控えの間にて、兄の祝福
僕の机の上には、アレン殿下の紋章の封蝋を開けた書簡が置いてあった。
エメが心身ともに回復するのを待っていたかのように、王都でのエメを迎え入れる準備が整ったと、アレン殿下からの連絡が数日前に届いたのだ。
正式なものなので、僕宛てではなく、当主である父上に届いたが、用意された住まいや使用人についての詳細も記されているので、父上が僕に回したのだった。
アレン殿下へは父上からすぐに返信をお送りしている。エメの体調も随分と良くなったので、こちらはいつでも王都へ移れると伝えたということだから、近いうちに、王城からの迎えを寄越してもらうことになるだろう。
さて、今日はシュライトン家主催の僕とエメの婚約披露宴が開かれる。
エメが住み慣れたこの地を離れる前に、ここ数年でできた友人達と楽しい時間を過ごしてくれたら嬉しい。
僕も今日は髪を整えてもらってから、近衛兵の正装をした。王都での祭りの警備の後、着替える間もなく近衛兵の服のままでここへ来たのだが、まさか役に立つとは思わなかった。
しばらくすると、エメの準備ができたと聞き、彼女が待つ部屋へと向かった。
◇ ・ ◇ ・ ◇
控えの間の扉を開けると、エメの声が迎えてくれた。
「ルゥ…とっても素敵!それが近衛兵の正装なのね」
そこには、ドレープが美しい紺色のロングケープドレスを纏ったエメが待っていた。綺麗にまとめた髪に留めた真珠とシルバーの髪飾りもその装いをより華やかにしていた。
以前、サドラー家での茶会で着ていた水色のドレスや、ポートレートに描かれたピンクのドレスのイメージがあり、淡い色でふんわりと広がるスカートの可愛らしいものを想像していたが、今日のは美しい生地を贅沢に使った優雅で品のあるドレスだった。それが普段は可愛らしいエメの印象をがらりと変えていたが、驚くほどよく似合っていた。
「エメ………」
僕はその後の言葉が続かず、エメへと歩み寄るとそっと抱きしめた。思った以上にエメが綺麗で、胸がドキドキと高鳴り緊張していた。
「ルゥ…?」
エメは何も言わずに抱きしめている僕に戸惑っているようだ。
僕は何度か深呼吸をして、気持ちを少しだけ落ち着けるとエメに言葉を掛けようとした。
「エメ、すごく…」
「わぁ、エメちゃん。すごく綺麗だね!なんだか今日は大人っぽいね」
僕がせっかく言おうと思った言葉を、いつのまにか部屋に入ってきたマークが横から掻っ攫っていった。
僕は思わず横を向いて口を尖らせてしまった。まるで拗ねた子供だ。
それを見たマークが笑った。
「ごめん、リュウ。何か言おうとしてた?」
「もう、マークが言っちゃったよ」
「それは悪いことしたな。エメちゃんがあまりに綺麗で」
―――今日のエメは特別綺麗で、思わず言葉に出たのもわかる。反対に僕は言葉が出なかったんだけど。ああ、僕が先にエメに伝えたかったなぁ…
僕は小さくため息を吐いた。
「ははは、これ以上は邪魔しないよ。リュウに、一言おめでとうって言いたかったんだ」
「ありがとう、マーク」
「それに、可愛い義妹にも早く会いたかったしな」
マークはフィレイナード領主とシュライトン家当主を継ぐため、この家に養子に入ることが、つい先日、正式に決まった。養子に入らず継ぐこともできたが、父上と叔父上が話し合ってそうすることに決めたのだ。
これまでも既に兄のような存在だったので、戸籍上の関係が変わっても何も変わらないだろうと思っていたが、マークが僕の兄になると思うとなんだか嬉しくなった。
僕が近衛兵に選ばれた時は、もし僕が王都を離れることができなくなったら、レオンが跡継ぎになるつもりでいてくれていた。当然、マークもそのことが心の中にあるだろうが、決して僕らの前でそれを言うことはなかった。
きっとそのことは彼の心の奥にしまって、明るく僕らを王都へと送り出そうとしてくれているんだろう。
「エメちゃん、リュウのことよろしくね。知ってると思うけど、おっちょこちょいで寂しがり屋だから」
「はい、わかりました。……お義兄様」
エメが照れながらマークのことを兄と呼ぶと、マークは思い切り顔をほころばせてエメをハグした。そして、僕の背中をバシッと叩いて「絶対にエメちゃんのこと、幸せにするんだぞ」と言って、機嫌よく部屋を出ていった。
「痛いよ、馬鹿力…」
叩かれたところをさすりながら、恨めしそうにマークの後ろ姿を見送っていると、エメも笑いながら僕の背中をさすってくれた。
―――それにしても、おっちょこちょいだの寂しがりだの、好きなように言ってくれる。しかも、エメも否定しなかったな…
マークの僕の扱いとエメの反応に、どうにも納得いかないものの、明るく祝ってくれたマークに心から感謝していた。
◇ ・ ◇ ・ ◇
部屋は急に静かになり、扉の向こうからは、招待客達が歓談している声が聞こえている。
「マーク…、嵐みたいだったね…」
「ええ、でも、おかげで緊張を少し忘れられたかも」
隣に立つエメは僕を見上げて笑った。僕も「そうだね」と笑い返した。
僕はエメの方を向き、彼女の両手を取った。そして彼女の瞳を見つめ、改めて僕の気持ちを伝えた。
「エメ、今日は一段と綺麗だね。エメの隣に立てることを本当に幸せに思う。この先、何があっても貴女のことを守り、支えていくことを誓うよ」
僕はエメの頬にそっと、ゆっくりと口付けた。
エメは頬を赤らめて照れたように一度下を向いてから、僕を見上げてにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。ルゥ、この婚約を受けてくれて、本当に、本当にありがとう。ずっとルゥの側にいられると思うと、とても幸せよ。
それから、今日はよろしくお願いします。初めてのことがいっぱいだから…」
「エメなら大丈夫だと思うけど、何かあっても僕が横についてるから、心配しないで」
そう言うと、エメは安心したように頷いた。柔らかい笑顔がいつもより大人びていて、僕はこの宴の間、ドキドキが止まりそうにないな、と小さく笑った。
小さなノックが廊下側の扉から聞こえ、従僕が静かに入室すると、続きの大広間の扉の前に立った。間もなく僕らの入場の時ということだ。
僕はエメと並んで扉の前に立ち、右手を差し出した。エメは白いシルクのロンググローブを着けた手を僕の手にそっと重ねた。
その手は少し震えていた。
僕が彼女の指先をそっと握ると、エメは僕を見上げた。
「大丈夫。今日はエメの大切な人達との時間を楽しもう」
エメは、その言葉に笑顔が溢れた。
扉がゆっくりと開かれ、招待客達の歓声と拍手が聞こえてきた。




