王女の昼食(前編)
「王女の昼食(前・後編)」は、エメ視点のお話です。
私は、とても綺麗な広い部屋で一人で過ごしていた。
部屋の隅には常に二、三人、揃いの制服を着た女性が立っているが、話しかけてくることもないので、私は一人で過ごしている気分だった。
ここは、ルゥの家――シュライトン邸の一番豪華な客間だという。
高い天井を見上げると、パネルの一つ一つに綺麗な絵が描かれている。そして、部屋の南側の天井まで届きそうな大きな窓から降り注ぐ光が、磨き上げられた床に反射していた。置かれている家具も細かな装飾が施され、触れてもいいのかと思うほど美しかった。
ずっと森で暮らしてきた私には不似合いで、どう過ごしたらいいのかわからなかった。
ふと目に入った、窓際に置かれた背もたれの高い一人掛けのソファに座ることにしたが、近くまで寄ると、それは木枠には細かな彫刻が施され、座面や背もたれ、肘掛けにワインレッドの光沢のある柔らかな布が張られた豪華な物で、本当に座ってもいいのかと躊躇ってしまった。私はごく浅く座って、そこから見えるよく手入れされたお庭を眺めた。
塀の外から見たときもこのお屋敷は大きいと思ったけれど、ルゥの部屋とこの部屋から見える景色が全然違って驚いた。
私は、この屋敷に連れてきてもらった次の日の朝、ルゥの部屋を訪れていた。その時は、まだ王城からの衛兵達もいなくて、ラリーさんが『坊ちゃんのことが心配でしょうから』と言って、私をルゥの部屋まで案内して彼の様子を見せてくださったのだ。
ルゥの部屋からは、噴水といくつかの像、それらを囲む低い樹木がとても綺麗に刈り込まれたトピアリーの庭のが見えた。
それに対して、この部屋の前にはバラ園が広がっている。この寒い季節、バラはほとんどが葉を落とし、剪定されて少し寂しげな感じがするが、花を咲かせている種類もあり、その健気さに励まされるような気がした。
そして、その向こうに並んでいる綺麗に刈り込まれた背の高い木を見て、ルゥの部屋からもこの庭が少し見えていたことを思い出した。この正面に見える木々が、ルゥの部屋の窓からは、右手の端の方に見えていたのに気づくと、ここがルゥの部屋と繋がっているのを感じられて嬉しくなった。
―――ルゥは、大丈夫だろうか。
最後に私が見たルゥは、傷だらけの疲れ切った顔で寝台で眠っていた。
その翌日、衛兵達が到着してからは、私はこの部屋から出ることを許されなくなってしまい、誰に聞いてもルゥの様子を教えてくれる人はいなかった。あの瞳が開くまで側にいたかったのに…。
私は、ルゥが倒れたあの日のことを思い出していた。
___森の中で最後まで私を追いかけていた気味の悪い男と、一人残って戦うルゥの姿が断片的に頭に飛び込んできて、ものすごく恐ろしかった。
私はエドウィン様に連れ帰ってもらい、家にいた。
かあさんに足の怪我を手当てをしてもらい、家の周りは騎士団の方々に守られて、ここにいれば安全であることを感じられた。ルゥの側にいても邪魔になるとわかっているから、ルゥを残してその場を離れたけど、本当にそれでよかったのかと何度も繰り返し考えていた。
今、エドウィン様がルゥの元へと向かっている。きっとすぐに帰ってくる。そう思っても、いつ、ルゥが大怪我をする場面が飛び込んでくるだろうか、倒れている姿を見ないといけないかもしれない、そう思うと、怖くて怖くて息も上手くできない気がした。
「大丈夫か?」
そう声を掛けられて顔を上げると、そこにはマーク様がいた。
マーク様の双子の兄のレオン様は、私を逃すために、あの男に斬られて森の中で倒れていたと…そして助からなかった……そう彼らの師匠でもあるディックから聞いた。私は、マーク様にどんな顔をしていいのかわからなかった。
でも、マーク様は、私ににっこりと微笑んでくださった。
「リュウなら大丈夫だよ。いつの間にか、俺らよりずっと強くなったからなぁ」
そう話しながら、「ここ、座っていい?」と私の返事も待たずに、私が座るすぐ横のダイニングの椅子を引き出して、こちらを向くように座った。
「エメちゃん、リュウの様子が見えるんだっけ?」
私が頷くと、優しく笑って続けた。
「それって邪魔できる?」
「え…、あの…、話し掛けられていると見えたり見えなかったりしますけど…」
「わかった。じゃあ、邪魔しよう。見えたって何もできないからな」
そう言って、マーク様はルゥの話をしてくれた。小さい頃のルゥは雷が怖くて、嵐が来る日に遊びに行くと絶対に帰してくれなくて三人で一緒に寝たこと。かくれんぼして、どこかの部屋に一人で閉じ込められたときは、大泣きして泣き疲れて眠ってしまい、目覚めた時は目がパンパンに腫れて、別の子供かと思うほどで皆で笑ったら、ルゥはしばらく拗ねてしまったこと。嫌なことがあって厨房に逃げると、料理人達はルゥには多めにおやつを用意してくれること。「あいつ、なぜか使用人達にすごく可愛がられるんだよな…。俺達と何が違うんだと思う?」と聞かれても、私は返答に困って、ただ笑うしかなかった。とにかく、マーク様は途切れることなく話をしてくださった。
その話の途中、カタン、と外から音がして、すぐに扉が開いた。
そこには、エドウィン様に支えられて、ルゥが立っていた。
「ルゥ!!」
私は考えるよりも先に走り出していた。ルゥの胸に飛び込み、ぎゅっと抱きしめた。
「ルゥ!よかった…、ルゥ…、ルゥ……」
きっと大丈夫と思っていても、顔を見るまで恐怖に押しつぶされそうだった。ルゥが戻ってきてくれて、本当によかった。
その時、ルゥの向こうから、エドウィン様の遠慮がちな声が聞こえた。
「…あの……、エメちゃん、リュウ、脇腹を怪我してるんだ…」
ハッとした。怪我をしてるかもと考えるのを、すっかり忘れていた。
「ルゥ、ごめんなさい!大丈夫⁉︎」
慌てて抱きしめていた手を離してルゥの脇腹辺りを見ると、上着に血が滲んでいた。傷が酷くなっていたらどうしよう。オロオロとする私にルゥは優しい声を掛けてくれた。
「ああ、エメの力くらいではどうってことないよ」
「本当?」
ルゥは優しい笑顔で頷いてくれた。あんなに血が滲んで、大丈夫なことはないと思う。他にも怪我をしているかもしれないと思うと、ルゥに触れていけないような気がして一歩下がろうとした時、ルゥに引き寄せられて抱きしめられた。
私の背中を優しく包むように添えられたルゥの手が温かかった。そして、私の肩にルゥは額を乗せ、くるんとはねたルゥの髪が、私の頬に触れてくすぐったかった。
「エメ、無事でよかった…。本当に会いたかった」
ルゥのホッとした声に、私も安堵した。ルゥの体温に包まれて、しばらくこのままこうしていたいと思った。
そう思った時、ルゥが私の方に寄りかかってきた。
「ルゥ?」
どうしたのかと思う間もなく、ルゥの体は傾いていき、私では支えきれなくなってきた。
「ルゥ!!」
どうしよう。このまま倒れたらルゥが怪我をしてしまう…!
「リュウ!」
隣にいたマーク様が、その異変にいち早く気づき、ルゥを抱き止めてくれた。私だけ、傾いた勢いを止められずに床に尻餅をついた。
「リュウ!どうしたっ!おいっ、大丈夫か!リュウ!!」
取り乱してルゥの名を呼ぶマーク様を、私は呆然と見ていることしかできなかった。
マーク様は、ルゥに呼び掛けながら胸元に耳を当てて心音を確かめ、口元に頬を近づけて呼吸があることを確認すると、ルゥを抱きしめたまま床にへたり込んだ。そして、堪えていたものを吐き出すように泣き出した。
「よかった…。お前まで…、死ぬんじゃ、ないかって……、よかった…」
さっき、私の怪我の手当てをしながら、かあさんが王都から兵達がここへ押し寄せてきた理由を教えてくれた。
私の亡くなったお父様がこの国の王子で、私に王位継承権があるため、それを利用するために私を捕まえようとしていたと。
そしてかあさんは、私達がここで暮らすようになった経緯も話してくれ、ネックレスをそっと私の手のひらに置いた。お母様から私を逃す時に託された物だといい、王家の紋章が刻まれている。
俄には信じられないが、この紋章が真実であることを物語っていた。私のせいで、私を守ろうとして皆が危険な目に遭っていたなんて…。
レオン様が亡くなり、ルゥが倒れ、取り乱して涙しているマーク様を目の当たりにして、私はどうしたらいいのかわからなくなった___




