an ominous dream
「―――内っ! 陣内っ、しっかりしろ!」
斉木が必死に呼びかけているのが聞こえた。
「うっ……!」
陣内は後頭部に鈍い痛みを感じた。そこに手を当ててみると、べっとりとしたものが付着した。
雨は降っていない。空も青空だ。そして何より、ここは戦場でなかった。
「何が起きたんだ……?」
―――さっきのは夢だったのか。不吉な夢だ。
「陣内……。まさか、覚えていないの?」
「お前が服屋を出た後からな」
先程の少女が陣内を心配そうに見ているのが目に入った。新しい服に着替え、髪を切り揃えた彼女はもはや『不潔』という言葉は当てはまらなかった。
「あれから僕らは次の街に行こうとしていた。でもその時運悪く……」
斉木は歯切れ悪く言葉を切った。どうしたんだ? と陣内が尋ねる前に、少女が口を開いた。「びょうきのお兄ちゃんが口から血を出しちゃったの」
「―――何だって?」
それ見たことかと陣内が斉木を見やると、彼は申し訳なさそうに話を続けた。
「それが、街のみんなの気に障ったみたいだ。僕が患っているのが血液感染する病気だと思っていたらしくてね」
「何っ?」
そんなことを言った奴をぶん殴ってやると一歩踏み出したところ、斉木に止められた。
「大丈夫。もう分かってくれていると思うよ。君が彼らの誤解を解いてくれたんだ」
「俺が?」
記憶にないので、何とも不思議な気分だった。
山の上の病院にて。
「どの患者が逃げたんです?」
医師は看護婦に尋ねた。看護婦は何も言わなかった。その代わり、脱走した患者のぶ厚いカルテを差し出す。
「『斉木和也』か……」
医師は深い溜息をつき、カルテをぺらぺら捲る。そのカルテにはびっしりと文字が書き込まれていた。
医師は彼が病院に運び込まれた日のことを思い出した。あの日は蒸し暑かった―――。
穏やかな午後が過ぎ去ろうとしていた。全ての患者の検診を終え、休憩に入ろうとしていたその時だった。
「先生っ、急患です!!」
声と共に担架に乗せられて運ばれて来たのは十七、八くらいの青年だった。外傷がないことから、持病を患っているのかと彼は推測する。しかし。
「これは一体どういうことだ……?」
「さっきはすまなんだなぁ、兄ちゃん。お詫びと言っちゃあなんだが、今日一日ここでゆっくりしていってくれや。街一番の宿屋を紹介してやるけん」
人当たりの良さそうな老人は、本当にすまなさそうな顔をして僕らを宿屋に招き入れた。どうやら彼は宿主らしい。
自称・街一番の宿屋は、確かに他の建物よりはまともだった。けれど、ところどころ壁紙が剥がれているのが目立つ。申しわけ程度に観葉植物が植えられていたが、どれも元気がない。床はみしみしと音を立て、腐敗具合を知らせている。
「国の象徴だな、こりゃ」
陣内は呆れ気味に吐き捨てた。あまりにも無遠慮な音量だったので、僕は宿主に聞かれやしないかと焦ったが、それは杞憂に終わる。
「なあ、斉木」
唐突に陣内が言った。「これから先、そのガキはどうするんだ?」
彼が言う『そのガキ』とは、無論あの少女のことである。
「何とかしなきゃ、死ぬまでついてくるぜ」
同情しないというのが暗黙の了解、らしい。僕には理解できないが。とにかくそういうルールがあるからこそ、同情された人間は同情した側の人間の傍にいたくなる。自分の安全が保障されるまで。
「わたし、めいわく?」少女が言った。
「そんなことないよ」
僕は彼女が傷つかないように、慎重に言う。だが結果的に、上手く言えなかった。
「ううん、たぶんちがう。お兄ちゃんは、困っている。―――あっちにいるこわいお兄ちゃんも、たぶん困っているんだね」
まともな教育を受けていないせいか、彼女も宿主も何とか言葉を思い出そうとするかのように一言一言区切って話す。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。何が間違っていたのだろう。何も知らなかった僕は、その答えを見つけることができない。
いつか病室で読んだ本の中に、砂漠を旅する人の物語があった。
旅人。僕はその言葉に強く惹かれた。彼らは一切のしがらみもなく生きてゆける。僕は旅人になりたかった。
「ありがとう、もう行くよ」
少女はにこりと笑って去って行った。僕らはお互いの名を知ることもなく―――もはや知る必要はないのかもしれない―――利用し合って生きていくのだ。




