蜘蛛の糸
面積約二万平方メートル。雲を突き抜ける程の高さの巨木が鬱蒼と生い茂る森。
そのおよそ自然に出来るものではない異形の森の上空に、二七式 サ一◯二―――荒谷総司はいた。もう一体の外骨格と、十個に分けられた物資とともに、想定の二倍近い速度でみるみるうちに落ちて行く。
「姿勢制御は……出来てるな」
本体である四足の外骨格に、歪な長方形のコンテナが繋がった―――さながら蜘蛛のような形状―――の、腹側が下になっている。
「さて……ミッション開始か……!」
エデンの森調査計画は、この時すでに始まっていた。
「モニター出力切り替え! ミサイル・コンテナ展開、照準、視線誘導!」
コンテナが、ゆっくりと上を向く。
同時に、総司の視界は、今までの全周モニターを眺めるヒトの体のものから―――自らの纏う外骨格が有する、十二のカメラが捉える映像へとシフトする。
「一つ、二つ、三つ……」
総司が一つ物資を視界に捉えるたびに、不気味にぎょろぎょろと動く眼球の動きが機械化されてゆく。
「九つ……十!? おっさんは!?」
数秒、いや、数十秒の間、十一個目と十二個目の目玉だけが動き続けた。虫が襲ってきた時のような、ぞくりとする感覚がまた総司の背中を舐める。
「高度が違いすぎるのか!」
総司が歯噛みする。計画では、真っ先に総司が投下、その後に投下される物資とサ一◯一に、ミサイルを放つ予定だったのだ。
―――あの時、おっさんの言葉にすぐに従って、真っ先に投下されていれば。
そう思う総司をあざ笑うかのように、高度計はその数値を〇に近づけて行く。
「頼む……!」
誰に祈るわけでもなく、総司はそう呟いて、一瞬目を閉じた。高度計が、けたたましい警告音と共に『危険』の赤い二文字を映しだす。
その瞬間、凄まじい衝撃が外骨格を襲う。
「……よぉ! 待たせたな!」
接触回線から飛んできた音声は、紛う事なきサ一◯一のものであった。
「空中で抱きつくなんて趣味悪りぃな、おっさん!」
「何だよ、不安でションベン漏らしてねぇか確認しにきてやったのに」
空中でこんがらがっていた二匹の蜘蛛が離れる。
「ミサイル、発射」
総司が力の抜けた声で言うと、蜘蛛の腹から、十一本の糸が吐き出された。噴煙が少なく、誘導性の高い新型有線ミサイルだ。
ミサイルは、外骨格と繋がったケーブルから送信される映像を頼りに目標の物資とサ一◯一へと向かっていく。
直撃して爆発―――ではなく、仕込まれた粘着性の物質によって、そのまま物資に貼り付いた。これで、
電波に敏感な虫に気付かれることのない有線通信が可能になった。
「姿勢制御、各噴射装置出力全開!」
四つの足の先に装備された噴射装置が、轟音と共に炎を吐き出す。
「……推進剤残量ゼロ、パラシュート!」
外骨格の胴体から、その体躯の二倍ほどもあるパラシュートが展開される。だが―――
「これでも減速しきれないのか……!」
数値の減り方は穏やかになったものの、高度計は未だ危険の二文字を総司に訴え続けていた。
「総司! 対ショック姿勢!」
「言われなくても!」
視覚を外骨格からヒトの体に引き戻した総司の目の前に飛び込んできたのは、危険の二文字で埋め尽くされた全周モニターだった。
同時に、地面に激突する。
「がっ……!」
あまりの衝撃に、総司は苦悶の声を上げ、一瞬、意識が遠のく。この時点では、着地地点に樹木がなかったのは総司にとって幸運だったが。
「何やってんだ、早く着地制動に移れっ!」
スピーカーから鳴り響く音声に、総司は何とか遠のく意識を引きずり戻して現状を確認した。眼前に広がる丘は、総司の乗った外骨格のわずか先で切り立つ崖になっている。激突したのが樹のない丘だったのは幸運だったが、その位置が崖に近過ぎたのだ。
―――何も、ないのか―――!
慌てて辺りを見回すが、激突したままのスピードで滑る外骨格を遮るものは何もなかった。
―――この状況で、一番マズイ事はなんだ?
総司の思考が回る。
「こいつか!」
とっさに、蜘蛛の腹部―――他の物資や人員達の命綱とも言える、有線通信ケーブルの繋がったコンテナを切り外す。爆裂ボルトが作動しコンテナが切り離された。爆発で勢いが殺されたコンテナは滑走をやめ、丘に置き去られる。
―――あれはきっと、おっさんが回収してくれる。
やけに冷静になった頭で、総司は考えた。
不意に機体の振動が止まる。まもなく数分前に体感した浮遊感が総司を襲った。姿勢制御を試みたが、『推進剤残量』の文字の隣の、赤く四角い枠が空しく点滅するだけだった。
「くそっ……」
一度目よりも、ずっとゆっくりな落下。そして、二度目の激突が総司を襲った。
◆
虫が、死んでいる。
その虫が四つ脚で車よりも大きいのを除けば、ただ虫が森の中で死んでいる様に見えるだろう。
「はっ……頑丈……すぎるだろ……」
全周モニターはあちこちのパネルの映像が途切れ、HUDにはあちこち黄色だの赤だのに染まった外骨格のパラメータが映し出されるものの、神経を接続しての操縦―――『NFS:異常なし』の文字だけが緑色に光っていた。
「こりゃあ……あちこち折れてるな……」
ここから離れなくては……頭ではそう思うものの、総司の体はそれについては来なかった。外骨格に神経を接続しようとしても、『意識レベル:低』の文字に阻まれる。
体中の鈍い痛みに、ゆっくりと遠ざかる意識。
コックピットの開く音にわずかに反応した総司の、狭まり消えてゆく視界が最後に捉えたのは、エデンの森には絶対に存在しないはずの生き物―――少女の姿だった。