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外志喜の老後

2019年7月29日。


剣崎外志喜(けんざきとしき)は、いつも通り、散歩を終えて庭で盆栽の手入れをしていただけだった。


定年を迎えてもう6年。

そしてあの通達を受けて半年。

なんら不都合も、問題も感じなかった。


なのに。

この人は、私の前に立つこの人は誰なんだ。


---

元の住居を離れ、郊外の侘しい場所にある小さな平屋に住みはじめたのは定年を迎えてすぐだった。

定年過ぎたら、こういう家で過ごしたい。

外志喜は50歳を過ぎたあたりからそんな夢を描き続けて来た。


その頃に妻に話したが、まるで取り合ってくれず、半ば無理やりにこの不動産を買ってしまった。

それが決定的になり、もうなんの連絡もとっていない。

娘も妻の味方で、今どうなっているかも知らない。


それもあってか、全くと言っていいほど、一人きりだった。

近所付き合いはそもそも苦手で、関わり合いは持っていない。

会社の付き合いはそれなりにあったが、新しい家の事は誰にも言ってなかった。


色々な手紙や連絡があったのは、はじめの半年くらいで、今はない。

こちらから特に出向く事もないので、1日1日を好きに過ごしていた。


そんな外志喜に通知が来た。

注意事項などを読むと、頷きながら捨てた。


「何を、今更気をつければいいんだか」

そう言いながら、自らハサミで電話線を切り、携帯電話はカバンにそのまましまった。


もう誰にも邪魔されない。

せいせいした。

読めば、定期的に食糧も来るらしい。

もう料理も面倒と感じていたし、好物も特にない。

そんな生活でも十分だった。


100人とすれ違う事も問題なかった。

電車で1駅分のところに、それなりの規模の駅前があった。

駅前になると今は減ったとは言え、勧誘などもある。

それを避ける為、駅周辺をぐるっと回る。

それだけでよかった。

これを1日起きにやっていたが、大丈夫だった。


そもそも仏頂面で歩くため、誰も話しかけない。

たまに珍しく声を掛けてきた奴もいるが、視線も合わせないまま、無視すればよかった。


通知を受け取る前は、睨む事もしたが、それをする事もなくなった分、楽になった。

半年経った今も、食事の用意をしなくなっただけで、不自由は特に感じない。


それなのに今朝。

50代と見られる女性が、玄関に立っていた。

手には大きい字で書かれた冊子を持っている。


"孤独は去り必ず平穏は訪れる"


冊子より、何より何をしている、が外志喜の思いだった。

すかさず目を合わさずに、彼女がいる方向とは逆を向いた。

こいつだって、玄関先のマークを見ていないはずがない。


だが、こいつは自発的に入って来て、私の前に立っている。

なんて面倒な事を。

なんて危険な事を。


「どうぞ、受け取って下さい」

彼女はそう言った。私に(・・)

愚かな。死にたいのか。


私は返事もせず、振り返りもせず、動かなかった。

早く、早く去ってくれ。


「救世主は必ず現れます。決して気を落とさないで下さい」

背中に冊子が当たっている。


ダメだ、それ以上はダメだ。

ただ、動く事も出来ない。


外志喜も冷酷ではなく、基本的には温厚な部類の人間だった。

ただ、頑固な事、人の話を聞かない事、伝える事が極端に苦手なだけで。

これらが彼の行動を孤独へと固定していった事は彼自身も自覚していた。


「ここに、置いておきますね」

そう言って、彼女は去っていった。


誰がこんな事をやらせているんだ。

こんな状況じゃなければ文句の電話でもかけてやるのに。

口に出して言おうとしてやめた。

今話して、もし聞こえたら、彼女が死ぬかも知れない。

冊子を拾い、玄関に向かう。


そこでしまった、と思った。

今拾った事で、彼女はもしかして。


"置いておきますね"


いや、大丈夫だろう。

置いておく、と言っただけで、それをどうして欲しいかは言ってない。

拾うか拾わないかは関係ないはずだ。

そう結論づけた。


しかし、また来るかも知れん。

あの手の女性、後ろにいる団体は厄介すぎる。


外志喜はそう思いながら、冊子をゴミ箱に捨てた。

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