宗教家の妄言
2016年7月30日。
"救世主と共に歩く会"の教祖である坂下透は苛立っていた。
「どういうつもりですか、静岡さん。見ていて失望しました。私はあなたに最後の試練をお願いしたはずです。なのに冊子だけ渡してくるとは」
物言いは静かだが、語気は強い。
坂下はあの時、少し離れた場所で、目の前でうなだれる女性、静岡理恵を検定という名の下で監視をしていた。
「は、はい。申し訳ありません。こちらを全く見ないものですから、今日は引いた方がいいかと」
「単なる言い訳ですね。あなたは救世主のお力を借りたくない様ですね」
静岡理恵が慌てる。
「い、いえそんな事は。必ず、必ず彼を解放してみせます。お願いいたします」
「まあ、初めてですぐにそんな事にはなりません。ちゃんとマニュアル通り進めてください」
坂下はそう言い捨てて、奥の間に入った。
"救世主と共に歩く会"は去年の年末に出来たばかりの教団だった。
信者は主に"いない人"の家、または被害者の関係者が大半を占める。
教義なんて立派なものはない。
「愛を持って話しかけなさい。貴方の徳が高ければ、きっと彼らは解放され、救世主と共に平穏な暮らしが約束されます」
と言って"いない人"に接触をさせようとしている。
教団では、過去に3名解放している。
例の期間終了者もその1人。
そしてその彼らを解放したのが教祖である坂下という事になっている。
「んなわけあるかよ」
奥の間で寝転んで坂下は呟く。
坂下自身、その期間終了者とやらにあった事もないし、ましてや解放した事もない。
つまりは嘘の情報である。
坂下は国が期間終了者の情報を持ってないと考えている。だから誰も証明出来ない。
また、恐らくいないとも思っていた。
坂下は教団という組織、体制を気に入っていた。
一度決めた彼の行動は速かった。
口八丁手八丁で、教団に勧誘し、信者を募る。
坂下にかかれば、信者は簡単に集まった。
"いない人"が絡めば、正常な判断を失うらしい。
そして信者は、"いない人"を解放する技を請う。
当然、簡単には教えない。
独自の"徳レベル"を設けて、階級制にした。
最高位の資格である "手引きする者"になったら、私の技が伝授される。
ただし、その為には、"いない人"と会話をする事が最終試練である。
さっきの静岡という女性が、初めて教団内でその資格である、"手引きする者"になれる条件を満たしつつあった。
残っているのは、あのじいさんとの会話だ。
坂下としては、彼女でも誰でも動く事で "いない人"が死ぬ事を望んでいた。それだけだった。
つまり、静岡が生き残ると思っていない。
そもそもそんな技など存在しないのだから。
「数だ。数が必要なんだ」
坂下は呟く。
坂下は元々特殊清掃業を行う会社に勤めていた。
事件や自殺の死体処理を扱う業者だ。
ある日社長から、息の長い仕事を受けそうだ、やるか、と話があった。
その始まりがあの事件の処理、 "江田事件"だった。
坂下もあのコメンテーターが、映し出されている動画を観ていた。ぼやけて表情は分かりにくかったが、苦しそうだ、という印象を受けていた。
しかし、江田事件の被害者達の顔は全員《・・》、苦しみから解放された、という表情にしか見えなかった。
「不思議だ。そして例外がない」
その後も何件も処理をする。
しかし、皆同じなのだ。
何を思って逝ったのか。
どんどん疑問が大きくなっていった。
同僚が耐えきれず辞めていく中、わざわざ選ぶようにその担当を買ってでた。
誰もそんな風には見えないらしい。
ある日、遺体には "いない人"も混ざっている、と聞かされた。
本来なら聞くべきことではなかったのかもしれないが、血だまりの中で横たわるその人の顔を覗き込んで、驚愕した。
まるで教科書に出てくる仏像、弥勒菩薩のような、平穏を与えてくれるような穏やかな顔だった。
何かを悟ったような。
あまりの驚きにその時現場にいた社長に話すと
「坂下、お前少し休め」
とだけ帰ってきた。
違う、重要なのはそこじゃないだろう。
そう思ったが、言葉を止めた。
何故あんな顔ができるんだろう。
人を殺して、自分もあんな状態になったのに。
そう思うと、好奇心が止まらなかった。
どうすれば、あの顔にもう一度出会えるのか。
ニュースで得た情報から、1人に張り付いたが、2ヶ月くらいで自殺してしまった。
これは効率的じゃない。
もっと積極的にぶつけなければ。
そんな時にドキュメンタリーで放送された、"いない人"の家族の現場、遺族の思い。
これは使える。
彼らの家族には技があると伝え、遺族には、殺したい相手を聞き、依頼殺人のようなニュアンスで説明する。
これはかなり人を選んだが、一旦協力を得られれば、金銭的援助に事足りなかった。
むしろ復讐の為に勧誘さえしてくれる。
"いない人"の親族などの信者は"つなぐ人"
被害者からなる信者は"おくる人"としていた。
表向き、徳の高い人を"つなぐ人"側に意図的に寄らせておき、昇格しやすように調整していた。
スムーズですに儀式に繋がるように。
今やっている事に坂下は罪の意識はなかった。
あいつらが勝手にやってる事。
俺は舞台を用意しているだけだ。
あのじいさんに何人当てればいいのか。
ただ、それだけを考えていた。