1-1 『ネカマに騙されて』
「貴様!? ミルキィーの垢をハックしたんだろう!」
「ぐ、ぐるじぃぃ……やめろよズバルゥ……」
大きな人だかりの中心に青年はいた。
彼の腕は、やや太り気味な男の首を掴んでいる。首を掴まれた男は何故か女装姿だった。
ここはMMORPG『ワールド・オブ・フォーチュン』内にある、最も初期に訪れる村「パール・ウェスト」。
14年の間続いたゲームだが、近年では同時接続者数も減少の一途を辿り、接続者数減少に歯止めを掛けるべく、ついに日本初のVR化実装が行われた。
運営によるこの作戦は功をなし、VR化を公式発表してからの接続者数はうなぎ登りになっていた。
そして今、VR化後初のサーバー開放とあって、村には大勢のプレイヤーが続々とログインしてきていた。
「おろ? なんでパール・ウェストの村にログインしてんだ?」
「ちょ、これ全員ここにログインさせる気かよ!?」
全プレイヤーが強制的にパール・ウェストにログインされることを、プレイヤーたちには事前に知らされていなかった。それほど広くもないパール・ウェストの村には、既に数千人を超えるプレイヤーがログインしている。
そんな中、青年と女装男の騒ぎはログインしてきたプレイヤー達にとって程よい見世物になっていた。
「運営に通報してやるからな!」
「ぞ、ぞんなの無理だっで。俺がミルギィーなんだがらな」
「まだ言うか!? ミルキィーがお前みたいなデブ男なわけがないだろ!!」
青年の名は昴。もっともこの名はゲーム内でのキャラクター名である。
ゲーム特有のつんつんと跳ねた髪型は空の青よりもやや深みのある色をし、彼の瞳は髪よりも明るい青色をしていた。
重厚そうな鎧を身につけた昴の職業はナイト。敵からPTメンバーを護る為に、敵対値を稼ぐ事が主な役割の職業だ。
昴の手は太った男の首……というよりは、その首に巻かれた桃色のリボンを掴んでいた。
結果的に首を締め付けている事に変わりは無い。直接締め付けるよりは力が多少弱まるだけの事だ。
「やめろ昴」
突然、昴の背後から声が掛けられた。
振り返って見ると、そこには昴にとっても女装男にとっても見慣れた人物が立っていた。
「クリフト!?」
「そいつは確かにミルキィーだ。お前には黙っていたがそいつはネカマだったんだよ」
「なんでじってるんだよ?」
感情の起伏すら感じない淡々とした口調のクリフト。黒い髪から突き出た特徴的な長い耳は彼がエルフである事を表している。紅い瞳は彼の口調と相まって冷淡な印象を周囲に与えた。
クリフトの言うネカマとは、現実での性別が男であり、ゲーム内では女キャラを操作するプレイヤーの事を言う。ネカマには男であることを公言してプレイするタイプと、男であることを隠したまま女のふりをしてプレイするタイプの2つがある。
「は? お前まで何いってるんだ?」
「だから、ミルキィーはネカマ。元々男なんだよ」
「そんなわけねーだろ!」
クリフトの言葉を受け入れようとしない昴だったが、それもそのはず。
ふわりと風になびく桃色の髪。頭部には真っ白なウサギの耳が生えた半獣人族。白く透き通る肌にややつり目気味な大きな瞳。お尻には真っ白なほわほわの尻尾。
昴の脳裏に浮かぶ愛らしい姿のミルキィーは、可憐な少女なのだ。
目の前にいるミルキィーはと言うと、くるくるの巻き毛は確かに桃色で頭部にはウサギの耳もある。色白でややつり目気味な瞳も同じだ。
しかし、どうみても「少女」ではない。見ようによっては幼く見えなくも無いが、「男」という点はゆるぎない事実だった。それも「太った男」という、可憐という言葉からはかけ離れた容姿だ。
「……今回のVR化で、現実とゲーム内との性別に違いがあった場合、強制的に現実の性別に上書きされる仕様になってるんだよ」
現実を受け入れようとしない昴に対し、クリフトは残酷なまでに今回の仕様を語って聞かせた。
キャラクターの性別は現実のものに変更されるが、装備グラフィックは元のゲーム内性別のまま。その為、事前に救済の意味で性別変更チケットが運営から配布されていたのだ。
「え!? ぞうだっだのが……ぐ……ぐふっ」
「こういう公式サイトを良く見ていないネカマネナベは、結構多いみたいだがな」
性別変更チケットを使っていないあたり、ミルキィーも公式サイトをまったく確認していないプレイヤーのひとりなのだろう。
ミルキィーが「なんでイケメンじゃないんだ」「どうしてスリムになれないんだ」と叫ぶ中、昴はじっと虚空を見つめるようにブツブツと呟いていた。
「……くも……」
「とにかく、こいつはミルキィーだ。相方だと思ってたヤツが実は男だったのは可愛そうだが、友達としては別に問題ないだろ?」
「……だま……くも……」
どこかここではない場所を見つめているような昴をみて、流石に心配になったクリフトが彼の肩を掴んで揺さぶった。
「昴?」
クリフトが昴へ声を掛けたその瞬間、肩を掴んだクリフトの手を振り解くと、再び昴はミルキィーの首目掛けて腕を伸ばした。
「……てめー!? よくも騙してくれたな!! 今まで贈った装備全部返しやがれ!!」
流石に二度も首を絞められては堪らないと、ミルキィーも寸でのところで昴を回避すると、舌を出して相手を挑発する。
「は? お前まさか……貢がされていたのか!?」
昴の言葉にクリフトは思わず声を荒げた。
「装備ロック掛かってるから返せなーい。キャハ」
ぷにぷにの手を握って、口元を隠すような仕草で片目を閉じるミルキィーの姿は、お世辞にも可愛いとは程遠いものだった。
「気持ち悪いんだよデブが!」
「デ、デブって言ったな! それだけは許されないセリフなんだぞ!」
「うるさい! デブデブデブデブデブデブ」
「……い、いいさ。言いたきゃ言えばいい。お前が貢いでくれたお陰で俺は小遣いをたんまり稼がせて貰ったからな。お礼に好きなだけ言わせてやる」
「ってめー!」
彼らのやり取りを見つめていたギャラリーからも、昴に対する応援の声が上がり始める。
「そこだ兄ちゃん! デブネカマなんかぶっ飛ばせ!」
「やれ! やるんだ! 俺達が許す!」
無責任な声は鳴り止まない。
野次が飛び交う中、クリフトはミルキィーへと詰め寄ると、先ほどの彼の言葉の真意を問いただす。
「おい、ミルキィー。俺はその話初耳だぞ。お前RMTやってたのか?」
「は? だったら何なんだよ!」
ミルキィーは完全に開き直っていた。ネカマだという事は隠しようのない事実なら、開き直って言いたい放題するほうがいいと判断したのだろう。
もしものときには通貨のみでも別キャラクターに移動して「ミルキィー」というキャラクターを削除すればいいと考えたのだ。
「ってかこいつがネカマだってお前知ってたのかよ!」
「あぁ、ちなみにギルメン全員知ってるぞ」
「んげ! マジで!?」
ミルキィーがネカマであることは、実の所本人が昴のいない間にチャットで誤爆したのがきっかけで知ることになったのだが、ミルキィー自身は自分が誤爆した事すら気づいていない。
(現実を知らなかったのは自分だけ)
(誰も現実を教えてくれなかった)
(こうなることを知っていたからなのか?)
(こうなると解っていて、自分が笑いものになる姿を想像して楽しんでいたのか?)
昴は疑心暗鬼に囚われると、遂に行動にでた。
「……こんなギルド抜けてやる!!」
UIからギルド情報を開くと、視界に現れた画面の一番下にあった「ギルド脱退」の文字に触れた。
これで昴は、ギルド『パラダイスファミリー』を脱退したことになる。
UIを閉じた昴は、ミルキィーはおろかクリフトすら見ようとせず、一目散に村の出口に向かって走り出した。
「あ、おい昴!?」
「っけ、ばーかばーかばーゴファッ」
クリフトは思わず横で悪態を付くミルキィーを殴り飛ばす。
走り去った昴の姿はもう見えなくなっていた。
●
パール・ウェストの村を飛び出した昴は、村からほんの少し街道を進んだ場所で座り込んでいた。
「はぁ……自分が情けない……ゲーム画面のキャラ性別が、そのままリアル性別なんて限らないのは解り切った事だってのに」
ネカマプレイヤーが多いのはMMOでは常識とさえ言われている。
現にこの『ワールド・オブ・フォーチュン』でも、男性プレイヤーと女性プレイヤーとの人口比率は7:3ほどである。
にもかかわらず、ゲーム内のキャラクター性別人口比率は女キャラクターが6に対して男キャラクターは4であった。
公式での発表となっているので間違いはない。
つまり、女キャラクターでプレイする男性が大量にいるという事だ。
「しばらくログインしないで頭冷やそう……」
昴は頭を抱え込むと、大きな溜息を付いてから行動に移った。
UIを開きシステムを呼び出すと、画面一番下にある「接続終了」の文字に触れた。
次に視界に映し出された画面には「ゲーム終了」と「キャラクター選択画面」、「キャンセル」の3つがあった。
昴は迷わず「ゲーム終了」に触れる。
「え? なんで?」
昴の視界には赤い文字が突然浮かび上がる。
『接続障害発生』っと……
何度試しても同じメッセージしか出てこない。
キャラクター選択画面を選んでも結果は同じだった。
無意味と解っていても、念のためキャンセルも触れてみる。予想通りUIが閉じただけで何も起こらなかった。
「ログアウトできないってどういう事だよ!?」
5年間プレイしてきた『ワールド・オブ・フォーチュン』で、期待に胸を膨らませたVR化アップデートは、相方がネカマだった事と、ログアウト出来なくなる事のふたつの災厄から始まった。