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迷いの森、光る石の道しるべ  作者: 千雪はな
第3章 前に進む
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出発の朝

王都の寄宿舎へと戻る日の朝、父上、母上と朝食を取った。


父上と、今回の休暇はいろいろ大変だったなとか、少しは領地のことやシュライトン家の仕事のことがわかるようになったじゃないかとか、ごく普通の親子の会話をしながら食事を進めていたが、それが終わる頃、母上が静かに話し始めた。


「誰かに言付けたい事があれば、こちらに手紙をよこしなさい。ラリーに届けさせますから」


誰にとは言わないが、相手がエメであることは三人ともわかっていた。身分だとか立場とかいうものは、時に本当に面倒だと思うけど、簡単に逃れられるものでもない。父上と母上を見ていたら、表の顔を保ちながら、上手に自分の思うことを少しでも叶えられるように努力と工夫を重ねる。二人は長年そうしてきたのであろう。


「母上、ありがとうございます」


母上の口元が少しだけ緩み、僕に向けられる眼差しは優しかった。常に乱れることのない気品ある振る舞いでわかりづらかったが、母上の気持ちが少しだけ表情から読み取れるようになった気がする。



食後の紅茶を飲み終え、カップを置いた父上が僕のことを見た。


「さあ、そろそろ行くんだろう。気を付けてな」


「はい。ありがとうございます、父上」


僕もカップをテーブルに置き、席を立った。



「本当にそんな格好で行くのですか?」


僕に続いて立ち上がった母上が、僕の服装を上から下まで見て眉を(ひそ)めた。もちろん綺麗に洗濯はしてあるが、着古した乗馬服だ。


「馬で行きますから、綺麗な格好では剥ぎ取られますので」


「馬車でレオン達を連れて行けばいいじゃないですか。そんな格好で来られたら、私なら顔も見ずに部屋に帰りますよ」


「はははは…」


王都へ帰る格好を言っているのではなかった。母上は、エメに会うのなら身なりを整えるようにと心配をしてくれていた。


母上のはっきりと表には出さないが、僕のことを気に掛けてくれているという事は、ここ最近で一番驚いた発見かもしれない。


そんな母上の隣に父上が歩み寄り、笑いながら言った。


「まあ、今は格好なんて気にしなくていいんじゃないか」


「そうでしょうか。貴方がたは女心がわかってないのです。恥をかいても知りませんよ」


「貴女が心優しい女性であることは、私がよくわかっていますよ」


母上は照れ隠しなのか、肩を抱いて(なだ)める父上に「ふんっ」と言って横を向いている。


父上と母上が、意外と結構仲がいいことも驚いたというか、気付いてしまったら居心地悪いというか……。



「では、行って参ります」


「ああ、気を付けて」


父上と母上、そしてラリー達数人の使用人らに見送られて、僕は屋敷を出発した。


 ◇ ・ ◇ ・ ◇


森に入ると、すぐに石の光は揺らめき、今日もエメがこちらに向かって来てくれているのがわかった。いつもより少しゆっくりな気もするけど。


僕も少しは道を覚え、ずっと石を見ている必要もなくなり、木々の間にエメが見えないかと行く手の先の方に目を凝らしていた。


遠くにチラッと見えたのはラベンダー色のふわりとしたスカートだった。エメがよく着ている緑や紺のワンピースを探していたのに。


苔生(こけむ)す森の中を、妖精が歩いているのかと思った。


王城の壁にでも掛かっている美しい絵画のような、もしくは夢でも見ているかのような光景に、僕は歩くのを忘れていた。少し照れたように頬を染めたエメが僕に向かって歩いてきてくれるのを、いつまでも見ていたいと思った。


「ルゥ、来てくれてありがとう」


「………」


「……ルゥ?」


「あ、ああ、ごめん。エメが綺麗で見惚れてた」


「あはは、ルゥ、褒めすぎよ。お洋服が素敵なおかげね」


僕はハッとした。


―――母上の言った通りだ。もっと綺麗な格好をしてきたらよかった…。


「ごめん。エメが朝早くからこんなに綺麗に支度して僕を待っててくれたのに、僕…、こんな格好で……」


ボソボソと話す声は、最後はため息に変わった。(うつむ)いた視線の先には、刺繍が少し擦り切れた上着があり、自分の格好に幾つでもため息が出そうだった。


そう考えながら固く握った僕の手に、スッとエメの手が伸びてきた。僕の両手がエメの手で(すく)うように取られ、きゅっと繋がれる。顔を上げると、エメは柔らかな笑顔で僕を見ていた。


「今から王都まで馬で行くのでしょう。綺麗な服を着ていたら危ないから、この格好なのよね」


「そうだけど…」


「それなら、ルゥは何も謝る必要はないわ。本当なら、こんなところに寄らずに王都へ向かうところを、わざわざ来てくれたんだから」


「ありがとう、エメ」


エメの優しい言葉にお礼を言ったけど、それでもエメの隣に立つのに恥ずかしくない格好でいたかった…。そう思って不貞腐れた僕を見て、エメが笑った。


「それにね、ルゥのその格好も素敵だと思うわ。馬で駆けてたらかっこいいんでしょうね」


そう言われて、僕の顔はみるみる熱くなった。素敵だの、かっこいいだの言われるだなんて微塵も考えていなかったから。


きっと社交辞令だと思っても、すごく照れくさくなって、なんて言ったらいいかわからなくなってしまった。でも、限られた時間を照れて無駄にするのは惜しい。僕は顔が熱いまま、足元に落としていた視線を上げてエメを見た。エメも真っ直ぐに僕を見ていた。深い青い瞳に吸い込まれそうだ。


「エメに、ちゃんとかっこいいって言ってもらえるように、王都でしっかり勉強してくるよ」


まだ顔の火照りが収まらないまま、少しおどけて話すと、エメも楽しそうに笑った。


「ふふふ、頑張ってね」



言葉が途切れても、エメは僕から視線を外さなかった。


―――次は冬に帰ってくるから待ってて___


その言葉は飲み込んだ。


冬はエドウィンの婚約披露があるから帰ってくるつもりだけど、絶対ではない。そして、あっては欲しくないけど……、エメがこの地を離れないといけない事がいつ起きるかわからない。そう思ったら、約束の言葉は出てこなかった。


「エメ、体に気を付けて…」


「ありがとう。ルゥも気を付けてね」


僕は右手でエメの頬をそっと撫でた。エメは僕の手に彼女の手を添え、頬を僕の手のひらに預けて少し潤んだ瞳をゆっくりと(つむ)った。


僕はそんなエメをぎゅっと抱きしめたくなった。でも、こんな格好でと思ったら、妖精のように綺麗な彼女を抱きしめることを躊躇(ためら)って、僕の左手は行き場を失っていた。


エメは目を開けると、にっこり笑って何の迷いもなく僕の胸に頬を寄せて両手を背中に回した。心臓が跳ねて、少し落ち着いていたのに、再び顔が熱くなった。


僕もそっとエメを抱きしめた。彼女の髪に口付けると、緩くまとめた髪に緑のビーズの髪留めが挿してあるのが見えた。


―――はぁ、離れられない…


「私も…」


エメの言葉に、僕は心の声を口に出してたことに気付いて少し慌てた。それを見てエメが笑い、僕もつられて笑った。


「でも、ルゥ、行かないと」


エメに宥められるように背中をトントンと叩かれた。どちらが年上だかわからない。僕はため息を吐いてから、姿勢を正した。


「行ってくるね、エメ」


「うん、いってらっしゃい」


ふぅっと息を吐いて、僕は森の出口へ向かって歩き出した。しばらく歩いて大きな木のところで右に曲がる前に、一度だけと思って振り返った。


いつも森の出口まで着いてきてくれるエメは、僕が歩き出した所に立っていた。肩の高さで小さく手を振って。いつかのように、手を目一杯伸ばして、背伸びまでして手を振っているわけではないのは、エメが僕と会うのが最後じゃないと思っている、そんなふうに思えた。


僕もエメに手を振り返し、大きな木の幹に手を掛けて、地面に這う太い根を跨ぎながら右へと曲がった。視界の右端、木々の間に見えていたラベンダー色のスカートは、ふわりと翻って森の奥へと帰っていった。

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