第1話 誕生
さて、いよいよです。心を込めて書きます。よろしくお願いします。
追記。「ダブル」は、生後から始まり幼稚園児までは、子供言葉と目に映る情景は園児視点の述懐になります。「せめて最後は王室外交の役に立てと、異界暮らしが始まりました」より、記述してる文体は幼くしてるので、あらかじめご了承下さい。
四方には壁があり、オレはその壁と接触していた。だが身動きが取れないかと言えばそんなことはない。押せば弾力があり、引けば吸いつくように、また元の状態に戻る。動きが制限されることは生物の本能として嫌うところではあるが、その動きも完全に抑制されてるわけでもないし、不思議とこの場所には温みもあり、不快どころかむしろ心地いい。
だから理由もなくここから出る気はなかった。
だが今、何故かオレをここから出そうと言う力が働いている。
先程からしきりにオレの頭に誰かの指が触れてくる。四方の壁も蠕動してオレをここから出そうとする。
すると、もぞりと何かが流れ込んで来た。
それは映像だったり概念だったり、まだ何かとしか言いようがない何かだったが、とりあえず折角ここで寛いでいるオレをここから出そうとするのは邪魔だったので、オレは首を振り、とりあえず拒絶した。
もっとも、オレ自身には拒絶などというそんな概念もまだ定着したわけでもなかったのだが、やってることは断固たる拒絶だった。
そうこうしてる間も勝手にオレに接触してくる。そのたびにオレという存在に関して明晰になって行くのだが、正直しつこい。更にオレの身体を挟みつけてくる。たまらず羊水の中から押し出されそうになる。身体を強張らせて拒否してみるが、オレを押し出す力に、引っ張る力が加わった。
ああっ。
絶望的な気持ちになった。このままでは出されてしまう。
と同時に猛烈な反骨心が沸いた。
こいつは一体何なんだ。オレがここにいたいと表明してるのに、此処から出そうとするなんて、こいつは一体何者で、何を考えているのだ。
すると────。
引っ張ろうとして男と接触してる部分から、この人間の生い立ちが、医者となった男の人生をかけて学んできたことや、見聞きしたこと、嬉しかったこと、苦しかったこと、ちょっとエッチなこと、様々なことが脈絡もなく奔流となってオレの頭に流れこんで来た。
それは小野道隆という医者の、膨大な生い立ちであった。
この医者が生まれ落ちてから、オレを取り出しにかかってるたった今これまでの、こいつの人生、その後先、全てがである。
そしてこの医者から得た知識が、自分が、いわゆる産道という所にいるのだということを理解させられた。
だがふざけるな。
オレはまだここにいたいのだ。
手を突っ張らせて産道に留まるべく抵抗する。足では小野先生へと向かってゲシゲシ蹴りに入る。が──。
と。
届かぬ。
悲しいかな、オレの渾身の蹴りが、オレをつかむその手に届かないのだ。
外から見れば、オレはただの赤子であり、その赤子が足をばたつかせているにすぎないのだろう。
赤子の足では、この産婦人科医の脅威にはなり得ないのだ。
蹴りは、小野先生の幼少時に刷り込まれた、なんたらライダーとかいうヒーローの必殺技のはずであった。それなのにまるで通用しないと、もどかしく足掻いてみるのだが、つと、母の痛がる声が聞こえた。
オレのせいだ。
それはオレの本意ではない。
ごめんよ母さんと暴れるのをやめたら、頭が完全に外に引っ張り出された。
気を逸らしたらこれだ。
ふざけるな。
オレの母親を盾にしやがって。
決して足蹴にしてたのが医師に向かってではなかった事への恥ずかしさではない。
だが見当違いだったのは事実だ。お母さんごめん。
でもとりあえずオレはまだ子宮にいたいのだ。
だが言葉を発することが出来ない。
出来ないことに愕然とする。だが考えてみれば、確かにまだ、自分は赤子だった。赤子のくせに思考と理解があることが異様なのだ。だが、今はそこが問題なのではない。
必要なのは対処なのだ。
そしてオレは、心の奥底に、おそらく魂と呼ばれる領域に、力を込めた。
力が湧く。いや、沸くの方だろうか。
判然とせぬまま溢れだして来たその力は、己の意図するままに扱える確信があった。
こうして思考してる力も一端ならば、これから行使しようとしてる力も、力のごく一端なのだと言う確信。
この名もなき力は、知見を得た小野先生という産婦人科医の力ではない。確かに小野先生から知見を得たが、小野先生には今こうしてオレが扱ってるような力はなく、溢れる奔流はこのオレ自身によるものだ。
対処をしながら己を探った力だった。
そしてオレには現出させただけでなくその力を振るえる確信がある。
オレはまだそこにいたいのだ。
オレは、オレが在るべきと思ったその場所に、もう一人のオレを現出させていた。
あれ? と思う。
分娩室に大きな泣き声が響き渡った。
「産まれましたよ、最上さん。立派な男の子です」
そういった小野という産科医が、母の腹を眺めて、つと疑問の表情を浮かべた。
「まだお腹が膨らんでいる?」
医者が驚いた。状況が理解できないようだった。
「先生、双子だったのでは?」
アシスタントの女性の憚るように告げる諫言に、小野先生は絶句する。
「そんな。まさかそんな大事なことを見落とすなんて」
「いるものはいるんです。奥さん、もう一度いきんで下さい。はい、ひっひっふー」
「ひっひっふー」
「あそれ、ひっひっふー」
「ひっひっふー」
「もひとつ、ひっひっふー」
「ひっひっふー」
医者は取り残されている。
だがオレはアシスタントさんの景気の良い掛け声がおかしくて可笑しくて仕方なかった。笑いながら泣いていた。一緒になって唱和してる母さんまで笑ってる。まるでお祭りのようだ。
(おい。随分と楽しそうだな)
突然呼びかけられた。
だが相手はわかってる。オレが子宮に現出させた、もう一人のオレだ。
互いにまだ名前はない。だが話し相手は互いしかいない。
思念がつながっているのだ。その事実だけがわかる。とりあえず答えた。
(ああ、随分と楽しいぞ。だってひっひっふーだぞ。ひっひっふー)
盛大に物真似してみせると、もう一人のオレも楽しそうに笑った。
(そいつは、確かにおかしいな)
(だろ?)
(じゃあオレも抵抗しないで出た方がいいかな)
(いいんじゃないか)
(初志と随分ちがうな。気の変わりようが早いと言うか)
(だって仕方ないだろ。それともお前、出たくないのか?)
(いや、別に。そんなことまで考えてなかった。……じゃあ出てみるか)
そうしてもう一人のオレ、双子の弟が誕生した。
分娩室には、両親の喜ぶ声と、医者である小野先生の自信をなくした姿がある。
オレたち二人は楽しく泣き叫んでる。名前はまだない。互いに、少々不便である。
(けどおまえ、これってやっぱあれだよなぁ)
(ああ)
オレは、怒濤のごとく流れ込んで来ていた医者の知識を探る。
ふむふむと肯く声も届いてくる。オレの弟の声だ。先程から事態への対処ばかりで認識が遅れていたが、事ここに至って改めて認識した。どうやら弟も、この知見を共有してるらしい。だからオレたちは、オレたち二人の身に何が起きてるのか、医者である小野先生の膨大な知識から、適切な名を選ぼうと同じことを考えていた。
そう思った瞬間に理解した。
二人の思念が重なる。
(これは、ダブルだろ)
図らずも同じ答えに辿り着いていた。