4-12 『一通の手紙』
「ほれ、昴。ラブレターだぞ」
そういってアーディンが突然昴の部屋へと現れたのは、マイアナの都開放からまもなく二ヶ月が経とうとする頃だった。
餡コロが用意した窓辺の椅子で風に当たっていた昴へと、アーディンは強引に手紙を手渡すと餡コロを引き連れてそのまま退室した。
部屋の外では餡コロの抗議する声も聞こえてきたが、昴にとってどうでもいいとさへ思える事だった。
(手紙……)
ふと、昴は手渡された手紙の差出人が誰なのか気になり始めた。
マイアナの都開放から今まで唯の一度も顔を見せなかったアーディンが、突然手紙を寄こしてきた事にほんの僅かだが心が揺れ動いた。
差出人がアーディンでない事はわかる。手紙を書くというような人柄ではないと昴は思っているからだ。
手紙を裏返してみると、そこには剣を咥えた獅子の形をした封蝋があった。
昴にとって消したくても消えない記憶の中にその獅子は存在する。
(マイアナの……帝国の紋章……)
昴は咄嗟に手紙の封を開けると、中を開いて手紙を読み始めた。一筋の希望を抱いて。
(皇帝陛下が……生きている!?)
帝国の象徴たる獅子の封蝋を使用できるのは皇帝か、その近しい身内だけだ。ならばこの手紙を出したのは皇帝本人である可能性もある。そう信じて手紙を読み進める昴だったが、差出人がアドリアーナ4世で無い事は直ぐに判った。
差出人の名前はアルドノーア。亡き帝国皇帝アドリアーナ4世の嫡男だった。
本来であれば直接お会いしてお話するべき事を、このような形でお伝えすることを、まずはお許しください。
私はアルドノーア・アドル=マイアナ。前皇帝アドリアーナ4世の息子です。
父の最期を汲んで頂き、ありがとうございます。
また、父が貴方に辛い役目を負わせてしまった事、まことに申し訳ありません。
生前父はこうなる事を予測して、私の元に手紙を寄こしておりました。
父は国の為に命を賭すのだから決して恨むなと。
しかし、私には恨まずにはいられなかった。
何もできない自分と、父に苦肉の選択をさせた魔王軍の男とを。
けれど、自分を恨んだところで何も解決できない事も判っています。
だからこそ自分の贖罪として、私は父の残したこの国を父の夢見た国にする為、全力で復興に力を注ぐ事にしました。
今マイアナ帝国は、マイアナ公国として建て直しております。
国の名前が少し変わった程度ですが、中身の方が随分と変わったかと思います。
父の残した法改定案を元に、旧帝国の法律を一新させました。
王室の食料庫や宝物庫を開放し、当面の間は国民の税を徴収しないことにもしました。
これまで帝国を蝕んでいた宰相や、重臣らが蓄えてきた財産を全て没収した為、妙な話ですが財政に困る事は当面無さそうです。
外交ルートも復旧させ、ウエストルからの支援も受けられるようになりました。
この点では、貴方のお仲間が仲介に入ってくれたお陰で、話もスムーズに進みました。
変わったのは国だけではありません。
ほんの少しずつですが、国民の父に対する感情も変わりつつあります。
父は、自分を悪の根源として葬るよう手紙にも書いていましたが、それではあまりにも父がかわいそうでもあったので、私は時期を見て父の事を国民に伝えてきました。
はじめは誰も相手にしてくれませんでしたし、私が前皇帝の子だという事で、王位に就く事すら拒絶されもしました。
父が死去した翌日から、毎日大人たちに父の話をしてくれた少年達がいました。
貴方を城内に通じる階段まで案内した少年らの他にも、こっそり城に忍び込んでいた子供たちが随分いたんですよ。
中には私ぐらいの年齢の方もいらっしゃいました。
みな、父との約束を頑なに守って、父の人柄など一切大人たちに話さなかったそうです。
けれど、父が悪役のまま葬られる事に耐えれなくなった方々が、子供たちの話をきっかけに彼らも口々に皇帝は優しい人だったとふれ回ってくれました。
実は大人たちの中にも、お忍びで出ていた父から言葉を掛けられていた者も多かったようで、一様に温厚そうな人柄という印象を受けてはいたが、だからこそ人違いだと思う者もいたようです。
人違いだと思っていた人物が本物の皇帝だったと判った住民たちは、その事を都中に噂しはじめました。
そのお陰なのでしょう、次第に父の事を理解してくれる住民が増えてきました。
今では私の事も受け入れられ、先日、ようやく王位に就くことができました。
来月、父の、前皇帝の墓所が造られることになりました。
これまで墓を作れていなかったので、ようやく父の安らかに眠る場所が造れると思うと、子供たちや父を知る方々への感謝で胸がいっぱいです。
他にも変わった事があります。
英雄たる皆様にとっては、こちらのほうが重要な変化かもしれません。
我々は、再び戦う為の力を得ました。
今はまだ微々たる力です。
親衛隊直属の部隊では、何人かの兵がゴブリン相手に善戦できるようになりました。
一目瞭然なのは魔導士たちでしょう。
少し前までは一切の魔法を使用できなかった者が、つい先日、初歩の魔法を発動する事に成功したという報告を受けました。
そういった者がひとり現れると、我も我もと皆が奮闘し、一日おきに力を取り戻す者が増えてきている次第です。
父が描いていた理想の国が、今少しずつ造られようとしています。
父の理想は、国民の平和です。
もし、貴方が今尚、父の事で心を痛めておられるのでしたら、不躾なお願いではありますが、この世界に平和をもたらす為、共に戦ってはくださいませんか?
それが父の為でもあり、きっと貴方の為にもなるはずです。
父の死に関与した事でご自身を責めるのであれば、それこそ、この世界の平和の為に私と戦ってください。
貴方と戦場を共にする日を、待ち望んでおります。
父の死が無駄でなかったことを、どうか証明させてください。
マイアナ公国初代国王アルドノーア・アドル=マイアナ――
手紙を読み終えた昴は、目にいっぱいの涙を浮かべていた。
涙で手紙の文字すら見えなくなるほどに泣き続けた。
いつの間にやら部屋へ戻ってきていた餡コロが、涙でぼろぼろな昴の顔に手を回すと、そっと抱き寄せた。
昴にとって久々に感じる人の温もりだった。餡コロがずっと傍にいた事は判っていた。しかし、殻に閉じこもった昴には餡コロの温もりも優しさも何も感じられなかった。
それが今、一通の手紙によって昴の肩に重くのしかかった物が砕かれると、ようやく餡コロの温もりと優しさが昴へと届いたのだ。
「ごめん……ごめん……俺、ごめん」
「いいんですよ、昴さん。辛いときは思いっきり泣いてください。ひとりで考え込まないで。ひとりでどこかに行かないで。みんな、傍にいるんですから」
昴は声を上げて泣き崩れた。小さく震える彼の肩を、餡コロはしっかりと支える。
餡コロは床に落ちた手紙に視線を落とすと、僅かに見えた文から書かれた内容を把握すると、より一層昴を強く抱きしめた。
「よかったですね。皇帝のおじさんが良い人だったって、みんなに知ってもらえそうで」
昴は大きく頷いた。涙でぼろぼろになった顔は、うつむいたまま上げる事ができなくなっている。
「よかったです。この世界の人たちに『意思』が戻ってきて」
昴は再び頷いた。
「私達も頑張りましょうね」
昴は頷いた。三度目になるそれは、前の二度より力強かった。




