問題なのは
屋敷へ着いた時、少し緊張した。母上が鬼の形相で待ち構えているんじゃないかと……
その予想に反し、屋敷内はいつも通り穏やかだった。すれ違う使用人達も、何事もなかったように挨拶をしては通り過ぎ、僕はやや拍子抜けしつつ、とりあえずは自分の部屋に戻った。
上着を脱いで、ほっと一息ついたところでラリーがやってきた。
「おかえりなさいませ。エメ様にはお会いできましたか」
「ああ、ありがとう。クッキーも喜んでくれたよ」
「そうですか。それはよかったです。お戻りのところ、すぐで申し訳ございませんが、まもなく旦那様との晩餐のご予定となりますので、ご準備いただけますでしょうか」
「わかった」
ラリーが周りの者に指示を出し、僕の着替えが運ばれてくる。僕は着替えながらラリーに聞いた。
「ラリー、」
「はい。何でございましょうか、坊ちゃん」
「あの……、晩餐の前に母上に会う時間はあるだろうか?」
茶会をすっぽかしたことを怒っているだろうから気が重いが、謝らずに済む話でもない。ため息を吐いた僕に、少し笑ってラリーが答えた。
「少しお話しされる時間はございます。そんなに心配されなくても、奥様はそれほど怒っていらっしゃらないと思いますよ」
「そうかなぁ……」
「ええ、エドウィン様がサドラー家の方々のお相手をしてくださいましたから」
―――あ、エドに茶会を押し付けたの忘れてた…。こっちの方が怒られそうだな……
「エドにも謝らないとな」
「そうでございますね。また近いうちに来られると仰っていました」
「そうか」
着替えを済ませ、部屋を出る前に思い出した。
「そうだ、ラリー。このパンを明日の朝食に少し出してくれないか」
僕は干し葡萄のパンの包みをラリーに手渡した。
「はい、かしこまりました。坊ちゃんが買ってこられたのですか?」
「ああ、エメが美味しいって勧めてくれて、市場で買ったんだ。残りは皆で食べてくれていいから」
「ありがとうございます」
「じゃあ、母上のところへ行ってくるよ」
「そのあと、一度こちらに戻られますか」
「いや、そのまま父上のところへ。時間があれば、晩餐の前に話がしたいし」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
◇ ・ ◇ ・ ◇
母上の部屋の前で、一度息を大きく吐いて気持ちを落ち着けてから扉をノックした。
すぐに母上の侍女が出てきて奥に確認をすると、僕を迎え入れてくれた。母上は、刺繍をしていた手を止め、顔を上げた。
「あら、帰っていらしたの」
「あの…、」
「言い淀むのはみっともないから、おやめなさい」
「はい。今日は、勝手に茶会に出ず、すみませんでした」
「本当ね。ミラー家のご子息のエドウィンさん、彼がいなかったらどうなったことか。よくお礼をお伝えなさい」
「はい」
「私も少し予定を詰め込みすぎました。今後の予定は見直しますので、今回のようなことはないようにお願いできますか」
「はい」
「次は、逃げ出す前に相談なさい」
叱られると思ったのに、ごく当たり前の話だけされ、勝手なことをしたことへの申し訳なさが余計に募った。
「母上、今日はごめんなさい」
「この後、晩餐の予定なのでしょう。遅れないように行きなさい」
「はい、行って参ります」
母上は困ったような顔で少し笑った後、また刺繍を刺し始めた。
僕は静かに部屋を退出して、父上の部屋へ向かった。
―――母上は、僕が茶会が多すぎるのが嫌で逃げ出したと思っているのかな…。エメに会いたいのが理由だと知っていても、相談するように言ってくれただろうか……
◇ ・ ◇ ・ ◇
父上の部屋は扉が開いていた。軽くノックして部屋に入ると、書類を確認していた父上は、僕を見て笑った。
「今日は大変だったな」
「いや、僕が悪いんです。ご心配をおかけしました」
「この後の晩餐には出てくれるのか?」
「はい、…意地の悪いことを言わないでください」
父上は可笑しそうに笑ってから、また書類に目を通しながら僕に聞いた。
「森でお前を助けてくれた子に会いに行ったんだって?」
「はい。忘れ物を届けてくれたので、そのお礼を伝えに」
「会うのはこれで終わりなのか?」
「いえ、助けてくれたことへのお礼を改めてしたいのですが」
「今日、礼をしたと言うなら十分じゃないか」
「今日は簡単に礼を言っただけで…、改めてきちんと感謝の気持ちを伝える場を設けたいのです」
父上は書類から顔を上げ、僕を見た。しばらく言葉もなく僕の顔を見るので、僕は姿勢を正して父上の言葉を待った。
―――何を言われるのだろうか……
父上は、ふっと笑った。
「お前は、その子のことが気に入ったと言うことなんだろう。だから、また会いたいと」
「あの…、それは……」
父上が僕の気持ちを見透かしたように言い切るので、返す言葉が見つからなかった。僕自身、エメへの気持がどんなものか、まだよくわかっていないのに。
「リュウ、お前がその子と今後も付き合っていきたいと言うなら、それには問題がある。問題が解決しない限りは、簡単に認めるわけにはいかない」
「どうしてですか。彼女は僕の命を助けてくれたんです。心からお礼をすることに何の問題があるのですか。身分が違うと仰るのですか?」
やはり、身分を理由に反対されるのかと悲しくなった。でも、ここで諦めるつもりはない。何か道はないか、父上の力を借りてでも見つけたいと思っていた。
「いや、身分だけの問題ではない」
予想外の言葉が返ってきた。
「えっ…、身分だけじゃないって、どういうことですか?」
その時、扉がノックされ晩餐の準備が整い、間もなく客人の方々が到着されることが告げられた。
「リュウ、この話はまた改めてしよう」
「そんな…」
「まあ、何故その子が森に住んでいるのか、考えてみるといい」
「……はい、わかりました」
僕は父上と一緒に部屋を出て、客人を迎えるために玄関へと向かった。




