出涸らしのストロベリー
「あっははは」
乾いた、紙に貼り付けたような笑い声を出して私は頭を掻いた。
此処は茶道部が使用する教室で、茶道に使う道具が一式揃っている。一休さんのとんち話が気に入ったからなのか威勢良く気高く吠える様子が表されている虎の屏風。そして鼻を近づければ仄かに香る草の香りがする畳。
しかし、仄かに香る畳の匂いは無く、茶道の独特な匂いも雰囲気もない。
扉を開いてからすぐに高い段差があり、その段差からは畳が敷き詰められていた。段差の下には律儀にそろえられた小振りな上履きが置いてある。
つまりは、そこで上履きを脱いで素足で畳の上に上がってこいということだった。勿論、それに従って上履きを脱いで律儀すぎるその上履きの横に自分の上履きを流れた。
それにしても、甘ったるかった。
なにが、と言われた返答が出来ないとにかく甘ったるい匂いが部室に充満していた。ずっと閉めっぱなしだったんだろう。
ケーキの匂いでもなく、お菓子の匂いでもない。ともかく言えることは、茶道部とは全く違う、茶道をしっかりとやっていて――しっかりとやっていなくともこのような甘ったるい匂いが充満するとは思えない。
「……靴下、穴が空いています。そして、そのような格好を殿方の前でしないように。見えています」
淡々と、いや、多少嫌みを含んだ声音と普通の高校生が使わないようなやけに丁寧な口調が背中から聞こえてきた。その言葉に反射的にスカートの裾を引っ張り、冷たい空気が通る感覚がする右足の親指の穴を隠すために左足で右足を重ねて庇う。顔が火照るのを感じた。羞恥心で。
上履きを揃えるために一度畳に上がった私は背を曲げて段差の上から揃えていた。段差がやけに高いので背を思い切り曲げれば制服の生地はその位置に定着することは無く、背と一緒に動いてしまう。
それを注意したのが知り合いで、ナノカで良かったと私は思った。首だけ振り向いてジト目でナノカを見詰めると小振りな可愛らしい花柄のカップを持って啜りながら目を細めた。
「……なんで茶飲みじゃないの」
「……何故茶飲みではないといけないのですか」
聞くと逆に聞き返された。それは茶道部だから、と言おうとしたらナノカに先手を打たれる。
「此処は茶道部ではありません。もう茶道部は廃部になりましたから」
「なんで」
まさか、潰したんじゃないだろうか、私の脳裏では一瞬そんな考えがよぎった。ナノカならやりそうなことであるが、茶道部は三年生がいなくなったために廃部になったことを思い出した。私たち二年部も一年部も中学時代には滅多に無かった茶道部に行く気はサラサラ無かったらしい。
やっぱり言わなくていいや、と手を振って断るとナノカはカップとセットらしい花柄のティーポッドでお代わりを注いだ。
「つまり、此処は誰も使っていない教室です」
「そうですね」
「なので、誰かが使わなければ勿体ないので使っています」
「ああ、はい。そうですね」
虎の屏風に囲まれているナノカに近づくと私は正座をした。体育座りをしてもあぐらをかいてもはしたない、見えています、と言われるだろう。それ位のことは分かっている。
「学習能力が無いのですね」
「………」
「わたくしは貴女に二十二回、此処は茶道部ではないことを言っていますが」
確かに此処に来る度に聞いているが、先生に許可を取ったのだろうか。怒られないのだろうか。まあ、此処に毎日来ているのだろうから怒られていないのかもしれない。怒られてもめげずに来ているのか、目をつけられているだけなのか。
疑問に思っているとまるで心を読み取ったようにナノカが小さく微笑みを作った。
「先生には許可を取っております。……万が一怒られたとしても貴女は此処を駆け込み寺のように使っておりますので、貴女にも怒られてもらいますから」
「……そうですか」
もう茶道部云々の話をするのは疲れた。二十何回も話していると疲れるのも当たり前か。
それにしても、と違う話を切り出す。又、茶道部云々でわめかれるのはごめんだった。疲れる。
「この屏風に、畳。……それと似合わないわね」
目の前にあるティーポッドとティーカップを指さす。その横には古びた茶道部の歴史を語る電気ポッド。ティーポッドとティーカップの乗っているのはお盆であり、ティーポッドとティーカップ以外は全て茶道部の物を使っているのでかなりの違和感を感じていた。
「構いません。目を瞑り、この古い電灯は光り輝くシャンデリア、屏風は有名な画家の絵画、畳は朱に染まったソファだと思えばいいのです」
こいつに妄想、妄言という言葉を教えてやりたかった。どう考えて無理だ。出来るはずがない、そう思いげんなりとしてきた。
云々を聞かされ、げんなりとさせられて、それでも此処に来る自分を時々おかしいと思うが、何故か吸い込まれるように此処へと来てしまう。目を瞑ってワン、トゥー、スリー……三つ数えて目を開けばこの教室へ来てしまうように。
ナノカに会いたいだけなのかは分からないが。
「ねえ、この甘ったるい匂い、なに?」
又も話題変更をした私にナノカは気まぐれなのですね、と言った後にナノカの横にあったショルダーバックから小さな木箱を取り出した。木箱の蓋を開けると柔らかそうな布に包まれてあるもう一つのティーポッドとティーカップと同じものが出てきた。
「ストロベリーティーです」
お茶じゃないのかい、そうつっこみを入れてしまうと茶道部云々に戻ってしまうので言わない。違和感と何故茶道部じゃないのに、と言うのはこの甘ったるい匂いと不似合いなティーポッドたち。茶道部で紅茶を飲む生徒がいるか。これが言いたかったが、これを言う前にいつもナノカは先手を打っていた。
しぶとく、私が茶道部云々の話をしていれば言う機会が出てくるが、神経が耐えきれない。
「出涸らしで良ければ淹れますが」
「……一応貰っておきます」
新しく出したカップに出涸らしだというストロベリーティーを淹れる。先ほどのお代わりも出涸らし状態だったのか。ぷん、と甘い匂いが広がった。出涸らしだとは思えない甘ったるい匂い。
「これで出涸らし?」
「飲めば分かります」
ああ、とナノカが声を漏らす。カップを口につけて飲む寸前だった私に待ったをかけた。嫌がらせだと思い抗議しようかとも思ったがが黙っておく。
「ところで、何故が貴女は此処に?」
……嫌がらせの次はこれか、と舌打ちをしたくなってくる。分かってるくせにこう聞いてくるナノカは完全に笑っていた。表情には完全に出さないものの目が笑っているのはよく分かった。
「それは――」
「結構。当てて見せます」
「手相で?」
「はい」
手相で見れるのは未来のことだけだろう、と言うつっこみもしない。右手を出して下さいと言われ、苦みを潰した顔で私がナノカの目の前に右手を差し出す。カップは下に置いた。
この右手を見れば分かるだろう。誰にでも。
「平手打ちしましたね」
「……はい」
俯いてグッとこらえる。殴りたくなるのを。ナノカは明らかに笑っている。喉を震わせて器用にクックックと。その顔を見たら絶対に殴りにいくだろう。
「貴女に好意を持つ人なんて一億分の一よりも低い確率なんですから、もっとよく考えてみたらいかがですか」
「あんなの好き嫌い云々じゃないって」
嘆息したナノカに私は溜息をつく。私の右手は全面的に赤くなっていた。私はさっき、外履きに指定場所と指定時間を書いた紙を入れるという超ドベタな呼び出し方法とストレートな好意を表す気持ちの返答に平手打ちで返してやった。
別に平手打ちをやるほどでも無いと思うが、遊びで付き合ってやる、という輩が大半なのでそう言う奴らにはそれなりの躾がいると思った。
調子に乗って最初の一回付き合ってみたが、二週間で振られてしまった。それから軽く男性が嫌になり、遊びといって笑う輩も気に入らなくなった。
因みに、何故ナノカが分かっているかと言うと此処に来るのは嫌なことがあったときだからだ。そして、この教室の近くでその人に平手打ちを喰らわしてやり、その音が意外にも反響し大きな音だったからだ。
もしかしたら学校全土に響き渡ったかもしれない。恥ずかしい。勿論、下着が見えてしまったのよりは恥ずかしくは無いが。
「……もう、良いの。最初は高校になったら付き合ってみたいと思ってけど、意外とシビアだった」
ナノカが右手を解放し、紅茶に口をつけられる。少しだけ冷えているような感覚がした。
「そうですか。それも良いと思いますよ。……此処に来る回数も減るでしょう。多いに結構です」
茶道部の雰囲気で飲んだ紅茶。甘ったるい匂いがしていたのに、味はとんでもなく薄かった。薄く赤みを帯びる紅茶の色は、淡く諦めようとしていない自分の心を象徴しているようだった。
「もうちょっと粘ってみようかな」
「平手打ちを喰らわされる人が続出しているのに、懲りずに貴女に好意を寄せる人がいるなんて思いませんが」
「だから、好意じゃないんだって」
「好意を寄せる人を作らないと始まりませんよ」
「……頑張ります」
今日も私は、出涸らしのストロベリーティーを飲むためと云々を聞くために元茶道部へ行く。
そこには、不似合いなティーポッドとティーカップ、そしてナノカがいるだろう。
文章とシナリオ自体に納得がいかないので暇な時に編集します。
お読みになって下さりありがとうございます。