Mov.4 アイリスの手紙(前)
演奏会も間近に迫った2月14日。穂神中学校ではこの日も練習が行われていた。
「よし、じゃあアルメ頭から。」
『はいっ!』
生徒たちの元気な返事が飛ぶ。初めてレッスンに来た日からは想像もつかないほど部員たちの顔は喜びに満ちており、合奏場にはやる気が満ち溢れていた。
この年の演奏会は、修仁の意向もありかなり欲張ったプログラムとなっていた。
1部は保科洋の風紋で幕を開け、ホルストの第1組曲、パーシケッティのディベルティメント、そして今合奏しているアルメニアンダンスパートⅠをメインに据えている。
2部はミュージカル「オズの魔法使い」をテーマに1、2年生だけのマーチングで雰囲気を変えて。メインとなる3部では全員で修仁のアレンジによるマーラーのシンフォニー5番を演奏する。
どう考えても中学生には難易度が高く重いプログラムとなっているが、今の部員達なら出来るだろうという修仁の読みと、何よりも他の学校とは一線を画した演奏会にしたいという強い思いがこのプログラムを作り上げた。
アルフレッドリードのアルメニアンダンス。吹奏楽を志す者にとってはバイブルともいうべきこの曲は、パートⅠ・パートⅡの2部からなる。今回演奏するパート1は10分を超す大曲の為演奏技量はもちろんの事、修仁は何よりも曲の表情をどうつけるかに心血を注いでいた。
「ほれ、クラリネット!曲想が変わってるのになんでおんなじ吹き方なん?」
「タンバリン!!!はね方の違いもっとだして!!」
「あ~も~、トランペット!そのタンギングもっと綺麗に!!」
合奏の中でも激しい檄が飛ぶ。
修仁は原則合奏を止めない。流れの中でこそ、各奏者の荒い部分が出てくるからだ。部分部分は上手く演奏できていてもつなげるとぐしゃぐしゃ・・・なんていうことはざらにあるからだ。
「ホルン!!!吼えろ~~~!!!」
ラストの「いけ、いけ」からクライマックスを迎える。
残響が心地よく音楽室を満たしている。
「う~ん、各パートごとでもう少しあわさないとダメかな?でも、サウンドはグット!よくなってきてるよ。」
演奏中は、騒ぎ立てるものの、基本的に部員には優しく接する修仁。これも、彼のスタイルである。常にがなっていても子供たちにはつらいだけ。こうやって気分を変えてやらないと集中力も続かなくなるというのが彼の持論である。
「じゃあ、少し休憩しよっか。挨拶。」
「起立!礼!!」
『したっ!!』
「はい。お疲れ様。15分からアルメの続きと、ディベルティメントな~」
『はいっ』と、部員達の元気な返事が返ってくる。
「さてとっ」
指揮台から降りると、コートを羽織り音楽室を出る。穂神中の音楽室は校舎の4階にある。その為煙草を吸うにはまず1階まで下りて校舎の外に出なければならないのだが、、、修仁が向かったのは屋上。なんと、先日保護者からの提案で屋上に専用の喫煙所が設置されたのだ。どうにも、近所から怪しいコート姿の男が校門の近くで煙草を吸っていると通報があったようで、それならば見えない場所に隔離しようと今回の運びとなった。
大好きなピースに火をつけ、身体中にその香りを満たす。本当はココにあったかいコーヒーでもあれば最高なんだけどなーっと空を見上げる。あいにくの曇天、天気予報では今日は雪になるそうだ。
紫煙を燻らせながら、色々な事が修仁の頭をよぎる。どのみち、この演奏会が終われば、あとの事は千代と「あいつ」に任せておけばよい。3年生はしっかりと進路を決めているだろうから後はそのフォローをしてやらないといけないが、まぁどいつも問題はないだろう。あとは、4月から自分自身がどうするか。フォルツァを頼ってアメリカに行くか、もしくは・・・
「何にしてもあと少しかぁ・・・」
「何が?」
「!???」
独り言に返事が返ってきたので、驚いて声のする方を向くと、そこには真希が立っていた。
「よっ!センセっ!ただいま!!!」
「真希!久しぶりじゃないか!受験は?」
「じゃーん」
といって取り出したのは、高校の合格通知だった。
「本日めでたく、この合格通知が届きました~!」
「うぉぉ、よかったなぁ!!!」
「へへへ、先生に勉強見てもらったおかげだょ!」
真希は、吹奏楽部での実績で愛知電気工業高校の推薦をもらっていた。まぁ落ちることはないと分かっていたものの、実際に合格通知を手にするまではやはり安心はできない。
「それと・・・はいっ!」
真希はなにやらがさごそと自分の通学カバンから四角い包みを取り出し修仁に手渡した。
「?なんやこれ?」
「もぉ~、今日は何の日?」
そういって、屋上の柵にもたれ掛る。
「知らん!」
「相変わらず、こういう事疎いんですね。今日はバレンタインでしょ!」
「おぅ!そうか、チョコレートか!もうそんな時期か。定期まで、そんなに時間もないなぁ」
「ははっ、先生にとってはそれが一番の関心事だよね。私もそうだけど。」
ガシャンと音を立てて柵から離れると修仁の前で姿勢を正し
「今日から合奏参加するからお願いします!」
「了解!こちらこそよろしくお願いします。」
二人して頭を下げて、顔を見合して笑いあう。3年生が戻ってくることを誰よりも喜んでいるのはほかでもない修仁だった。
「じゃあ、準備してくるね。あ、それと・・・はい!コーヒー」
「おっ、気が利くねぇ。」
「欲しかったでしょ?」
「とっても。」
真希から受け取ったコーヒーは、温かく、悴んだ修仁の手をほんのりと暖める。
この日は、真希以外にも数人の3年生が合格したと言って修仁のもとを訪れた。原則3年生は3月になるまで部活に参加しなくてもよいのだが、この年の3年生は、どの部員もすぐに部活に復帰しその日のうちに練習に参加していった。何しろ、やる気の塊のような子たちばかりだ。1・2年生の本当に良い見本となっている。
けれど、そんな3年生もあと数日で新しい道へと進んでいく。
その時自分はどうしているのか?
そんなことを考えつつ、2本目の煙草に火をつけ大きく吸い込む。吐き出した煙は風に流されて次第に消えていった。あと少しで、自分もここから消えるのか。少し感傷的になる修仁だった。
「よーし、じゃあ今日の練習はここまでにしよう。あいさつ!」
「起立っ、礼!」
『したっ』
「はーい、おつかれさーん」
「じゃあ、このまま集合とりまーす!連絡ある人~」
「はいっ!衣装係です。マーチングに使うテンガロンの羽が届きました!」
『おー』
「今回は豪勢に3本使うので、クシャクシャにしないように各自注意してください!」
『はい!!』
「他連絡ある人~・・・はい、無いようなので終わります!起立っ」
「あっ、風邪が流行っているので皆さん注意してください。それと、今日は雪が降るそうですから自主練習は程ほどにして早く帰りましょう。お疲れ様でした!」
『したっ!!!』
集合が終わると、部員たちはぞろぞろとパートの部屋に帰っていく。
東桜中学は、職員室のある本館に音楽室や準備室、楽器倉庫があり、パート練習は本館の隣の特別教室棟でそれぞれ別れて行っている。
修仁は練習が終わるといつも準備室に戻り、スコアを読みふけっていたりアレンジやコンテの作成といったデスクワークに勤しんでいる。
その合間には部員達が遊びに来たり、練習を見てくれとレッスンをしたりもしているが、今日は入れ代わり立ち代わり生徒がチョコレートを運んできた。
「せんせー、はい!チョコレート!!!」
「あたしもー!手作りの生チョコレートだよ~」
気が付けば、修仁の机の上はチョコレートの包でいっぱいになっている。
これには千代も苦笑いを浮かべ付箋にパートと名前を付け紙袋に丁寧にしまってくれた。「ちゃんとお返ししてあげてくださいね」となにやらご機嫌だった。よくよく思い返せばこの女は学生時代こういった浮ついたイベントが好きだったなと懐かしい思い出に修仁も笑みを漏らす。