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迷いの森、光る石の道しるべ  作者: 千雪はな
第8章 王女とリュウ
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王女の昼食(後編)

「王女の昼食(前・後編)」は、エメ視点のお話です。

「ソフィア殿下、お食事をお持ちしました」


部屋の入り口の方からそう呼びかけられて、ハッと顔を上げると、窓の外は日が暮れかけていた。私は立ち上がって声がした方を向いた。


「あ、ありがとうございます」


私がお礼を言うと、部屋の隅に立っていた侍女の一人が険しい顔をして私の方へ進み出た。私の教育係のジョアンナと名乗っていた。


「殿下、使用人に対しては敬語を使うものではありません。そして、言い淀まれないようお気をつけください」


「…はい、わかりました」


殿下……私が王子の娘であれば、王女であるのは知識としてはわかるが、王女殿下と呼ばれても、ピンとこなかった。そして、皆、私のことをソフィアとも呼ぶが、どうしても自分のことを呼ばれているとは思えなかった。


―――私は何者なのだろうか…。


ソフィア・エメライン・ベルクリード___


自分の本当の名前がわかっても、その答えは全然見つけられそうになかった。



一人で食事をするには大きすぎるダイニングテーブルに、運ばれてきたお皿が並べられた。


スープやパンがゆなど、私の体調を気遣って、食べやすそうなお料理が何種類も用意されている。


美味しそうなお料理なのに、数日前にここに来てから食事が喉を通らなくなっていた。口に入れても何も味がせず、飲み込もうとしても、喉に詰まる感覚と吐き気が襲い、ほとんどを吐き出してしまった。


すると、ジョアンナが「お口に合わないようであれば、召し上がらなくて結構です」とすぐに皿を下げさせた。


口に合わないのではない。私が悪いのだ。それなのに、ほとんど手を付けないまま下げられるお料理を、ただ見つめることしかできなかった。


シェフへ手紙を渡してくれないかと聞いたが、王女がそんなことをするものではないと許されず、お料理を作ってくれた方々に、申し訳ない気持ちを伝える(すべ)もなかった。



お料理が手早く下げられたテーブルを見て、私は小さくため息を吐いて、席を立った。立ち上がった途端、フッと一瞬意識が遠のいた。咄嗟に椅子の背もたれを掴んで倒れ込むことは避けられたが、侍女らが慌てて駆け寄ってきた。


「殿下!」

「ソフィア様!」


口々にそう呼ばれても、やはり私が呼ばれた感じはせず、返事も口から出てこなかった。


心配した侍女らの手で、すぐに寝衣に着替えさせられ、この客間の寝室に用意された大きな天蓋付きの寝台に横たえられた。


王城から派遣されたという医官も部屋に呼ばれ、その診察を受けたが、「ご病気の兆候は見られません」と言われ、侍女らはよかったと胸を撫で下ろした。


「もう少し、お食事をお召し上がりください」


そう言って医官は部屋を出ていき、私は一人、寝台に残された。そんなこと、言われなくてもわかっているのに…。


毎回、手付かずのお料理が戻されて、用意してくれた厨房の方々は気を悪くしていることだろう。そのことがルゥに伝わっていたら、心配を掛けているだろう。


どうしたら食事が喉を通るようになるのか…、そう考えただけで悲しくなって涙が溢れてきた。


 ◇ ・ ◇ ・ ◇


次の日は、起き上がることも辛く、朝からずっと寝台の上で過ごしていた。朝食もやはりほとんど食べられなかった。


少しだけ体を起こして、背中に入れてもらったクッションにもたれて座り、ただ窓の外をぼんやりと眺めていた。


無意識に「ルゥ…」と呟いては、涙がじわっと込み上げてきた。


私の存在のせいで、ルゥ達を危険な目にあわせてしまった。今後も同じことがないとは言えないのだろう。


ルゥに会いたいけど、もう会わない方がいいのかもしれない…。一人で考えていたら、どんどんと気持ちが暗くなっていった。


寝室にも侍女が必ず誰かは立っているのに、何か声を掛けてくることもなかった。



私は何のためにここにいるのだろうか…。


きっと《ソフィア王女殿下》は必要とされているんだけど、《エメ(わたし)》はもういらないんだろうな…、そんなふうに感じた。



カチャッと静かに扉が開いた。


また食事の時間かと思うと、喉の奥がキュッと詰まるような感じがした。丁寧に盛り付けられたお料理を見るのも辛いから、そのまま下げてもらおうかと入ってきた侍女が手にしたトレーを見て、私は息を呑んだ。


寝台で食事ができるように侍女が小さなテーブルを私の前に置き、お皿と大きなマグカップが並べられるのを見ながら、胸がドキドキしていた。


お皿にはふわっと柔らかそうな、まんまるで綺麗な黄金色に焼かれたパンケーキが乗っていた。焼き立てをすぐに運んでくれたそのパンケーキの上には、溶けかけのバターが蜂蜜と一緒にお皿へと流れていく。その横にはベリーのジャムがたっぷりと添えられていた。


「ルゥ…」


間違いない。ルゥが厨房に頼んで用意してくれたものだ。


二年前の夏、ルゥが怪我をして森の小屋で過ごしていた時、私が作った朝食と同じだった。見栄えは全然違って、ずっと洗練されているけれど…。


一緒に運ばれたカップには、ミルクティーが美味しそうに湯気を上げていた。



「お下げしますか?」


「えっ⁈」


お皿を並べ終わったばかりの侍女にそう聞かれて、私は驚いて顔を上げた。その時、私は自分が涙を流していることに気づいた。


「あ、あの、違うの。私が好きなものなの。食べていいかしら」


「ええ、もちろん。お召し上がりください」


いつも淡々と話し、冷たい雰囲気の侍女が、少しだけホッとしたように微笑んだ気がした。



パンケーキをナイフで小さく切って口に運ぶ。バターと蜂蜜が染み込んだふわふわのパンケーキは、口の中でジュワッとまるで溶けるようになくなった。


「美味しい…」


久しぶりに感じた優しい甘さに、涙がポロポロ溢れてきた。


次の一口は、ベリーのジャムをつけてみた。


少し酸味があるジャムが甘いパンケーキによく合っている。お料理の味って、こんなふうに感じたんだと思い出して、心の中が温かくなり、自然と頬が緩むのを感じた。


そして、ミルクティーの入った大きなマグカップを両手で包むように持つと、不思議なくらいホッとした。以前、私が日に日にカップを大きくするのを、ルゥが笑っていたのを思い出した。


気づけばミルクティーのカップが空になっていて、自分で驚いた。喉が詰まる感じも全くなかった。


パンケーキは、半分も食べないうちにお腹がいっぱいになってしまったのを、とても残念に感じた。



今は顔を見ることも、手紙をやり取りすることすら許されないけど、ルゥは確かに側にいてくれる。暗闇の中に落ちて、二度と出られない気持ちでいたけれど、ルゥは離れていても私をここから救い出そうとしてくれているのを感じた。


そして、初めて次の食事が楽しみになった。

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