接触禁止の限界
2019年8月20日。
外志喜は苛立っていた。
あの女は、今日もまた来るのだろうか。
もう2週間くらいだろうか。
気がつけば、家の前に立っていた。
ほぼ毎日だ。
大体1時間。長い時は4時間以上に渡る。
最後に郵便受けに例の冊子を投函し、帰って行く。
"いない人"になってなければ、とっくに警察に突き出していた。
しかし、こちらからは何も出来ない。
相手は話す気満々だ。
文句を口にすれば、私は確実に殺人者になる。
一体、何をしたいんだ。
そしてそれを遠巻きに見ている4、5人の集団。
真ん中の服装はシンプルだが、柄が派手な男が親玉だろうか。
真っ青なローブを纏っている姿は、アニメか何かに出てくる聖職者のようだ。そして胸の中心に集まっているような光の束の模様。
ため息混じりに言う。
「宗教団体か」
外志喜はそういうものに嫌悪に近い気持ちを持っていた。
昔、妻がハマっていたのだ。
しかも、3ヶ月ほどであちこち転々としていた。
その都度、何処かに出て行くのだが、渡した小遣いのほとんどをつぎ込んでいた。
修行、徳を積む、クラスをあげる、資格の勉強。
そしてそれらにかかる安くない費用。
正直、社会の役には全く立たない。
近所のお寺じゃ何がダメなのか。
駅前に昔からあった、教会でもいい。
よくわからない名前の団体に登録し続ける妻の気持ちが、全く理解できなかった。
一度だけ、とことん話した事がある。
「あなたには、この教えの素晴らしさがわからないのよ」
そう言って切り捨てて来た。
その教えにこんなにかかるのもわからんがな、と切って捨てた。
1年もすると、飽きたのか全く通わなくなった。
嫌味っぽく、聞いたことがある
「教えの素晴らしさは何処にいったんた?」
「・・・私には合わなかったのよ」
何十万も払ってこの言い草。
あの時ほど力が抜けた事なんてそうそうなかった。
今、家の前にいるあの女が置いていってる冊子が手にある。
"孤独は去り必ず平穏は訪れる"
お前が来るまで、平穏そのものだったんだがな。
この冊子の中身は、子供の作文の方がマシだと思われる内容だった。
私達は孤独だから、助けてあげなければ、解放してあげなければいけない。
徳を積めば、免疫が出来る。
だから話す事も必ず出来るのだ。
要約するとこんな感じだ。
書いたやつは、おかしいと思わないのか。
それとも、わざと狙ってるのか。
これまで沢山のニュースがあり、死者も出ている。
中には有名な坊さんもいたとかいないとか。
それに、親の愛に勝るものがあると言うのか。
聖人君子は否定はしない。
だが、そんなものはすぐに手に入らないし、一介のおばさんが、今日からなりますと言って出来るものでもない。
自分は特別だと。
特別。
そうだな、ある意味私は特別だな。
外志喜はそんな事を冊子を持ちながら考えていた。
そんな思考を破る者が出て来た。
「失礼します」
あの女が玄関から入っている。
両手には買い物袋を持っていた。
驚きのあまり、立ちすくんだ。
「しばらく様子を見させて頂いておりました。やはりお一人が長いようですね」
静岡と言う女は明るく話して来た。
話して来た。
「今日からお世話をさせて頂きます、静岡と申します。解放の日まで宜しくお願い致します」
そう言って、失礼します、と家に上がり込んで来た。
どうする?
外志喜の頭はぐるぐる回った。
思わず背中を向け、トイレに入った。
静岡は台所に向かったようだ。
状況がつかめないが、あいつは私の世話を焼くらしい。
なんという手間を。
なんという命知らずな。
それよりも、私はどう行動するのが適切なんだ。
彼女を殺さないために。
私が殺人者にならない為に。
徹底的に無視か。
しかし、諦めて帰るだろうか。
不安になる。
そういえば、駅の近くでも、やたらと不安に感じたな。
小さい部屋にいるような気分だった。
今はあの比ではない。
自分に身の周りに危険があるのだ。
トイレからそっと出ると、いい匂いがしていた。
煮物か。
今に入ると、もう料理ができており、並べられていた。
肉じゃが、サラダ、味噌汁、ご飯。
無難な組み合わせだ。
静岡はなにも話さず、座っていた。
私も恐る恐る、座る。
5分くらい過ぎただろうか、静岡が話し始めた。
こちらを見ずに、どこかを見つめながら。
「ご飯が冷めてしまいます。私は作りましたが、必要ないものです。掃除をします」
そう言って、立ち上がり、廊下を掃除し始めた。
食べろ、ということか。
いいのだろうか。
食べるという行為が怖い。
食べたらどうなる。こいつは。
いっそ毒でも入ってた方がわかりやすい。
外志喜は迷った挙句、保存食を手に食べた。
ここにいる事が危険な事、いて欲しくない事を分かって欲しい為に。




