シュライトン邸
僕は天井を眺めていた。
頭がぼんやりとして、考えがまとまらない。
兵舎の部屋の天井は……飾り気のない普通の板張りだよな…。
でも、この天井には綺麗な木目の細長い小さな板がジグザグにびっしりと並んでいた。小さい頃から見慣れた模様で、昔は、どことどこの板が同じ色か探したりしていたな…、なんてことを思い出していた。
なぜ、シュライトンの屋敷にいるんだろう……。
どうやってここまで帰ってきたんだっけ…?
馬…、厩舎にちゃんと繋いだかな?あれ?最後に馬を繋いだのは森の猟場の馬留めで…
そこまで考えて、次々に森での出来事が思い出された。荒らされた小屋、キッチンで倒れたジュディさん。レオンの足元に広がる黒い染みと僕に向けられた笑顔…。蔓草の向こうに座り込んで怯えた顔のエメと、ダグラスとの決着をつけた後に僕を迎えてくれたエメの笑顔。
そこまで思い出して、ハッとした。
―――僕、エメを抱きしめたまま、倒れ掛かるようにして…その後どうなったんだろうか。エメは大丈夫だっただろうか?
とりあえず起きあがろうとして、脇腹に激痛が走り、体を起こすこともできずに寝台の上でただ転がった。
「い゛ったたたた……」
「リュウ様⁈大丈夫ですか?」
近くにいた従僕が心配そうに慌てて駆け寄ってきた。
「ああ…、大丈夫だ」
彼の手を借りて起き上がり、背中にクッションを入れてもらっていると、ラリーが部屋に入ってきた。
「坊ちゃん、ご気分はいかがですか?」
「心配を掛けてすまない。大丈夫だ」
「はぁ…、よかったです。傷だらけでお戻りになったので、もう心配で……」
「ラリー、僕はどれくらい寝ていたのだろうか?」
「二日半ほどです。三日前の夜にお倒れになってこちらに運ばれ、その後ずっとお目覚めにならないので心配いたしました」
部屋には、南東の窓から陽が差している。朝食の時間が終わったくらいだろうか。
「それで、エメは?」
「あの、エメ様は…」
ラリーは言葉を濁した。難しい顔をするラリーに、僕は不安になった。
「エメに何かあったのか⁈」
「いえ、そういう訳ではないのですが……わからないのです」
「わからない?エメもこの屋敷にいるんじゃないのか?」
「はい、客間でお過ごしいただいているのですが…」
「それなら、なぜエメの様子がわからないんだ?」
「エメ様……王女殿下が過ごされる区画は隔離された状態なのです。殿下の御身を守るためにと出入り口は王城から派遣された護衛によって固められ、許可された者以外の出入りは許されず、護衛らと一緒に来た侍女達も中の様子は一切口にしないのです」
「王女殿下……」
忘れていたわけではないが、再会したエメを見ていたら、何も変わらない気がしていた。
『王女殿下』であるのなら、しかも成人されていないければ、僕のような王族とは縁の遠い者の前にお姿を現すことはなければ、その御様子を伺うこともできなくて当然だ。
当然だけど……。
なんとか様子を察することだけでもできないだろうか。
「従者達の様子は?慌てた様子とか…」
「それはございません。淡々と身の回りのお世話をされているようです。ただ…」
「ただ?」
「シェフが、お食事をあまり召し上がっていらっしゃらないことを気にしておりました。お口に合わないのだろうかと心配して…」
王城から料理人までは派遣されなかったようで、うちの料理人達がエメの食事も用意しているのか。
―――それなら、口に合わないことはないだろう。以前、屋敷から菓子や軽食を手土産にしたときは、すごく喜んで食べてくれたのだから。
怖い思いをして、急に環境が変わって、平気なはずはない。食欲がなくなることも十分考えられるが、それに対して周りは何もしていないのだろうか…。
―――様子を見に行ってみよう。状況は変わらないかもしれないが…。
◇ ・ ◇ ・ ◇
体のあちこちは痛いが、動けないほどではないので、着替えをすると、少し屋敷の中を歩いてくるとラリーに告げて部屋を出た。
体を起こしたりするのはラリー達の手を借りたが、ただ歩くだけなら特には問題なかった。
僕はまずは父上の部屋へと向かった。今回の騒動を謝るために。
以前、父上と話をした時に、何か問題が起きた場合でも、この領地のことを考えて手出しはしないことを確認していた。しかし、いざその時になると、僕は父上と約束したようにはできなかった。幸いにも、我々が望むような結果に収まろうとしているが、これが宰相側の思惑通りになっていたら、領地への影響も免れなかっただろう…。
父上には叱られることを覚悟して、約束を違える行動をしたことを謝ったら、意外な言葉が返ってきた。
「リュウ、よくやった。皇太子殿下の命を受け、王女殿下を救ったのだから、胸を張りなさい」と。そしてレオンのことも、父上の思いを話してくれた。
「レオンのことは残念だが、お前のせいではないから背負い込みすぎないように。供も付けずに一人で敵に向かっていったのだから、レオンにもその覚悟はあったのだろう。あれが行かなければ王女殿下を守れなかったのだとすれば、避けられない犠牲だったのだと思っている」
僕はなんと返事をすればよいか、言葉が出てこなかった。どうしても、あの日の朝に王都を出発していればと考えてしまう。
父上には「しばらく休め」と言われ、「はい」とだけ返事をして部屋を後にした。
◇ ・ ◇ ・ ◇
僕はその足で、エメが過ごす客間へと続く廊下を歩いた。
大切な客人をもてなすために、その廊下は装飾も凝っていて、大きな窓からの陽の光が大理石の白い床や柱に反射してとても明るい華やかな空間になっている。その突き当たりには、普段は開け放たれている大きな木製の扉が、今日は閉められ、重苦しい感じがした。扉の両側には槍を手にした衛兵が立ち、自分の家なのに、近寄りがたい雰囲気が漂っていた。
侍女など従者達が出入りするために、その大きな扉は時々小さく開くが、その奥のエメがいると思われる部屋の扉の前には大きな衝立が置かれ、部屋の中の様子を窺うことはできそうになかった。
つい数日前まで、手を伸ばして抱き寄せることができていたエメが、その姿を見ることもできなくなってしまった。あの時、僕が倒れることなくエメの側を離れずにいたら、何か側に居続ける口実でも見つけられただろうか。少なくとも、この衛兵達が来たその時、彼女の側で、その不安な気持ちに寄り添うことくらいはできたはずだ。エメが望むなら、きっと会いに行くと約束もできたはずだ。
……それなのに、エメを只々一人にしてしまった。
今、僕がエメに会うためには、王女殿下への謁見の許可がいるという。そして、ここに派遣された者達の中に、その許可を与えられる立場の者はいないから、王都まで出向く必要がある。
馬鹿げたことだと思う。
そう思うが、僕とエメの間には、そんな大きな大きな壁があるのが現実だ…。
二年前の夏、エメもこんな風に僕との身分の差を感じて、遠慮して身を引こうとしたんだろう。まさかこんな逆転をして、エメが手が届かないほどの存在になるだなんて思ってもいなかった。
―――ただ、僕はおとなしく身を引くつもりはないけど。エメが待っていてくれるはず。何か道がないか探してやろう。
僕が一歩扉に近づくと、衛兵達は槍を持つ手に力が入り少し身構えた。
入れてくれと言っても、通してくれることは決してない。僕は扉の前から離れ、次に思うところへと足を向けた。




