第2話 中尉 前編
夕方、全作業工程が終わったことを確認すると、白本はため息を吐きながら本部棟へと向かった。菱餅のような形をした本部棟は内部が無駄にシンメトリーに、しかも複雑に造られているためしばしば新兵が迷子になることで有名で、白本もよく部下たちとそのことをネタにして盛り上がっていたが、今日ばかりは迷子になる新兵がうらやましかった。
本部のエントランスホールから一歩踏み出すと、蛍光灯が冷え冷えとした明かりを投げかける廊下が延々と続いている。緑のリノリウム張りの床ということもあって、否応にも死刑囚の独房を想起させる。ますます白本の足取りは重くなっていった。
時折廊下の脇にある休憩室から談笑している声が響くのが、余計にこたえた。
くそっ、どうして俺ばかり・・・。
心の中で毒づきながら、白本はとぼとぼと廊下を下った。
とうとう士官室の前まで来てしまった。この部屋の周りは相変わらず人がいない。
「…白本軍曹、ただ今出向しました!入ります」
冷たい廊下に、白本の声がしんしんと痛いほどに空しく響いた。
がちゃりとドアノブを回し、白本はドアを開けた。
士官室の中も、前の廊下と同じくらい静かだった。
巨大な長方形の部屋の中、曇りガラスで仕切られたデスクが規則正しく並び、そこで士官服を着た人々がこれまた規則正しく座って、規則正しくデスクワークに勤しんでいる様子はある意味壮観である。
妙な圧迫感を感じつつも、白本が部屋をぐるりと見渡すと、少し離れたところにあるデスクに座っている女性士官がこちらをじっと見つめていた。中尉だ。こちらが見つけたのが分かると、中尉は席を立って部屋の奥の重厚な木製の扉を開け、白本に手招きをした。
白本は早足で扉へ向かった。
白本が扉をくぐると、中は小さな部屋になっていた。中央に大きめのデスクが設置してあり、それを囲むようにパイプ椅子が8脚置いてある。
「出向、ご苦労様。掛けなさい」
中尉は後ろ手に扉を閉めながら言った。
はい、と応じて白本が椅子の一つに座ると、中尉もデスクを挟んで反対側の椅子に腰掛けた。
「今日の搬入は滞り無くできたそうね。お疲れ」
「はいっ、有難うございます!海浦中尉殿!」
ハスキーな声で明るく振る舞う中尉とは真逆に、白本は脂汗が背中に浮かぶのを感じた。今のは多分、いや間違いなく遅刻を皮肉った言葉だ。
「それで、今回呼び出した理由だけれども…」
そら来た。除隊の手続きはどうするんだっけか?
「アームド・ドレスって知ってる?」
「…はい?」
「アームド・ドレスよ、強化装甲服の。」
全く状況が理解できなかった。わざと関係ない事を中尉が言っていることも考えたが、中尉の相手をグサリと刺すような目が、冗談ではないと告げている。
「アームド・ドレス、ですか。米軍が開発した局地戦用歩兵装備、と記憶していますが」
「そうそう、それなんだけどね」
そこまで言うと中尉は一息ついた。
「うちの隊で三日後から新型をテストすることになったから。準備しといて」
開いた口がふさがらない、とはまさにこのことを言うのかと白本は実感した。
わけがわからない。米軍の新型をこんな日本のド田舎の基地が担当する?しかも一個小隊だけで?というより、何故こんなことを通知されなかった?三日後にテストなんて、急な話にもほどがある。
「もしもし、軍曹どの~、生きてるか~」
呆然としていると、海浦中尉があきれたような顔をして白本の顔の前で手を振った。
「…申し訳ありませんが、腑に落ちません。何故合衆国の兵装を我々がテストするのですか?」
「汎用性を追求するために日本人の小柄な体型でもテストしたいんだってさ。ついでにこの近くの丘陵の演習場が日本らしい地形ってことで、あちらの目にとまったそうだよ」
「しかし、一個小隊で担当するのですか?無茶苦茶だ!」
「流石に中隊の支援は受けるわよ?仮想敵役とかは機甲隊が来てくれるらしいし。それにおおまかなプランは米軍側が示してくれるから、私たちはただ動かすだけ。特別手当で給料も上がるし、いい話だと思うけど」
中尉は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「…今、その『新型アームド・ドレス』はどこに?」
白本が絞り出せた言葉はそれだけだった。
「あら、気づかなかったの?今日、君が運び出した機材が新型のパーツだったんだけど」
急に白本は気分が悪くなった。
「はい、これがテストプランと装備の詳細。よろしく」
そう言って海浦中尉はデスクの上にプリントアウトされたA4用紙をばさっと置いた。それを白本は引っ掴むと、ガタッと音を立てて席を立った。
「…各員に通知してきます、白本軍曹、退出します」
45度角でお辞儀をすると白本はクイッと出口を向いた。
「失礼しました」
「あ、こんな時に悪いけれど、ついでに『いつもの』頼まれてくれる?」
ドアノブに手をかけた白本の背中にふいに中尉が声をかけた。
「…了解」
ワンテンポ置いて、うんざりした声で白本は応えた。
「じゃあ、私の部屋で待ってるから。そうね、ここは気合を入れてたまには一緒に…」
「自分の立場を自覚してください。俺にも自分のメンツというものがありますので。失礼」
バン、とドアを開けて、白本は小部屋を出た。
ドアを閉める一瞬、中尉が寂しそうな顔をしてぽつんと立っているのが見えた。
「…バカ小隊長が」
ドアを閉め終えると、白本はつぶやいた。何故かひどく疲れた。
22歳という若さで士官学校を主席で卒業、その後も驚異的な戦術眼から一個小隊を任されるまでに出世した海浦 怜伽中尉。演習などでの指揮を見て、白本を始めとして多くの兵士がその腕は認めている。しかし、若さゆえかしばしば公私の区別をつけられないことがあることに、薄々と気づいている兵士が多いこともまた事実だ。
今のところは古株の下士官達がフォローしているが、なめられるのも時間の問題だろう。
幸い本人も『先輩』達に支えられていることを自覚しているため、ちょっとずつは改善してきている。それでも、今回のようにふっと思い出したようにボロが出るため、気が抜けない。
「あ~、めんどくせぇ~」
頭をかきむしりながら白本は士官室を出た。数人の尉官がこちらをチラっと見てきたが、すぐに目線をそらした。愚痴る軍曹に興味はないらしい。
肩をいからせて廊下を歩きながら、白本は連絡事項を再チェックした。
言う内容は考えてある。しかし、問題はどうやって部下たちを納得させるかだ。
いきなり三日後にテスト参加と言ったところで、パニックを起こすだけだろう。
さて、どうするか…。
そんなことをあれこれ思う白本の頭の中を、先ほどの中尉の顔がチラチラと横切った。
いつもはそれこそ5.57mmライフル弾の如く相手を貫く目が寂しそうに伏せられていた。前にあんな顔したのは准尉殿に雷落とされた時だったなぁ…。
上官とはいえ、若い女性にあんな顔をされて何も思わないほど白本は薄情になれなかった。
「たまには付き合ってやるかな」
白本はほんの少しだけ笑って、購買部のある場所に歩いて行った。早く向かわないと店じまいしてしまう。
はい、いきなり1か月以上の更新遅れ。設定を一から作り直していたらついつい遅れてしまいました…。
これからは多分2週間前後のペースで更新できると思いますので、よろしくお願いします。




