8話
大きなクリスマスツリーがキラキラと光るリビング。
ひとりきりの朝食の片づけをとっくに済ませた私は、今年のクリスマス、可偉とどんな風に過ごそうかと考えている。
結婚してはや5回目のクリスマスは、巷の盛り上がりをよそに、どこか落ち着いている自分にちょっと驚いている。
イベントが大好きな可偉は、秋の風が吹き始める頃から色々と練っているようだけど。
「ケーキは手作りじゃなくてもいいか」
ワイドショー番組のクリスマス特集ではおいしそうなクリスマスケーキがいくつも紹介されている。
それを見ながらぽつりと呟いた。
毎年、クリスマスケーキは自分で焼いて、デコレートしていたけれど、今年は買ってもいいかな。
お料理もお菓子作りも大好きだけど、大好きだけによくわかる。
お菓子は買った方が安上がりだということに。
そして、やっぱりプロのパティシエが作ったものには敵わない。
滑らかに塗られているチョコレートの輝きなんて私には出せないし、スポンジのほどよい弾力感なんて真似できない。
やっぱり今年は買おうっと。
そう決めて、私はいそいそと出かける準備を始めた。
゜☆・。・*・゜☆・。*。・☆・。*・゜
師走の街は、最近流行っている青いLEDがいたるところに装飾されていて、思わず立ち止まるほど華やかだ。
大通り沿いの街路樹が、一気にその存在感を増すこの瞬間が大好きだ。
家のリビングに飾っているクリスマスツリーがいくら綺麗でも、本物の木の雰囲気には敵わない。
「あ、サンタさんへの手紙だ」
街路樹の枝にカードのようなものがぶら下がっているのに気付きそっと読んでみる。
赤い紙に書かれている文字は、どう見ても子供のもの。
一生懸命書いているのか、筆圧の高さが一目でわかる。
『おかあさんとあかちゃんはやくいえにかえってきてね』
書いたのは男の子なんだろう、お願いのあとに書かれている名前は『ゆうたろう』。
ゆうたろうくんのお母さんとあかちゃん、おうちにいないのかな。
サンタさんにお願いするくらいだもん、本当にお母さんが恋しいんだろう。
お父さんと喧嘩したお母さんが赤ちゃんを連れて実家に帰ったとか、旅行に行ってしまって長い間会えずにいるとか・・・・・・?
風に揺れるたび、赤い紙が枝の間を泳ぎ、不安定さを見せつける。
まるでゆうたろうくんの気持ちのように。
ちょうど私の目の高さにあるそれを見つめながら、
「ゆうたろうくんのお母さん、早く家に帰ってあげてね」
思わず呟いた。
私がサンタさんなら、ゆうたろうくんのお願いをすぐにでも叶えてあげるのにな。
お母さんがいないクリスマスがどれほど寂しいものなのか、私は身をもって知っている。
文字の可愛さから、きっと幼稚園児くらいの年齢だろうゆうたろうくんとは違って、私はとっくに成長していて兄と姉もいたけれど。
幾つになったって、両親がいないクリスマスの寂しさは、言葉にできないほど。
周囲の人たちからのプレゼントに心弾ませ、おいしいケーキに舌鼓をうっても、しんと静まりかえる夜中には。
サンタさんにお願いした。
『おとうさんとおかあさんに会わせてください』
そんなこと無理だとわかっていても、願わずにはいられなかった。
兄がプレゼントしてくれたパジャマに身を包み、姉が譲ってくれたお気に入りのネックレスをつけても。
『おとうさん、おかあさん』
いい大人になっても、私はサンタさんにお願いしていた。
絶対無理だとわかっていても。
家族がみんなそろっている幸せなクリスマスを過ごさせてください。
そう願わずにはいられなかった。
だから、ゆうたろうくんの願いが叶いますようにと、揺れる赤いカードを見ながらきゅっと口元を引き締めた。
どれだけそこでぼんやりと立っていただろう。
気付けば日が落ち、ライトアップされた街並みが鮮やかに浮かび上がっていた。
大通り沿いのお店は、クリスマス仕様に飾り付けられ、行き交う人々もみな幸せそうだ。
手を繋いで笑い合っている恋人同士や、会社帰りなのか急ぎ足の人たち。
その中に紛れて、過去に思いを馳せ、落ち込み、目には涙も浮かべている自分って。
「だめだな。もっともっと強くならなきゃ。ゆうたろうくんも頑張ってるのに」
大きく息を吐いて、気持ちを切り替えた。
「ケーキの予約に行かなきゃ」
明るくそう言って、ゆうたろうくんの願いが叶いますようにと、もう一度振り返る。
サンタさん、お願いしますね。
そして、そっと歩き出そうとしたとき。
「ゆうたろうは、ちゃんとお母さんと赤ちゃんに会えたぞ」
背後から声が聞こえた。
低く艶っぽい声、それは。
「か、可偉!」
振り向くと、私を見つめる優しい瞳がそこにあった。
一週間ぶりに見るその瞳に引き寄せられるように、私は歩を進め、最後の一歩まで来たときに、勢いよくその胸に飛び込んだ。
「どうしたの?明日帰ってくるって言ってなかった?」
しばらくぶりの可偉の体温を全身で受け止めながら、両手を可偉の背中に力いっぱい回した。
背伸びをしながら、頬をすりすり。
目の前にある青のネクタイは、去年のクリスマスに二人で選んだものだ。
黄色の小さなドットが、目立たないながらも光の加減で反射して、興味をひくお気に入り。
出張に、持っていってたんだ。
私の背中に回された可偉の手の温かさを感じながら、この一週間空っぽだった心が満たされていくと感じる。
毎日私の心を温かいもので補充してくれる可偉と離れて一週間。
毎晩電話で話すし、まめにメールもくれるけれど、それでも可偉に触れたくて寂しくて。
「限界だったー」
抱きしめられているせいか、くぐもった声だけど、私の言葉は可偉に伝わったようで、さらにぎゅぎゅっと強い拘束。
「……俺も限界だったから、早く仕事を終わらせて帰ってきたんだ。
黙って帰って驚かせようかと思ったのに、会社を出たら目の前に紫が立ってるし、驚いた」
「か、会社……?」
はっと顔を上げて、辺りを見回した。
ライトアップされ、クリスマスモード全開のせいか、普段とは違うその雰囲気に錯覚していたのか気づかなかった。
「本当だ、可偉の会社だ」
可偉の向こう側に立つ高層ビル。
それは、可偉の会社だ。
一階から次々と出てくる社員の人たちは、私を抱きしめる可偉に視線を向け、一様に目を見開き通り過ぎる。
綺麗な女性たちは、ひそひそと何やら話しながら、私たちを見ている。
その視線は私を睨むように厳しいものだけど、それはきっと可偉の素敵な見た目が理由に違いない。
「私のだもん」
ぽつりと呟いて、さらに可偉に体を寄せる。
すると、私を見ていた女性たちは眉を寄せ、悔しそうに口元を歪めた。
だめだもんね、可偉は誰にもあげないもんね。
心でそう呟いていると、頭上からはくくっとのどを震わせる可偉の笑い声が聞こえた。
「強くなったな。俺を気に入ってる女を威嚇するなんて、前なら考えられなかったのに」
こつん、と私の額をこづく可偉だけど、その声は嬉しそうで、ほっとする。
以前の私なら、可偉を気に入ってる女性がいたら、それだけで泣きそうになっていた、というよりも泣いていた。
自分に自信がなくて、そして可偉に愛されている実感もなかったせいか、いつも不安でいっぱいだったけれど。
「だって、可偉が大好きだし、可偉も私の事が大好きだもんね。だから、他の女性に睨まれても戦う。誰にも可偉は渡さない」
「渡さないって、俺はモノじゃないんだけどな」
「ん。可偉はモノじゃないよ、私の宝物だから。唯一の宝物、あ、唯一じゃないか」
ふと口にした言葉に、可偉は首を傾げながらもその真意に気付いたのか大きな笑顔を作った。
「そうだな、唯一じゃ、ないな。……複雑だけど」
「ふふっ可偉にとっても私は唯一じゃないもんねー」
くすくすと笑い合いながら、そっと視線を合わせると、無言のままでもお互いの心が温かいとわかる。
久しぶりに会えた嬉しさも加わって、身体いっぱいで可偉の思いが伝わってくる。
「可偉……」
思わず呟いた私の声に、目を細めた可偉。
ここが天下の大通りでなければ、もっともっと可偉の体温が欲しいとねだりそうになる自分をどうにか抑える。
そして相変わらずとろけそうな、そして整いすぎている顔を見ていると。
「いつまで見つめ合ってるんだよ」
呆れた声が聞こえた。
可偉の背後から顔をのぞかせる人に気付いて、一気に恥ずかしくなる。
可偉から離れようとするけれど、私を抱きしめる力が緩むことはなく、私は囲われたまま。
かなり、焦る。
「か、可偉、ちょっと」
慌てる私に構うことなく、可偉は面倒くさそうな視線と声を背後に向けた。
「一週間ぶりなんだ、邪魔するなよ」
「邪魔はしねえけど、ここは公共の場なんだ。それに会社の前だぞ?奥さんだって顔を真っ赤にして恥ずかしがってるんだ」
「紫のかわいい顔、そんなに見るなよ、俺のだ」
「は?……お前、本当にべたぼれだな。結婚して5年も経つってのに、はいはいごちそうさま」
呆れた声に、私は思わず俯いた。
べた惚れだなんて、そんなこと……。
やだなあ、もう、本当、照れるし。
嬉しさと恥ずかしさがまじりあった気持ちをどうにもできなくて、足元に視線を落とす。
かなりの速さで跳ねる鼓動の音に更に体は熱くなる。
本当、恥ずかしい。
「まあ、可偉の気持ちもわかるけどな。俺んちも嫁さんと有莉が一か月ぶりに家に帰って来た時は嬉しかったからな」
「……でた。嫁さんのことをのろけるなら今日はやめてくれ。俺は紫とふたりで早く
帰ってまったりしたいんだ」
呆れた声とため息。
どこか面白がっているその声は新鮮で、視線を元に戻して目の前の二人を交互に見た。
可偉と笑い合う男性は、可偉の同僚の沢野さんだ。
私達の結婚式にも出席してくれて、最近赤ちゃんが生まれたと聞いている。
「勇太郎も待ってるし、俺も今日は急いでるんだ。有莉は俺が風呂に入れると機嫌がいいんだよ。にっこり笑って、もうたまんないんだ。まあ、そのうちうちの美人さんを見に来てくれよ。じゃ、な」
沢野さんは、可偉の背中をぽんと叩き、私にも軽く頭を下げて駅の方へと向かった。
急ぎ足の後ろ姿はどこか幸せそうで、弾んでいる。
「何が風呂だよ。あいつも親バカ全開だよなー」
その後ろ姿を眺めながら肩を竦めた可偉は、私の頭をぽん、と叩きながら呟いた。
「二人目の子供なのに、勇太郎の時と変わんないよな。女の子が欲しいって言ってたから、しばらくは覚悟して親バカに付き合うか」
「ん?ゆうたろう?」
「そ。ゆうたろう」
にやりと笑った可偉は、私を抱きしめていた腕をそっと離すと、そのまま私の肩を抱き寄せた。
目の前の木でひらひらと揺れている赤いカードに手を伸ばし、目を細めている。
「可偉?」
可偉に寄り添い、その仕草に首を傾げた。
口元は、何か面白いものを見つけたようにふんわりとした柔らかさを浮かべている。
私にも時々向けてくれる、温かい唇。
大切なものだけに見せる穏やかな思い。
可偉が見ている「ゆうたろうくんのカード」は、もしかしたら。
ふと気づいた私は、息をつめて可偉に問いかける。
すると、可偉は私の思いに頷き、それが正解だとでもいうように口元をさらに緩めた。
「沢野勇太郎。今親バカをさらして走って行ったあいつの息子だ。奥さんが二人目を出産して入院している時に勇太郎がこのカードを作ったらしい。沢野とふたりで生まれたばかりの赤ちゃんを見に行く前に、サンタさんにお願いしたってわけ」
「そうなんだ……色々想像しちゃった。お母さんと会えないなんてかわいそうだなあって思って悲しかった」
「大丈夫。勇太郎も、生まれたばかりの有莉ちゃんも、お父さんとお母さんと一緒に楽しいクリスマスを過ごすはずだ」
「ん。……最高だね」
ふたりでゆうたろうくんが書いたカードを見つめながら、寄り添っていると、そんな私達に存在感を示すような動きを感じた。
「あ……私もいるよって言ってる」
私は、コートの上からお腹に手を当てた。
まだ膨らみが目立たないけれど、深いところには、むずむずと動いている不思議な感覚がある。
「私のことも忘れないでってアピールしてるみたい」
まだ大きく動くわけではないけれど、時々自分のことも思い出して欲しいのか、さわさわと刺激をくれる。
どこかむずがゆくてはっきりしないけれど、確かに動いているのを感じて嬉しくなる。
「こいつも、いつかこんなカードを書いてくれるのかな」
可偉の手が、私の手に重なる。
ぎゅっと握りしめられて、親子三人が接点を持つ。
会えるまでにはまだまだ時間がかかるけれど、それでも可偉と私とお腹の赤ちゃんはもう家族だ。
『奇跡だな』
病院でお医者様から私の妊娠を告げられた時、可偉は涙を隠す事なくそう言ってくれた。
普段見せる余裕なんて全くない、くしゃくしゃに笑った顔は、可偉と出会って、一番素敵な笑顔だった。
『子供がいなくても、俺には紫さえいればいいから』
この5年間、なかなか妊娠できない私にそう言って優しさだけを与え続けてくれた可偉。
その気持ちに偽りはないと知っているけれど、一方では子供が大好きで、会社の人に子供が生まれるたびにお祝いを用意している。
たとえ私たちが子供を授かることができないとしても、それはそれで幸せに暮らしていけると、それはわかっていた。
幸せの形なんて、幾通りもあるんだから。
それでも、可偉は『奇跡』と言って喜ぶほど子供が欲しかったんだろう。
私の体にも、可偉の体にも子供を持てない理由がないにもかかわらず、なかなか妊娠しなかった。
そして5年が経ち、ようやく。
奇跡が訪れた。
「俺も、こんなカードを書いてるかもな」
ゆうたろうくんが書いたカードに視線を向けて、可偉が苦笑した。
「紫が出産で入院してる時、早く帰ってきて欲しくて俺もお願いしてるかも。
あ、でも、紫の出産予定は6月だからな。笹に短冊でもつるしてお願いするか。
俺の大切な紫が赤ちゃんと一緒に早く帰ってきますようにって」
くすくす笑い、「沢野のこと、笑えないよな。俺も超親バカ」と呟く可偉は私の手を更に強い力で握ると、ゆっくりと歩き出した。
「寒いし早く帰ろうか。……あ、ところで紫はなんでここにいたんだ?」
可偉は、ん?と私に問いかけながら、自分の首に巻いていたマフラーを外して私の首にかけてくれた。
「妊婦は身体を冷やしちゃだめだろ?それに、つわりもまだ残ってるんだから、うろうろして気分が悪くなったらどうするんだ?」
ほんの少し怒っているような声。
えっと、私、どうしてここに来たんだっけ?そう、つわりもあるからあまり外出もしてなかったのに。
今日は、テレビでクリスマス特集を見ていたんだ。
そして、おいしそうなクリスマスケーキを見ながら今年は手作りじゃなくて買ってこよう、そうだ、今から予約しに行こうって……。
「あ、可偉、クリスマスケーキを予約しようって思って来たんだった。この向こうにあるデパートのお店のケーキ、早く予約しなきゃ」
焦った声をあげる私に、え?と驚いた可偉は、「今年は作らないのか?」と言いながらも、私が行こうと言った方へと歩を進める。
「テレビを観てたらどうしても予約したくなっちゃって。それに、やっぱりプロが作ったケーキはおいしいし。……だめ?」
「いや、紫のケーキはうまいと思うけどな。だけど、そうだな。今年はつわりもあって作るのも大変そうだから、紫が食べられそうなケーキを注文しよう」
「あ……ありがとう」
へへっと笑い、可偉と並んで歩く。
どうしても自分でケーキを作ろうという気持ちにならなかったのは、そうか、つわりが原因だったんだ。
そう思うと、ほんの少し気持ちが悪いような。
吐き気もあるような。
そんな気もするけれど。
つわりは赤ちゃんが元気に育っている合図だって姉さんが言っていた。
それに、横を見れば幸せそうに微笑んでいる愛しい横顔。
大通りにキラキラ光る明かりに包まれながら、来年は三人でサンタさんにお願いをしなくちゃ、と嬉しくなる。
私もサンタさんにカードを書こう。
『大切な家族をありがとう。これ以上欲しいものはありません』
メリークリスマス。