心ここに在らず
エメと手を繋いで森の端まで歩いて行くと、ジュディさんがにっこり笑って待っていた。
「思ったより早かったね」
「………かあさん、見てた?」
「そこでハグしてたことかい?別れのあいさつだろう。いいじゃないか」
「見たの、ハグだけ?」
「だけって?」
「ううん、なんでもない」
エメは少しほっとした顔をしている。
おでこにキスも、ハグと同じように別れのあいさつとしてよくすることだから、あまり気にすることはないのかもしれない。でも、好きだと意識した子が相手だと少し違う。ジュディさん達に見られたかもと思ったら、僕も照れくさかった。
見えていなかったのならよかったけど……、ラリーの生温かい笑顔を見るとため息が出た。見えていたらしい。
僕は気を取り直してエメとジュディさんに改めてお礼を言った。
「エメ、ジュディさん、ありがとうございました。またお邪魔させてください」
「ああ、しばらくは忙しいだろうし、無理せず来られる時においで。この夏に限らず、いつでも待ってるよ」
「ありがとうございます」
エメは何も言わず、下を向いている。また泣いているのだろうか。
「エメ、行くね」
エメは、ふぅっと一息吐いてから顔を上げた。瞳は少し潤んでいるけど泣いていなかった。キラキラ宝石のように輝く瞳は、本当に綺麗だった。
「うん、おだいじに。…待ってるね、ルゥ」
「本当にありがとう、エメ」
エメに怒られるかも、と思いながら軽く抱き寄せると、エメも僕の背中にきゅっと手を回した。
もう一度、エメの綺麗な瞳を見つめてから、先に馬車に座っているラリーの横に僕も座った。
「では、参ります」とラリーは馬を走らせた。にっこり笑ってくれたエメに、僕が小さく手を振ると、エメは背伸びをしてまで大きく手を振ってくれた。
屋根のない軽装の馬車に座って、二頭の馬がゆっくり歩く様子を見ながら、僕は屋敷まで無言だった。ラリーも僕が黙っている限りは何も話さない。
森の中とは違い、直射日光がやけに眩しく感じた。夏の乾いた風を受けながら、これからの事をぼんやりと考えていた。
ジュディさんが言ったように、この一週間ほどの不在の間に溜まった予定が待っているんだろう。足の腫れと痛みが取れるまで、もう一週間くらいは掛かるだろうと言われている。それまでに皆片付けて、エメに会いに行けるだろうか…。
まだ屋敷に着いてもいないのに、森が恋しくなって馬車の上から振り返ってため息を吐いた。
◇ ・ ◇ ・ ◇
「___ュウ、リュウ!聞いてるか?」
「あ、ああ、ごめん、エド。なんだった?」
屋敷に戻って三日経っていた。友人のエドウィンが昼食後の空き時間に見舞いと言って会いに来てくれていた。
出窓に座ってぼんやりしていた僕に、エドウィンはソファでお茶を飲みながら呆れたような視線を向けていた。
「別に大したこと言ってないけど、お前こそ、何考えてたんだ?」
「いや、考えていたというより、疲れすぎて考えが止まってた。毎日、母上がご令嬢に会えと……、先週から待っていただいた分もとか言って、今日も三件も予定があるんだ…」
「三件⁉︎」
「ああ、朝と昼食と、この後、午後のお茶の時間に。僕はお茶でパンパンに膨れ上がると思う」
「それは…、大変だな」
エドウィンの同情する視線に、僕はため息が出た。
「はぁ、夜は父上の知り合いと晩餐の予定だし…、勘弁してほしいよ」
「ご令嬢と会えるのはいいじゃないか。そんなに会えば、一人くらい可愛らしい子がいるんじゃないか?」
その質問に、僕はもう一つため息を吐いた。
「顔と名前も一致してないし、誰とどんな話をしたかも覚えきれない。もう疲れるだけだよ」
「それは、リュウがそのご令嬢方に興味がないってことだろ?他に気になる子がいるから…」
エドウィンが意地悪そうな顔をしている。僕はまだエメのことは話してないのに。
「なんのことを言ってるんだ」
揶揄うエドウィンを睨んで、窓の外を見た。遠くにあの森が見える。
エメはどうしているだろうか。まだ三日しか経ってないから、向こうは僕の訪れを期待していないだろうけど、僕は会いたいと思っていた。
―――会いに行くなら、何を持って行こうか。毎日開かれる茶会のために、焼き菓子やケーキはたくさん用意されている。それとミルクを持っていけば、エメはミルクティーを淹れてくれるだろうか……
「___おーい。リュウ、戻ってこい!」
「あ、ごめん」
「何があったか知らないけど、そんなだらしない顔でぼんやりしてたら、誰が見ても好きな子がいると思うだろうよ」
「そ、そんな顔してた⁈」
そう言った僕にエドウィンはニヤリとした。
「やっぱり、好きな子がいるんだな。白状しろ、リュウ!」
「うわ、エド、鎌かけたな」
「ははは、引っかかる方が悪い。で、どこのご令嬢?どこで出会ったんだ、王都か?」
はぁ、これは逃げられないやつだ。適当に誤魔化しても、いいことがないのを知っている。
エメのことを話していいものかと悩んだ。でもエドウィンは、僕のことをよく揶揄うけど、本当に大事なことは真剣に受け止めてくれる。エメとのことは今後どうなるかわからないけど、彼には話しておいた方が良いと思った
僕は観念してエドウィンに少し話すことにした。
「いや、森で助けてくれたんだ…」
「森って魔女か?結構年上じゃないのか?」
それはジュディさんのことだと思う。ジュディさんは街へ買い物へ出ることもあるから、彼女のことを知っている人もそれなりにいる。
でも、ジュディさんがエメを静かなところで育てるために森に住んでいるのだから、あまり話に出したり、連れ出してはいないと思う。エメのことを知っている人は多分あまりいないだろう。
「エド、あまり大っぴらに話さないって約束してくれるなら話すけど」
僕は真剣な顔で言った。それをエドウィンも感じたようだ。だらしなくソファの背もたれにもたれていたのを、体を起こして姿勢を正した。
「お前の大事にしていることなら、約束する」
「ああ、すごく大事だ。きっと今一番大事だ」
僕は大きく息を吐いて、エメのことを話すために気持ちを落ち着けた。




