王女の教育の間に
昼食前後は、エメのマナーや王女としての振る舞いを身につける時間となっている。当初王都から派遣されていた教育係の侍女は解任され、今、エメに教えているのは僕の母上だ。
なぜ、母上が教育係に――それは、数日前にアレン殿下がこの屋敷に来られた日、騒ぎが落ち着いた後のこと…
◇ ・ ◇ ・ ◇
___「そうだ、王族の振る舞いは王都で教えるよう準備するから、リュウの母君が基本的なことだけ教えてやってくれないか」
アレン殿下が、エメと前の教育係ジョアンナとの様子をご覧になって、半ば思いつきでそう仰った。
ジョアンナは、ちょっとした言葉遣いや動作に至るまで細かく厳しい口調で指摘をするので、エメはずっと気を張っているようだった。王女教育だから仕方がないのかと思っていたのだが、そんなに厳しくする必要はなかったようだ。殿下の一言で母上に交代してからエメの笑顔が増えた。
「エメさん、基本はきちんと身についていますから、あとは背筋を伸ばして、相手の顔をしっかり見ればいいだけですよ」
「はい、お義母様」
母上に基本ができていると言われて安心したのか、表情は柔らかくなり、ピッと背筋を伸ばして返事をする姿は健気で可愛いらしくて、『エメ、がんばれ』と心の中で応援せずにはいられなかった。
そして、そういえば僕も昔よく『背筋を伸ばしなさい』と言われたなと思い出して懐かしくなった。
◇ ・ ◇ ・ ◇
―――さて、今日のレッスンは…?
母上は、その日のレッスンの内容によって場所を変えていた。今日は大広間へエメを連れて行くよう言われていた。
「エメ、今日は大広間で何をするの?」
「確か…、入退場の仕方とか、宴の間の立ち位置とか?」
エメもよくわかってないようで曖昧だ。
「それなら、僕も付き合おうか?エスコートするよ」
そのままエメの側にいたくてそう提案したが、ちょうど大広間に着いた母上にピシャリと言われた。
「貴方がいると気が散ります。自分の仕事に戻りなさい」
―――邪魔者みたいにいうことないじゃないか。
少し不貞腐れながら、「…はい、わかりました」とエメが母上と一緒に部屋へ入っていくのを見送った。
閉まる扉の隙間からエメがこちらを向いて、拗ねる僕を慰めるように、にこっと笑ってくれた。
いつもこの時間は、母上に追い返される。護衛は騎士団に任せて、僕はこの場を離れるように言われるが、なぜエメの側にいたらいけないのだろうか…。
納得がいかず、ぶつぶつ文句を呟きながら自室へと向かった。
自分の机で警備計画などの機密書類の確認が終わり、次は今後の行事などの予定に目を通そうかと思ったが、ふと思いついたことがあり、その書類はファイルに挟んだ。
机の脇に用意されていた昼食をさっと食べると、部屋を出た。
「師匠、いるかな」
脇の痛みも取れてきたから、剣を振りたい気分だった。
◇ ・ ◇ ・ ◇
久しぶりの師匠との剣の稽古は、あっという間に時間が過ぎた。
「無駄な動きがなくなったな」
師匠に褒めてもらえるのは嬉しいが、そうならざるを得なかった状況を思い出して少し気持ちが沈んだ。
「師匠に木々の間で剣の稽古をつけていただいていたので、今、ここに生きているんだと思います」
ダグラス・ブルックとの森での決闘は、師匠との稽古なしでは一瞬でやられていただろう。まだ治りきっていない手のひらの潰れたマメを見て、あの戦いの時を、遥か昔にことのように思い返していた。
「そうか…、それはよかった。生きていることが何よりも大切だ」
師匠は練習用の木剣を左手に持ち替えると、空いた右手で僕の肩をがっしりと抱いた。
「ソフィア王女殿下を守ってくれて、本当に感謝している」
王女殿下と呼ぶその言葉を聞いて、僕はハッと顔を上げた。師匠は、王都から逃げてきてずっとエメのことは護衛の対象として生きてきたことに気づいた。本当に気が休まることは、これまでなかったかもしれない。
「師匠はなぜ、危険であることを知りながら、エメを…王女殿下を連れて逃げてきたのですか?」
「………」
師匠が言葉に詰まってしまった。聞いてはいけなかっただろうか……
そう思った時、師匠が静かに話し始めた。
「私はクリスティーナ妃殿下の護衛を務める近衛兵の一人で、シンシアは妃殿下の主治医だった。妃殿下が亡くなる直前、偶然、我々三人だけになったタイミングでソフィア王女殿下を連れ出すように頼まれた。
妃殿下は、ダニエル殿下とともにこの国と国民の幸せを心から願い、我々、側仕えの者達にもとても優しく、この国の未来の希望だと多くの民が思っていた。その方が毒に冒され、もう助かる見込みがないとわかった時、ソフィア王女殿下だけは助けてほしいと仰った………断れるわけがあるまい」
「そう……だったのですね………」
エメをここに連れて逃げてきたのが師匠とジュディさんの二人だったのが、妃殿下が誰かに頼りたい時に、たまたまそこにいた偶然だったというのは驚いた。
その時、ニコラと死亡診断書の確認をした時に目にした医師の名前を思い出した。
「あ、ライト医師は?師匠達の死亡診断書を書かれた…。その場にいらっしゃらなかったのですか?」
「ああ、ギルバートか。彼は我々兵達を診る医師だったから、妃殿下のお部屋へ立ち入ることはなかったよ。
我々が死んだことにしてから王都を離れるよう考えたのはシンシアなんだ。細かいことはそういえば聞いていないな。診断書は彼に頼んだのか、彼女が偽造したのか…。それにしても、よく知っているな、リュウ」
「友人が、流行病の頃の死亡診断書を洗い直していたんです。…宰相の命で」
「なるほどな」
「師匠もジュディさんも疑いなしで、その時はほっとしたのですが…」
「相手も必死で王女殿下を探していただろう。遅かれ早かれ辿り着かれていたんだろうな。まさか、クリスティーナ様の肖像画から辿られるとは思わなかったが………まあ、成長するにつれ、ソフィア殿下が妃殿下に生き写しのようで、もう隠すのも難しいだろうから、ここを離れることも考えてたんだがな」
「えっ、ここを離れるってどこへ行くつもりだったんですか?………はっ、それって、僕には知らされずにエメがいなくなってたってことですか⁈」
「まあ、寒い時期の移動は大変だから、春を待ってからとシンシアとは話してた。行き先は、できるだけ妃殿下を知る者がいない国外か.…」
その可能性があったと思うだけで、僕は恐ろしくなった。
「ははは、もうその必要はなくなったんだから、そんな不安そうな顔をするな。この先は、リュウ、お前がソフィア殿下を守ってくれるんだろう?」
「はい、必ずお守りして、誰よりも幸せにしてみせます」
「そうか、ようやく俺の任務は完了するんだな。リュウ、頼んだぞ」
師匠は、今まで見たことのないような優しい顔で笑った。




