10 真冬と部活
高校生活の幕開けは思っていた以上に疲労が蓄積していたようで、杞憂はどこへやら、土日は瞬く間に過ぎていった。雨夜の話は何もかもすべてが夢なのではないかと思ってしまうくらいには頭が思考を拒否していた。気づけば月曜日、日常となりつつある電車登校にため息が止まらない。
「おはよう、シノ。今日から授業、頑張ろうね」
週の初めからヘロヘロで教室に着くと、真っ先に目があった真冬が声をかけてくれる。ふわりと気品高い柔らかな笑顔に不思議と身体が軽くなり、それだけで今週一週間乗り切れる気がしてきた。
「おはよう。……あれ、雨夜はまだなのか?」
俺が教室に着いたのは、始業の五分前。慌てて教室へ駆け込んで来る奴もいるけれど、他のクラスメイトたちはほとんど席についているか、廊下で他クラスの生徒と団らんを決め込んでいる。一方で、俺の真後ろの席はがらんとしていた。
「うん、まだ来てないみたい。まだ体調が万全じゃないのかな……?」
入学当日の雨夜の欠席理由を真に受けて、真冬は心配しているようだった。当たり前といえば当たり前だけど、休んだ本当の理由を知っている俺としては気が気でならない。
夢に潜り込むことに対する、代償。雨夜にとっての初登校日となった先週末は無理して学校に来ただけで、よもやその代償を今に引きずっているわけではないだろうな。能力について告白されたあの時にそんな話はされなかったし、カフェでの雨夜の様子を見る限りではどこの不調も感じ取れなかった。気怠そうにしていたのはアイツ特有の性質で、体調不良とはまた別のものだと思いたい。
だとすれば、もうよほどの理由がない限りは能力を使わないと約束した雨夜に、俺はもしかしてと疑念を抱かざるを得なくなってしまう。また誰かの夢に忍び込んで、今頃疲れ果てて眠りこけているのではないか、と。
「おっはよー! あっぶねー。ギリギリセーフだな!」
「うおっ」
そんな疑惑を払拭するかのように、教室に滑り込んできた雨夜は俺の背に飛びかかってきた。石原に続きコイツにまで、俺に飛びつく癖でもあるのだろうか。当然未来永劫御免被りたいところだ。
「何するんだよ」
即刻雨夜を追い払うと、当の本人はゴメンゴメンと頭を掻く。
「怖い顔するなって。昨日も遅くまでバイト詰めだったから、起きるのギリになっちまってさ。もうさすがに遅刻は控えたいし、間一髪だったぜ」
雨夜は自身の机に背負っていたリュックサックを投げつけると、改めて真冬と朝の挨拶を交わす。真冬に爽やかスマイルを振りまく雨夜の横顔を見て、俺は深く反省をする。
俺はやっぱり、いい奴なんかじゃないんだ、と。
必死に俺を探し出して、普通なら信じられないような話を何とかして伝えようとして。そんな奴が、早々に約束を反故にするわけなんてないのに。雨夜は俺を信じてくれようとしているのに、当の俺はどうだ。端から信用も何もないじゃないか。
「お前ら、席に着け。今日も一日始まるんだからな」
俺の雨夜に対する行き場のない渦巻いた感情は、始業の鐘と同時に現れた担任によって一旦隅へと追いやられた。俺と雨夜は、廊下から流れ込んでくるクラスメイトと同じく話もそこそこに、バタバタと着席する。
高校初っ端の授業は、身構えていたよりもサクサクと事が進んだ。何を予習してくればいいのか皆目見当がつかなかったから助かったが、雰囲気から察するに次回以降はそれなりに予習や復習をしてこないと知らぬ間に置いていかれそうな気配がムンムンしていた。中学までは適当にやり過ごしていた分高校受験では痛い目を見た俺だったが、ここではそうもいかなそうだ。クラスの全員が静かに授業を受けているだけで既に衝撃的で、これでは授業の進みも相当早いに違いない。そう推測した俺は、金曜日の雨夜の言葉を思い出し、きっと俺よりもできた頭をしているだろう雨夜に全力で頼り切ろうと心に決めたのだった。
「あー! やっと一日が終わったぜ」
終業の鐘と同時に、背後から晴れ渡る声が聞こえてくる。振り向かずとも雨夜が大きく伸びをしている情景が目に浮かぶ。
「やっぱり高校の授業って、中学校と比べて急に難しくなるね。ついていけるか心配になってきちゃった……」
隣では、雨夜に呼応するように真冬が高校での初回授業の感想をか細く呟いていた。真冬でそれなら、俺はもう諦めの境地になってしまうな。まだ自分の力で何とかしようとする意志の強さに、称賛の拍手を送りたくなるよ。
「あっ」
何かを思い出したのか真冬は面を上げる。小さな発声につられて、俺と雨夜は一斉に真冬を注視した。
「シノと雨夜くんって、部活見学の予定はある?」
話題を一転させる問いかけをしてきた真冬は、俺たち二人の顔を交互に見ている。
「そういや、今日から部活見学期間だったな。でもオレ、バイトが部活みたいなもんだからさ。部活に入る予定も見学に行く予定もないんだよな」
雨夜は真冬の発言をお誘いと捉えているらしい。笑顔で振る舞ってはいるものの、断ることへの申し訳なさと真冬と放課後の時間を一緒に過ごせないことを心底悔やんでいる気持ちが隠しきれていない。雨夜の事情を知ってしまったからこそ、俺も逆の立場だったらまったく同じ反応をしてしまうに違いない。
「真冬は部活の候補、決まってるのか?」
中学から帰宅部だった俺は、高校でも部活という熟語には縁遠い。しかしながら、真冬の答え次第ではその部活の見学はおろか、入部してキラキラ高校生活を送るのも悪くはないという傲った気持ちが先行していた。
頭を掠めるのは、入学式当日の部活紹介。体育館の舞台上で所属部活の紹介をする諸先輩方は各々の部活のよさを時間いっぱいにアピールしていた。部活には入らないだろうと高を括っていた俺は疲労に勝てないこともあって、その勧誘行為にこれっぽっちも興味を持てなかったけどな。まあ、どこも優しそうな先輩が取り揃っていてハズレはなさそうだったな。
「うん。昔から家で色々とお稽古ごとを習っているんだけど……。その中でもより好きだなって思える茶道がこの高校には部活としてあるみたいだから、まずは見学に行こうと考えているんだ」
お稽古ごと、なんて日常生活ではまず聞かない単語で怖気づきポイントがまず一点加算される。真冬の家はあの神水神社だから、礼儀作法を習得する一環としてお稽古ごととやらを行っているのだろうか。
それに、入部希望は茶道部ときた。あわよくば俺も入部を希望したいところだったが、お茶を飲み菓子を食べる以外まったくの未知数である世界に飛び込むには、あまりにもハードルが高すぎる。ましてやブラックコーヒーですら見栄を張ってかろうじて飲めるレベルなのに、抹茶を常飲しなければならないことを想像するだけで無理難題がすぎる。ここでも怖気づきポイントが加算されるわけだ。真冬の前で恥をかける程、度胸が据わってもいないしな。
「……茶道か、すごいね。俺は特に決めてないし、帰宅部かな」
驚くぐらいのカタコト具合で当たり障りもないコメントをしてしまう自分が情けない。仮に真冬の言うお稽古ごとがピアノだろうが武道だろうがはたまた英会話だろうが、結局は何かしらの理由をつけて俺は怖気づくんだろうけど。
そんな俺を完全に見透かしているのか、乾いた笑いでこの場を誤魔化そうとしている俺の言動を雨夜はほくそ笑んでやがる。
「オレ、真冬ちゃんの点てたお抹茶、飲んでみたいなあ。今度バイトがない日に遊びに行ってもいいかな?」
さすがは雨夜だ。勢いがよすぎて真冬が困惑し始めている。目にも止まらぬスピードで真冬の懐に潜り込もうとする雨夜を、俺は小突くことしかできない。
「ま、まだ入部を決めたわけではないし……。それに、普段他の人を招いていいかもわからないから、もし文化祭とかで機会があったら……ね」
「え、やったー! 真冬ちゃんのお抹茶が飲めるの、楽しみすぎる!」
小躍りし始めそうなくらいウキウキ陽気な雨夜に、真冬は控えめに笑っている。引き笑いをしない真冬の優しさに感謝しろ、雨夜。
それにしても、真冬相手ならどんな返しでもポジティブに思考を転換できるお前の才能が羨ましいぜ。そのポジティブさにあてられて俺も文化祭までの間に苦い飲み物の克服にでも精を出すしかなくなってしまった。雨夜に抜け駆けされるのだけは癪に障るからな。
文化祭で、真冬が点ててくれたお抹茶を飲む。抹茶を提供してくれる真冬の姿が自然と脳裏に浮かび上がってくる。着物を身に纏い、美しく伸びた髪は一つに纏め上げられているのであろう。真冬の容姿が下から上へゆっくりと思い描かれていく最中で、突然脳内に現れた石原によって想像が遮られてしまった。正確に言えば石原の言葉に、だが。それは真冬が過去にポニーテール姿で場をざわつかせたという話。あわよくばそのウワサの真相を目のあたりにできるのではないかと妄想が飛躍していく。
「そ、それじゃあ、そろそろ部活の見学に行ってくるね。また、明日」
グイグイ前のめりで近づく雨夜から逃れるように教卓を振り返った真冬は、アナログ時計の針を言い訳に立ち上がる。つられた雨夜も文字盤を見るなり焦燥の様子を見せる。
「あ! オレもバイト行かなきゃだわ。じゃあな、真冬ちゃん! それに、シノも!」
「あ、ああ。またな」
放課後に予定のある二人は、それぞれ目的地へと去っていく。その後ろ姿に手を振り続けた俺は、人がまばらになった教室に一人取り残される。くだらない妄想などとうに吹き飛んだ俺はどことなく虚しさを抱えながらも家路につくことにした。




