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迷いの森、光る石の道しるべ  作者: 千雪はな
第1章 エメとルゥ
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バターとミルク

「ルゥ、おはよう」


家に帰る日の朝、エメは普段通り朝食を用意して僕を起こしてくれた。


キッチンからの食欲を誘ういい香りが部屋まで届いていた。


「運ぶの手伝うよ」


僕がキッチンを覗くと、エメがにっこりと微笑んで「じゃあ、これお願い」と朝食が乗った皿を二枚僕に差し出した。


「持てる?手、痛くない?」


「ああ、大丈夫だよ」


左手もだいぶ痛みが引いていた。包帯でしっかり固定されていることもあり、皿くらいは問題なく持てた。


今日の朝食も美味しそうだ。たっぷりのバターと蜂蜜がかかったパンケーキの横にエメが作ったベリーのジャムがたっぷりと添えてある。


エメは大きめのマグカップを両手に持ち、食卓に向かう僕に着いて歩いてくる。マグカップには温かいミルクティーが淹れてあるんだろう。


バターやミルクはラリーが持ってきたもので、街まで買いに行く必要があるので、エメは普段あまり口にしないと言っていた。とても気に入って、カップが日に日に大きくなるのが面白かった。


テーブルに向かい合って座り、エメが満足そうに食べる様子を見ていたら幸せな気分になった。エメが作ってくれた朝食を食べられるのが今日で最後なんて…。この時間がいつまでも続けばいいのに、と思っていた。


―――ああ、帰りたくなくなってきた。



思わず「はぁ…」とため息が漏れた。


「ルゥ、どうしたの?美味しくない?」


エメが心配そうに僕を見ている。


「いや、違うんだ。エメの美味しいパンケーキが明日から食べられないと思ってね…」


「お屋敷のシェフの方に作っていただいたらいいんじゃないの?」


「エメのパンケーキの方が美味しいよ…」


「少し焦げてても?」


「それも美味しい」


「ふふふ、変なルゥ」


そう笑って、エメはパンケーキを食べ終えた皿に静かにナイフとフォークを置き、そっと口元をナプキンで拭い、美味しそうに紅茶を飲んだ。


一緒にテーブルで食事を摂るようになってから、いつもその所作の美しさに感心していた。


「エメって、綺麗に食べるね」


「…?食いしん坊ってこと?」


「いやっ、その、皿の上を綺麗にする方じゃなくて、食べ方が、という意味で…」


焦った。言い方を間違えたらしい。でもエメは自分で言った「食いしん坊」って言葉が可笑しかったようでクスクスと笑っている。


「ラリーさんが持ってきてくださった物が美味しくて、いつもよりいっぱい食べてるから、ルゥにそう言われたのかと思った」


「そうじゃなくて、エメのテーブルマナーが完璧だったから驚いたんだ。その辺のご令嬢達よりも綺麗だと思って…」


「本当?かあさんが昔から厳しかったの。私のお母様の所作がとても美しかったから、私もその娘として恥ずかしくないように身につけなさいって。だからルゥにそう言ってもらえて嬉しい」


エメは少し照れたように可愛らしく微笑んだ。


「そうだったんだ」


僕の相槌を聞きながら、エメは一つにまとめていた髪を解いた。栗色の髪が、窓からの光を受けて明るく輝いている。髪色は母親譲りなんだろうか…


「エメのお母様ってどんな方だったんだろう…、そうだ、絵姿とかはないの?」


「ないわ。かあさんは、私はお母様によく似てるって言ってくれるけど。あ、そういえば、ダンスが上手だったって言ってたわ。教えてって言ったんだけど、かあさんはダンスが苦手で全然練習にならなくて…」


エメはジュディさんのダンスを思い出したようで、また可笑しそうに笑っていた。


「僕でよければ、ダンスの練習の相手をしようか?」


「ええ、ぜひ!でも…、その怪我を治してからね」


と僕の左足の包帯を見て言った。捻挫の腫れは引いたが、まだ歩く程度にするように言われている。


「そうだね…」


僕も自分の足を恨めしく見遣った。でも、またここへ来る口実になるのか。


僕は席を立ってエメの横へ行くと、手を差し出した。エメはきょとんとした顔で僕を見上げている。


「怪我が治ったら、僕と踊っていただけますか」


これまでは夜会などでの形式張ったセリフとしてしか口にしたことがなかったが、それを初めて心から誘う言葉として伝えた。


僕はドキドキしながらも、エメを見つめた。エメもその綺麗な青い瞳で見つめ返していた。そして、ふっと柔らかな笑顔になると「はい」と小さく返事をして立ち上がり、スカートの裾を少し上げて綺麗なお辞儀をした。


森の中の小屋にいるのも忘れ、夜会でお姫様にダンスを申し込んだ気分になった。僕の差し出した手にエメの手が乗せられるまで、僕は夢でも見ているかのようだった。


「ふふふ、なんだか緊張するわね」


エメのいつもと変わらない口調に、僕は現実へと戻ってきた。


「えっと、踊り出しはこうだったかしら?」


そう言ってエメは僕の背中に手を回すものだから、僕は吹き出した。


「エメ、それは男性側の姿勢だよ」


「えっ⁈」


エメが恥ずかしそうに真っ赤になっている。いつも赤くなるのは僕の方ばかりだから、なんだか新鮮だ。すごく可愛い。


僕は改めてエメの右手を取り、彼女の背中に僕の右手を添えた。


「エメ、左手は僕の腕に」


「えっと、こう?」


エメの動きがすごくぎこちない。さっきの美しいお辞儀は、きっとたくさん練習したんだろう。


「掴まなくていいよ。添えるだけ」


「こう?」


「そう、いい感じ。さあ、これで踊り出せるよ」


僕を見上げて少し照れてにこっと微笑むエメが可愛くて、もう少しこうしていたかった僕は、ゆっくりと一歩ステップを踏んだ。もう一歩、もう一歩。


エメも僕につられてステップを踏む。


「わっ、わわっ、あっ、わ…」


エメは、慣れない動きに戸惑っている。ごく基本のステップを繰り返しゆっくりと踏んでいく。


「1、2、3、4、1、2、3、4……」


僕の取る拍に合わせて、エメの動きも落ち着いてきた。



昔からダンスでは女性を上手にリードできるようにと教えられてきた。伯爵家の男子としての義務として仕方なく練習してきたけど、今日、初めて身に付けていてよかったと心から思った。


「うん。エメ、上手だよ。その調子」


「本当?」


ずっと足元ばかりを見ていたエメが顔を上げた。頬を少し赤らめて、嬉しそうに僕を見上げている。


その可愛らしい様子に僕はドキドキしてきた。エメにその鼓動が伝わってしまうんじゃないかと思ったら、繋いだ左手を高く上げてエメをクルッと回した。


「わぁっ」と驚いて止まったエメは、僕と再び目が合うと嬉しそうに僕の両手を取って、嬉しそうに跳ねた。


「ルゥ、すごい!私、踊れたわ!」


「ああ、上手だったよ。僕の足が治ったら、また練習しよう」


「楽しみにしてる、約束ね」


こんなに喜んでくれるエメに、嬉しくて僕の心は(とろ)けそうだった。

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