1-2 『女神フローリア』
ログイン当日夜、昴はパール・ウェストに戻る気にもなれず街道沿いで野宿することにした。リアルに表現されたゲームでの野宿に多少の恐怖もあったが、この地方に出没するモンスターのレベルは1桁でしかなく、レベル79の昴にとっては恐れるような存在でもなかった。
焚き火の前でマントに包まって眠る昴は夢を見ていた。
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『みなさま、突然のご無礼申し訳ありません』
暗闇に響く少女の声。たしかパッチのダウンロード中に聞いた声に似ている。昴はそう思った。
『わたくしはフローリア。女神フローリアです』
暗闇から一転、真っ白な世界が突如広がると、そこにはひとりの美しい少女が立っていた。いや、正確には立っているのかどうかも解らない。地面があるのか無いのかすら解らないほど、ただ真っ白なだけの世界だった。
『みなさまをこの世界にお連れしたのは、わたくしの弟フロイでございます。この世界を救える英雄を「育成」する為に、わたくしがフロイをみなさまの世界へ向かわせました』
(知っているさ。そういう設定のゲームなんだから)
『今みなさまがいるこの世界は、ゲームではございません。ここは実在する本物の世界です』
女神フローリアは両手を広げて必死に訴えかけてくる。
しかし、元々が「そういう設定」なゲームであるため、彼女の言葉が真実なのか、それとも女神というキャラクターを演じているのか理解するのは難しい。
(これは、夢?)
『これは夢ではありません。ここが異世界であることを受け入れてください』
長い金髪が緩やかに波打つ。左右で色の違う不思議な瞳の女神は、その目を閉じると薄っすらと涙を流す。
『みなさまにお伝えしていない事がひとつあります』
女神の瞳が再び開かれると、それまで真っ白だった背景に突然映像が流れ始めた。
昴にとってそれは、ゲームを起動する際に毎回目にする馴染みある映像だった。
闇の魔王が現れ、魔王の力によって強さを増した魔物達が人々を襲う光景。
ゲームのオープニングムービーに比べると、随分と生々しい映像が流れてくる。
大勢の人々が祈る姿が映し出される。
(ここで、はじめに召喚されて死亡した英雄が出てくるんだろ)
昴の知るゲーム設定と同じように、人々の祈りによってひとりの男性がこの世界に召喚される。
召喚された男性は、あっという間に「闇の穴」に突き落とされ、落ちた先で多くの巨大な魔物によって蹂躙された。
『この方は生きておられます』
女神は映像に合わせるかのように、タイミングを見計らって言葉を発した。
(え? 死んだって設定じゃ?)
『この方は今も生きていらっしゃいます。ただ……』
女神は再び目を閉じた。
『あの方は、死ぬ間際に発した呪いの言葉によって救われました。闇の眷属によって……命を救われたのです』
「え?」
『闇の心に染まったあの方は、闇の眷属の片腕として、この世界を更なる恐怖へと陥れてきました』
昴は映像を食い入るように見つめた。モザイクが掛かったかのような不鮮明な映像で、男の顔を見る事はできない。
『中央大陸は半分以上の土地が闇の手に落ちました。あの方は、国の王達に声を掛け、生き延びたければ魔軍側に付くようにと、唆したのです』
泣き崩れる女神フローリア。
『この世界の人々は魔軍のみならず、同じ人間からも恐怖を与えられる結果になりました。そして、人々は戦う意思を捨て、恐怖に身を委ねるようになったのです』
(人間同士の戦争……か。どこの世界にでもあるんだな)
『この世界は『心』、即ち『意思』である『感情』が源となって『力』になる世界。恐怖は魔軍の『力』となります。戦う意思を捨てた人々は、剣を振るうことも、魔法を操る事もできなくなってしまいました』
町の片隅で項垂れる人々。魔軍が市内を闊歩しようが、誰一人戦う姿の見えない光景が続く。
『みなさまと同じ世界から召喚されてきたあの方は、とても強い『意思』をお持ちでした。悲しい事に、それは良き「意思」ではなかった為、このような事態を生む事になったのです』
自身の頬を伝う涙を拭うと、女神は更に言葉を続けた。
『この世界の人々から、世界を救おうとする『力』の持ち主は生まれません。ですから、わたくしは、あの方と同じ世界に住む……みなさまのお力をお借りする事を決めました』
女神フローリアは大きな瞳を見開いて懇願した。幼い少女の姿をした女神は、子供とは思えない美しさを持っていた。懇願する姿も神々しく見える。
『お願いです。この世界を救ってください。勝手なのは承知しております。しかし、わたくしにはあなた方にすがるしかできないのです。魔軍の長、闇の魔王を倒す事ができれば、みなさまを元の世界へとお戻しいたします』
(それって、ある意味誘拐と同じなんじゃ?)
『申し訳ありません……申し訳ありません……みなさまがこの世界で事を成就できるよう、『不死』を与えさせて頂いております。『ゲーム』と同じ仕様です。戦いで傷つき倒れても、それは『死」ではございません』
ゲームを通じて、女神フローリアと弟神フロイが、自身の魔力をプレイヤー達に注ぎ続けた結果、戦闘不能状態になっても二人の神の魔力を代償に、死亡を免れる。そういう仕組みになっているのだと説明した。
『お願いします……この世界を……どうか……英雄のみなさま……』
女神フローリアは、懇願したまま姿を消した。あとに残ったのは真っ白な空間だけ。
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翌朝。
昴は目を覚ますと、夢で見た内容を振り返った。
(夢なのか、それとも女神のお告げなのか……もうどっちだよ!?)
ゲームの設定からして「異世界から来た神様が自分の世界を救って貰う為に、その世界を忠実に再現したMMOを作ってプレイヤーに遊ばせ、期が熟せば自らの世界に召喚して英雄として戦って貰う」というものなのだ。
そこで「これは夢ではありません」と言われても、簡単には納得できるはずもない。
「運営からの告知……何もないままだよな」
昴はUIを開いて、メッセージボックスに告知が届いていないか確認をしたが、メッセージボックスの一覧表には何も送られてきていなかった。
次に昴はログアウトを試みた。昨日も散々やった作業だが、相変わらず赤い文字で「接続障害発生」と出るだけだった。
「やっぱりログアウトできないか」
このとき、昴に激しい空腹感が襲ってきた。
昨夜は緊張と不安のあまり何も口に入れなかったのだが、流石に一晩寝ると空腹にもなる。
空腹に耐えれなくなった昴は、アイテム欄に「料理アイテム」がいくつか入っていることに気づくと、意を決してそれを口に入れてみた。
不味いというわけでは特別美味いというほどでもなかったが、今は食事が出来るという現実に感謝した。
「これが異世界だとして、ゲームシステムが使えるのはどうしてなんだよ……そういう世界ってことなのか?」
ここは異世界だと言う女神の言葉に、システムについて語ったのは戦闘不能についてだけ。
ゲームのような今の状況が普通な世界なのだろうかと昴は悩んだ。
「あぁぁぁ!! もう何もかも解んねーよ!」
いくら考えても答えは出てこない。ここが現実の異世界であるという証拠は無いが、ゲームだという確信も今は持てなくなっている。
理由のひとつには、ログアウトできない状況が一晩続いているのに、運営サイドから何の告知も出ていない事。
これは明らかにおかしいというのは昴にもわかる。
「はぁ……とにかくここにじっとしていても仕方が無い。パール・ウェストには戻りたくないし、ここからならウエストルの都が一番近いよな。とりあえずそっちに行くか」
昴はパール・ウェストから伸びる街道を北に向かって歩き出す。
パール・ウェストを含めた、大陸の西側地方最大の都市、ウエストルへ向けて出発した。