6-9 『命とアーディン』
思い込んだ様子のキースを見たアーディンは、どこかでキースの様子を伺う命がいるはずだと思い彼女を探していた。
案の定、命はキースらの会話が辛うじて聞き取れそうな場所に居た。尤も、キースらの会話は大きな樹と、その周りに生えていた小さな木とで遮られまったく聞こえない状況だが。
「な、何よ! いたら悪いっていうの?」
「べ〜つに」
やっぱりというアーディンの言葉に苛立つ命だが、そんな彼女をアーディンは軽く受け流す。アーディンの態度に命は更なる苛立ちを覚えた。
「……相変わらずいやらしいわね」
「エッチではないぞ!」
「そっちの意味で言ったんじゃないわよ!」
「んなこたぁ解ってるさ」
「あ〜、も〜! 友達だった頃は面白いと思ってたけど、こうなるとムカつくだけね」
「っぷ」
イライラしながらも、命はどこか懐かしいものを感じていた。同じギルドのギルドマスターとギルドメンバーであった頃の懐かしい感じを。
そんな懐かしさを振り払うように、命は険しい表情でアーディンへと向ける。
「何の用よ」
「うむ。お前もさっさと諦めて、元の世界に帰る準備しとけと忠告しにな」
「ふざけないでよ! 帰るわけないでしょ!」
この期に及んでまだそんな事を自分に言うのか?
そう思って命は怒鳴ったが、アーディンはこれまでのようなおちゃらけた態度では返さなかった。
「ふざけているのはお前だろ!」
命ですら見たことの無い、激しい怒りをあらわにした態度で彼女は怒鳴った。その声は命の怒鳴った声よりも一際大きかった。
流石の命も、アーディンのこの様子に驚き身を縮めると、怯えたように声を上げる。
「な、なによぉ」
「お前の我侭でどんだけの人間が家族にも会えず、辛い思いをしているが解っているのか!? その間に家族を失うヤツだって出て来ているだろう。最後の別れもできないまま一生会えないんだぞ」
「私なんて、元の世界に戻ったら死ぬのよ!」
「決まったことじゃないだろう! 第一、こっちに召喚されたプレイヤーの家族にだって、それが原因で自殺するのが出てるかもしれないんだぞ? 親が召喚されたまま戻ってこなくて養う人間が誰もいなくて餓死する子供がいるかもしれないんだぞ? お前はその責任をどう取るつもりなんだ!」
「そ、そんなの知らないわよ! そんなプレイヤーの事なんて私は知らないんだから!」
自分の知らないところで自分の知らない人が死のうが、それは自分の責任ではない。本当はそうではない事を解っているが、今の命にはそれを受け入れられるほどの心の余裕が無かった。自分が生きていく為には、どうしてもこの世界に留まる必要がある。それ以外に生きる方法が無いと思い込んでいるからだ。
「だったら知っとけ! もうすぐ一歳になる息子が私には居たんだ。お前のせいで息子の誕生日すら祝ってやれなくなった! 今生きているのかどうかも解らないんだよ! お前が無駄にこじらせてるお陰で子供の成長すら見れなくなったんだ!! さぁ、どうしてくれる!?」
「……子供……居たんだアーちん……」
突然のアーディンの告白に困惑する命。
自分のせいで子供に会えない元友人を目の前にして、命の心は激しく震えた。
「さぁ、さっさと元の世界に帰るんだ」
「嫌よ……死にたくないもん」
●
パシィッ――
突然餡コロがキースの頬を平手打ちにした。平手打ちにされた事で驚いたのはキースだけでなく、それを見ていた昴もそうだった。
「伯母さんはお兄ちゃんの事ずっと心配してるんだから! ずっと帰ってくるのを待ってるんだから!」
餡コロの目には大粒の涙が浮かんでいた。声を荒げ必死に訴える彼女は、キースの頬を叩いた右手をさするようにして立っている。
「なのにそんな……伯母さんまでお兄ちゃんが居ない事を望んでるような事、言わないで!」
「美奈……」
キースの口から漏れた名前が、餡コロの名前なのだろうと昴は思った。彼女は時折大粒の涙を拭うような仕草をしながら、必死に言葉を続けている。
「伯母さん毎週お兄ちゃんのアパートに行ってお部屋の掃除してるし、お兄ちゃんの大好きなカレーを作って冷蔵庫に入れてるんだよ? もちろん毎週作り直してるから安心してね」
真剣な表情でボケるところは相変わらずだ。本人にその自覚が無いのだろう。話の釘を折るような発言があったが気にしているのは昴だけで、キースのほうは真剣な表情で餡コロの言葉を聞いている。
(何年も冷蔵庫にいれっぱだったら、酷い事になってるだろうな)
「アパート……あれから何年になるんだ? まだ賃貸契約してるのか?」
「そうだよ。だってお兄ちゃん、実家のほうにはきっと帰ってきてくれないだろうからって。伯母さん、パート始めて、その給料でお家賃払ってるんだから」
真面目な会話が続くので、昴は突っ込みを入れることを自粛した。
「おふくろが……まさかな……嘘は付くなよ美奈」
「嘘じゃないわ! 私、お兄ちゃんに嘘なんか付いた事ないもの!」
キースの家庭は裕福な方だ。母親が仕事に出ていたという記憶はキースには無い。母親が外にでて仕事をすることに、父親も反対していたというのもあった。完全な専業主婦であり、完全な亭主関白な家庭だ。
だからこそ、母が父の反対を押し切って仕事を始めるなどとは信じられなかったのだ。
ここまで二人のやりとりを聞いていた昴が口を開いた。以前、餡コロから聞いた従兄妹の話を思い出して。
「うーん、俺さ、そんなに挫折とかしたことないから……いや試験で赤点取って補習受けたりとか言うのはあるけどさ……この先も就職活動ちゃんとできるのか解らないけどさ……挫折したからって親とか大事にしてた従兄妹とかを悲しませたらダメだとは思うんだ」
「……」
「あんたの挫折って取り戻せるものじゃねーの?」
高校、大学と受験に失敗して挫折を味わったという餡コロの従兄妹の話だが、結局その後は高校も大学も卒業したような内容だった。一年浪人をしてからの入学。そういう者が多いという訳ではないが、決してゼロではない。就職にしても、この時期の就職率は非常に悪く、内定が決まらないまま大学を卒業する事になる若者は少なくなかった。
つまり、キースが特別不幸だとか挫折を味わったとか、そういう類ではないのだ。
「取り戻せる……だと?」
「あぁ。実際取り戻したんじゃねーの?」
「どういうことだ?」
「受験に失敗したって餡コロさんに聞いたが、けどその後に大学いってるだろ?」
「い、行ったさ。浪人してな」
「それって割と普通なんじゃないか? 俺の同級生にだって浪人して入学したヤツはいるぞ?」
受験に失敗した場合、アルバイトをしつつ、もしくは予備校などに通いつつ翌年の受験を目指す者が多い。キースが歩んだ道は、決して特別でもなければ不幸でもない。昴はそれを言いたかったのだ。
「就職だってそうだろ? 今の時期はたしかに就職活動難しいけどさ、高望みしなけりゃ見つけられる仕事はあるだろ」
給料の面や待遇の面では劣るかもしれない。だが、いつまでも職に就かないまま一流企業を目指すことなんて、それこそ不可能に近いのだ。
「三流に就職したって、親父や兄貴達の笑いものになるだけなんだよ! そんな事も知らないで――」
「あぁ知らないさ! お前は親や兄弟の為に就職するのか? お前自身のためじゃないのか? 生活する為のものじゃないのか? 大事な人のためじゃないのか?」
昴にはキースの気持ちが解らなくも無かった。
昴の父親は警察官で、その影響もあって幼少期から剣道を習わされていた。段位が上がると母親からはよく褒められたものだが、父親からはあまり褒められた事が無い。
「自分の子なら当然だ」という目で見られていた。昴にはそんな気がしていた。いつまでも褒めてくれない父親に嫌気がさして、当時大学受験を控えていたのもあり剣道を辞めることにした。そのときも父親は何も言わなかった。
その時になって昴ははじめて気が付いたのだ。何の為に剣道を続けていたのか。父親に褒めて貰う為なのか? ……と。
それからの昴は、父親の目を気にすることなく自由に振舞うようになった。将来は警察官と周囲からも勝手に決め付けられていたが、将来の事は自分自身で考えるときっぱりと言える様にもなった。
「だ、大事ってなんだよ」
「餡コロさんや、お前のお母さん。それに――」
うろたえるキースに穏やかに答える昴。
「他にもお兄ちゃんの事、心配してる人いるんですか?」
言葉を途切れさせた昴に、餡コロが期待を込めるような、それでいてどこか不安そうな口調で声を掛ける。
「あぁ、いるよ。命さんがいる」
昴の言葉にハっとしたキースだが、表情はすぐに暗く沈んだ。
「命……か、彼女は自分の為に、この世界に残りたいと言っているんだ」
「そうだよ。でもあんたと出会わなければ違ったかもしれない。あんたに思いを寄せていなければ違ったかもしれない!」
「ち、違ったとしてどうだっていうんだ! 彼女が元の世界に戻れば死ぬかもしれないんだぞ? 彼女を失えっていうのか? 俺を必要としてくれる唯一の女を!」
「そうじゃないだろ! 助けるんだよ。心の支えになってやらなきゃダメだろ!?」
「支え……」
キースはこの世界で命を支えていこうとは思っていたが、元の世界で彼女を支えて生きていくという事までは考えもしなかった。元の世界に戻れば、彼女は死を待つだけの存在だと思っていたからだ。そして、人生に挫折した情けない自分の姿を、彼女に晒す事が恐ろしかったからでもある。
「あの、命さんってどうして元の世界に戻ったら死んじゃうんですか?」
命との面識があまり無い餡コロは、命自身の置かれた状況を把握していない。素朴な疑問は昴にとっても知っておきたい情報だった。
「……命は……骨髄移植を待っているんだ。もう一年は待ってるが、適合者が現れない。このまま現れなければ……死ぬ」
「やっぱり骨髄移植か……前にチラっと他の人と話してるのを聞いた時にそれらしい内容を耳にしてたけど」
「骨髄移植って、提供者は少ないんですか?」
再び餡コロの素朴な疑問に、今度は昴も回答者側に立つ。しかし、昴もキースも医者ではない。ドナー協会の者でもない。
「うーん。詳しい事は知らないけど、臓器ドナーとはまた違う仕組みっぽいしな」
「骨髄の場合は……どう説明すればいいんだ……」
「さ、さぁ……」
キースの言葉に昴も解らないという表情で返す。
「ま、まぁ、ドナー登録する人間が増えればいいわけだ」
「そ、そうそう! 骨髄は移植受ける側と提供者との……その、相性っていうか型みたいなのがあってだね」
「それが合わないと拒絶反応を起こして移植できないんだよ。適合する確率もかなり低いからな」
二人は互いにフォローしあって餡コロへと説明した。
何故か突然打ち解ける二人。
いや、協力しなければ餡コロへ「何かを教える」という困難な道を乗り越える事ができない事を、二人は知っているからだ。その協力が二人の距離を急速に縮める結果となった。
「そうなんですかぁ。じゃ〜」
二人の説明を聞いていた餡コロが、少し考えた後に出した答え――
「私、ドナー登録します」
「「え?」」
突然の事に目を丸くして声をはもらせたキースと昴だった。




