第16話 お友達
爺ちゃんから約束の報酬をもらった。なんと五百円玉だ。
お買い物についていって、家計簿のお財布から幾度となく五百円玉が出てくるのを見たことはあったけれど、こんなにも大きな硬貨を実際に自分の物にしたことはない。
「何という重さだ」
ほれぼれするような重さだった。
硬貨のこういう重いところは大好きだ。オレの物って感じがする。
「重いか、真司」
「うん」
「それが労働の重さだ、真司」
「なるほど。わからん」
「ネリネリしただろう」
「ネリネリはちょびっとね」
「ならばコシコシしただろう」
「うん。それはたくさんやった」
「そこまでしなければ手に入らなかったお金だぞ」
「おおっ。そう言われると労働の重さとやらが、わかる気がするな」
「寛司はどうだ」
「そうだね。あれだけ汗を流してこれだけってのは、労働基準法に照らし合わせてどうなんだろうね。ちょっと調べたくなって来た」
「お、おまえ……」
と、爺ちゃんが魚みたいに口がパクパクなっている。
最低賃金のことが脳裏をよぎってんだろうなぁ、爺ちゃん。
「知ってる、爺ちゃん? 外国では子供に過酷な労働を強いて、お金を全く払わないところもあるんだってさ」
「ど、どこでそんなことを」
「絨毯の見すぎで目が見えなくなっちゃった子供もいるって話だよ」
「…………」
「ああ、オレの目もしょぼしょぼする。身体がだるい。どうなってんだ」
爺ちゃんの時間が止まってしまったので、代わりにオレが答えることにする。
「そりゃ寝起きで顔洗ってないからだろ。飯喰ってないから身体がだるく感じるってのは、弟さまの責任だからな。とっとと顔洗ってリビング行こうぜ。爺ちゃん泣きそうだぞ。あんまり年寄りを虐めるなよ」
「おっけ~」
「じゃあ爺ちゃん、先に下りてるね~」
オレと弟さまは、子供部屋から飛び出して、階下に駆け下りた。
しばらくして──、
「おらぁ」
と爺ちゃんの気合いの入った声が階下にまで聞こえて来た。
ごめんね、爺ちゃん。
お小遣いくれたのに、助けてあげられなくて。
するとお母さんと一緒になって食卓の用意をしてる婆ちゃんが、オレたちに尋ねた。
「あんたたち爺ちゃんに何したの?」
「えっと、お小遣いをもらいましたっ」「労働の対価をもらってましたっ」
婆ちゃんにその成果を見せる。
だが婆ちゃんはその事に関してはひと言も述べずに、オレたちのことをジッと見つめてくる。妙に居心地が悪いぞ、弟さまよ。しかし婆ちゃんはそれ以上問うてこなかった。
ほっとひと息吐く。
不測の事態が起こりはしたが、これで昨日の朝、叔父ちゃんからもらった百円と合わせて、手持ちのお金は六百円となった。大金持ちだ。
「そうかい。なら今度の土曜に横浜に行くんだから、その時のためにそのお金は取っておきなよ」
うお、そう来たか。
迷子になった時のためにワンコインで帰ってこれるよう、そのための保険だったのか。
まさに江戸時代のお小遣いの定義その物。
さすが婆ちゃん、フォローもばっちり、世に聡いぜ。自動販売機という文明の利器を試してみたいと思ってたのだが、そうは行かないようだ。きびし~世界だ。
「それじゃ顔洗ってご飯食べなさい。用意してあるわよ」
「は~い」
と返事してテーブルに目を向けると、そこには鮭と納豆と、アスパラとスクランブルエッグとが用意されていた。
ものすごい量だ。お母さんだけの手作りではない。てか原因は概ね婆ちゃんだ。
これを食べ切るにはなかなか覚悟がいる。
婆ちゃんは生まれたばかりのオレたちに、出ない母乳を飲ませようとしたあの日から、何かとオレたち兄弟に物を食べさせようとする。
それは三歳を過ぎたいま現在もつづき、お腹がいっぱいだと言っても際限がないのだ。
隣で弟さまが肩をすくめた。
「まぁ、オレたちは昨日は大釜でネリネリしたからな。これぐらい食べないとな」
「あらま、大釜で? 本当に?」
婆ちゃんが意外なことを聞いたと驚いていた。
婆ちゃんは店に出てたから知らないのか。
確かに昨日、オレたちは大木のお爺ちゃんから大釜でのネリネリのやり方の指南を受けた。
「うん、やったよ。鍋じゃなくて大釜で」
「あらまぁ、大釜は初めてだったでしょ?」
「うん」「とっても楽しかったよ」
「そうかいそうかい」
婆ちゃんが嬉しそうだった。
「お鍋のネリネリでも大変なのに、あんたたち見込みあるわね~。宗也も哲也も大釜のネリネリは断固として嫌がってたからねー」
すると廊下からお父さんの声がした。
「そんなにこやかに息子を否定しないでくれよ、お母さん」
「あら宗也。起きたの?」
「悪口が聞こえたんでね」
多分ウソだ。爺ちゃんの憤怒の雄叫びが聞こえて、何事かと見に来たのだろう。
そしてその原因がオレたちであることも、見抜かれてる。
「「おはよーお父さん」」
「応。おはよう、真司、寛司」
言われる前に五百円玉を見せた。
その後ろをちょうど爺ちゃんが通りかかる。
「爺ちゃん、ありがとー」
オレは爺ちゃんに言い損ねた感じになってしまったお礼を言った。
「ほら、弟さまよ」
「うん。爺ちゃんありがとう。最低保証賃金には足りないけれど、考えてみたら契約も交わしてなかったし、もらえただけブラック認定はしないでおくよ」
爺ちゃんは、工場へとその姿を消した。
この一事で婆ちゃんを筆頭に、我が家の家族も何がおきたのかを把握した。
「お、おまえなぁ」
お父さんも何が原因か十全にわかったようだ。しかし婆ちゃんが手を振ったので、お父さんも顔を洗いに洗面所に消えてしまった。
(おい、弟さまよ。何考えてるんだ。わざとにしてもやりすぎだろ)
(あ、わかる?)
(当たり前じゃん)
(だいじょぶだよ。これは後で爺ちゃんを歓喜のお祭りに連れてくための仕込みなんだから)
(は? 何だよ、それ。オレにも内緒か)
(悪戯は黙ってやるもんだろ。今しか出来ないことじゃん)
(まぁ小学生とかになったら悪戯は出来ないかな)
(だろ?)
ならいいか、と顔を洗いに行く弟さまと分かれて、オレは席についた。
お父さんも洗面台を寛司にゆずってトイレへと入って行くが、その際に俺にもあの頃あんな知恵があったらなぁという声が洩れ聞こえてきた。
爺ちゃんも気の毒に。
だが今日は急いで食べないといけない。これだけの量だが九時までには食べ終えたいところだ。
今日は憲法記念日で薫風幼稚園がお休みの日なので、グリクラグループから緑川くんと知美ちゃんが我が家に初来訪することになっている。
そこから話が広がって、いつもの真理ちゃんは当然として、赤樫くんと前田くん、それから梅子ちゃんと秋穂ちゃんも来ることになったのだが、寛司と同じイチゴグループの馬場ちゃんはお仕事があったので唯一不参加となったのだが、その話が発覚した際の赤樫くんのガッカリした顔といえば、なかなかの見物だった。
オレとしては折角みんなで集まるなら田中くんにも来てもらいたかったのだが、お父さんのお手伝いがあるらしいので、それは叶わなかった。確かに考えてみたらゴールデンウィークの真っ只中だから、商売をしてるところは猫の手も借りたいというのがあるのだろう。
昨日の我が家がそうだった。
そんなこんなで朝ご飯を食べ終えて工場に出ると、爺ちゃんが一心不乱に仕事に打ち込んでいた。
相当凹んでるようだ。さてさて、弟さまの仕掛けとやらがどんなものなのか、楽しみにしましょうか。ていうか成功させなかったら許さん。
「歯ぁ磨けよー」
忘れてた。お父さんに言われたので洗面台に向かって、歯をしっかりと磨いた。それからお母さんに歯磨きも終わったことと何か手伝うことあるかと尋ねたら、ちょうどそこに真理ちゃんが訪ねて来た。
「おはようございます、小母さん、真司くん」
「はい、おはようございます真理ちゃん。今日も早いね」「おはよう真理ちゃん」
「ちょっと相談したいことがありまして」
「そうだん? 何なに」
「あのね、今日みんなで遊ぶのに、蛍ちゃんも呼んでいい?」
「ん? 蛍ちゃん用事があるんじゃなかったっけ。病院に」
「うん。それが、今日は蛍ちゃんのお父さん、面会謝絶になったらしくて」
ちょうどそこに弟さまが来た。
「おはよう、真理ちゃん。どうしたの」
「おはよう、寛司くん。実はね、蛍ちゃんも遊びに来ていいかってお願いをしに来たの」
弟さまがオレの方を見てきたので結果を聞いてるのだろうと思い、肯いておいた。
「オレももちろん構わないけど、面会謝絶って何? 不穏な言葉が聞こえて来たんだけど」
そしてオレたちは真理ちゃんから蛍ちゃんの事情を聞いた。それまでは単純に蛍ちゃんは家族の都合とだけしか聞いていなかったが、蛍ちゃんちの事情は思った以上に深刻だった。
なんでも蛍ちゃんのお父さんが、ここ数ヶ月で学会に発表されたばかりの新しい病気にかかかっており、その病気は治療法がまだ確立されてないどころか、原因すらわかってないような物なのだ。
これは本当に深刻じゃないか。思わぬのっぴきならない話にオレも寛司も、一緒に聞いていたお母さんも言葉をなくした。
ちなみにその病気の名前は、最初に罹患した人の名前をとってセドリックメロディ病といい、世界でも数例しかない難病なんだそうだ。
病状がわからないが、それは子供にいう話ではないと言うことだろう。だが道理で幼稚園で蛍ちゃんが頻繁に元気でない姿を見せると思った。ふとした時にお父さんのことが気がかりになって暗くなったのだろう。だが沈むのも無理はない。むしろ今まで黙ってよく耐えてきたもんだと思う。
「それは大変だね」
「うん」
真理ちゃんも肯いた。
オレがお母さんにどうにか出来ないかと尋ねようかと思ってお母さんを見やった。だが、それを聞くのは躊躇わせた。お母さんは口元を引き締めて黙りこんでいた。
お母さんが何も言わないということは、お母さんのママ友情報を持ってしてもこの一件は知らなかったということなのだろう。だが子細を聞こうにも、子供に詳細はわからないだろうと判断し、真理ちゃんにそれ以上聞くつもりもないようだった。
この後お母さんはお母さんで動くんだろうな。だからだろうか、ただこの場では、真司、寛司、蛍ちゃんを励ましてあげなさいとオレたちに命じた。
「わかった。元気出してこうぜ、蛍ちゃん。そんな感じで行くよ」「兄さまに同じ」
「じゃあ来てもいいって事で、伝えてもいいかな」
「もちろん。わんちゃんグループからは前田くんと秋穂ちゃんも来るし、全然おっけーでしょ」
オレはチラリと弟さまに視線を送った。それだけでオレと弟さまは、互いの意思を眼で確認した。魂の回廊を開くまでもなかった。
オレたちの思いはひとつ──。
今度こっそり治しに行こう。
ダブルなら解析して治すことまで持ってけるはず。と思う。
ただ原因がわからない難病というのが気にかかる。それと面会謝絶というのも結構ハードルが高い。
だが蛍ちゃんが急遽遊びに来ると言うところから、普段はそれなりに落ち着いていて、時折突然に激しい痛みが襲ってくるような病気なのかも知れない。
「真理ちゃん、お母さん、今日はおうちにいる?」
「ええ。います」
「あ、そういえば二人目を身籠もってるんですものね」
「はい。基本安静にしていて時々身体を動かしてます」
これはお母さん、真理ちゃんの小母さんに話を聞くつもりだな。だが考えてみれば確かに真理ちゃんの小母さんに話を聞くのが一番早いと思える。そもそも真理ちゃんが蛍ちゃんを連れて来てもいいかと尋ねて来たわけだから、真理ちゃんの小母さんなら情報を握ってるだろう。
そして蛍ちゃんちの小母さんも、旦那を病院に連れてくので手一杯で、蛍ちゃんを一人きりにするわけにもいかず、かといって面倒をみることも出来ないので、真理ちゃんちを頼ったと見るべきだ。
うん。たぶんお母さんはこう考えたんだと思う。
けどそれだと相当切羽詰まってるような…………。うちに遊びに来てもいいんだろうか。
う~ん。予断は慎もう。よからぬ妄想ばかり思い浮かんで、あちこちに心が引っ張られてしまう。とにかくオレたちは、ダブルでどうにかするためにもお見舞いできるチャンスを見つけるしかない。
そうして真理ちゃんがいったん帰ってから程なくして、爺ちゃんと婆ちゃんが枡屋を開けた。今日も今日とてお店のお兄さんお姉さん達は気合いが入っている。
創業祭は昨日一日だけだったとはいえ、今日もゴールデンウィークの真っ盛りだからね。かき入れ時なのは間違いない。
それに合わせて家の玄関に続々とくじら組のお友達がやって来た。
真理ちゃんも珍しく表玄関から来る。いつもは自宅の目の前なので枡屋のお店から入ってくるが、こういう時はそうするもんなんだね。
オレなら面倒くさがっていつも通りにお店の方から入って来ると思うけど、そうしてはいけないんだとまた一つ学んだ。これが節度ってやつなんだろう。
もっとも、真理ちゃんは蛍ちゃんを連れてるからと言う理由もあったかも知れない。
まあいいや。
蛍ちゃんが、急にゴメンね、お邪魔しますと言ったのがいじらしくて、オレの琴線に触れた。
「いいんだよ。今日はみんなで遊ぼうね」
「うん」
よかったよかった。
ところで真理ちゃん、生暖かい目で見るのはやめてくれ。
それにしても女子でオレにきちんと挨拶をくれる子は珍しい。大体いつもオレへの挨拶は程々に、みんな弟さまに話しかけて消えちゃうんだけれど、挨拶が終わっても蛍ちゃんは弟さまの方に行かない。
「真ちゃん、部屋どこだ」
「おお、緑川くん、二階だよ。弟さまが先導してるから、みんなについてってくれ」
「おっけー」
緑川くんは相変わらずだ。平日の夕方からいつも緑川くんは道場に通っているから、幼稚園以外で遊ぶのは、なにげに今日が初めてだ。
「赤樫くんと前田くんもいらっしゃい」
「二人一緒は珍しいね」
「俺たち同盟組んだから」
「同盟?」
「馬場ちゃん同盟」
「あ、それ」
「どうしたの?」「すごいでしょ?」
「同盟っていうより、ファンクラブじゃない」
「お、それいいね」
赤樫くんが喜ぶ。すると前田くんが手を挙げて言った。
「じゃあ会員一号は俺で」
「え? それはずるいでしょ。一号は俺で」
「あ~それなら会長と親衛隊長にすれば?」
「「それだっ」」
どっちも長がつくから納得したのだろう。たぶん職掌はわかってないだろう。けど、まぁ何か偉い感じがすればそれで良いんだろうと思う。オレたち幼稚園児だし。
そうしてみんなが家に入ったのを確認し、オレは鍵を閉めて上にあがった。
子供部屋は十畳近くあるのだが、それでも全員で十人も入ると、なかなかに窮屈だ。今日は文机もどかしてみんなで車座になる。何人かにはベッドの上に座ってもらおうと言ったら、すかさず梅子ちゃんと秋穂ちゃんが寛司くんのベッドはどっちと聞いて来た。
「こっち」
とオレが教えて上げたら、真理ちゃんから逆でしょとツッコミが入り、
「しゃっふるしゃっふる~」
と懐かしの煽り文句を言ったら盛大に笑われて、どうにか許された。
「何て言うかさ、真司くんと寛司くんって兄と弟が逆みたいな時あるよね」
「あ~わかる。真司くんのがお茶目で、寛司くんのが大人びてるよね」
知美ちゃんのひと言に、秋穂ちゃんが激しく同意してた。
「言っても双子だし、どっちが先かは時の運みたいな感じじゃないの」
前田くんが横から入ると、弟さまが否定した。
「いや、オレたちに限ってはそれはないかな。兄さまは兄さまだよ」
へ~、とみんな感心する。
何だろう。弟さまが言うと何でも受け入れられるな。
「仲いいよね、ふたり」
梅子ちゃんも言う。なので答えておいた。
「なんならオレと代わる?」
「え? いいの?」
「ただし兄弟になったら恋人にはなれません」
オレが意地悪を言うと、じゃあ絶対にやだと断られた。
もう隠しもしないのね、梅子ちゃん。
弟さまは悠然と構えて物怖じもしないで聞いてる。大物だな。オレなら居たたまれなくて、もじもじしちゃいそう。
「そうそう。今日来たら絶対に聞こうと思ってたことあったんだ」
「何、秋穂ちゃん」
「寛司くんになんだけど」
「弟さまご指名だ。答えてやれよ」
「うん。なぁに?」
「わたしと梅子ちゃんからの質問なんだけど」
「うん」
「寛司くんは桜ちゃんのことどう思ってるの?」
これまたド直球な質問が来たな。けどふたりは「桜ちゃんが好きなの?」と聞いてないので、直接的だとは思ってないらしい。オレにはかなり直截に思えるんだけど。
いや、待てよ。海上公園で手を握ったうんぬんの話から来てるのか。てことはオレが噛んでるじゃん。全然丸投げになってないじゃん。
「桜ちゃんか。土井垣桜ちゃんだよね」
「「そう」」
「兄さまのことを虐める子、かな」
「え?」「それだけ?」
「うん」
「好きなんじゃないの?」
「オレが?」
「「うん」」
「土井垣桜ちゃんを?」
「「そう」」
「ないない。それはない。だって兄さまのことを虐めてるんだぜ」
「おい、弟さまよ」
「なんだい兄さま」
「その虐めてるって表現は勘弁してくれないか? まるでオレが本当に虐められてるみたいじゃないか」
「え? ちがうの?」
弟さまがニヤリと悪い顔をした。
「ちがうよ。あの子はいい子だぞ。意地悪だけど」
オレもニヤリと丸投げ返しをした。
「それって、虐められてるんじゃないの?」
弟さまが、楽しそうに悪い顔をした。
もういいかな。頃合いだろ。
「おまえ、絶対わざと言ってるだろ、それ」
「ばれた?」
「ばれるわ。そんなの」
梅子ちゃんと秋穂ちゃんが弟さまを見てキャーキャー言ってる。
悪い顔ってのもしてみるもんだな。
でもオレから言わせれば、その顔は爺ちゃんそっくりだ。いやぁ爺ちゃんの孫だぜ、お前は。
「この際だから、弟さまに色々聞きなよ。いっぱい色んなこと知ってるから、幼稚園とは違う弟さまを知る、良い機会になるんじゃない?」
「「「きゃーーー」」」
黄色い歓声がもうひと声上がった。付き合ってあげる知美ちゃんに受ける。
ということで女子は弟さまに丸投げして、オレはオレで緑川くんにお願いしたいことをお願いすることにした。
「てことで、緑川くん。今度、緑川くんの行ってる柔道の道場に見学させてよ」
「え? どうしたのいきなり。興味あるの」
「うん。ちょっと柔道いいよね」
「わかった。今度都合があう日に見においでよ」
「お、やった。必ず行くよ」
「寛ちゃんも来る?」
女子組に質問攻めになってる弟さまを緑川くんが誘う。こういうところが勇者だよな。大らかで得な性格してるなぁ。オレはあの中には入れない。無理、もう絶対ムリ。
すると弟さまから全く動じない返事が来た。
「いや、オレはいいよ。どっちかっていうと水泳してみたい。なんで兄さまをよろしく」
「おっけー」
ということで話がまとまってしまった。
大物だな、この二人。
「けど真ちゃんが柔道見たがるとはなぁ」
「意外?」
「ていうか最近真ちゃん、内田くんに誘われてるよね、その手の遊び」
「ああ、喧嘩ごっこか。彼、好きだよね、ああいうの」
「けどあれなら柔道より痛くないと思うよ」
「発散が主な目的だろうし、柔道より辛くもないだろうね」
「それだけじゃないじゃん。いいじゃん、なんか喧嘩友達みたいで」
「いや、別に含むところがないのにさ、喧嘩ごっことか疲れなくない? 木下から余計な恨みも買いそうだし」
「あ、真司くんでもそういうこと悩むんだ」
梅子ちゃんが会話に入って来た。
「え? なんで?」
「だって、いつも全く気にしてなさそうだったから」
「ひどいな梅子ちゃん。オレのハートはガラスよりも簡単に割れるんだぜ」
「クールでヒップなくじら組の掟なんでしょ、非情なのは」
「うわ、ここでそれ言う?」
「「「「あはははは」」」」
なんか、オレを落とし所にするのがくじら組の定番になってきてません?
「いや~非情な世界だ」
前田くんに止めを刺されました。
そうしてみんなで話していると、部屋がノックされた。ノックをするからお父さんか婆ちゃんだな。
「「どうぞ~」」
オレたちが声を揃えて返事をすると、爺ちゃんが出て来た。
うわ、絶対お父さんか婆ちゃんだと思った。爺ちゃんは普段ノックなんかしないし、お母さんも相変わらずノックをしない。だからお父さんか婆ちゃんだと思ったんだが、まあそれは置いといて、爺ちゃんは寛司の悪戯に機嫌が悪くなってる最中だからな。まさか爺ちゃんから子供部屋に来るとは思わなかった。
弟さまを見ると、弟さまにも意外だったようだ。
「あ、お邪魔してます」「「「「「お邪魔してま~す」」」」」
真理ちゃんのひと声で、みんなが爺ちゃんに挨拶した。
「おうおう。真理ちゃんや。昨日に引き続きわるいのぅ。相変わらずええ子じゃ」
「ありがとうございます」
「とりあえずみんなに自己紹介じゃ。わしが真司と寛司の祖父じゃ。今日はわざわざ遊びに来てくれてどうもありがとう。これからも孫たちをよろしくの」
「「「「「はいっ」」」」」
「それでじゃ、わしからみんなにお裾分けじゃ」
そういって爺ちゃんがドアの後ろに引っ込んで、お盆を持って入って来た。お盆をもたれるとオレたちの背では爺ちゃんが何を持ってるのか見えない。
「爺ちゃん、それ何?」
「ふっふっふ。気になるか真司」
「いや、みんな気になるでしょ。そんな持って来かたをされたら」
「これは儂からの報酬その二、でもある」
あ、やっぱ地味に寛司からの悪戯、効いてるんだ。普段の爺ちゃんならこんなこと絶対に言わない。報酬はすでに渡されたのだ。どこの世界に従業員やアルバイトに二度も給与を払うかと言うことだ。
有り得ない。
「ふっふっふ。みんなはオレンジ寒天ミルクを知ってるかの?」
「「「「「「うわあ~っ」」」」」」
歓声が沸いた。期待と興奮でマックスだ。
「知ってるも何も、みんなオレンジ寒天ミルクを賭けて、兄さまとシャッフル・カップで戦ったからな」
「あれ、面白かったよね」「てか食べたかったよね~」「てか食べてた人いるじゃん」「秋穂ちゃんだね」「おいしかった?」
秋穂ちゃんが赤樫くんに、うんと頷いた。
「オレンジ寒天ミルクかぁ。みんな食べたがってたんだよ、ありがとう爺ちゃん」
弟さまからのそのひと言を引き出せて、爺ちゃんが昇天した。いや、本当に昇天されたら困っちゃうんだけど。本当に嬉しそうだ。
「そうか。しかし失敗したの。ならばオレンジ寒天ミルクを持ってきた方が良かったかの」
途端みんなが落胆した。
「あ、何でもいいです。お気遣いされなくても」
さすがだ、真理ちゃん。この空気の中でそんなことを言えるのはキミしかいない。
「うむ。うっかりイチゴ寒天ミルクを持って来たしまったのでな」
その爺ちゃんのひと言で、部屋から嘆く空気が消えた。
「みんなラッキーだな。お店でも売ってない特別品だぞ~」
真っ先に反応したのは弟さまだった。オレが更に詳しく解説する。
「イチゴは今年高かったじゃん。だからお店では儲けにならないから、イチゴ寒天ミルクがお店で売られることはなかったんだよ。だからお客さんで食べた人は」
「「「「「「食べた人は?」」」」」」
「誰もいない」
「うわっ」「いないのかよっ」「やったっ」「「マジかよっ」」「いいのっ?」「すごい~」
みんなのテンションが上がった。
「味の方は保証付きだ。オレと弟さまが保証するよ。しかもイチゴは六月になったら市場に流通しないから、食べるなら今しかない宝物だ」
「てことはこれを食べ逃したら?」
「半年は食べられないな」「うん。間違いない」
オレの答えより弟さまのだめ押しが効いた。さらに喜びの歓声が子供部屋にひびき渡る。
「いいかの? イチゴ寒天ミルクでも?」
爺ちゃんが悪い顔をして訊いた。
「「「「「「いただきますっ」」」」」」
みんなの心が一つになった。
至福の時間が流れた。こんなの食べられるなんてと、梅子ちゃんと知美ちゃんはメロメロになっている。
「秋穂ちゃん美味しい?」
オレは秋穂ちゃんに訊いてみた。
「うん。とっても」
「オレンジ寒天ミルクの時は秋穂ちゃんにやられたからな~」
寛司がくすりと笑った。いや、そこはやられたことにしておけよ。みんな気づいてないんだから。
(りょうか~い)
この野郎、魂の回廊で返事しやがった。
「真司くんはいつもこれ食べてるの?」
「あ、いやいや。そんなには食べないかな。むしろ婆ちゃんが普通の料理を食べきれないほど作って食べろ喰べろと無理矢理食べさせるからなぁ。御菓子にまで辿り着けないんだよ、お腹いっぱいで」
「あははは。そうなんだ。じゃあ寛司くんもそうなのかな」
「どうだろ、おい、弟さま。お前はうちの御菓子食べてる?」
「ん? おはぎは食べるけど、寒天ミルクはそれほど食べないかな。オレは練り切りとか和菓子の方が好きだし」
「あ。枡屋の練り切り美味しいよね。ほんのりした甘みで」
「お、赤樫くんわかってるね。さすがリーダー」
「寛司くんは和菓子らしい和菓子が好きなんだ?」
お、今日は攻めるね、秋穂ちゃん。弟さまの好きな物の情報収集ってやつですな。恋する乙女ですな~。よしここはオレも協力しましょう。
「そうだね。弟さまは和菓子の方が好きだよね。ていうか和物が好きなんだよ」
「おい、兄さま」
「いやだってそうだろ。できれば和服を着たい、着物を着たいってお前いつも言ってるじゃん」
「あ、お爺さんの着物、格好良かったよね」
お、ポイント高いぞ秋穂ちゃん。あれの良さがわかるなんて、いや、わかってるのかな?
目が弟さまをウットリ見てる。
「あ、着物? そういえばうち予約したよ。七五三の着物」
「うわマジ? いいな」
弟さまが食いついた。釣ったのは前田くんだ。
「うん、こんな感じの」
と言って前田くんがスマホを取り出した。
ザワッとする。
「え? 前田くん携帯持ってるの?」
「スマホだよ」
「すげー」「びっくり」「よく持たせてくれたね」「高い物だもんね」
みんなで、うんうんと頷く。
「うちのお父さん、携帯電話の会社に勤めてるから」
なにげに初耳です。
「それより、ほら、こんな感じ」
スマホで撮った写真を見せてくれた。
日本男児ここにアリですな。羽織袴が美しい。
「これを着るのか。いいな~」
弟さまが心底うらやましそうな声を出した。ちょっとこんな弟さまは見たことがない。物欲ないからな、オレも弟さまも。
自分で作りたい方向に全振りだし。
しかし和服は作り方がわからないから作れない。和裁を習わせてくれと言っても、無理だろうしなぁ。三歳児に針とかハサミとか、親が持たせてくれなさそうだし。
ダブルで着物を作っても仕舞うところがないし、むしろ、こんなのどうしたのと追求されて家族にダブルのことがばれてしまう。
オレたちが着物を手にすることは実質的に不可能なのだ。
だから弟さまのこんな表情は本当に珍しい。
「うん。いいな~」
「七五三だけだけどね」
「前田くんは男の子なのに、前田くんちは三歳でもやるんだね」
知美ちゃんが珍しい物を聞いたふうに尋ねた。
「うん。なんで?」
「男の子は五歳だけって、あたしは聞いたよ」
知美ちゃんからの疑問に前田くんは答えられない。そりゃやるんだから、やるで話はお終いだろうし、よその家はやらないなんて、いちいち話題にはしないだろう。
困る前田くんに、弟さまが助け船を出した。
「それね。江戸の頃は医療が未発達だったから、子供が三歳を迎える前にぽこぽこ死んでたらしいんだよね。
三歳を越えられたんだから祝おうとか、単なる風習だとか、将来美しい髪が生えてくるようにと言う祈りが込められてたとかいう話を聞いたことあるよ」
あれ? そこで話をやめるのか。
途中で説明をやめるのはまずいだろ。むしろその先のが本題じゃね?
「あとハレとケの概念とかもあったろ」
「ああ、そうだね」
弟さまが肯いた。
「ちょっと待って。何それ。ハレとケって」
真理ちゃんの質問に、みんながうんうんと頷いた。
「ハレはハレの日とか晴れ着とかハレ舞台とかさ、特別な日のことを言うんだよ。でケってのは普段のことだけど、褻れるってことでもあったんだよね。この先は弟さまが言う?」
「いや、もう兄さまが言ってよ」
「じゃあ髪型ぐらい説明してくれよ。丸投げは許さん」
「ああ、うん。江戸時代の頃は子供は三歳ぐらいまで髪の毛を剃ってたんだよ、男の子も、それから女の子も」
寛司が女の子もと言った瞬間、みんなが驚いた。
「女の子も剃ってたの?」
おそるおそる知美ちゃんが訊く。
「そう。つるっぱげ」
「おいおい、投げるな。一部は伸ばしてたろ。溺れた時に髪の毛をつかみやすいようにしてさ」
「ああ、そういえば髪の毛引っ張って、川で溺れた子供を助けだした話とかあったね」
「でもそれぐらい剃ってたのね」
「うん。てことで兄さまどうぞ」
「マジかよ。まあいけどさ。
で、なんで子供が髪の毛を剃ってたかって言うと」
「うん。風習だからとか、綺麗な髪が生えるようにって、さっき言ってたよね」
「真理ちゃん偉い。でハレとケの話を端折るなってオレが止めたわけだけど、うん? やっぱオレが説明すべきだったってことか。弟さまが丸投げしたわけじゃないんだな」
「真司くん、時々抜けてるよね」
緑川くんが大らかに指摘する。みんなが笑って場が和む。もはや緑川くんの人徳になりつつあるね。一時の誤解が解けてよかったよかった。まあでも、緑川くんが言うんならそうなんだろう。オレはオレで自覚せねば。
「で、つづきは?」
知美ちゃんに催促される。
「あーはいはい。じゃあここで質問です。ケは穢れです。子供につけておきたいと思いますか?」
「あ。なるほど」
「そうね。三歳になる前にぽこぽこ死んじゃうって言ってたもんね。寛司くんが」
寛司くんが、のところだけ艶っぽいのは梅子ちゃんです。以降は梅子ちゃんには真理の探究より大事なことがあるみたいなので、その後を赤樫くんがまとめてくれた。
「つまりケと毛をかけてるわけだね」
「そう」
掛詞とか暗喩とか言ってもわからないだろうけど、今の赤樫くんの説明で必要十分です。実は赤樫くんは結構かしこい。動きが戦略的だったりする。今のところ馬場ちゃん特化型に発揮してるけど。それもそのうち対象が広がるでしょ。
そして弟さまがこの話に触れようとしなかった理由もわかった。赤樫くんのためだ。
赤樫くんの前で、毛とか、毛がないとか、ハゲとか、そりゃ配慮するわ。ましてや寛司にとっては同じイチゴグループの仲間なんだし。
「なるほどね。穢れを子供につけておきたい親はいないよね。風習と言うより、生きてて欲しいってお祈りみたいに思えるけど」
ふむ。赤樫くんは強い。そして、こんな風に頭が回るからすぐハゲるのだろうかと思ってしまったのは内緒だ。
「こほん。まあそこまでは知らないけど。文献でも見たことないし。でも似たような感じだとは思ってるよ。言わぬが花の当然のことみたいな感じでしょ」
ちなみに褻れの字を使って、褻器とかいう言葉もあるけど、これは厠で便所のことだったりする。
「で、弟さま。仕上げはしろよ」
「おっけ~」
弟さまが答えつつ、頬張ってたイチゴ寒天ミルクを飲みこんだ。
「ごめんごめん。それでね、髪の毛をいつまでも伸ばさないわけにはいかないでしょ。だからそれを伸ばしてもいいってなったのが三歳の時。これを髪置きの儀って言うんだよね。
で、髪置きの儀としてお祝いしようってのが七五三の三歳なんだよ。だから女の子だけじゃなく男の子も含まれても別に問題はないんだよ。ただ土地柄によっては女の子だけって場所もあるから、それはその土地々々での判断すればいいもんなんだよ」
「っていうか、あんたたち双子ってすごい物知りだよね。時々びっくるりするわ」
「いやいや、あんた達ってオレと弟さまを一緒くたにする知美ちゃんにびっくりするわ」
「いやでも、前田くんのスマホのがオレにはビックリなんだけど」
「あ、それは私も思った」「わたしも」
秋穂ちゃんと蛍ちゃんが寛司に追随する。梅子ちゃんはと言えば、うっとり弟さまを見やってる。重傷だな、これは。
「お~~~い」
と声がした。ドアの向こうからだ。お父さんがやって来たみたいだ。
オレが立ち上がって、扉を開ける。
「どうしたの、お父さん」
「みんないったん帰ると聞いたんだが、うちでみんな一緒にランチ食べてかないかい?」
「あ」「うちでも作ってるかもしれないし」「相談しないと」
「ああ、すまんすまん。おうちには私らの方で、ママ友メールでみんなのママさんに報せることが出来るんだけど、どうだい?」
みんなが顔を見合わせる。
なら、きっかけは作りましょうか。オレのずるいところです。
「うちのお父さんの料理は美味しいよ」「プロ級だよ」
弟さまもすかさず続く。ここら辺は流石だ。
「プロの料理人なの?」
「証券マンだよ。でも学生時代はいろんな店で腕をみがいたみたいだよ。ね、お父さん」
「ふっふっふ。私は口では語らない。腕で語るんでね」
「うわぁ、その口振り。真ちゃんのお父さんだってすぐわかるや」「寛司くんのお父さんらしくもあるよね。実力で問答無用にしちゃう感じで」
そのひと言がひと言なら良かった。だがそれも連なると、途端に不穏になる。オレたちはお父さんに目を付けられた。
「おまえら、幼稚園で何やってるんだ?」
「いや、何もしてないよ」「みんなで楽しく世界の終わりを楽しんでるのさ」
「世界の終わり?」
首をひねるお父さんからの視線を、弟さまがオレの方へと受け流して誘導し、丸投げしてきた。仕方ないな。
「くじら組は非情な世界なのさ。ラッドでロックなワンダーランド。それがくじら組さ」
「はぁ?」
とお父さんはますます首をひねったが、
「「「わあああっ」」」
とみんなは沸き上がった。
「出たぁ。真司くん、よくそれ言うよね。意味わかんないけど」
「きっかけは秋穂ちゃんも入ってるんだぜ。兄さまの紙コップに紙コップ重ねて隠したあの時から」
「え? そうなの?」
「非情な世界を、オレはあの時知った」
「そのあと馬場ちゃんにも非情な世界を喰らったんだよね、兄さま」
「楽しそうに言うなよ、弟さまよ」
「「「「「「あははははは」」」」」」
「よっし。みんなが仲良しなのはよくわかった。今日はランチをご馳走するから、みんなで楽しんでくれ。これからも真司と寛司をよろしく」
「「「「はい」」」」「「「よろしくお願いします」」」
工場の脇の叔父ちゃんの秘密基地の前でランチタイムは迎えることになった。オレたちがランチする場所は、昨日の創業祭の後の打ち上げした時のまま片づけもしてないし、お父さんが最初からランチを振る舞うつもりだっただろうことがわかる。
今日は和菓子も手作業でないし、工場の機械でほぼ済んでしまうから、それほどスペースを取る行程もない。枡屋にしてみれば通常営業だけれども、オレたちがお友達を家に呼んだと聞いて調理器具と調理道具を残しとくのは、お膳立てというか、お父さんの飯を喰わせるんだというやる気が伝わってくる。
お散歩の帰り道に、殺伐とした空気がまずいと思って、みんなに明後日うちで遊ぼうよって話をしたから、結構急に決まった話なのにこんなことしてくれるなんて、出張帰りでヘロヘロのお父さん、どうもありがとう。
昨日はここにいないお父さんは言い訳できないから、イヤだオーラ全開の叔父ちゃんを責められないなんて思ってゴメンね。
今日ここにいるみんなには是非堪能してもらいたい。うちのお父さんのプロ並みの料理を。
そしてお父さんが用意してくれたランチは、弟さまの大好物の五目あんかけご飯だった。しかもご飯は土鍋炊きだ。うおーーーぱふぱふぱふ。
この土鍋炊きは特別だ。我が家でもお父さんしかしない、手の込んだご飯だ。お母さんと婆ちゃんは電気の炊飯器でしかお米を炊かない。いちいち料理を作ってる時に、米の面倒なんか見てられないと、土鍋炊きを敬遠する。
しかしお父さんは違う。炊飯器は土鍋炊きのお米の味を目指してるんだ。つまり土鍋炊きはうまい。そしてお父さんは手間より美味しさ優先だ。
だからお父さんは迷わず手間をかける。
けれども手間をかけるという心意気のわりには、お父さんは水加減なんか見ない。電気釜に描かれてるような水を入れるラインなんか土鍋には描いてないからそうしてるのだが、大体の勘で水を入れて、確認するにしても中指の第一関節分ぐらいの高さまで水を入ってるのを確認してお終い。そしてこれでいいと言っている。これは土鍋だろうが、電気釜だろうが、飯盒炊爨だろうが、お米を炊く時の絶対の法則なんだそうだ。
だからお父さんはとぎ汁を捨てた後、適当に水を入れてそのまま炊く。多少水が多めに入っても、それはそれで長く炊いて水を飛ばせばいいし、と実にテキトー、いや、実践的に炊く。
このお父さんのやり方を観てると、土鍋から水蒸気が出始めて、大体二分ぐらい過ぎたところで火を止めているのがわかる。これをもうちょっと炊く時間を伸ばせばお焦げが付くけど、そこらへんはお父さんにとっては自由自在だ。ちなみに今日はお焦げを付けなかったようだ。
なぜならお焦げの匂いがしない。お焦げが付いてる時は、焦げた匂いがするのですぐにわかるのだ。
たぶん今回お焦げを付けなかったのは、子供にお焦げは身体に悪いからとか思ってるからだろう。でも弟さまは五目あんかけご飯の時はお焦げ有りのが好きなんだけどね。
まあそこはいいか。とにかく今日はお父さんにとって、息子たちが連れて来たお友達を歓待する日なのだ。
「うわ、わたし、電気釜以外のお米、初めて食べるかもしれない」
「えっと、君は誰ちゃんかな」
「小林知美です。真司くんとおんなじ、グリクラグループのメンバーです」
「これはどうもご丁寧に。真司はどうですか? ちゃんとやってますか?」
「はい。とっても。寛司くんのが女の子には人気ありますけど」
「はっはっは。そうですか。寛司の方が人気ありますか。これはいいことを聞いた」
いや、別にオレ、何とも思ってないから。そんなふうに意味ありげに目配せされても反応に困るんだけど。
「真司くんのお父さん面白いね」
「そりゃどうも」
知美ちゃんに言われても、ちっとも面白くない。あとでお父さんから、からかわれるの、確定なんだもん。
そうこうしてるうちに炊き上がって、蒸らしの時間に入った。お友達から情報を引き出しつつ、きっちり蒸気が出始めてから二分ぐらいで止めちゃうのが器用すぎる。
お母さんと婆ちゃんは、それがわずらわしくて土鍋に手を出さないのに。
そうしてオレが思考に溺れてる間もお父さんはすでに切り分けられた具材を冷蔵庫から取り出す。仕事に一切の遅滞がない。
「いい匂いするね」
真理ちゃんが近づいて来て会話に加わった。
するとさっきまで工場の仕事風景や、珍しい道具の数々に弟さまに質問攻めにしてたみたいだったみんなも、土鍋で炊いたご飯の匂いを嗅ぎに集まって来た。
「うわぁ、すごい」「炊きあがりの匂いって、こんなに鮮やかなのね」「まだしゅーしゅー煙が出てる」「蒸気ね」「湯気だろ」「あちっ」
蛮勇にも土鍋に指を触れてみた緑川くんが、その熱さに反射的に指を引っ込める。
「「「だめだよ触っちゃ」」」
女の子たちの声が重なる。
「まだ熱いからね。もうじき煙も出なくなるから」
寛司が片目をつぶって緑川くんを窘めつつ、赤樫くんのフォローもしていた。おかげで女の子達もそれ以上赤樫くんをフルボッコにしない。
なるほど。弟さまは制御装置になれるわけだな。
(兄さま、ひどくね?)
(いやいや、自分の使い方も学ぼうぜ、弟さまよ)
(不本意だ)
(あきらめろ。真理ちゃんも言ってたろ。おまえに彼女たちの気持はコントロールできないと。ならば他のお友達のためになっとこうぜ)
弟さまからの返事はなかった。
お父さんが春巻きを包み始めた。今日は豚の挽肉、椎茸、にら、それから今が旬の竹の子か。と思ってたらお父さんが冷蔵庫からラップされたボールと、その上に乗ってる物も持って来てくれと言った。
オレはいったんリビングに戻って、お父さん専用の冷蔵庫を開けた。
ん? 作ってたのは春巻きだよな。
不思議に思いつつ、ボールの上に乗ってたベーコンの塊といっしょに急いで工場に戻った。お父さんは既に旬の春巻きを巻き終えていた。
お友達の分と家族の分も作ってるはずなのに早すぎだろ、お父さん。
「持って来たけど、何だこれ、お父さん」
「ふっふっふ。今日はイタリアンの春巻きも作ります」
「イタリアン? 春巻きなのに」
だがそれ以上は答えてくれず、お父さんがベーコンのスライスにかかる。くっそ、それだけでも美味しそうだ。実はオレ、生のベーコンも結構好き。みんな火を通すけど、生で食べてもうまい。家族から変な目で見られたりもするけれど、うまい物はうまい。
そんな食べ方をするようになった切っ掛けは、ただ単に小腹が空いて冷蔵庫から取り出して食べただけなんだけど、その時以来のオレのお気に入りの食べ方だ。だって火を使わせてもらえないんだもん、生で喰べるしかないじゃん。
と言ってる間にイタリアン春巻きもお父さんは巻き終えた。
知美ちゃんがその手際の良さに舌を巻いている。
そういえば知美ちゃんちは洋食屋さんだったもんな。お父さんが何をしてたのか、知美ちゃんにはわかるのだろう。
そうして春巻きを揚げ始めると、その脇でいよいよ餡かけを作り始めた。ちなみにお父さんは鍋を二つ操る。
弟さまが春巻きの監督を命じられた。そうなると当然女の子たちもそちらの鍋を一緒に見る。お父さんが笑いを堪えてるのが、オレたちにはバレバレだった。
ああ、もう。これでまたオレがからかわれるネタが増えたわけか。いや、この場合は弟さまか?
うん。そんな気がしてきた。セ~フ。
「うわぁ」
女子組でただひとりここに残ってる知美ちゃんが、お父さんの鍋使いに見入っている。
「豪快だよね」
オレが話しかけると知美ちゃんが肯いた。
具材が煽られてどんどん火が通って行くのがわかる。キャベツの色が鮮やかなキャベツ色に発色して行く。
寸胴から鶏ガラの出汁が投入される。辺りに食欲をそそる薫りが匂い立つ。
「え? 真司くんのお父さん、鶏ガラを本当に鶏ガラから取ってるの?」
「そうだよ。当たり前じゃん。いつも肉屋さんで捨てるのを捨て値で譲ってもらってるよ」
「ははは。昔からの古い付き合いだからね。それと真司。一般の家庭では鶏ガラのスープはスープの素を入れてお終いだ。出汁をとらない。面倒くさいからな」
「え? そうなの?」
「そうだよ」
知美ちゃんが頷いた。
「そっちが普通なの?」
「そうだよ」
知らなかった。しかしそんな便利な物があるのか。だがそれを使ってないと言うことは、本物の鶏ガラを使った方が美味しいと言うことなのだろう。お父さん基準なら答えはそうなるはずだ。
「ちなみにどこの鶏なの?」
「今日は千葉の地鶏だ。名前は内緒だ。てかそれ以上聞いてない。お店の方でもブランド名を出しちゃまずいのかもな」
「ああ、流通させちゃいけない値段ってことか?」
「たぶんね。言わぬが花の長いおつきあいって奴だ」
「あはっ」
知美ちゃんが笑った。どこに笑う要素があるのかわからない。
「おかしい?」
「うん、とっても。親子だね」
いや、親子だけど。それがどうしたんだ。わからぬ。
「よし寛司どけ」
お父さんが火を止めて、春巻きを油の海から救出する。バットに取り出してオレと弟さまに命じる。
「お皿にご飯を盛りましょう。直接土鍋に触るなよ。タオルで持つよーに」
「「りょうか~い」」
いつものことなので問題ない。
オレと寛司が土鍋の蓋を開けると、みんなが見学に来た。
「うわぁ」「いい匂い」「お米が光ってる」
春巻きを大皿に盛りつけ終えたお父さんが、新たな鍋に再び五目餡かけを作り始める。本当に腹一杯食べさせる気満々だ。
「ご飯をつぎ終えたら、そっちの出来上がってる鍋から餡かけをかけてあげなさい。大盛りがほしい子には大盛りにして上げろよ。まだまだお代わり分も作れるからな」
わあっとみんなが喜びの声を上げた。
そうしてランチが始まった。
「やべー。白いご飯だけで食べてみろよ」
「赤樫くんうるさい」
そう言いつつ梅子ちゃんが白米だけを食べる。むせた。
「ゴホッゴホッ」
でも目を輝かせて言う。
「お米の味が濃い。ていうか後から甘くなるんだけど」
「ほんと?」「うそみてー」「試してみようよ」「やってみる」
ふっふっふ。知らない子達にはわかるまい。この粒立ちのいい白米の甘さこそが炊飯器が目指すお米の極致なのだと言うことを。
「あ、ホントだ」「お米がほぐれてく」「何で後から甘くなるの?」「うわ、すげー」「何ておいしいお米なの」「こんなお米、初めて食べたかも」
堪能してくれたまえ。くじら組のお友達のみんなよ。
「これが土鍋の威力なのだよ。わかったかね」
「「「「「わかったーっ」」」」」「「土鍋すげー」」
なぜ弟さまが一緒に返事したのかはわからないが、きっとノリだ。オレもノリノリだし。
しかし炊飯器のお米に慣れた同士達にもこの味は衝撃だったろうが、実家が洋食屋さんの知美ちゃんにも衝撃だったようだ。
当然炊きあがりの飯は美味い。日本のお米は必ずある程度の水準には達する。日本中どこに行こうと平均点以上のお米は食べられるだろう。けれどもよそのお店でご飯を炊いて出されても、正直うちのお父さんのご飯のほうが美味い。
(まあ土鍋で炊くような高級店に行ったことないから、そうなるよね)
(む)
(料亭とかさ、行ってみたいよね)
なるほど。確かに料亭に行ったことなどない。だが料亭に連れてけという三歳児がいてもいいのだろうか。
それはそれでなかなかにチャレンジャーだな。
真理ちゃんちみたいな財閥直系ならありそうだけど、証券マンでサラリーマンの息子としては、お父さんのお給料と照らし合わせると、とてもではないが言えない。
親を悲しませるわけにはいかない。
(こんなにいい物を食べさせてもらってるから贅沢は言えないけどね)
(なんかさっき知美ちゃんと話して知ったんだけど、基準点をここにしたら、いろいろとおかしな子供になるようだから、基準はもうちょっと下げようぜ。ていうか炊飯器は偉大だな。最大公約数の大事さがわかったよ)
(文明は平均の底上げだよね。作業も楽だし)
そうしてオレもひと口食べる。口の中でお米がほぐれて行く。米の芯まで熱が通って粘り気もある。うまいなぁ。本当に特別なお米だ。
「うん、今日はみんなが遊びに来てくれた特別なハレの日なんだな。お父さんありがとう。とっても美味しいよ」
「そうかそうか」
「美味しいです」「初めて食べました」「「「「おいしいです」」」」「春巻きも美味い」
お代わり用の餡かけを大量に作り置きして、その脇のとろ火にかけてる寸胴の前にお父さんは立って、ボウルに卵を次々と割って行く。すると、みんなもお父さんが気になったようだ。
「あ、まだ何か作ってるんですか?」
食いついたのは知美ちゃんだ。知美ちゃんが大鍋の中を覗きたがる。
お父さんはニコニコしながら大鍋に溶き卵を入れた。
「うわぁ」
お父さんに目配せされたので、食事を一端おいて、知美ちゃんにオレたちの使ってる踏み台を用意して上げた。
前田くんが知美ちゃんの乗った踏み台に一緒にのぼる。
「向こうからビールケースを持って来て、ひっくり返そう」
みんなが見たがっても踏み台はもうないので、弟さまが提案した。ビールケースだけでは足りないので、一升瓶のケースもひっくり返して、踏み台にする。
全員の用意がととのうと、それに応えてお父さんがみんな目の前で溶き卵を流し入れて行く。スープの中に投入された卵がばらけてく様に、みんなが驚きと歓声のこえを上げている。
そうしてお父さんが出来立ての卵スープをみんなに振る舞った。
「これやばい」「とろっとろなスープがおいしい」「うちのお母さんのよりうまい」「いや、それは家で言っちゃ駄目だよ」「真司くんお母さんみたい」「熱い。けどおいっしいー」「すごいよね。全部おいしい」
それからのみんなはもう、お父さんの料理にメロメロだった。卵スープのおかわりを所望され、お父さんがお椀に注ぐ。
蛍ちゃんもおかわりしてた。元気が出たみたいで良かったよかった。
その蛍ちゃんの隣で赤樫くんが唸った。
「豚肉、キャベツ、しいたけ、にんじん、ピーマン、きくらげ、エビ、イカ、袋茸までははわかるんだけど、後のが何が入ってるのかわからない」
餡かけの中身が気になるようだ。
「ひとつは袋茸ってよくわかったね。わたしわからなかったわ」
「でも最後の一個は? 俺わからないし。シャキシャキしてとっても美味しいんだけど」
梅子ちゃんに赤樫くんが答えてる。
オレも袋茸の名前は知らなかった。今まで何度も食べてるけれど。
そして物知りな赤樫くんを持ってしても、最後の食材はわからないらしい。ちなみにオレもわからない。
「歯ごたえがすごい気持いい」「こんなの初めて食べた」「噛んでて気持いい」「タレと絡まって美味しいよね」「うわぁプロだろ、こんなの」
五目餡かけご飯は大反響だった。だが誰も最後の一品に辿り着けない。まあ三歳児の基礎知識では無理もないか。そう思ってたらお父さんが教えてくれた。
「それはね、クワイという野菜だよ。中国が原産地だったかな。旬は過ぎてるから手に入らないはずなんだけど、今回はギリギリ市場で売っていてね。埼玉のほうから偶々流れて来たらしくて、今日はこのクワイが手に入ったから、五目餡かけご飯にしようと決めたんだ」
「「「「「へえ」」」」」「「貴重品なんだね」」「食べれてラッキー」「缶詰かと思った」
旬を過ぎた野菜なら、手に入れる方法は缶詰の野菜しかない。そう思ったから口にしたら、
「おい真司。おまえ、お代わりはクワイ抜きな」
「え? マジ?」
お父さんがニヤリと悪い顔をした。口は災いの元である。
「さて、じゃあ最後の品を揚げるか。イタリアン春巻きだ」
「「おおおっ」」「「いえ~い」」「真ちゃん春巻き抜きなら俺にちょうだい」「うわあ」「いやクワイ抜きだから。駄目だよ。あげないよ」「楽しみです」「お父さん早く早く」
「お代わり自由だから。五目餡かけご飯は好きなだけ食べていいからね」
お父さんのひと言で、赤樫くんと前田くんと知美ちゃんが並んだ。
なぜかオレの前にだ。
「なんで?」
「さっきも真司くんによそってもらったし」「ちがうよ。罰ゲームの一環でしょ」「よろしく、真司くん」
致し方ない。わかりました。よそいましょう、このワタクシが。
向こうではお父さんの揚げる姿に歓声が起きている。
「チェッ」
土鍋からご飯をよそって、餡をかける。まだまだ湯気が出て美味しそうだ。オレも食べるかな。うん、食べよう。
「あ、真司くん、自分のにクワイ入れた」
「いや、知美ちゃん。堪忍してつかぁさい」
「反省した?」
「海よりも深く」
ぷっと赤樫くんと前田くんが笑った。
「ならばよろしい」
ということで四人で一緒になって五目餡かけご飯のお代わりに挑んだ。
五目餡かけご飯をこれでもかと食べてると、弟さまがオレたちにも揚げたてのイタリアン春巻きを持って来てくれた。
向こうでも絶賛の嵐のようだが、ひと口食べてオレもやられた。
「何これ。ミートソースにチーズとベーコン?」
「そう」
「すごいぞ、これ」
「ホント?」
儀礼的に答えてる知美ちゃんはもうおいしいと確信してる。
すぐに一口囓った。
「天才だわ、真司くんと寛司くんのお父さん。絶対職業の選択を間違えてる」
「いやいや、うち和菓子屋だから」
お父さんが証券マン辞めても料理人はないと、弟さまが知美ちゃんに返事した。
「うわ。これうまい」「こんなの初めて食べた」「てかマジで美味いな。オレもお父さんがこんなの作れたの初めて知ったぞ」
「真司くんも初めてなの?」
「うん」
と返事して夢中になって食べた。
みんなもイタリアン春巻きをあっという間に食べ終えてから、再び五目餡かけご飯に夢中になる。今日はいくらでも入る気がする。一心不乱になってみんなと一緒になって食べた。
そこで気づいた。
こんなに美味しく感じるのは、きっとみんなと一緒になって食べてるからだろうな。だから今日のランチはいつもより輪をかけて美味しいんだと。
そうしてお父さんの料理をたっぷりと堪能した知美ちゃんが、お皿を置いた。
「ご馳走様でした」「うん、ごちそうさま」
知美ちゃんと一緒にオレもランチを食べ終えた。もう入らない。
食器をリビングの入り口に用意してある業務用の運び盆のうえにまで運び、そこで食べ終えた他のお皿に重ねてお終い。後片付けはお父さんが後ですると言ってたらしい。
オレと弟さまはみんなの元へ戻ろうとすると、そこで知美ちゃんに話しかけられた。
「真司くんのお父さんの料理、すごいね」
「うん。オレもすごいと思う」
「わ、さっきと全然ちが~う」
「そうだっけ」
「そうだよ。舌打ちしてたじゃん」
「聞かれてたのね」
「うん」
でもね、と知美ちゃんが言った。
「ご飯の炊き方とか、ここまで把握してる人って本当にすごいと思うよ。あたしは洋食屋の娘だけど、ご飯炊けって言われて、真司くんと寛司くんのお父さんみたいに炊ける自信ないもん」
「そっか。洋食屋さんでもご飯炊くもんね」
「うん。うちは業務用の電気釜で炊くけど、真司くんと寛司くんのお父さん、土鍋ふたつで同時に炊いてたもんね。びっくりしちゃった」
「炊くので二十分、蒸らしで二十分、合計四十分ってとこだよね」
「わ、真司くんも把握してんだ」
「そりゃお父さんの料理見てたら覚えるよ。でも普段はお母さんが作ってくれるんだけどね」
「兄さま、そこは婆ちゃんもいれてやれよ」
「そうだね。婆ちゃんも作ってくれるよ。やたらと食べさせようとして大変なんだ」
「あははは」
ひとしきり笑った後、笑いを潜めて、知美ちゃんが口に手を当て、こそっと言った。
「真司くんと寛司くんには言っとくけどさ。あたし、もうちょっと大きくなったら真司くんと寛司くんのお父さんに弟子入りするから」
「ええっ」「マジ?」
「ちょっと。声がおっきいよ~」
「ごめんごめん。でもビックリするよ、そんなこと言われたら」
「まだ先だから。今だと師匠みたいにお鍋も振れないしね。身体が大きくなって鍋も持てるようになったらそうするから、その時はよろしくね」
「よろしくねって言われても」
とオレが言ってる間に、そんな言葉は聞きたくありませんとばかりに知美ちゃんは向こうに行ってしまった。
すぐに真理ちゃんと赤樫くんと前田くんの輪に溶け込んでいる。
「しかし師匠かよ」
「知美ちゃんはお父さんを方丈に選んだと。……お父さんに言っとく?」
「いや。お父さんみたいに中華鍋を振るには、お父さんぐらい太い腕にならないと出来ないんだぞ」
大きくなった知美ちゃんの太ましい腕を思い浮かべる。
「ないな」「うん、ない」
失礼なことを考えてしまった後味の悪さがあるぞ。なんだこれ。
「兄さま、オレ、もう行くわ」
「おう」
弟さまも首を左右に振ってないわぁとぼやきながら、蛍ちゃんがゆっくり食べてるので、それの世話を焼きに行く。
オレがお父さんを見てると、呼ばれてると思ったのか、お父さんがこっちに来た。
「なるほどなぁ」
何がなるほどなぁなのかわからないが、オレのいる運び盆のとこまでやって来たお父さんが、寛司の方を観察していた。
蛍ちゃんを見に行った弟さまの回りには、いつの間にか秋穂ちゃんと梅子ちゃんがいる。そこに相変わらずの勇者の緑川くんも加わっているけど、まあいつものことだ。
ちなみに前田くんと赤樫くんはまだ五目あんかけご飯をおかわりしていた。相当気に入ってくれたようだ。真理ちゃんがお茶を注いでるのは多分、喉につっかえた時のためだろう。
「食べ過ぎ~」
知美ちゃんも笑いながら窘めてるが、いざという時の介護に備えてる様子はない。真理ちゃんに丸投げのようだ。うん、グリクラグループの女子組は面倒見がいい。にやり。
「お父さんも食べなよ。リビングに運べばいい?」
「お。気が利くな」
「お父さんほどじゃないけどね」
「ふふん。子供は大人の心配するな。爺ちゃんが店の若い衆と一緒に食べると言ってたから、ここに残しておけばいい」
「そうなの?」
「ああ。ていうか俺も工場の方に料理運ぶから。ほら、ぼちぼち昼休みに入ったようだ」
「あ、ホントだ」
作業を終えたお兄さんがこちらをチラチラ見てる。
「じゃあな、真司。みんなと楽しめよ」
「うん」
頭をポンと撫でると、お父さんは工場の方に去って行った。
オレもみんなと合流する。するとそこへ爺ちゃんがやって来た。みんながそれぞれお礼を言う。
「イチゴ寒天ミルクご馳走様でした」「なんか食べてばっかり」「美味しいよね」「あ、ご馳走様でした」「「「「「ご馳走様でした」」」」」
爺ちゃんもにっこり笑って、口にあったようで何よりと、笑って返した。
「しかしそうかそうか。食べてばっかりか」
「はい」
緑川くんが返事した。
「でもすごかったです。真ちゃんと寛ちゃんは毎日こんなおいしいのを食べてるんだなって驚きました」
「オレンジ寒天ミルクもおいしいけど、非売品のイチゴ寒天ミルクをいただけたのは、とっても嬉しかったです」
梅子ちゃんすごいな。実は相当しっかりした子なんじゃないか。オレはこんなこと言えない。美味しかったで終わりだ。
「寒天の可能性が広がる御菓子だよね。洋風に見えるけど寒天は日本古来の食材だし。オレも久々に食べたら美味しかった」
「寛司くん、そんなに食べてなかったの?」
「オレ、おはぎが大好きだから」
「ああ、そういえば宝探しゲームでも宝物はおはぎだったよね、寛司くん」
蛍ちゃんが珍しくつっこんでいた。元気が出たなら何よりです。それから向こうで鍋を振ってるお父さんの姿を見てつぶやく。
「小父さんも料理すごかったし」
「達人だったよね、中華の」
「中華?」
「いや、イタリアン?」
「でも五目餡かけに入ってた椎茸は、ねえ」
「出汁で味付けしてて和風だったよね」
「なら創作系の達人と言うことで」
「「「「「それだっ」」」」」
知美ちゃんのひと言にみんなの心が一致した。
その光景に微笑みながら、お母さんが爺ちゃんを残して、工場のみんなのために、残った料理を運び盆にのっけて向こうに運んでってくれる。
「そういえば小母さんは枡屋で働いてるみたいだけど、真司くんと寛司くんのお父さんは、お店継いでないんだね。証券マンって言ってたし」
「それはほら、うちは爺ちゃんがしっかりしてるからさ。爺ちゃんがお父さんや叔父ちゃんには好きにやらせてるのさ。もちろんオレたちもね、好きにさせてもらってる」
「へ~。寛司くんのお爺ちゃん、すごいんだね」
「すごいんだよ」
弟さまが相槌を打っている。
おい弟さまよ。爺ちゃんがビックリしてるぞ。
「しかもオレの爺ちゃん、都議会議員もしてるんだよ。都のことを考えたり、都民のみんなが暮らしやすくなるよう考えたりしてね。毎日忙しいんだよ」
「いろんな人が会いに来るよね。真司くんと寛司くんのお爺ちゃんには」
真理ちゃんからの援護射撃も来た。
「へ~」「すごいんだね~」
子供からの無邪気な賛辞に爺ちゃんもいつになく照れ照れだ。
「昨日なんか創業祭でさ、物凄く忙しいのに爺ちゃんはオレたちに、色々教えてくれたんだ。逆ルールとかさ」
「逆ルール。思ってることの逆とか、ジャンケンでの逆とか、そう言うの」
「あーやったな。オレ、ジャンケンで弟さまに初めて勝ったと思ったのに、逆ルールで負けてたわ」
「「「「あはははは」」」」「真ちゃん笑える、それ」
「だからオレは爺ちゃんが大嫌い」
「あははは。受ける」「あははは」「エイプリルフールみたい」「逆ルールだろ」
爺ちゃんが目を白黒させた。何を言ってるのだ、弟さまは、と言った感じだ。これだけ逆ルールを連呼してるのに、爺ちゃんは相当凹んでたんだな。
そろそろ証明してやれよ、弟さまよ。
「昨日の創業祭の後にはオレがおはぎ大好きなの知ってるからさ、爺ちゃんはあんこを好きに遊んでいいぞって、自分たちが作ったのを色々実験させてくれたんだぜ」
「まじかよ」「いいなぁ」「楽しそうだね」「しかも美味しいんでしょ」「うわ、羨ましい」「枡屋の羊羹とか、有名だもんね」
そして寛司がごそごそとポッケに手を入れた。
「しかもオレに、五百円もお小遣いをくれたのだ」
弟さまが印籠を取り出すかのようにして五百円玉を取り出して見せた。
爺ちゃん嬉しそうー。
ようやく逆ルールの悪戯に気づいたようだ。
弟さまのこれでもかというフォローに、爺ちゃんの機嫌がアゲアゲで良くなってるぞ。
「うわ、すげー」「遊んでお金もらえたのか」「お手伝いしたんだよ」「でもすげえ」「五百円なんて超大金じゃん」「やべーよ枡屋」「お爺ちゃん優しー」「うん優しいね」
あ、もうキミ達は爺ちゃんのお気に入りになっちゃったよ。もう逃げられない。あきらめなさい。
「あー、ところで蛍ちゃんは、どの子かな?」
「あ、わたしです」
蛍ちゃんが胸元で挙手した。
「今日はゆっくりしていきなさい。君のお母さんにはうちから連絡入れてるから、安心していい」
「はい。その……ありがとうございます」
「爺ちゃん思い出させるなよ」
「む。まずかったか」
「いえ。かまいません」
「なになに、蛍ちゃんに何かあったの?」
さすがだ緑川くん。キミには恐い物などない。
真理ちゃんなんかはハラハラしてるが、蛍ちゃんも肚を決めたようだ。
「わたしのお父さん、病気なの」
と言った。
病気か。ただの病気じゃないんだよな。…………難病だということを、蛍ちゃんは説明を受けていないのだろうか。
「お父さんが、時々光るの。そうしたらいつもと違うお父さんになっちゃうの」
「「「「「「「…………」」」」」」」
これは、想像以上に難病だ。聞いたことがないぞ。人間の身体が光るなんて。そもそも人間には発光器官が付いてない。何でそんな現象が起こるんだ?
(難病なんてもんじゃないね)
(ああ、奇病と言ってもいい状態じゃないか)
しかしなるほど。蛍ちゃんは大人からの説明以上に実際のお父さんを見てるんだな。大人からの説明が必要なのでなく、説明は必要としてなかったわけだ。
「いつもと違うお父さんになるっていうのは、どういうことなの」
弟さまが尋ねると、蛍ちゃんが物を壊そうとするの、と答えた。
「それが光ると起きるのかい?」
「うん」
弟さまもお手上げだ。オレも言葉がない。てゆうか、爺ちゃんも二の句が継げない。
すると、前田くんが蛍ちゃんに尋ねた。
「あのさ、匂いとかはする?」
「どうだろう。わからない」
「俺は家で犬を飼ってるんだけどさ」
「「「「知ってる~」」」」
前田くんの犬好きは有名だ。宝探しゲームでも犬は持って来られないからとドッグフードを持って来た強者だ。くじら組で前田くんの犬好きを知らない人はいないだろう。
「いい匂いするとそれに集中するよね。おいしそうな料理の匂いに集中するのって当たり前でしょ」
前田くんが運び盆に集まった今まで食べていたランチのお皿たちに目をやった。
「うん」
「人間は一つの匂いに集中するけど、犬って一つの匂いに集中するのではなく、様々な匂いをかぎ分けるんだよね。得意分野が人間と犬では違うんだよ」
「「「「「へえ~」」」」」「さすが犬好き。物知りだね~」
へへへ、と前田くんが頭を掻いた。
「犬ってさ、鼻腔の奥に、嗅細胞ってのがあるんだよね。これは人間だと数百万個ぐらいしかないんだけど、犬は二億個ぐらいあるんだって。人類の百万倍もあるから、人間が感じることの出来ない薄い臭いも嗅ぎ分けられるんだって。
だから蛍ちゃんのお父さんも、もしかしたらそこの細胞が何かを訴えたくて、たくさん集まって光ってるのかもね」
子供の自由さというか、突拍子もない話だ。けれども面白い説だとオレは思った。
時折子供は大人の知識を越える発想をする。まあここまで持ち上げることもないのだろうけれど、オレも弟さまもダブルでドッペルゲンガーを作る以前の段階で止めては、その存在の解析をしたり人体構造を強化したりして、出来る事の範囲を広げている。それだけに彼の意見を受け入れる余地があるのだ。
実際、大人の視点とは明らかに違う意見というのは、違う角度からも光が当たるので、チェックポイントを絞れてくのだ。
オレや弟さまには他にも生まれた当初から産婦人科医の小野先生の基礎知識があり、それからも医学書を結構読んで知識を蓄えたりもした。そこから今の蛍ちゃんの話を聞いて、解明の手口はないかと探ったが、そうしてるオレたちとは逆の方向へと前田くんの発想は伸びていた。
当たってる当たってないは大して意味はない。まだ蛍ちゃんのお父さんに会ってもいないのだから。ただ、事細かに解き明かす方向に行くのでなく、可能性が色々あるという前提で行けという心構えになったのだ。
だからオレは面白い説だと思ったのだ。
まだ人類が見たこともない症例なのだから。
「蛍ちゃん」
「なに、真司くん」
「それがどういう病気なのかはわからないけどさ。治ったらいいよね」
「そうだね」「「「治ったらいいね」」」「「そうだよね」」
蛍ちゃんがみんなに何度もなんども頷いている。
そんな蛍ちゃんを取り囲むオレたちに、爺ちゃんが言った。
「いつでも相談に来なさい。真司と寛司も必ず君の力になるから」
爺ちゃんも一緒になって蛍ちゃんを励ますと、蛍ちゃんがハイと頷いた。
「でも知らなかった」
うんと緑川くんがひとり頷く。
「蛍ちゃんも言ってくれたらよかったのに」
えっと。なんというか緑川くんは通常営業だ。何が起ころうと変わらない。
「ごめんなさい。楽しんでるところで話すわけにいかない話だからって、思ってて」
蛍ちゃんがちょっと涙目だ。ぐずりながら言う。
「文句言われるかもって思ってたから」
「しないよ」「そんなこと」
梅子ちゃんと秋穂ちゃんが揃って言った。彼女たちはこういう面でも息が合ってるのか。ちょっと新発見。
「お父さん、もう向こうに用意したからね」
「ああ。いや待て。ちょっとお前も聞いてけ、宗也」
そして爺ちゃんが蛍ちゃんのお父さんのお話をかいつまんで話した。
だがそんな祖父と父の話になど子供は耳を貸さない。自分たちの話に夢中になっている。まあそれを聞いてけと爺ちゃんが言うならそれはそれでお父さんには致し方ない。
ちょうど弟子志望の知美ちゃんが話していた。
「文句ってさ、その状況を改善できる人が言うならわかるんだけどさ、手出しは出来ないのに口だけ出す人がいてさ、なんかそれ、後出しでジャンケンされた気分になるんだよね」
「あ、それわかる」
「だからこの中だけでもいいけどさ、困った時はその相手にみんなで相談に乗ろうぜ」
「あ、それいいね」「みんなで知恵を出し合うのね」「情報の共有ってやつだね」「一人じゃわからなくても、みんなでなら何とか出来るかもしれないもんね」「正に、くじら組ワンダーランド」
ボソッと寛司が何かを言った。
「そういえば寛司は誰とグループ組んでるんだ? いるんだろメンバーが」
「ああ、それね。いるよ。リーダーの赤樫くん」
「赤樫充です」
「彼はね、超大物。野望があるからまっしぐらさ」
「野望?」
「ここにはいないけど、同じグループに馬場ちゃんて芸能人の子がいるんだ。その子のためなら頑張っちゃうぞって男の子」
「ほう。それは立派な男の子らしい野望の男の子だな」
「え~、でもエッチだよ。お宝でエッチなアニメの絵を持って来るんだもの」
そんな梅子ちゃんに赤樫くんが反論する。
「エッチじゃない。ただの水着だったじゃないか」
目の前にいた真理ちゃんに、だよね、と赤樫くんが話を伺う。
「エッチだと思うよ」
真理ちゃんは同調圧力に屈しなかった。そうして彼は三度敗れた。がんばれ赤樫くん。禿げる前に馬場ちゃんのハートをつかむんだ。
「それから今エッチっていってた南野梅子ちゃんがおんなじグループなんだ」
「こんにちは。南野梅子です。お父さんは梅酒メーカーで働いてます」
「そうなんですか。いっぱい梅酒を作ってそうだな。今度いい梅酒を教えて下さいね。料理の研究がはかどりそうだ。はっはっは」
「今年は果実系は素材がとっても集めにくいみたいだけど、梅はすこぶる順調らしいですよ」
「ああ~。果物はね~。うちも今年はイチゴ寒天ミルクは販売できなかったからな~」
「あ、それ今日頂きました。とっても美味しかったです」
「ははは。ありがとう。梅子ちゃんも寛司と真司をよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
それ、でも、梅子ちゃんは絶対弟さまに向けて言ってるよね。いや、親へのご挨拶か? 両親へのご挨拶。いわば嫁入り前とでも言うか。
(阿呆なこと妄想してないで、兄さまも紹介しろよ。緑川くんはまだ紹介してないだろ)
「お。そうだ。お父さん、彼、緑川くん。グリクラグループのリーダーだよ」
「「「ええっ?」」」「ほんと?」「また冗談ばっか」「ねーっ」「リーダーって真司くんじゃなかったの?」
みんなの声が重なるが、蛍ちゃんの声だけは拾えた。
「え? オレがそんな面倒くさいことするわけないじゃん」
「「おいおいおい」」「兄さま、心の声が駄々洩れだよ」
本人と知美ちゃんの声が重なり、弟さまからも容赦ないツッコミが入っていた。回りを見やると、初めて知ったという顔ばかりだ。
「みんなは緑川くんがリーダーだって知ってたよね」
だがみんなが首を振る。
「真理ちゃんは知ってたよね。てかそう思ってたでしょ?」
オレは唯一グリクラグループで返事をしていない真理ちゃんに尋ねた。
「何でわたしに聞くの?」
「え? だって困った時は質問しようって前に言ったじゃん」
つと、真理は思い出す。
そう言えばそんなことを言っていたと。困った時は質問しよう。この標語は真司くんの結構な場合に当てはまるとも思った。たとえば、敵対的な木下くんにだって真司くんはそうしてた。
弟の寛司くんも、ううん、寛司くんは時々そうしてた程度かな。怒ってばっかのが多い気がする。けど、寛司くんはそこから話をすりあわせて行くのだ。
真理は納得して真司を見る。
「ん。そうだったね」
確かに困った時は質問しよう。そしてさっきはここにいるみんなと困った時は相談しようと決め事を決めたのだ。
「で、で?」
「わたしは、グリクラグループはそんなの決めないグループだと思ってた。別にリーダーいなくてもみんなで仲良く決めてたし」
「そっかぁ。真理ちゃんはグリクラグループにリーダーはいないと思ってたのかぁ。じゃあこれを契機に決めようよ。緑川くんでいいよね」
「兄さま、棒読み過ぎだろ。緑川くんにやってもらおうって魂胆、丸見えだぜ」
「おま、おい、弟さまよ……」
「で、緑川くんはどうなんだい? リーダーやるの? ちなみにうちは赤樫くんがリーダーだけど」
「え? 俺リーダーだったの?」
「オレを勧誘したの赤樫くんじゃん。梅子ちゃんと馬場ちゃんもそうなんだろ? ね、梅子ちゃん」
「そうだね。赤樫くんが言い出しっぺでグループ組んだんだもんね。普通に考えたら赤樫くんがリーダーだよね」
「じゃあよろしく赤樫くん」
何という手際のいい男だ。オレを出汁にして、ちゃっちゃと自分とこのリーダーを決めちまいやがった。しかもこの流れだと緑川くん受けてくれないんじゃ。
「わたしたちのグループって山本先生が決めたんだよね」
「真司くんに、あなたは寛司くんと組んじゃ駄目って山本先生が言ったんだよね。それで山本先生が緑川くんを指名して真司くんの面倒を見ろと……。あれ、リーダーってやっぱ緑川くんじゃない? たぶん山本先生、その前提で指名した気がしたんだけど」
「知美ちゃんの言う通り」
「兄さまやめとけ。もう全部が棒に聞こえて、いかがわしい。諦めろ」
「緑川くん、どう?」
真理ちゃんが訊く。
「俺は真理ちゃんが一番いいと思うんだけどね。真理ちゃんの言うことなら真ちゃんも聞くし、俺たちも聞くし」
「あ、そうだね。じゃあ真理ちゃんにしよう。いいじゃん。くじら組に女の子のリーダーもいないし、真理ちゃんがやりなよ」
もはや誰にも相手にされない。
「わたしはやっぱ緑川くんがいいと思うんだけど」
「その心は?」
と秋穂ちゃんが訊く。
「内田くんの喧嘩ごっことか木下くんを身体を張って止められるの、緑川くんしかいないよ。不測の事態に対処出来るのって、実は緑川くんが一番なんだと思うんだけど」
「おお、それはオレも思う。すごいな真理ちゃん」
オレだと攻撃の対処は出来ても、身体で問答無用で押さえ込むことは出来ない。だが緑川くんなら出来る。
「そんなときは一ヶ月毎に交代すればいい。みんなが経験を積むんだよ。それから決めてもいいんじゃないかな」
「うおお、真司くんのお爺ちゃんスゲー。さすが都議会議員」
なにが赤樫くんの琴線を打ったんだろう。オレにはまったく理解出来ないが赤樫くんの中で何かが起こったようだ。
こんなのは三歳児という年齢を鑑みた上での、単なるみんなに経験を積ませることが目的という話ではないか。
それからオレたちは工場の隅っこで、気を利かせてくれた爺ちゃんから、煎餅を焼いてもらったりして遊んだ。みんなが煎餅を焼いてみたりして、ひっくり返す作業と醤油を塗る作業をやらしてもらい、みんな喜んでくれた。
時々お兄さんから練り切りをもらったりして、和菓子屋のいろんなことを堪能して大満足な様子だった。
そんな風に遊んでたが、いよいよみんながお帰りになる時間になった。
「和菓子屋さんでしかできないことを、色々やらせてもらったね」「楽しかった~」「俺いっぱい食べちゃった」「晩ご飯入るかな」
うん、男子組はそうだろう。昼ご飯を食べてからずっと煎餅だの、練り切りだの、おかきだのと、ひたすら食べ続けていたからな。
「蛍ちゃんはどうだった?」
「とっても楽しかった」
その笑みはキラキラ輝いていた。
「また遊びにおいでよ」
「うん」
頷いてくれたが、お見舞いに行くよとは切り出せなかった。今そんなことを言って思い出させるのは酷だと思った。
「今日は作り方とかいっぱい料理の話が聞けて面白かった。美味しかったし。師匠も見つけたし」
知美ちゃんは相変わらずですな。
「うちも洋食屋だから夜はお父さんに頑張ってもらわないと」
「そういえば知美ちゃんちも夜は大忙しなんじゃない? ゴールデンウィークだし」
「だったらいいけどね。時々みんな里帰りして都内はがらがらってことあるじゃない」
「ああ、あるある。今年だったら年末年始がそんな感じだったよね」
「そう。それになってないといいけど」
「でも忙しかったらどうするの」
「だいじょぶ。うちにはお姉ちゃんもいるし。ゲームばっかしてるけど。いざとなったら手伝ってるでしょ」
「そうなんだ。じゃあ安心だね」
弟さまが納得の表情を浮かべた。
「知美ちゃんちは何が美味しいの」
真理ちゃんが尋ねた。グリクラグループの女子組だしね。みんなが聞きたいことを代表して聞いてくれた感じだ。
「うちはビーフシチューとハンバーグかな。特にハンバーグは厚めで肉汁出ちゃう系だから人気あるよ」
「「うわ、おいしそう」」「「お腹減ってきたね」」「お腹いっぱいって言ってじゃん」「いやでもハンバーグ食べたくなっちった」
そこへ知美ちゃんと前田くんのママが迎えに来た。一緒に蛍ちゃんも連れて帰ってくれるみたいだ。
うちのお母さんも店から出て来てママ友の親睦会をしてる。手土産に焼きたてのおかきを渡してるところがお母さんらしい。
ほんのりした塩味が美味しいからね。焼き立てだから家に着く頃にはちょうどいい暖かさになってるだろうし。
「じゃあね」「またね~」「お世話になりました」
親同士のご挨拶の脇でオレたちも別れの言葉をかけあう。ちょっと寂しい。
そうして次から次へと迎えのママが来て、最後に真理ちゃんだけが残った。
真理ちゃんのお母さんが、ちょっと話があると言って、うちのお母さんと店先で話しはじめたのだ。
だからオレたちはみんなが帰った後に、工場の隅っこで真理ちゃんに相談を持ちかけた。
「なんとかして蛍ちゃんのお父さんを治したいんだけど」
「あれで?」
「「あれで」」
真理ちゃんが押し黙った。真剣に考えている。
でも真理ちゃんがどう言おうと、蛍ちゃんのお父さんを治すのはもう規定事項だ。手拭い合わせのよねちゃんのお話を知ってしまったから、蛍ちゃんのその切なさはよくわかるんだ。弟さまもそのつもりだ。
「問題はさ、どうやって会いに行くかなんだよね」
反対意見を考えてたんじゃなかったのか。ダブルは隠す方向が絶対だから、どうやってごまかしながら治すかを相談したかったんだけど、そうか、その前に難関があったのか。
「面会謝絶、だったんだよね」
「そう。だから蛍ちゃんのお友達だからって、簡単に会えるとは思えないのよね」
「そうか」「なるほどねぇ」
「今ある情報だけじゃ結論を出せないね。わたしもちょっと考えてみる。お母さん、何か知ってるかもしれないし」
オレたちは店先にいるはずの方向を見た。店と工場をしきる暖簾がそよそよと揺れていた。
その夜、七時に店仕舞いをした後に、お父さんたちを説得してオレたちは家族で知美ちゃんちの洋食屋さんに食べに行くことになった。
すると予想だにしないことが起きた。
「「「「「あ」」」」」
緑川くんちと真理ちゃんちと赤樫くんちと梅子ちゃんちと、洋食屋さんに入ったらばったり出会ってしまった。
みんなもおんなじ気持だったのか。
そうだよな。別れ際に洋食屋さんの話なんか聞いたら、一日中食べてた〆は洋食屋さんにしたくなるもんな。
そうして親御さん同士のご挨拶が始まったのをよそに、オレたちは鉢合わせしたくじら組のお友達と席を並べ、みんなで仲良くハンバーグを食べた。
ハンバーグにつけるデミグラスソースに、マッシュルームをバターでソテーしてくれたのをおまけに付けてくれたので、嬉しくてうれしくて子供心が燃えたぎり、とっても美味しかったです。まる。




