盲亀浮木
丸く切り取られたような澄み渡った青空がまず目に飛び込んでくる。あまりの眩しさに顔を手で覆う。
「ここは……」
約四時間の昏睡から―――もちろん、眠っていた彼には知る由もないのだが―――荒谷総司は目を覚ました。
「うっ……」
総司は上半身を起こして、あたりを見渡した。激突の際に受けたと思った傷は、思ったより痛まない。
そこは、まるで総司を守るかのように木々に囲まれた空間だった。辺りには青々と草が生い茂っている。そこだけぽっかりと天井が開いたような空から射し込む光とあいまって、幻想的な風景だ。柔らかな風が、総司の頬を撫でる。
―――ああ、死んだのかな、オレ。
総司はぼんやりとした頭で、なんとなくそう思った。
しかし、眩しい日差しと涼しい風が、失神のショックと痛みでぼんやりしている総司の頭に、お前はまだ生きているぞと語りかけていた。それに合わせて、総司の意識もゆっくりと覚醒してゆく。
「なんだよ、死んでないのかよ……」
落胆と、喜びが入り混じったような複雑な声色で呟く。
「どこだよ此処……って、どうみたって『エデンの森』の中だよな?」
総司は確認するように、もう一度辺りを見回した。森の最深部の雲の上まで伸びる大木ほどではないが、どれもが樹齢何百年もの大木である。
そうして『エデンの森』の中で間違いない事を確認し、声に出してみてやっと総司は気付いた。
「……あれ、ヘルメット……」
そう、日射しも風も、エデンの森調査隊が使う特別なスーツ―――外骨格同様、虫に気づかれにくい素材で作られた―――の、ヘルメットが無いゆえに感じていたものだった。
途端に、投下時から溜まっていたストレスが不意に込み上げてくる。
「ああもう、何なんだよくそっ!―――死んだと思ったら生きてるし、生きてると思ったらヘルメットがねぇし、っつかロボットもねぇし!―――虫に食われて死ぬんだったらあのまま死んでた方がまだマシだよ!」
総司は大声で叫んだ。
「あいっ……つぅっ……!」
大声が、総司の怪我に響く。思ったよりも浅くすんだ怪我だったが、それでもかなりの傷を体に残していた。たまらず、総司はばたりと大の字に倒れ込んだ。
「はあ……このまま此処に居ても、いずれは虫の糞になるのがオチだろうしなぁ……」
しばし、空を見上げる。
本来、背の高い木々に覆われた森は日の光さえ届かない場所も多いだろう、と聞かされていた。そんな環境の中、こうした日光に当たれるのはそれこそ奇跡に近いのだろう……と総司は思った。
「そもそも、なんでコックピットの中で気絶してた俺がこんな場所にいるんだ……?」
総司はしばし考え込んだものの、すぐに頭をぶんぶん振って立ち上がった。
「あーあ、オレなんかが考えたところで何がわかるっていうんだ。ヘルメットは無いけど……」
―――とにかく、ここから動かなくちゃな。
そう思い、腰の拳銃……ほぼ自決用のような物を抜く。
「これを口に咥えるのもいいけど、折角拾った命だもんなぁ……精々、足掻いてみるか」
思い切って、柔らかな草地を歩き始める。その瞬間、不意に総司の後ろでがさり、と音がなった。
「誰だ!」
反射的に振り返って銃を構える。
そこに居たのは。
「……は?」
少女、だった。
腰まで伸びた白い髪に、白い肌。
乱暴に切り取られた白い厚い布を巻いた体。
全身白い、まるで絵画みたいな少女。
ただ瞳だけは、そこだけ紅玉をはめたかのように紅く輝いていた。
だが、総司の視線が少女そのものを眺めたのは一瞬で、小脇に抱えている物に釘付けになっていた。
突然の遭遇に動けなくなっている総司へと、まるで散歩でもするかのような気軽さで少女が近づいてゆく。
「えっ、ちょっ……ストップ! フリーズ!」
不意をつかれた総司がしどろもどろに叫ぶ。少女はどんどん距離を詰めて行く。
「止まれ! 撃つ……ぞ……」
総司が最後まで言い切る前に、少女は総司の目の前にたどり着いていた。
「はあ……」
「……?」
ため息をつきながら構えた拳銃を下ろす総司を、何してるんだろうこのひと、と言わんばかりの目で見る少女。
「もしかして、オレを助けてくれたのはキミ?」
その問いに、少女は不思議そうに首を傾げる。
「そのヘルメット、何処で拾ったの?」
ヘルメットを指差すと、少女はにっこりしながら総司の頭にヘルメットを被せた。
当然、少女よりも総司の方が背が高いので、ちょうどダンクシュートを決めるような絵面になる。おまけに向きは逆だった。
「……ああ、ありがとう」
「……! ……♪」
総司がヘルメットを外しながら、一応笑顔を作りながら少女に礼を言う。なんとなく伝わったのか、少女はさっきよりも笑顔になった。
「どうすりゃいいんだろう……なぁ、キミ……」
少し躊躇ってから総司は続ける。
「人間?」
「ニン、ゲン?」
総司の問いかけに、少女は、総司の発音をそっくりそのままなぞるように返した。明らかに、日本語の発音で。
―――こいつは、ヒトなのか。それとも何か違うのか?
総司は心の内でそう思った。形はヒトだし、言葉も喋れる。しかしそれは、目の前の少女が人である証明にはならないからだ。
もし、仮にこの少女がヒトだとしても―――ヒトが生きるのは、不可能だとされている『エデンの森』―――強力な外敵に、食べる物も、飲む物もまともにあるかわからない未開の森、その中で生きてきたのであろうこの少女を、果たしてヒトと呼んでいいのだろうか。
「まあ……いずれにせよ『成果』だよな、こいつは」
何はともあれ、この目の前の少女はエデンの森潜入調査計画の『成果』に違いない―――総司はそう考える事にした。
「ニンゲン?」
自分が考察されていたとも知らない少女が、総司に呼びかけるように言った。
「ん、何?」
反射的に、総司が返した。すると少女は、その総司の反応に対してとても嬉しそうに笑った。
「ニンゲン、ニンゲン、ニンゲン!」
そういいながら総司の周りを走る少女。
おい、こいつちょっとやばいんじゃないか? と思った総司だったが、その瞬間、少女は動きを止めた。
「――、――――!?」
何か、言葉のようなものを話しながら身構えるようにする白い少女。何を言っているのかはわからなかったが、その様子から何事かが起こったと言う事は総司にも伝わった。
「ど、どうした?」
総司が聞く。
返答の代わりに、少女は総司の手を取って走り出す。
「ちょ、おい!」
引っ張られて走り出した総司が見たのは、信じられない光景だった。
「木が、避けてる……!?」
少女の行く先に合わせて木は道を空け、地面は柔らかい草で満ちる。
背の高い木々に覆われ鬱蒼とした森に、光の道が出来てゆく。
―――こいつ、やっぱりヒトじゃないのか?
目の前の光景に、総司はそう思った。当たり前だ、こんな芸当が出来る人間などいる訳ないだろう、ということであるのは総司にもわかっていたが、それでもまだ『少女はヒトではない』と断言したくない何かがあった。
「ニンゲン!」
白い少女が立ち止まり、総司に声を掛けた。
「今度は何だよ!」
怪我をした体での全力疾走で、息を切らした総司が乱暴に返事を返す。
息を整え、顔を上げた総司の前に座していたのは、―――まるで力尽きて眠りについているような格好の二七式、識別番号サ一◯二だった。
「乗れって事?」
二七式を指差しながら少女に聞く総司。少女は、頷いて返した。
「何だってまた急に……ここにいる間は安全なんだろ? ……何でかは知らないけど」
総司は、失神している間虫に襲われなかったのも、ヘルメットがないのに場所がばれなかったのも、この少女が作り上げた"光の道"や"草原"が関係している、と睨んでいた。
ならば今更、大急ぎでこの安全地帯から離れる理由はない。
「んー!」
一向に乗るそぶりを見せない総司に、少女は明らかに焦りを見せた様子で総司をコックピットへと引っ張る。しかし、走り出した時のように不意をつけてないので、総司の体幹は全くズレない。
「はあ……分かったよ、乗ればいいんだろ、乗れば」
総司としてはもう少し日の光を浴びていたかったが、少女の懇願に負けてコックピットに乗り込もうとする。
その時だった。
―――きちきちきちきち。
嫌な音が、森から聞こえてくる。
「おい、今の……」
総司はここまで来て、少女が何に身構えているのかを知った。
「糞虫……!」
この少女の力を持ってしても、虫には勘付かれてしまうのか、それとも長く使っていると気付かれてしまうのか―――総司にはわからなかったが、虫は刻一刻と二人に迫っていた。
「ちっ……おい、お前!」
総司の声に、少女が振り向いた。
「お前もこいっ!」
総司の差し出した手を、少女は迷わずに掴んだ。