still a crossing.
夏。僕は外国にいた。
どこに向かうわけでもなく、ふらふらと街を歩いていた。
刻々と近づく帰国日。家に、いや日本に帰りたくなかった。あそこは、あの場所は、目まぐるしいスピードで時が流れている。周囲にいる人の声がまるで異国語のように聞こえた。彼らがどこか遠くで喋っているのではないかという錯覚さえあった。
僕は信じていた。今いる場所だけがこの世の全てではないのだと。
「日本人? 君、日本人だよね?」
どうやら声をかけられたらしい。それに気付くまでに数秒かかった。
物珍しげに目の前ではしゃいでいるのは、十歳くらいの少年だった。
信号が青になり、人の群れが一斉に動きだした交差点。誰もが急いで目的地に向かっているその中で、僕ら二人は浮いていた。
「君くらいの歳の日本人なんて、久しぶりに見たよ。あ、ボク『アルテミス』って言うの。アーティって呼んでね」
アーティは物凄い勢いでまくし立てた。その後にも何か言っていたが、あまりにも速かったため、ほとんど聞き取れなかった。
「アーティ、悪いけどもう少しゆっくり喋ってくれ」
アーティは快活に笑った。
「ああ! それは悪かったね。気をつけるよ。―――そういえば、君の名前は?」
―――『名前』。
「……斉木」
「?」
「斉木和也だ」
アーティはにっこり笑う。屈託のない笑顔だった。
「カズヤっ、ボクと一緒に遊ぼう! ボク、面白い場所を知っているんだ!」
「え? あっ、ちょっと待ってよ!」
僕は彼に引きずられるまま、その場所を後にした―――。
「イザベラ様って知ってる?」
「イザベラ様?」
「修道長だよ。ボクは毎日礼拝堂に行っているんだ。ほら、その丘のところにある建物だよ。見えるでしょう?」
アーティは小さな建物を指した。入口には十字架が飾られており、そこから見上げると金色の鐘が垣間見える。
「元々お祈りをしに行こうと思っていたんだ。そうしたらカズヤに出会ったんだよ。さあ、行こう」
「でもアーティ、僕は宗教のことに詳しくな―――」
「大丈夫! イザベラ様はとてもお優しい方だからね。ボク、イザベラ様を尊敬しているんだ!」
アーティは礼拝堂の門を押した。ギィィィと音を立てながら、門は内側へと動く。
「おや? 今日はお友達も一緒なのですね」
僕らを迎えたのは、にこりと微笑んで頬に皺を刻んだ女性だった。彼女は眼鏡をかけている。レンズの奥にある瞳は間違いなく、慈愛に満ちていた。
「彼女がイザベラ様だよ」
アーティは自慢げに言った。
「斉木です。日本から来ました」
「まあまあ、遠いところからわざわざ……。大変だったでしょうね。Ms.シャーブルック、一緒に礼拝堂の中を斉木さんに案内してあげましょう」
「もちろんですっ、イザベラ様!」
アーティは目を輝かせてイザベラ様を見た。ちなみに、アーティの本名は『アルテミス・シャーブルック』だ。
―――ん? そう言えば……。
「恐れ多いのですが、イザベラ様」
僕はイザベラ様に尋ねた。「あなたは先程、アーティのことを『Ms.シャーブルック』と言いませんでしたか?」
するとイザベラ様は不思議そうに首を傾げ、「はい、言いましたよ。それが何か?」。
僕が何を言いたかったのかアーティは分かったようで、拗ねたように頬を膨らませて「ボクは女のコだよっ!!」と言った。彼女の髪はブロンドのショートカットで、格好はオーバーオールというラフなものだった。
「ごめん、アーティ。気を悪くしないでくれ」
「仕方ない、正直なことに免じて許してあげるよ。……それにしても鈍感だなぁ、カズヤは」
アーティは呆れたように、やれやれと肩を竦めた。
「斉木さんの誤解も解けたようですし、そろそろ行きましょうか」
イザベラは、彼らがもめている間も微笑みを絶やさなかった。