7-9 『願い』
パール・ウェストから北西の海上に浮かぶ小さな孤島。その島にある唯一の建造物である女神の神殿に彼女は居た。女神フローリアである。
金色の長い髪を大理石のような石床に垂らし、女神は祈るような姿勢で膝を付いて屈んでいる。
『どうか頑張ってください。わたくしはこうして祈ることしかできません。せめてこの世界の方々の想いが、みなさまに届く事を……わたくしは一身に祈りましょう。』
神であるフローリアが祈る。それは力を失った神だからではない。彼女の力そのものが「祈り」の力だからである。
しかし、その事を女神自身が忘れていた。長い年月の間、力を失ったと思い込んでいた彼女は、祈ることを辞めてしまっていたのだ。
女神は今、一身に祈りを捧げている。自身の力を思い出したからではなく、そうすることしか今の自分には出来ないと思ったからだ。
『どうか……人々の想いが……異世界の英雄たちに届きますように』
女神の祈りがこの世界を駆け巡る。
――パール・ウエスト
「なんとか無事に全員逃げられたみたいだな」
ひとりの男が呟いた。
ここは始まるの村パール・ウエスト。尤もそう呼ぶのは「プレイヤー」たちだけだ。
村の片隅には数十人の男達が、ある者は腰を下ろし、ある者は壁にもたれ掛かって体を休めている。そんな男達のひとりが口にした言葉だった。
良く見ると、男達の中に女装姿のミルキィーの姿もある。彼らは闇の穴から無事に脱出した、元敵PCたちだ。
「っふっふっふ。俺はサイコーのヒーラーだろ!?」
ミルキィーは自慢気に言う。たしかに彼らが今ここに居るのは、ミルキィーのお陰といっても過言ではない。しかし、それを認めたくない他のメンバーは、ミルキィーと視線を合わせないよう投げやりな返事で彼を黙らせた。
「あー、はいはい。サイコーです。マジサイコーです」
「サイコーサイコー」と連呼する声に浸りながら、ミルキィーはいやらしい笑みを蓄え、ようやく腰を下ろした。
「奴ら、しっかりやってくれてるかな?」
「やってもらわなきゃ困るだろ。命様の為にも。……俺達の為にもな」
疲れた体を癒すように、男達は思い思いの姿勢で言葉を交し合う。話題は現在行われているであろう、魔王との戦いに赴いているプレイヤー達の事だ。
ふと、弱々しい声が聞こえてきた。
「帰りてーよな。かーちゃんのカレー……食いてーよ」
心の底から願うように、男はそう言った。
帰りたい。
誰もが切望し、口にはしなかったことだ。口にする事で余計にその思いが強くなり、この異世界で生きる事が耐えられなくなると思った彼らは、いつしか「帰りたい」という言葉を口にしなくなったのだ。
だが、今は違う。
帰れるかもしれない。魔王さへ倒せば、全員が帰れるのだ。
そう思えばこそ、彼らは素直に願望を口にすることが出来た。
「おいおい、かーちゃんってお前……カレーか……おかんのカレー……食べたいな。久しぶりに」
「お前らカレーしか思い出が無いのかよ! まぁ、異論は無いがな」
「あぁー! カレー食いたい! 頑張ってくれよ! 魔王を倒してくれよ!」
「俺達は応援してるぜ!」
「絶対勝ってくれるって、祈ってるからな!」
彼らは口々に叫んだ。自分達の願いを込めて。
唯一人。ミルキィーだけは穏やかな口調でこう言った。
「っへ。心配するなよ。あいつは……昴はやってくれるさ」
――マイアナの都
マイアナの都は現在、多数のモンスターによる襲撃を受けていた。
都へと通じる門は堅く閉ざされ、門の外ではマイアナ兵とモンスター軍との激しい戦闘が繰り広げられている。
「彼らも今頃は必死になって戦ってくれているはずだ! 我々がここで挫けるわけにはいかないんだ! 彼らの為にも、都は死守してみせる!!」
「おぉぉ!!」
若きマイアナ王の激が、兵の士気を高める。彼は今、門の外で兵と共に戦っていた。手にした剣はモンスターの返り血でどす黒く染まっている。
「大丈夫でしょうか? 彼らは……」
王の近衛兵隊長が不安そうな声を洩らした。そんな彼を、主君である若き王アルドノーアは満面な笑みで答えた。
「大丈夫。必ずやり遂げてくれるよ。数々の苦境を乗り越えてきた彼らだ。そして我々に大きな勇気を与えてくれた者たちだ。彼らは世界を動かしたんだ。だから……彼らの勇気を信じよう」
アルドノーア王は曇の無い瞳で空を見上げた。彼の瞳とは対照的に、空には暗雲が立ち込め、不穏な空気を漂わせている。
しかし、王の心に迷いは無かった。彼の心は澄み切った青空のように晴れ渡り、共に戦った昴たちへの信用を曇らせる事はなかった。
「……陛下……わかりました。信じましょう、彼らを。そして彼らに負けぬよう、我らも頑張らねばなりませんな」
「その通りだよ」
王の言葉に感化された近衛兵隊長は、自身の心を奮い立たせると、自慢の長剣を閃かせてモンスターの巨体を一刀両断させる。王も負けじと剣を振るった。
マイアナの都内では、ある少年達が声を大にして叫んでいた。
「お兄ちゃん達が頑張って戦っているんだ!」
「お兄ちゃん、頑張って! 皇帝のおじちゃんの為にも!」
二人の少年の周りに居た大人たちも、いつしか声を上げこう言った。
「頑張って」――と。
――密林の森
壊滅状態にあったアニフィンたちの集落は、数ヶ月を掛けてようやく日常生活には支障の無いほどに修復されていた。
彼らの同胞たちは、各地で発生しているモンスターの襲撃に備えて、近隣のヒューマンたちが暮らす村々の警護に当たっている。集落に残っているのは必要最小限の人数だった。
「あの犬っころ。今頃は魔王と戦っている頃か」
集落を取りまとめる長であるマーズは、愛嬌ある桃太の顔を思い出してそう言った。
「俺達には真似の出来なかった事だな。まさか闇の魔王の住みかに行くなんてな」
「あぁ。俺達には出来なかった事を、あいつはやってのけたんだ」
集落に残る別のアニフィンらと会話を交すマーズの元へ、最愛の娘が駆け寄ってきた。彼女は桃太が助け、この集落と関わるキッカケとなった子だ。
「お父さん……犬のお兄ちゃんは大丈夫かな?」
少女は今し方摘んできたばかりの花を抱えるようにして持っている。そして不安そうな表情でその花を見つめていた。
そんな娘に対してマーズは優しく微笑み、大きな手をそっと娘の頭に乗せた。
「あぁ、心配するな。大丈夫に決まってるだろ」
「ほんと?」
大きな瞳を輝かせて、少女は父親を仰ぐ。
「彼は誇り高き獣人族だ。決して魔王なんかに負ける事はないさ」
マーズはきっぱりと答えた。揺ぎ無い意思が彼から伝わってくる。
「……うん! そうだよね」
少女は父親の言葉に元気良く返事を送った。
木々の隙間から見える空は、暗雲が立ち込め、陽の光は一切見えなかった。そんな空を見上げて、少女は手にした花々を天高く掲げた。
それはまるで、遠い地で戦う英雄達へと届けるかのように見えた。
「負けるな」
「頑張れ」
「勝って!」
「生きて戻って来い!」
各地で様々な人々が祈った。
「「魔王を倒してくれ」」
その祈りの先にあるのは、ひとつの願い。
女神の神殿でも祈りは続いた。
『祈りましょう……人々の想いが、願いが届くように』
――闇の穴周辺での戦場
「くそ! 穴から這い出てきたモンスターはほぼ殲滅し終わったって言うのに……」
「こいつらどっから沸いて出てきたんだよ!」
囮部隊は、既に闇の穴から這い出してきたモンスターの大群との戦闘に決着を付けていた。内部で戦闘を続ける仲間の支援を呼びかける者もいたほどだった。
しかし、数刻前から突然、穴とは別方向から大量のモンスターが進軍してきたのだった。
その数は穴から這い出てきたモンスターの数よりも多い。
「東側にいたモンスターが、大集結してるってことか?」
そう思えるほどの大群と彼らは戦っている。
足場は悪く、霧が立ち込めるこの場所での長期戦は避けたいところだった。
「絶対に穴の中に向わせるな!」
「解ってるわよ! ここまで来て作戦失敗なんて、まっぴらゴメンよ!」
闇の穴をまるで包囲するかのように、彼らは陣形を組んでいた。彼らにとって、内部で戦う仲間達が今どこで戦闘を行っているかは解らない。モンスターが穴を下って内部の仲間たちの背後を襲う事だけは、絶対に避けなければならないのだ。
「俺達が踏ん張らなきゃ、中の連中に申し訳ねーよな」
「あぁ、そうさ。あいつらだって頑張ってる頃だろ。俺達も頑張るぞ!」
全員が同じ想いだった。
ここまで苦楽を共にしてきた仲間たちだ。会話をしたことの無い相手でも、見知った顔の者は多い。例えたいした面識の無い相手であろうと、プレイヤーというだけで「仲間」と思える気持ちが彼らにはあった。
(勝ってくれよ)
(頼む! 一緒に元の世界に帰ろうぜ!)
(お願い! 頑張って!!)
何度目になるか解らないモンスターとの対戦も、仲間達との協力で乗り切る中、それは突然起こった。
突然、何人かのプレイヤーの体が光りだしたのだ。
「おい、なんだこの光……」
やがてその光は、闇の穴周辺で戦う全プレイヤーへと広がった。
光は暖かく、穏やかに彼らを包んでいる。溢れんばかりの光は、文字通り肉体から溢れ出て、彼らの周りを漂い始めた。そして勇敢に戦うプレイヤーたちの体から漏れ出した光は、ふわふわと空へと舞い上がる。
「な、なんだ!? どっから流れてきたんだこの光は!?」
空を見上げると、光はいくつもの方角から流れてきているのが解った。彼らが放った光は、流れてきた光と交わって、大きな流れを作り出す。
暗雲が立ち込める空に、それはまるで陽の光のようにも見えた。
光の進む先には巨大な穴があった。
闇の穴である。




