三つ編み
師匠との稽古の後、着替えを済ませると、書類を挟んだファイルを手にエメを迎えに行った。
僕が部屋を覗くと、母上とお茶を飲みながら待っていたエメが僕を見つけて嬉しそうに微笑んだ。ついこの間までは、そこから駆け寄ってきたのに、静かに立ち上がると、僕の方へゆったりと歩いてきた。
今日のレッスンに合わせて着替えたと思われるフルレングスのドレス姿のエメが、優雅にスカートを捌いて歩く姿を見て、僕は思わず背筋が伸びた。
近くまで来たエメに自然と手を差し出していた。
「迎えに来てくれてありがとう」
そう言って僕の手を取ったエメは、優しく微笑んだ。僕の心臓は静かに、でも早く鳴っていた。
「エメ…、すごく綺麗だ」
今まで、可愛いと思っていたエメが、急に大人びて見えて緊張した。
「ふふふ、急にどうしたの、ルゥ?」
「だって、エメの雰囲気がとても落ち着いて、淑女のようで…」
「そんなに変わった?」
「ああ、思わず緊張するくらい」
僕が正直な感想を言うと、エメは「褒めすぎよ」と笑った。
そんなエメを、僕はきゅっと抱きしめた。もしかしたら、エメが僕の知らない間にここを離れ、二度と会えなかったかもしれないと聞いたから、彼女の存在を確かめたかったのだと思う。
エメの背中に回した僕の手が、わずかに震えていた。
「エメ、側にいてくれてありがとう。大好きだよ」
急に抱きしめてこんなことを言い出したら、変に思われるかもしれない。でも、エメはただ「私も大好きよ」とだけ言って、僕の背中を優しくさすってくれた。
◇ ・ ◇ ・ ◇
エメは部屋に帰って着替えを済ませると、いつものようにソファに座り、本を読み始めた。そしてまたいたずらっぽい顔をして僕に聞いた。
「ルゥ、座ったら?」
それに対して、僕はできるだけ自然に…
「では、失礼」
と、広く空いている方、エメの右隣に座った。
エメは、面白いくらいに驚いた顔をして僕を見ている。僕は、何か問題でも?という顔をしてエメを見つめ返した………が、耐えられなくなって吹き出した。
「ははは、僕も座っていい?」
「…ええ、もちろん!」
「今日は、ここで残りの書類の確認をしようと思って」
そう言って、持ってきたファイルをエメに見せた。
護衛をする時に対象者と並んでソファに座るなんてありえないが、今は騎士団とこの屋敷の警備兵がついているので、僕の護衛としての役割はあまり重要ではない。
それより必要なことは、と考えると、エメの心のケアだろう。不安を感じて夜にゆっくり休めないのを、少しでも癒してあげられる方法を考えてみた。
エメは「ありがとう、ルゥ」ととても嬉しそうに微笑んで、本に視線を戻した。僕も書類を出して、確認をし始めた。
静かな時間が流れる中、時々視線を感じて横を見ると、エメが嬉しそうな顔をしてすぐに本に戻る。そんなことを繰り返していた。
ただ横に座っただけなのに、エメがとても穏やかな顔をしていて嬉しくなった。
―――あ…、そろそろかな?
エメが手にしていた本が彼女の膝の上にゆっくりと下りていき、カクンカクンと頭が不規則に揺れ始めた。やがて彼女の頭は、僕の肩に乗って落ち着いた。
僕はエメがうたた寝を始めたことが嬉しくて、ほくそ笑んだ。
侍女もエメが眠ったことに気がついて、南側の窓のカーテンを静かに引いて、部屋は少し暗くなった。
エメが寝息を立て始めたのを確認して、彼女の頭を静かにゆっくりと僕の膝へと移した。少しは寝やすくなっただろうか。
僕は、侍女が気を利かせてソファの横に置いてくれた小さなテーブルに書類に置いて内容に目を通し、サインを書き込んでいった。膝の上のエメの頭を左手で撫でながら、反対の手で書類を捲る。
こんな様子をマークやエドウィンに見られたら何と言われるか。
―――サボってると言われても、反論できないな。
僕は小さく笑って、最後の書類にサインしてペンを机に置いた。
膝の上からは、まだ、スゥ、スゥ…、と静かな寝息が聞こえていた。
僕はエメの顔に掛かっている髪をそっと掬い上げ、それをなんとなしに三つに分けた。
―――えっと、右の束を真ん中のと入れ替えて…、次は左のと真ん中を…
昔、姉上や従姉達に教えられたのを思い出しながら、エメの髪を編んでみた。最初は緩かったり、ぎゅっと固くなったりと不格好だったのが、腰まである髪の先まで編み終わる頃には、左右揃って綺麗な三つ編みになっていた。
手を離すと、毎日丁寧に梳かれた艶やかな髪はスルスルと先の方から解けていった。僕は緩んだ三つ編みの隣の髪をまた掬って、三つ編みを始めた。
先まで編んだら、また隣の髪を…。
エメの柔らかな髪に触れていると、不思議なくらい心が落ち着いた。
四本目を編んでいる途中で、エメが目を覚ました。ぼんやりと寝ぼけた顔のエメも可愛かった。
「ルゥ?」
僕が何をしているのかと、不思議そうな顔で見ている。
「少しは寝られた?」
「………えっと…」
まだ状況が把握できていないようだ。ゆっくりと起き上がったが、左ばかりに四本の解けかかった三つ編みをつけた、寝ぼけ眼のエメを見て笑ってしまった。
「ごめんなさい、私…、また寝てしまって…」
「なぜ謝るの?僕は、エメが休めたのなら、すごく嬉しいのに」
「本当?私が寝てたら、ルゥは動けなくて困らない?」
「それは心配いらないよ。今日は、またエメが寝てくれたらいいなと思って、この書類を持ってきたんだから。エメが僕の膝で寝てくれたら、この書類を確認しようって。そうしたら、僕は仕事してるように見えるでしょう?」
「見えるかしら…?」
「やっぱり、サボってるように見える?」
僕らは顔を見合わせて笑った。
「エメ、僕が隣にいたら、少しは安心して寝られるようなら、明日から休息の時間を作ろう。エメが元気になることだったら、それも僕の役目だと思うんだ」
「本当にそうしていいの……?」
「もちろんいいよ。夜に寝られなかったの、辛かっただろう?」
僕がそう言った途端、エメの目には涙が滲んできた。エメを泣かせるつもりはなかったのに。それほどまでに辛かったとは思っていなかった。僕はエメを抱きしめた。
「もっと早くに気づいたらよかった。ごめんね、エメ」
エメは、僕の胸に顔を埋めたまま首を横に振った。
「ありがとう、ルゥ」
◇ ・ ◇ ・ ◇
その次の日から、午後にエメの休息の時間を持つことになった。
エメが眠くなるのを待つのではなく、最初からエメは僕の膝で寝て、僕は書類の確認をするか、本を読む時間とした。
初めのうちは申し訳ないような、恥ずかしいような様子だったエメが、数日経つと慣れたようで、すっと寝てくれるようになった。
さらに一週間くらい経った頃には、「もう、夜もゆっくり寝られるようになったの。だから、昼間に休息の時間を持たなくても大丈夫だと思うわ」と、とてもすっきりした顔でエメに言われ、僕の膝でエメが寝てくれるという至福の時間は、あっけなく終わりを迎えた。
―――エメが悪夢にうなされずに寝られるようになったのなら、それは嬉しいのだけど…
「もっと続けてもいいんだよ」
と僕が少し拗ねたように言うと、エメは笑った。そして、遠慮がちに言った。
「お昼寝は必要ないんだけど……、一緒にソファに座って、本を読む時間はほしいの」
もちろん僕はそれを受け入れ、お昼寝から読書の時間へと形を変えて、エメとの穏やかな時間を過ごすこととなった。




