1-8 『クリムゾンナイト』
緊張の糸が切れたかのように、餡コロは昴に支えられるようにして座り込んでしまった。昴も同様に腰を下ろす。
「昴さん……よかった、悪い人にならなくって」
大きな瞳には、まだかすかに涙の粒が浮かんで見える。自分のために泣いてくれる彼女に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいの昴は、なんとかして場を和ませようと口を開く。
「あはは、ごめんね不安にさせて。正直ちょっと向こうに行き――」
「ダメです昴さん! 絶対に行っちゃだめなんですぅ~~」
行きそうな思考になっていたが……昴はそう言いたかったのだが言葉が終わらないうちに、何かを勘違いした餡コロが勢い良く昴の頭を両手で引き寄せると、その胸元に押し付けた。
少女にしては豊かな胸が昴の呼吸を奪おうと揺れる。結果、30秒ほど過ぎたあたりで昴がもがき苦しみだした。
「こういう場合でもHPは減るもんかな?」
「どうでござろう? 羨ましい気もするでござるが……あと3分ほど様子を見てみるでごるか?」
「そうだな。HPがもしゼロになったら『蘇生』してやればいいか」
冷静な口調でアーディンとモンジは二人の光景を眺めながら、的外れな会話を楽しんでいる。口調に対して顔のほうはニヤニヤと笑っていた。そうこうする間にも昴の顔をみるみる青ざめていった。
「って笑って無いで助けろよ!!!」
死線が見え始める一歩前で、昴は餡コロの腕を振りほどくと、ニヤつく二人へ抗議の声を荒げた。そ知らぬふりして視線を背けたアーディンとモンジの二人を無視し、息を整えると自らの横で涙を流す少女へと向き直った。
「行かない、行かないよ餡コロさん。君のお陰でもやもやしてた頭がすっきりして、ちゃんと考える事ができたから」
「考える事?」
「君の言う通り『英雄』になれなかったら、俺、みんなの敵になっちゃうしね。いや、『英雄』とか無理かもしれないけど、それでも『英雄補佐』ぐらいにはなりたいかな」
ゲームの設定で世界を救う冒険者を『英雄』と呼んでいた。昴は直接闇の魔王を討伐できるようなキャラではないことは十分自覚していた。しかし、やるからには「悪者」よりも「正義の味方」の方がかっこいいと思っている。
誰かを守れる人間になりたい。そういう願いから、どのMMOをプレイしてもナイト系前衛職を選んでいた。だからこそ、自分はここにいて、命には付いていかなかったのだ。
口には出さなかった昴は、次に命が訪れても同じ回答を渡す事を胸に決めた。
「んふふ。大丈夫ですよ。昴さんは『英雄』になれます。だって、私を助けてくれたんだもの」
決意の表れのような表情の昴を見て、餡コロは柔らかい笑みを浮かべると、涙を拭って昴の手を取り優しく握った。
「え? そ、そうかな……ははは」
「うふふ」
(世界の英雄でなくても、誰かの英雄ってのも……それはそれでいいかもな)
二人は互いに笑いあう。昴の右手は餡コロの両手が包むようにして握られている。そんな微笑ましい二人の光景をじ――――っと見つめる影がふたつ。
「二人でお花畑の世界に行っているところ申し訳ないんだがな」
「え? あ、はい!」
アーディンに声を掛けられたことで、突然我に返った昴は慌てて右手を引っ込めると、真っ赤な顔のままアーディンのほうへと視線を送った。
「ウエストルの都に急ぐでござるよ」
「レイドボスが出たってことは、我々の記憶では最終的に狙われるのは都だからな」
「え!? ど、どうしてですか?」
「一番初めに実装されたレイドボスは、モンスター襲撃イベントに登場したでござる。まずはウエストルに近い街道沿いに現れて、それから村を襲い、都手前で大乱戦したあと都の中に現れたでござる」
「一日に一工程で進んでいったイベントだが、まさかイベント通りに進めるとは限らないが、それでも急ぐに越した事は無い」
アーディンとモンジが交互に説明してゆく。二人はMMORPG『ワールド・オブ・フォーチュン』をoβ(オープンベータ)テスト時代からのプレイヤーだった。
当時の記憶をなんとか思い出し、初めて実装されたレイドボスの行動を語る。ゲーム世界のままであれば、ただのイベントと化し慌てる必要も無かったが、ここが異世界である限りあんなものが都に現れれば、プレイヤーはまだしもこの世界の住人は唯では済まないだろう。
だからこそ、都に来られる前に討伐しなければならないと二人は付け加えた。
「わかりました。『聖堂帰還』で行くんですね?」
「あぁ、んじゃ行くぞ『聖堂帰還』」
アーディンが呪文を完成させると、残り三人の視界に「聖堂帰還が唱えられました。承諾しますか?」というメッセージと、その下に「承諾」「拒否」が現れた。
三人の姿が掻き消えるのを確認して、最後にアーディンはスキルの効果を自身にも発動させた。
●
ウエストルの都は高い壁によって囲まれた町と美しい城からなる都だ。ここウエストル地方最大の都であり、国を治める国王が住む城がここにあった。
町には大聖堂が建てられ、女神フローリアを信仰する教会としては最大規模を誇っている。最も、世界に干渉する力を持たない女神を信仰するのはこの国ぐらいなもので、他の地での教会の存在は、治癒の力を必要とする人々のためといった役割になっていた。
四人は大聖堂に瞬間移動してくると、建物を出て都の中心に立つ塔へと向かった。ゲームだった頃と建物の配置は全て一致している。
迷うことなく四人は進むと、塔の内部へと入った。
そこはギルド施設と呼ばれる建物で、ギルド単位で専用のエリアを借り受ける事の出来る場所だ。
建物内部に入ると、アーディンとモンジに声を掛ける人物がいた。彼に案内され四人は塔の2階に上ると、扉のひとつを潜った。
四人はワールド内でも最大規模を誇る、ギルド『クリムゾンナイト』の専用ギルドルームへと招かれた。
ギルドルーム内はいくつかの複合施設と部屋から構成されており、昴らが通されたのは大きな居間のような部屋だった。部屋の中には20人ほどの男女が昴らを歓迎した。もちろん、全員『クリムゾンナイト』のギルドメンバーである。
「レイドボスだと!?」
アーディンとモンジが代わる代わる説明する中、「クリムゾンナイト」のメンバーが居並ぶ列の中心に立った男が叫んだ。
燃えるような紅い髪の男は、興味津々といった様子で身を乗り出す。彼はギルド「クリムゾンナイト」のギルドマスター、カイザー・キング。昴と同じナイトだ。
昴も名前だけは耳にしていた。数々の大規模戦を制してきたカイザーは、ワールド内でも職業毎に三名しか所有することの出来ない『奥義』という特殊スキルの持ち主でもあった。
「大規模戦ですか……」
「くうぅぅぅぅ! 異世界初の大規模戦かー。腕がなるぜぇ」
カイザーの左右に居並ぶメンバーらも、大規模戦に対する好奇心をあらわにした内容を口にしている。
「流石最大手ギルドの『クリムゾンナイト』……だな」
昴は肝心するというよりも、大規模戦と聞いて目の色を変えた彼らに対して驚きの視線を送る。ここが狙われ被害を受ける者が出るかもしれないというこの状況に、不謹慎とさへ思った。
「ところで、アーディンのやろーはどこに行ってるんだ?」
カイザーが仲間の騒ぎを中段させてモンジと、横に立つエルフの女性へと尋ねた。彼は知らなかったのだ。アーディンがネナベプレイヤーだという事を。
「え? ……ここに……」
カイザーの事情など知らない昴が、唖然として答える。視線はカイザーからアーディンへと移して。
「は? どこだよ」
気の短いカイザーは、苛立ったように語気を強め再び尋ねる。
「ここ」
昴は右手でアーディンを指差して答えた。モンジも餡コロも同じようにアーディンを指差す。
「あ? そいつは女じゃねーか」
これでもまだ理解しようとしないカイザーに、とうとうアーディン自身が痺れを切らして前進すると、カイザーの目の前で名乗りを上げた。
「は~~っはっはっは! 教えてやろうカイザー君! 私こそがエルフの一歩先を行く至高の存在! ハイエロフのイケメン、アーディン様だ!」
アーディンは奇抜なポーズを決めると、うっとりするように自分へと酔いしれた。
その光景を目にしても、カイザーはどこかうわの空といった感じで呆けている。
「……は?」
「だから、私がイケメンのアーディン様だ」
2度目の自己紹介は淡々としたものだった。カイザーは仲間達を振り返ると首を傾げて助言を煽った。
「……どういうことだ?」
「マスター……だからVR化の時にリアル性別が強制的に適用されるようになtったって、昨日も話したじゃないですか」
「運営から前もって性別変更チケット配られてたけど、それ使わないでVR化アップデートしたら、性別だけ強制変更されて、装備は元の性別のままになってたでしょ」
「あぁ、そういえばほたるのヤローが女装してたな。ネタだと思ってたんだが」
会話の流れを理解しているのであれば、女装していたのはネタではなくチケットを使い忘れていたことが原因だと解るはずだ。
「言ってる事あんまり理解できてないみたいですね」
「そ、そんな事はねーぞ! ちゃんと解ってるさ。ネカマは女装家でネナベが男装家ってことだろ!?」
仲間の突っ込みに慌てて否定するカイザーは、彼なりに考えた事を話した。
「少し違ってる気もしますが、その解釈でもういいです」
やや斜め上な解釈をしているカイザーだったが、これ以上説明しても疲れるだけだと判断した彼の仲間は、話をそこで終了させた。
「ふん、それでいいんだよ。で、つまりなんだ?」
「……だからアーディンさんは、元々ネナベだったってことですよ。リアル女性です」
性別変更がどうとか、チケットがどうとかはこの際言わない事にして、解りやすく且つ短く説明する言葉を見つけた。素直にアーディンが女性である事を告げたのだ。
「ほー、そうか。女だったのか。ほー。ほー……」
カイザーの表情が見る見る変貌してゆく。どうやら今回の説明でようやく理解したようだ。だからこそ叫んだ。理解の範疇を超えた、驚愕の叫びを。
「おんだほぉああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ? げほげふぉ」




