5話
私が生まれて以来、兄さんが私の成長を記録した写真を撮ってくれていた。
カメラマンだった父の影響もあって、写真に関するものは家中に溢れていたせいか、幼稚園の頃から一眼レフを抱えてはあらゆるものを撮影していた兄。
父と同じ職業に就くのかと周囲は期待していたけれど、
『身近に才能溢れるカメラマンがいて、その才能を目の当たりにしてるのに、なろうなんて思わない。趣味で十分』
そう言って私専属のカメラマンとなった。
その兄も、今ではわが子を追いかけてはシャッターチャンスを狙っている単なる親ばかになってしまった。
「千尋、こっちに視線向けろ、もっと笑えよ男前なんだから自信持って。ほら、そんな拗ねた顔するな」
「拗ねてねーよ」
「その顔もいいぞ、絶対女にもてる、父さんが保証するから今の顔を忘れるな」
「ちっ」
呆然とその様子を見ている私と可偉を無視して、兄さんはシャッターを切り続けている。
「ばかでしょ。千尋のクラスで学級新聞作るんだけどね、自己紹介欄に載せる写真を持っていかなくちゃいけなくて。かれこれ一時間は撮影会やってるのよ」
はあ、と大きくため息をついている明乃さん。
兄さんの奥様である彼女は、どちらかというと男勝りな性格が、その優しげな外見をいい意味で裏切っている元モデルさん。
「写真なんて、時間かけたからっていいものが撮れるわけじゃないのに、ホント親ばか。
千尋もよく付き合ってるわよね」
ねえ、と私に視線を向けながら苦笑すると、明乃さんは撮影大会が行われている庭から家に戻っていった。
その後ろ姿は、兄さん達に呆れながらも慣れているのか、気にする様子もなく。
『お茶でも飲んでいってねー』
と家に入る間際にそう言ってくれた。
私と可偉は、顔を見合わせると
「一時間だって」
そう呟いてくすりと笑った。
兄さんと千尋くんの攻防が続く庭は、何だか懐かしい雰囲気で、気持ちが穏やかになる。
「私と兄さん、姉さんも、よく父さんに写真撮られてた。昔はフィルム写真だったから、撮ってもらってもすぐにはどんな顔で写ってるのかわからなくて。すごくわくわくしてたな」
そう。カメラマンだった父が生前一番撮った写真はやっぱり家族写真で、実家であるこの兄さん達が住んでいる家の一部屋はそれで満ちている。
三人目の子供である私の写真でさえ、兄さん姉さんに引けを取らないほどの大量の写真。
今でもこの家に眠っているはず。
来月発売になる雑誌で、父さんの特集が組まれる事になっている。
それに載せるための過去の家族写真を、何枚か雑誌社に提供したと聞いた。
雑誌社の人からのお礼が届いたという事で、今日はそれを取りに来たんだけど、来た途端目に入ったのは、兄さんと千尋君の攻防戦。
カメラを構えて必死に千尋君のいい表情を探す兄さんは、まるで昔の父さんのようで、少し胸が痛い。
父さんも、ああやって私たちの写真を楽しそうに、一生懸命撮ってくれていたっけ。
仕事じゃないのに仕事みたいに真剣で、時々隠し撮りみたいに撮る時もあったし。
カメラのレンズの向こう側にいる父さんをよく覚えている。
思い出すと、やっぱりまだつらい。
突然死んでしまった両親の事を、笑って思い出せる日はくるのかな。
いつになれば、目の奥に熱い涙がこみあがらなくなるのかな……。
俯いて、切なさに唇をかみしめると、隣にいた可偉がそっと私の肩を抱き寄せてくれた。
可偉の肩に頭を乗せて、そっと目を閉じると。
その温かさが私の涙を昇華してくれるようで、少しずつ落ち着いてくる。
両親が死んで以来、不安定だった私の心を支えてくれたのは兄さんと姉さんだけど、再び落ち込まないように救い上げてくれるのは可偉だ。
そんな可偉を見上げて、泣きそうな顔を向けると。
「今日もかわいい。俺の大切な奥さん」
甘い声を落としてくれる。
『俺の』
いつもそう言っては私の事を励ましてくれる。
私を必要としていると、ちゃんと言葉と態度で教えてくれる可偉には感謝でいっぱいだ。
絶えず私に可偉の体温と気持ちが伝わるように、照れる事もなく、余裕の態度で示してくれるから、私は全身全霊で可偉に全てを委ねられる。
「紫が俺の全てだから、大丈夫だ」
「ん……」
ぐっと強く抱き寄せられて、気持ちを知らされて、沈みがちな私の心をどうにか落ち着かせた。
そして、目の前でまだ続いている兄さんと千尋くんの撮影大会を見ながら、複雑に寂しい気持ちをどうにかやりすごした。
兄さんには私以外に、ううん、私以上に大切な家族がいるんだと、それは、私が可偉という新しい家族に対する気持ちと同じでかけがえのないものだと。
改めて実感した。
家に入って、リビングに行くと。
明乃さんがコーヒーとケーキを並べていた。
「お手製の太りにくいケーキだから、どんどん食べてね」
元モデルだけあってスタイル抜群の明乃さんの言葉には説得力があって、思わず笑ってしまった。
「明乃さん、太らないじゃないですか。羨ましいくらい」
「あら、紫ちゃんもスタイルいいわよ。
だけど、もともとスレンダーだったけど、最近は丸みも出てきていい感じ。
きっと、毎晩ちゃんと愛されてるのね、ふふ」
「え……毎晩……」
明乃さんのからかうような言葉に体中が熱くなった。
た、確かに毎晩、可偉が私を愛してくれるし、晩だけじゃない時もあるし、って、違うし。
「本当、あの写真の頃の紫ちゃんもかわいかったけど、今は艶やかだし色気も出てきたし、本当、綺麗。
可偉さんが目を離せないのもよくわかるわ」
そう言って、にやりとした表情を可偉に向けた。
明乃さんの言葉にくくっとのどの奥で笑った可偉は
「目が離せないから、どこかに閉じ込めておきたいくらいだ」
照れる事なく、あっさりと言い切った。
「あら、そう。もしその時は教えてね、差し入れくらいは行ってあげるわ」
「はい、頼みます」
私を挟んで、二人がそんな会話を交わしているのを茫然と聞いていたけれど、そのおかしな言葉たちにはっと気づいて。
「な、何そんな冗談を真面目に言ってるの」
慌てて口を挟んだ。
けれど、明乃さんはあっけらかんと
「あら、冗談じゃないわよ。可偉さんなら、愛しい紫ちゃんを隠して閉じ込めるくらいやりかねないもの」
頷いた。
「確かに、実行するかもな」
可偉でさえ、真面目な口調で頷いて。
冗談なのか本気なのか、わからなくて混乱した私は泣きそうになった。
閉じ込められても困るんだけど。
可偉ならやりかねないと思ってしまう自分も自分なんだけど。
にっこりと笑って、肩をすくめた明乃さんにすすめられるがままに、コーヒーをいただく事になった。
可偉は相変わらず私の傍らに寄り添っている。
そんな可偉の様子にも慣れているのか、何も言わない明乃さんだけど。
「なんだ?家の中でも嫁にべったりの嫁ばかか?」
いつの間にか部屋に入ってきた兄さんが苦々しげな声で叫んだ。
「妹ばかよりマシでしょ。自分の奥さんを大切にしてどこが悪いのよ。ね」
明乃さんが呆れたように私に同意を求めてくる。
「な、妹ばかのどこが悪い。俺は紫の兄なんだぞ、家族なんだぞ」
「はいはい。家族家族ってうるさいのよ。
こうして可偉さんが紫ちゃんの家族として守ってくれてるんだから、あなたは安心して私達を守ってればいいの」
「……そ、それはそうなんだけどな」
明乃さんの言葉に、頭をかきながらうつむいた兄さん。本当、彼女の事が大好きなんだな。
惚れぬいて惚れぬいて、モデルをやめさせて嫁にしたんだもんね。
「ま、嫁バカってのもいいか」
自分で勝手に完結させてる。
そんな兄さんの後ろで苦笑いしている少年、千尋くんは、私をちらりと見て、肩をすくめてみせた。
ふふっと私も頷き返していると。
可偉が思い出したように言った。
「今日、見せたい写真があるっていうのは」
「あ、そうだ、雑誌社からお礼だと言って届いてるんだ。一応飾ってあるから見てくれ」
兄さんが、それまでとはうってかわって真面目な声でそう呟いた。
私達の写真で溢れている部屋に、兄さんのあとに続いて入ると、目の前には大きくパネルになっている写真がたてかけてあった。
私の身長ほどの高さもあるそのパネルは、まだ両親が生きていた頃に撮った家族写真。
私が小学校に入学した時の写真があった。
赤いランドセルを背負って、おすまし顔で立っている私の両隣には兄さんと姉さん。
後ろには父さんと母さんが並んでいて。
五人で大きく笑っている桜の木の下。
入学式を終えて、家に帰る途中で見つけた大きな桜の木の下で撮ったのを覚えている。
普段は撮るばかりの父さんが、『記念だから』と言って三脚をつかってセルフタイマーで撮った写真。
家族五人そろって撮る事はなかなかなかったから、この写真はとても貴重で、大切な写真。
「この頃も、紫かわいいな」
じっと見つめる私の隣で、可偉がぼそっと呟いて、またもや周囲の苦笑をさそうけれど。
そんな事よりも、五人で笑っていた昔の記憶が浮かんできて、胸はいっぱいになる。
両親の笑顔を見たのは、久しぶりだな。
さりげなく母さんの肩を抱き寄せている父さんの誇らしげな顔は、今まさにこの部屋で明乃さんを抱き寄せている兄さんの顔にそっくりで。
それは可偉にも通じるところがあって。
「ずっと、私は幸せだったんだな」
そう実感できた。
「さっき、私が言ったでしょ?この写真の紫ちゃんもかわいいけど、今の紫ちゃんも艶やかで愛されているオーラに満ちていて綺麗だって。そりゃ、毎晩愛されてたら、ね」
再びにやりと笑っている明乃さんを軽く睨んだ兄さんは、パネルの写真に視線を移して。
「俺ら、みんなずっと幸せなんだよ。
紫は、父さんと母さんが死んだあと不安定になって大変な思いをしたけど、俺ら家族が側にいるって気付いたら立ち直っただろ?
今は可偉くんがいるから、ちゃんと幸せだもんな」
「……うん」
「最近、なかなか紫がうちに遊びに来てくれないのは、考えても仕方のない事を悩んでるのかと思って心配してたんだ。明乃が、最初に気付いたんだけどな」
「うそ……」
兄さんの言葉に、思わず明乃さんを見ると。
「だって、私も家族だもーん」
照れ臭そうにそう言って笑ってくれた。
「さっきも、千尋を写真に撮ってるこの人見ながら寂しそうな顔してたからね。
せっかくできた家族がそんな顔してるのって私も寂しいじゃない?
家族と離れて暮らしても、私や千尋っていう新しい家族は増えたんだから、楽しくやろうよ。
可偉さんに閉じ込められても、助けに行くからね」
ふふふっと、照れ臭さを隠すように早口な言葉が部屋に響いた。
その時、
「ごめん、遅れたー」
玄関から慌ただしい声。
バタバタと何人かの足音が響いてアトリエに近づいてくる。
「うるさい家族がやって来たな」
兄さんの声が聞こえたと同時にアトリエに飛び込んできたのは姉さんの家族。
私の義兄、姪っ子二人。
「うわー、紫、またまた綺麗になったねー。さては可偉さんに色々してもらってるな?」
「は?」
姉さんのその言葉に、私は声を失った。
明乃さんと同じような言葉が響いて可偉は噴き出して、兄さんは唇をとがらせて。
姉さんはわけがわからないとでもいうように突っ立っていた。
【5話 完】