わたくしは重い女なので ~国が崩れても貴女が欲しい~
わたくしは待っていました。彼女が帰ってくるのを。
わたくしの守護天使を。
下着一枚で、王都へ続く街道の傍らで。
大きな木の洞の中で、息をひそめて。
秋で、雨も降らなかったので、すぐ死ぬ心配はありませんでした。
ドレスに隠しておいた僅かな食料と、小さな水筒の水以外に何も口にはしていなかったけど、不思議と空腹を感じませんでした。
待っている時間は苦になりませんでした。
だってあのひとを待っているのだから。
このまま野垂れ死んでもいいと思うほど甘美でした。
頭の中で、わたくしを見つけたあの人がどういう行動をするか、何度も何度も想像しました。
二日目の夜。
馬の駆ける音が近づいてきました。
わたくしには、あの人が乗っている、と音だけで判ります。
王都の全ての馬よりも、見事に手入れされた逞しい白馬を。
どんな殿方よりも勇ましく美しく速く駆けさせるあのお姿を。
北方の人に多い黒髪は、つややかで長くうっとりするほど綺麗で。
どんな王侯貴族の殿方よりも流麗なお顔は、いくら見ても飽きず。
しなやかな豹めいたすらっとした四肢には、いつでも抱かれたいと思ってしまいます。
しかも、よほど急いで来たのか。
まとっている金の飾り紐だけが装飾の純白の軍服は泥だらけで。
でも、それすらも、あの人が単に美しいだけでなく無敵の強さで戦場を駆ける勇者の証に見えてしまうのです。
ああ。わたくしの守護天使。わたくしの太陽。
わたくしは街路へ飛び出しました。
あの人の乗った馬になら、蹴り殺されてもいいと思っていたのだけど。
あの人は、見事に馬を止めました。
わたくしは、下着姿でしたが、それでも淑女に相応しい礼をしました。
「お待ちしておりましたわ」
「……なんて格好をしてやがるんだよ」
第一声は呆れた、という声でした。
その声だけで、全てが報われたと思ってしまうのは、我ながらどうかしていますわね。
「服は城壁の堀の縁に脱ぎ捨ててきました。今頃は堀を漁ってる頃合いですわ」
追放されたわたくしは、そのまま王宮を出て、身一つで王都を出たのです。
そして、絶対に通るここで待っていたのです。
あの人。
いえ、目の前にいるのですから、彼女と呼びますわ。
彼女は馬から降りると、じっと堀の方を見ていました。
わたくしには暗くて見えませんが、鷹のように鋭い目には、捜索隊が右往左往しているのが見えているのでしょう。
「あそこから、ここまでその恰好でか……いつもかぶってるかよわい淑女の仮面はどうしやがったんだ?」
「夜でしたし」
わたくしが婚約破棄された舞踏会は、二日前の夜でした。
彼女は、わたくしを見て、木を見て、木の洞を見て、呆れたように溜息をつき。
「準備してたのかよ……ありえねぇ。お前、いちおう、侯爵家の長女だろうが」
「愛されていない方の娘ですわ。便利な道具」
王太子殿下の婚約者にして、侯爵家の鼻つまみもの、それがわたくし。
「使わなかったのか」
「ええ」
彼女からは事前に、わたくしの義理の妹と、頭が湧いている婚約者が何を企んでいるかの仔細と。
わたくしの無実を証明するさまざまな証拠が渡されていたのです。
「どうして」
「だって、これで堂々と婚約破棄させられたじゃないですか。同時に除籍まで済ませていただきましたので、わたくし完全に自由になれましたわ!」
彼女は、額に手をあてて。
ああ、白手袋に包まれた指のかたちも素敵ですわ。
「あのな……」
「それに、醜聞ならあの家を追い出されるじゃないですか。その前にあの世に旅立ったわけですけど」
「あのな……」
「家もなくなり、身一つのわたくしを、貴女はこばめないでしょう」
「あのな……」
「幸い、貴女がいない日だったから、あの方々も実行してしまったわけで。ご用事は片付きましたの?」
「ああ。悪い予感がしたんでさっさとな。お前がこんなことをやらかすんじゃないかってな……」
「まぁ! それはひどい言い方ですわ。わたくし冤罪をかけられた被害者ですのに」
彼女は、うろんなものを見る目でわたくしを見やり、
「あたしが渡した報告書は……いや、いい、聞かなくても判る」
「燃やしました」
「だろうな……」
「でも覚えています。貴女からいただいたものを忘れるなんてできません」
彼女は長々とため息をついて、わたくしを見ると、
「……重いよ。お前」
わたくしも見つめ返して、にっこりと笑いました。
「貴女に逢ってからわたくし自覚してましたわ。わたくし重い女ですもの」
それまでわたくし、実家や義妹や婚約者や王家に言われるがままに何もかも差し出してましたのよ。
宝石も服も立場も仕事も成果も。
爪を隠しておくためなら、全て捨てて構わないと。
なのに、彼女に出会った瞬間、わかってしまったのです。
この方だけは差し出せないと。
「……知ってた」
「いいえ、知らなかったでしょう」
「いや、知ってた。でも、あたしを選ぶとは思わなかった」
「どうしてですの?」
「……なんのかんの言っても、お前は侯爵令嬢で正統な後継者だからな、家を取り返すのを優先すると思ってた。あとあのカスどもへ復讐するかな、と」
「なめないでくださいませ」
「悪かった。お前は本当に大したもんだよ」
そう言うと、彼女は、あきれ果てた、でもやさしい温度のこもった目でわたくしを見ました。
このまなざし。
わたくしをこの世界でただひとり、きもちよくあまやかすまなざしが、好きです。
ああ、彼女に触りたい。
黒髪触れて、頬を撫でて、キスしたい。
「どうします?」
「どう、とは」
「死んでいる上に、おそらく今頃実家の籍から外されて平民に落ちたわたくしを拒みますか? 面倒なら今ここでわたくしを処断しても問題ありませんよ」
「あのな……あたしにそんなことできるわけないだろう。知ってて言うな」
どうも、彼女の前だと、わたくしは少しわがままで意地悪です。
「ですよね」
「はぁぁ……お前には、普通の意味でしあわせになってほしかったんだぜ」
「無用な気配りですわ」
「あの会場に、お前を気に掛けているヤツがいただろう」
彼女は、自分の不在時に、あのバカどもがわたくしに何か仕掛ける時に備えて、それなりに根回しをしていたのでしょう。
「わたくしがあっさり婚約破棄を認めて、冤罪もひっかぶったので、その人は出番を喪ったようですわ。前のめりのまま固まってましたから」
たしか公爵令息でしたかしら。
「……あのチキンが」
「彼は貴女とちがって慎みと良識ある貴公子ですから」
「良識ってやつはどうも決断力がないな」
「それに、わたくしは彼のことをなんとも思っていません」
「あんなに顔がいいのにか?」
顔?
目の前の方の顔以外は、単なる情報ですわ。
まぁ、確かに、一般的な基準ではよいお顔なんでしょうね。
「貴女は顔とか気にするんですか?」
「いや、冗談だ。お前はそんなことを気にする人間じゃない。だが。侯爵家の後継者としてのお前の相手にはいいと思ったんだけどな。少なくともあのバカ元婚約者よりマシだ」
「復讐の道具としてですか?」
彼女は、あっさりとうなずいた。
「そうだ。あれの実家なら、お前の実家を叩き潰せるだろう」
少し安堵しました。
この方に、あんなのとお似合いだとか思われていたら、嫌ですもの。
「なら問題ありませんね。わざわざ復讐しなくても状況がしてくれますから」
わたくしという支えがなくなれば、この国は混乱するでしょう。
義妹は、人(しかも殿方限定)を誑し込んで操る以外は浪費と虚栄と美貌しか才能がありませんし。
わたくしに婚約破棄を突きつけた王太子も、まぁ無能です。
王太子の婚約者に全部押し付けて来た王家もまた、無能です。
それを矯正することも、たしなめることも出来なかった大臣たちも無能です。
無力さを盾に、助けようともしなかった他の方々も無能です。
「……お前って、悪魔だな」
「失礼ですわね」
「失礼じゃないさ。自分の欲のために国を破滅と混乱に陥れようとしてるんだからな……お前の義妹も、お前の元婚約者も、はっきりいって無能だぞ」
「ええ。誰よりも、よく存じ上げておりますわ」
王宮は早晩機能を喪い。
全ての役所は滞り。手続きは全て放り出され。
地方からの不満は噴出し。
民草は何もかもがうまくいっていないのに、上がっていく税に爆発するでしょう。
幾つもの町が焼け、たくさんの人が死ぬでしょう。
ですが、わたくしには関係のないことです。
「国は滅茶苦茶になるぞ……いや、いい。お前がこんな国、どうなろうと気にしなくなってるのは判ってる」
「貴女は?」
「訊くのかよ」
やれやれ、という口調で言われたので、
「訊きます」
と、笑顔さえ浮かばせながら訊きます。
「……殊勝なことを言っちゃあみたが、正直、あたしもどうでもいいな。この国は古くなり過ぎた。自分の足で立つことも出来ない。あたしは自分の郷里以外はどうでもいいな」
「わたくし、役に立ちますよ?」
「……有能だからなお前」
「それに、貴女がわたくしを連れ去ってくれないと、わたくし死ななければなりません」
「をい……」
「わたくし有能でしかも見た目は可憐な美女ですから、早晩、わたしに目をつけたどうでもいい男が、わたくしを連れて行こうとしますよ。バカにしないでくださいって言ってやりたい類の奴らが」
「そこまで言うか」
「いいます。弱った女につけこんでくるとか、はっきり言って、腐肉あさりのカラスと呼んであげたいですわ。キミをずっと見ていた。とか、そういうことを今更いうなら、前からなんとかしろよ、ですわ」
「そんな奴とくっつけられるくらいなら、か」
「はい。しかも、彼らよりずっと前から、わたくしを見ていてくれて、認めてくれた人がいたんですから」
彼女は、この方は、わたしと会って一月も経たないうちに、言ってくださったのです。
『どうしてお前は爪を隠してるんだ?』
ええ、隠していましたとも。
あのひとたちを全て、しかるべき時に破滅させるために。
ですが、あの瞬間から変わったのです。
この方がわたくしを受け入れざるを得なくなるようにする、そのために隠しておくことに。
「……誰でもわかることだろう」
「貴女が真っ先に判ってくれました。誰よりも早く。だったら、わたくしがやる時はやると、お判りでしょう?」
彼女は苦笑した。
「……脅迫かよ」
「ええ。かわいらしい脅迫ですわ」
実際は、脅迫ですらありません。
彼女もわたくしもわかっているのです。
受け入れる、受け入れられると。
ですが、彼女とこういう遣り取りをすること自体が、わたくしには甘やかな行為なのです。
「お前、本当に重いな」
「ええ、でも、重いのは貴女に対してだけですわ」
彼女は溜息をつくと、馬の背にくくりつけられた袋から何かを取り出して、わたくしに放って来た。
「……これ着ろ」
侍女の服でした。
わたくしは顔をあげました。少し意外でした。
「……用意がいいですわね」
「お前が重いことくらい知ってた。ひょっとしてこれくらい重いかもしれないと、用意しておいた」
「それはうれしいですわ」
サイズはぴったりでした。
彼女がわたくしの身体を知っているという事実が、どきどきさせます。
「似合うな」
「わたくしはなんでも似合いますから」
「はっ。ったく……たいしたもんだよお前は」
「元とはいえ侯爵令嬢を侍女にする方のほうが、大した者だと思いますけど」
彼女は真剣な顔でわたくしを見た。
「お前の予想通り、これから国は荒れる」
「ですわね」
「うちの伯爵領は、辺境だが影響は受けるだろう……しかも、女のあたしが爵位を継ぐのを快く思わねぇ親族や寄子もいる。特に危険なのが弟だ」
「わかっておりますわ」
すでに調べてある。
今回、彼女が急遽領地に戻ったのは、当主である彼女の父が急死したところに、夜盗の群れが現れたからだ。
その背後には、彼女の弟がいた。
夜盗の群れを暴れさせ、問題に対処できない次期当主を糾弾し、自分が後継者に収まるつもりだったのだろう。
「夜盗どもの練度は?」
「正規軍並みだったよ。いい武装をしていた。あれは夜盗とは呼べないな」
取って返した彼女が、僅かな手勢で夜盗を壊滅させたので、未遂に終わりましたが。
「軍は完全に掌握しているが……外部からどうこうしようとしてくる奴らは多いだろう。信頼出来て頭が切れて、敵には容赦ない奴が必要だ。その条件に適う人間をただ一人知っている」
彼女は苦笑して、つけくわえた。
「少々、いや滅茶苦茶に、重いが」
「それは、つまり、わたくしですわね?」
「他にいるかよ。こんな贅沢な要求を満たしている奴が」
「そのうえ、護身術も身につけましたわよ。貴女にさんざん教え込まれましたもの」
彼女に触れる機会を、わたくしが逃すはずがありません。
毎日毎日、彼女に触れられる時間は、ああ、もう酔ってしまいましたわ。
「……お前があのクソ家族から身を守れるようにだったんだがな……」
いけません。
思い出すと、にやつきが止まりません。
わたくしは真面目な表情を作って、
「……とりあえずは侍女で?」
「その恰好を見りゃわかるだろ」
「侍女ということは、貴女の側に四六時中まとわりついて、あなたの身の回りの世話から、お風呂で体を洗うのから、ベッドを温めるのから、ベッドの中で気持ちよくしてさしあげるのから、全部してさしあげるということですわね」
「後半に関しては色々言いたいことがあるが、前半は概ねそうだな」
「つまり、プロポーズですわね」
そうからかったら。
不意に、彼女は手を伸ばして、わたしの髪に振れた。
「ああ。そう思え」
触れられたところから、あまやかなあたたかさが広がっていきます。
「……え」
そして、意識が言葉にようやく追いつきました。
そう、思え。
プロポーズだと思え。
わたくしは、固まってしまいました。
彼女にこんなことを言ってもらえるなんて、空耳でしょうか……。
「いやか?」
鋭い目線が、わたくし縫い留めるようでした。
くるおしい熱のこもった視線。
「そ、そういうわけでは、あ、貴女がそんな冗談を言う――」
なんて、と続ける前に、わたしのくちびるが彼女のくちびるに塞がれてしまいました。
わたくしは真っ赤になってしまった。
耳たぶまでが熱い。
ようやくくちびるが離れ、とろけそうになっているわたしに、彼女は囁きました。
「あたしも、それなりに重い女なんだよ」
それは心地よい重さ。
わたくしの重さとぴったり釣り合う重さでした。
たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。
最後までお付き合いいただけたこと、とても嬉しく思います。
少しでも心に残るものがあったり、何かを感じていただけたなら、
評価や感想をいただけるととても励みになります。
別の物語も書いておりますので、もしよろしければ、そちらも覗いてみてください。




