しばしの別れ、星空の下
日が落ちるまで、エメは僕の小さい頃のことを聞いた。夕食の時に、僕がエメのことを聞いたのが恥ずかしかったから、お返しと言って。
僕自身が話しても、突飛な面白い話は出てこないと思うが、エメは楽しそうに聞いてくれた。
師匠に剣を習っていた頃のこと、乗馬の練習の初日に馬が走り出してすごく怖かった話、屋敷で従兄弟たちとかくれんぼをしていたら、隠れていた部屋を施錠されて、そのまま寝てしまった話など…。
「一番の大事件は?」
エメがいたずらっぽい顔で聞いた質問に、僕は即答した。
「森で迷子になったこと」
それを聞いて、エメは目を丸くして僕を見た後、弾けるように笑い出した。僕も一緒に笑った。
「大騒ぎになって大変だったけど、エメに助けてもらったから、僕にとっては大切な思い出なんだ」
「私ももっとはっきり覚えていたかったな…。なんとなくしか覚えていないもの」
「エメは小さかったからね。とっても可愛かったよ。森の妖精かと思ってた」
―――今も妖精か天使かと思うくらい、エメは可愛らしいけど。
そんなことを言ったら、エメは「ルゥのばか!」と言いそうだな、と思い浮かべてふと上を見た。
そこには無数の星が輝いていた。
「わぁ、エメ……、すごく綺麗だ…」
普段見る夜空よりも、木々の枝が額縁のように星空を切り取って綺麗に見えた。そして、冷たい澄んだ空気がより一層、星々の輝きを強調しているようだった。
「本当に綺麗ね。ルゥと見ると、いつもより綺麗に見えるわ」
そう言って、エメは僕にそっと体を寄せた。僕は空を見上げたままその肩を抱くと、くっついているところが段々と温かくなって、幸せな気持ちになった。
しばらくの間、二人とも無言で星空を眺めていた。僕は、王都で星を見たら、いつもエメを思い出すんだろうな、なんて考えていた。エメは何を考えているんだろうか……と思ったその時、エメが遠慮がちに話し始めた。
「あの…、ルゥ、………お願いがあるの」
僕は視線を空からエメに移した。エメも僕を見つめていた。
「何?なんでも言って」
「えっと、もし、嫌だったら断ってくれる?」
「聞いてみないとわからないけど…?」
「嫌なら、はっきりそう言ってくれるって、約束してくれる?」
そんな前置きをしないといけないお願いって何だろうか…。でも、約束しないと話が進まなそうだ。
「ああ、約束する」
「それなら…」と言って、エメは下を向いた。息を吸って、静かに吐き出して心を落ち着けているようにも見えた。それから僕の正面に立って、僕の目を真っ直ぐに見た。
辺りは暗いのに、瞳は星の光を集めたように輝いて見えた。その意志の強そうな眼差しに、僕はまた吸い込まれそうだと思った。
「ルゥ………、キスして」
「………………えっ?」
―――今、エメは何て言った?何か聞き間違えただろうか?
急に鼓動が早くなり、顔が熱くなるのを感じた。
「こんなはしたないこと言ってごめんなさい。嫌なら、遠慮なく言って」
エメは早口でそう言って、少し恥じらうように目を伏せたが、すぐに真剣な眼差しをこちら向けて僕の返事を待っている。
「でも、僕はこの先のことは約束できないから、それは…、いつか将来を約束できる人とした方がいいんじゃないだろうか」
他の誰かとなんて口に出したら、心の奥がチクッと痛んだが、僕がその立場にないのだからと、ぐっと唇を噛んだ。
「ルゥは嫌?」
「え…っと、嫌じゃないけど…」
むしろ、そうできたらいいのにと何度も思ったことがある。でも、やっぱり…。
「ルゥが私と将来のことを約束できないのはわかってるわ。次会う時には、どこかのご令嬢と結婚しているかもしれない、そんな立場なのもわかってる。でも、今は、そんなお相手はいないのよね?」
「いないよ。いたら、ここに来ていない」
エメはそれを聞いてにっこりと笑った。僕はドキンドキン鳴っている心臓の音ばかりが耳に入ってきた。
「それなら、私、初めてキスをするのは、初めて大好きになったルゥがいいの…」
「………」
ドキン、ドキン、ドキン……、心臓の音って、こんなに大きかったっけ?などとどうでもいいことを考え出した。
「だめ……かしら?」
「……僕でいいの?」
その返事に、エメの表情は柔らかくなった。暗くて見えないが頬は赤く染まっているんじゃないだろうか。
僕はエメに一歩近づいて両肩に手を添えた。エメの少し潤んだ瞳に吸い寄せられるように顔を近づけると、その瞳はそっと閉じられた。
僕の唇が、冬の空気で冷やされてひんやりとした、それでいて柔らかなエメの唇に触れた。
ドキン、ドキン…
ほんの数秒ののち唇は離れ、僕はいつの間にか瞑っていた瞼を開けると、エメの瞳も開くところだった。
二人で顔を見合わせて、照れながら笑った。
どちらかともなく抱きしめて、僕はエメの髪にキスをした。
エメは顔を上げて、にこっと笑った後、顔を僕の胸に隠すように埋めた。
「エメ、本当に大好きだよ」
エメは顔を埋めたまま頷いた。肩が小さく震え始めた。
「エメに会えてよかった」
小さく頷き、背中に回した手は、僕の外套をぎゅっと握りしめていた。
◇ ・ ◇ ・ ◇
しばらく声を殺して泣くエメを抱きしめ、背中をトントンと叩いていた。やがて落ち着くと、エメは顔を上げて小さく微笑んだが、目が合った途端、恥ずかしそうに俯いた。
僕もその仕草を見たら、顔が熱くなって空を仰いだ。冷たい風が気持ちいい。
ふぅっと息を吐いて心を落ち着けて、エメに手を差し出した。
「家まで送るよ」
エメは頷いて、僕の手を取った。
僕らは手を繋いで、エメの家に向かって歩き始めた。時々エメを振り返ると、手にしたランプの灯りに照らされた彼女の唇にどうしても目が行って、ドキドキしてしまう。エメも視線を感じては、逸らしていた。
そんな浮かれた気持ちと寂しさとが半分半分で歩き出したが、エメの家が見えるところまで来る頃には、寂しさが明らかに優っていた。家から少し離れたところで立ち止まったが、お互いに言葉が見つからずに沈黙が続いた。
もう少し何か気が利いたことでも言いたいのに、口から出たのは素っ気ない言葉だった。
「エメ、明日はここへは来ないから」
「うん……、わかった」
エメは再び泣き出しそうになるのを必死で堪えていた。
「ルゥ、気をつけてね。体、大事にしてね」
「ありがとう。エメも元気で」
「うん、ありがとう。……じゃあ、私行くね」
そう言って家へ向かおうとするエメの手を、僕は思わず掴んで引き寄せた。
大きな木の幹に隠れるように立ち、エメと向かい合った。
ランプの光を反射して輝くエメのサファイアのような瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。
口に出して約束はできないけれど、きっとエメに会いに戻ってくると心に決めていた。長く会えなかったとしても、エメへの気持ちは変わることはないだろう。
エメの瞳からは、堪えきれずにはらはらと涙がこぼれ落ちた。僕が、その頬を伝う涙を親指で拭うと、エメはそっと瞳を閉じた。
僕はゆっくりと優しくキスをした。
いつも読んでいただきありがとうございます。第5章は、ここまでです。お話全体の折り返しくらいまで進んだでしょうか。この先のお話を整理してすぐに続きを投稿するか、おまけのお話を書こうか、今日は悩んでいるところで…。明日の投稿は難しいかもしれませんが、近日中に投稿予定ですので、またお読みいただけましたら嬉しいです。




