標本
「お前もこいっ!」
そう言って差し伸べた手に掴まった少女を、総司が引っ張り上げる。できる限り気を使ったものの、敵が近づいている、という焦りのせいでつい勢い良く引っ張ってしまう。
「ごめんな」
シートに座り、起動準備をしながら総司は謝罪の言葉を口にする。言葉が通じない相手だが、それでも、という気持ちが総司にはあった。それを知ってか知らずか、少女は総司に微笑み返す。
「補助操縦席は……」
総司が操縦席の後ろで何やらゴソゴソすると、全周天モニターの後方からもう一つの操縦席が出てくる。総司のものに比べると、その左右のキーボードやらなにやら雑多な入力機器と出力機器の数が段違いに多い。
「取り敢えずここに座ってくれ、何も触っちゃダメだからな!」
総司は、少女を席に座らせテキパキと安全器具を装着させる。
「さて…」
ようやく操縦席に腰を落ち着けた総司は、右手側のキーボードを引き出し外骨格の起動準備に掛かる。
「各部シリンダー異常なし、常温核融合炉正常稼働中、第一から第八装甲板、第十三から第二十七装甲板パージ」
キーを叩く音総司の呟きに合わせて、外骨格の状況を示す文字が緑色に変わってゆく。
「メインスラスタもサブスラスタも推進剤を噴射装置の方に回したから推進剤切れ…脚部も第二関節が軒並みイかれてる……予備関節にシフト……」
腹のない蜘蛛の各所に、赤い光が灯り始める。脚が奇妙な動きをして、その関節の形を変える。
「モニターも大分やられてる……NFSがイカレなかったのは幸運だな」
Nerve Feedback System。
操縦者の神経をそのまま外骨格に接続する操縦方法であり、外骨格を文字通り自分の体のように操縦する事ができるシステム。しかし課題も多い。例えば、システムに適合する人間が限りなく少ない―――
「クソ、早く起動しやがれ…!」
総司の首筋には、そのシステムに適合した証である神経接続用のプラグが接続されていた。
「うー!」
少女が突然前を指差す。
「……っ! 起きろぉぉぉっ!」
それを見た総司は、本能的に身体をはね起こした。
脳の送った指令が、首筋から外骨格へと流れる。
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一瞬の暗転の後。総司が目の前に見たのは、巨大で黒い塊だった。
咄嗟に前脚で防御の構えをとるものの、猛スピードで迫って来たソレに大きく跳ね飛ばされ、総司は苦悶の声を上げた。痛みに耐える間もなく、今度は地面が迫る。
―――マズい!
この程度の落下ならば外骨格は余裕で耐える事ができるが、総司は別の心配をしていた。
本来、操縦者はNFSの起動と共に身体を操縦席にがっちりと固定される。しかし、少女にNFSを接続する事は出来ないし、身体の固定機能はNFSを接続しなければ作動しない仕組みになっている。
つまり、三次元的な動きをする外骨格の中で、少女を繋ぎ止めているのは安全用のシートベルトだけなのだ。
総司は受け身を取って素早く立ち上がると、爪を使って木へとよじ登った。
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「大丈夫か!?」
意識をヒトの身体に戻した総司が、振り返って少女に聞く。
―――ごおおおおお。
「う、ああ」
少女は目を回している様子だったが、別段怪我はないようだ。
―――ばふっ。
「悪いな、我慢してく……」
―――どおん!
総司が言い終わらないうちに、また衝撃が蜘蛛を襲った。直撃……ではなく、総司の登っている木に何かが当たった衝撃。木の根元を見ると、さっきの黒い塊が横たわっている。よくみれば、ソレは一つの塊ではなく、幾つもの節を持った鎧が丸まったモノだった。
ソレは形を崩すと、総司もよく知る虫へと姿を変える。
「ダンゴムシ……!?」
攻撃形態を解いた虫は、一直線に総司の元へと幹を登っていく。
「草食……じゃないよな!」
虫の頭部と思われる辺りに、獲物を狩ろうと不気味に蠢くスズメバチのような顎を見た総司は、外骨格を操作して木から飛び降り、意識を再び外骨格へと移した。
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再び虫へと視線を向ける。
虫は総司が飛び降りたのを察したのか、木から脚を離すと体を丸めながら落下し、突如総司のほうへと飛んだ。
「なっ!?」
凄まじい速度のソレを、総司は間一髪で避けた。ダンゴムシはそのまま地面に激突すると、変形を解いて総司の元へと一直線に駆け寄る。
「どうなってやがんだこのダンゴムシ!」
総司が知っている防御用の形態は、獲物を轢殺する攻撃形態へと変質していた。蜘蛛を噛み砕こうと迫るダンゴムシから逃げながら、反撃の手段を考える。そのうちに、また虫が攻撃形態へと移った。
それと同時に、不気味な唸り声の様な音を外骨格の聴覚が拾う。
「……!? まさかこいつ……」
総司は耳を澄ませた。
不気味な唸り声が止まり、「ばふっ」と大きな音がする。その瞬間総司は大きく飛び上がった。その下を、黒い塊が風切り音と共に通り過ぎる。
虫が元いた場所をみれば、小さな草が円形になぎ倒されており、その中心は地面が抉れていた。しかし、何かが爆発したにしては攻撃の際の時の音が小さいし、それに攻撃前の唸り声の様な音。攻撃した後、次に攻撃形態に移るまでのインターバル。
「こいつ、まさか空気圧で飛んでるのか!?」
まさか、とは総司自身が一番思っていた。しかしそれ以外に考えなど思い浮かばないし、なによりもこのまま追い回されたら少女が持たない。やるしかない、と決心する。
―――なんにせよ、あの唸り声の様な音が止んだ瞬間飛んできた。
「ぶっ飛んでくるタイミングがわかりゃあ手の打ちようはある!」
一直線に駆け寄ってくる虫から逃げながら、総司は先程よじ登った木の元へと向かう。
「ミスったら即お陀仏か……!」
そのまま前脚で木に捕まり、ダンゴムシから見て丁度、標本にされたような格好をとる。
ごおおお、という唸り声。神経を外骨格に預けた総司の心臓が、早鐘のように鳴っていた。きちきちきち、と音を立ててダンゴムシが身を丸めた。唸り声が止まる。
―――来る!
その一連の動作を聴覚と背中の眼で捉えていた総司は、前脚を使って身体全体を跳ね上げた。先程までとは真逆の格好になった総司の頭の下に、黒い塊が着弾する。
艦砲射撃か何かと勘違いしそうな程の衝撃に耐えながら、総司は重力に耐えながらその機を待つ。黒い砲弾が変形を解いて、再び虫の形をとろうとする。
「待ってたぜぇ!」
総司が、今まさに変形を解こうとしているダンゴムシに襲いかかった。視覚外からの攻撃に、虫も必死に逃れようとするが、為すすべなくひっくり返されて、仰向けにされる。総司が木から飛び降り、猛然と襲いかかった。
ダンゴムシは身体を丸めて防御しようとしたが遅く、身体を丸めようと持ち上げた頭を、総司の左足の爪に捉えられた。
「戦闘用の装備がなくったってなぁ!」
パイル・ピック―――本来は姿勢制御のために地形に爪を撃ち込む用途で使われるそれを、総司は起動した。
蜘蛛の爪が、ダンゴムシの頭を撃ち抜いて木に留める。
虫は暫く蠢いたあと、ピクリとも動かなくなった。
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「はっ……ざまぁみろ、標本にしてやったぜ……」
意識をヒトの身体に戻した総司はそう呟いた。動いていないのにもかかわらず動悸は激しく、滝の様に汗をかいている。
「あうー……」
後ろの少女も、気が抜けたような、疲労困憊といった表情をしていた。
「ぶふっ」
やけに人間臭いその仕草を見た総司が思わず吹き出すと、少女はそれに怒った様な表情を見せた。
「はは……ごめんごめん、安全運転は得意じゃないんだ……ふふっ」
謝ってはいるが、未だ笑いが収まらないという様子の総司に、少女はぷい、とそっぽを向いてしまった。
「さて……これからどうするかね……」
外骨格を操作して虫に突き刺した左脚部の爪を脚から外し、爪のなくなった脚を地面につけながら総司は呟いた。