

「「は~い」」


 オレは不遜な考えを捨てて、叔父ちゃん師匠を信じることにした。確かに効果としては、弟さまの言った通りのことが考えられるからだ。

 疑ってごめんなさい、叔父ちゃん師匠。


 とっとと作りましょうか。この叡知の塊である、渾身の一分計を。


 オレは箱から次に取りかかるべきブロックの一式を取り出した。




 叔父ちゃんちのリビングは、オレたちの作業する静かな音だけが時折聞こえていた。家族の暖かい視線がオレたちを見守っている。そんな中、オレと弟さまは交互にブロックに取り付ける歯車を台座に固定していた。


「ふうっ」


 オレは息を吐いて心を落ち着けてから、一番車を嵌めて裏からネジで留めた。このネジがまたぴったりと嵌ってくので、とても気持がいい。

「兄さま、オレにもマイナスドライバー貸して」

「悪いわるい」

 すぐに弟さまに工具を渡す。

 この歯車を止める工具に関しては、小さいので叔父ちゃんも一つしか持っていないのだ。いわゆる専用工具というやつだ。

 いい響きだ。専用工具。プロフェッショナルになった気分だ。三歳児だけど。


 そうして出来上がった各ブロックを組み込んで行き、ネジで留める。


「あ」

 弟さまが声を出した。何かと思ってそちらを見ると、

「組み込む最後の土台のところに名前が彫ってある」

 と言った。

 オレも慌てて見てみた。

「オレのにも真司って書いてあるぞ」「うん。こっちは寛司って書いてある」


 オレたちは顔を見合わせた。


「「おおおおおっ」」

 オレたちはそこまで組み上がった一分計を、天高くかざす。窓から差しこむ陽光に、キラリとオレたちの名前が輝いた。


「すごいだろ。専用兵器だ、お前たちの」

「真司専用一分計」「寛司専用一分計」


 オレたちは感極まって専用一分計とこぼしたが、叔父ちゃんは今なんつった。

 兵器? 道具じゃないのか? イヤ、男の子にとっては兵器か。三倍の速さでは動かないがな、動いたら困ると、叔父ちゃんがハッハッハと殿様笑いをしてるが、そこはどうでもいい。

 やばい。にやけてくるのが止められない。


 オレと弟さまは顔を見合わせて頷いた。

「「さあ、仕上げようぜ」」


 裏蓋を嵌めて完成だ。

 オレたちは最後に残っていた行程、裏蓋をしっかり一分計に嵌めこんだ。

 引きがすごい。ピタッと収まって物凄い精度で加工されてるのがよくわかる。

 メタリックに光る銀色のボディ。文字盤に刻まれた十分の一秒の線。一秒の線、十秒の線。長さだけで「時」を表現してしまうなんという機能美。

 これが生まれて初めて作ったオレたちの一分計。

 オレたちの専用兵器。


「なに身体をぐにゃぐにゃさせてんだ」

「いや嬉しくて」「物凄くて」

「それがお前らの表現か。もっと喜べ。うちのエースに見せんだから」


「ありがとー」「見てる~? 出来たよ~」「「いえ~~い」」


 オレたちはビデオカメラに向かって一分計をかざした。

 そして叔父ちゃん師匠が姿勢を正した。

 オレたちも居住まいを正してビシッと立つ。


「よし、ちゃんと動くか動作確認だ」

「「はいっ」」

「ネジを巻けーーっ」

「「はいっ」」


 やばい。ネジを巻く感触が心地いい。巻き上げられてく感触が、竜頭(りゅうず)を通して(じか)に伝わってくる。

 これを組み上げたオレには、この一巻きでどれぐらいゼンマイが巻かれてるのかが指先の感覚以上にわかる。中の機構のうごきが脳裏に浮かぶのだ。


「わかる」「わかるね」


「よーし、構えーーっ」


 オレと弟さまは、竜頭に親指を乗せ、息を飲む家族みんなに一分計をかざして見せた。

 婆ちゃんの喉仏がゴクリと動き、お母さんは期待の目で文字盤に釘付けとなり、知子叔母ちゃんは義雄くんを抱っこしながら、お兄ちゃん達が作った時計が動きますよぉと説明してあげている。

 義雄くんは、うん、まだわかってない。うーあーと雄叫びを上げている。


「スタートっ」


 叔父ちゃんの合図と同時にオレたちは竜頭を押し込んだ。

 この感触がたまらない。カチッと押し込むその嵌った感触、何て気持のいい感触なんだろう。

 そしてオレたちの耳にカチカチカチカチと物凄い速度でうごいてる秒針計の針の音が届いてきた。


「この機械音、最高っ」「すごっ。こんなに速く動くんだ」

「てか動いてるよ、あんた達。見て見なさい」


 婆ちゃんに言われて自分たちも一分計を覗いてみた。

 おおっ。マジで動いてる。


「すごいすごい~」「売ってる時計みたいでちゅね~」

 お母さんと知子叔母ちゃんも喜んでくれている。


「いやはや、どうなることかと思ったが、真司、寛司、よくやった。完成だ」

「うす」「叔父ちゃん師匠、どうもありがと~」


「いやはやはこっちの台詞だよ。まったく。ようやく苦労してアンタを育てた甲斐があったってもんだよ」

「なんだよお母さん、今言う台詞か、それ」


 知子叔母ちゃんが席を立って義雄くんをベビーベッドに戻し、お茶を用意しに台所の方に向かった。

 お母さんが知子叔母ちゃんを追いかけて席を立つのを眺めながら、

「あ」

 とオレも思い出した。

「叔父ちゃんも後で言うかって、後に回した話あったよね」

「ん? 言ったか、そんなこと?」

「ほら、爺ちゃんが時代劇を見るって話して、オレたちに時代劇面白いかって訊いて来たじゃない」

 ああっ、と弟さまも思い出した。

「兄さまとオレが時代劇好きって答えたら、俺とは違うんだなって叔父ちゃん言ってたな。でもって、この話は後にするかって……」

「ああ~、言ったな~。よく覚えてたな」

「これも今言う話じゃないの?」

「いや。そんなことはないな。あの時言おうとしてたのは俺の原点の話だ。この完成した一分計が真司と寛司の原点になったわけだから、今言うのがいいかもな」

「原点?」

「物作りの切っ掛けってこと?」

「そうだ寛司」


 叔父ちゃんがゴホンと咳払いをした。


「俺が子供の頃、その頃も爺ちゃんは時代劇が好きだったが、俺はちがうテレビ番組が好きだった」

「ふむふむ」「うんうん」

「時々夕方の再放送で、爺ちゃんの黄門様と俺の見たい再放送アニメがバッティングしたが、チャンネルをかけて戦い、いつも戦いに負けて、それでもゆずってくれとお願いしたら、爺ちゃんに『ならば』とお手伝いの時間を課されたもんだ」

「げ? 条件付き?」「マジ?」

「そうだ。レコーダーのハードディスクに録画すればいいのだが、俺は録画する方法をその頃知らなかった」

「叔父ちゃん機械好きなのに」「意外だ」

「物作りの切っ掛けの話だと言ったろう。この時の俺は、まだ何も知らない青二才だったのさ」

「なるほど」「それで?」

「その日はそのアニメの最終回の日だった。とあるスーパーロボットが、最終回と書いてあるのに放送を見てると、最終回なのにどんどんボコボコにやられてくんだ。

 腕がもげ、足が取れ、どう考えても挽回は不可能だった。そして挽回は出来なかった」

「じゃあそのアニメでは地球は侵略されちゃったんだね」

「うわぁ、見たくねー、そんな結末」

「ちがうぞ、真司、寛司。そのスーパーロボットはやられたが、新しいスーパーロボットがやって来た。そしてその新しいのが敵をやっつけた」

「なんだ」「なら問題ないじゃん」

「ちがうな」

「「何が」」

「オレが応援してたのは最初のスーパーロボットなんだよ。新しいのがいきなり出て来ても思い入れも何もないから、正直どうでもよかった。問題は最初のスーパーロボットだ」

「やられちゃった方ね」「ボコボコの方? なんで?」

「オレは応援してたスーパーロボットがやられたからって、別の強い方に尻尾を振るような尻軽(しりがる)じゃなかった。だから俺は最終回でボコボコにされるそのスーパーロボットに涙を流しながら、必ず俺が直してやると心に誓い、魂に刻んだ。

 俺が工学を一生懸命勉強したのはそれからだ」


 熱弁を終えた叔父ちゃんを、婆ちゃんが生暖かい目で見てた。何を思ってるのかは知らないけれど、人生を決めた息子の原点を腐さないだけ婆ちゃんは立派だと思った。

 今ではそんな動機で始めた勉強で、日本有数の自動車メーカーのエンジニアだしね。

 そんなふうに婆ちゃんが育てたんだぜ。


「でも叔父ちゃん」

「なんだ寛司」

「スーパーロボットの顛末はわかったけど、運転手は何してたんだ」

「運転手じゃなくて操縦者な」

「それそれ」

「お前たちはどうしたと思う?」

「自爆しようとしたとか?」「スーパーロボットを乗り捨てたとか」


 叔父ちゃんが人差し指を立てて、チッチッ、と手を振った。


「普通ならそう考えるだろう。だがな、彼は、その操縦者は、例え愛機がボロボロでも一歩も引かなかった。どんなに不利でも一歩も引かなかった。彼の後ろには人々がいた。彼が逃げればあっという間にその人々は蹂躙(じゅうりん)されてしまう。

 だから彼は最後まで戦った。動けなくなっても敵を前にしていた」

「あ、それは格好いいね」「オレも。ちょっと見てみたい」

「そうかそうか。今度秘密基地に録画した円盤がとっといてあるから、その時見よう」

「おおっ」「約束だぜ、叔父ちゃん」



「お茶が入りましたよ~」

 知子叔母ちゃんが台所からお盆にお茶セットをのせて持って来た。お母さんがポットを両手で持ってその後ろにいる。

「じゃあ俺は蜜柑(みかん)をもって来るか」

 叔父ちゃんがお母さんと知子叔母ちゃんと入れ替わりに席を立ち、お茶が淹れ終わる頃にいっぱいの蜜柑を果物盆に載せてもどって来、お茶会になった。

 テーブルにはオレと弟さまの本日の成果、一分計が置かれている。

 オレたちはその一分計を眺めてはニヤニヤし、まったりとお茶を喫した。

 お茶がうまい。

 ひと仕事を終えたあとのお茶は格別だ。


「で、あんたらは感想ないのかい?」

「感想?」

「初めて物作りをしたんだろ。ニヤニヤしてないで感想聞かせなさいな」

「そうは言ってもな。嬉しいぐらいしかないんだけど」

「寛司はどうなんだい?」

「オレ? オレも月並みに嬉しいぐらいしか、いや、そうだな。付けてて思ったんだけど、歯車って結構しっとりしてるんだね」

「それは防錆油の中に歯車は漬けといたからだろうね」

「何それなにそれ。何でそんな事したの?」

「オレも知らないな。教えて叔父ちゃん師匠。婆ちゃん、オレの感想も、もう少ししてからね」

 婆ちゃんが言葉をなくし、叔父ちゃんが苦笑いを浮かべて、そこには触れずに言った。

「あのな、歯車ってのはずっと動力を伝達し続ける物だろ」

「「うん」」

「だが歯車が動力を効率よく伝達し続けるためには、歯車の歯面と歯面がしっかり噛み合わないといけない。これはわかるな」

「「はい、叔父ちゃん師匠」」

「だが金属同士がずっと接触してるとキーキー音が鳴ってうるさかったり、金属疲労を起こして壊れたり、いろいろと不具合が起きてしまうわけだ」

「それは困る」「作ってすぐ壊れたらガッカリだよね」

「だろ? だからそういう風にならないように、歯車の歯面に安定した潤滑油膜を形成するために、わざわざ油を付けるんだ。これをしとくと金属同士が接触しないで油膜を通して接触することになる」

「おおっ。それは長持ちしそうだ」「そんなすごい処理をしてたのか」

 オレたちは感動した。機械を作って終わりではなかったのだ。他にもいろいろな叡知が施されてたわけなのだ。

「防錆油ってなに? 油ならなんでもいいの?」

 弟さまが更につっこんで問うと、叔父ちゃんが簡単に答えた。

「植物性のオイルは熱や空気で比較的容易に酸化したり、エステル化するからね。植物性は避けた方がいいかな」

「ん? とにかく、専用の油があるんだね」

「そうだ。何をチョイスするかは、その時の目的による」

「もくてき?」

 今回の件で、叔父ちゃんに目的なんてあったのだろうか。

「叔父ちゃんは好みでやってるんだよね」

「そういうことにしといてくれ」

 叔父ちゃんが質問攻めに苦笑いしてる。的外れだったのかな? でも油のことだしな。まあ、とりあえず──。

「こんなに手間をかけててくれたんだね。まだかなまだかな、遅いなぁとか思っててごめんなさい」

「ごめんね、叔父ちゃん師匠。全く気づいていなかった。こんなにいろいろしてくれてたのを」

「ばか。そこはありがとうと言うとこだろうが」

「「ありがとー」」


 しかしそうか。物同士をうまく馴染ませるためにそんな方法もあるのか。てか防錆油にそんな効能があるのか。

 すごい話を聞いてしまった。


「これでお前らの一分計は、多少の雨に濡れても保つ。もっとも外殻にアルマイト処理はしているんだけどね」


 また知らない言葉が出たが、その効能はだいたい想像がつく。雨に濡れても大丈夫ってことだろう。


「て感じで落ち着いたんだけど、婆ちゃん」

 とオレは婆ちゃんに向いた。

「そうだね。歯車を防錆油に馴染ませるのは大事だってことを知ったよ。粘度を変えたり、目的に合わせて油を選んだり」

「環境下でも変わるってのもわかったね。叔父ちゃんがどれぐらいの種類から、今回の油を選んだのかは知らないけれど、それは米山のお婆ちゃんに詳しく聞いてみることにするよ」

「アンタら、米山さんのこと聞いたのかい?」

「うん、聞いたよ。こないだの創業祭の時に。

 油のことは叔父ちゃんに聞くより米山のお婆ちゃんに聞いた方が、いろんなこと知れそうだからね。そうする」


 叔父ちゃんがハハハと、形無しだって感じの笑いをした。殿様笑いじゃないのね。さっきは偉そうだったのに。

 そうしてオレは弟さまと目を合わせ、頷きあった。


「「こんなところかな。オレたちの感想は」」

「それがアンタらの感想かい」

「「うん」」

「まったく。ただの工作好きじゃないか」


 ぐさっと言われたけれど、全く悪い気はしなかった。むしろ叔父ちゃんが気をよくしてたくらいだ。

 誉め言葉だったんだろうな。

 婆ちゃんから息子への。

 そしてオレたち孫への。


「おまえら、そんなことよりまずは使え。道具は使うから面白いんだ」

「おおっ、そうか」「そうだな、走るか兄さま」

「走ろう」

「叔父ちゃん公園に連れてって」


 こうして一分計を完成させたオレたちは、横浜の公園へとかけっこをしに行った。タイムを計れるようになったことは、今度は十分の一秒を縮めるんだという今後の励みになった。

 それにしても、一分計から聞こえる機械音が格好いい。デジタルより機械式の秒針計の方が、タイムを計ってるって気がする。

 その満足感は、大です。


ふと修正をかけようとしたときに解析機能のボタンを見つけてしまい、読んでる人もいないだろうに押すのか、押してしまうのか、いいのか茶の字、と葛藤し、恐ろしい物にでも触れるように、おそるおそるボタンを押しました。

 結果、想像以上の方に読んでいただけてて驚いてしまいました。百枚越えの時は投稿が遅くなるのに、それでも今日は来てるかと確認に来て頂ける方がいて、いることを知ってしまい、本当に胸が熱くなりました。心当たりのある方、あなたのおかげです。本当に嬉しかったのです。幼稚園編はあと数話で佳境に入ります。がんばります。今回のお話も、ボリュームを楽しんで頂けたなら幸いなのですが。

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