託された想い
エメ用の華やかな装飾の広々とした客間とは違い、それよりは少し小さな客間へとアレン殿下を案内した。
小さいといっても、大切な商談を行うために整えられた部屋で、質の良い家具が並び、数人でテーブルに着き、お互いの従者達がその後ろに並んでも十分に余裕がある広さだ。
「殿下、こちらでよろしいでしょうか」
「ああ、十分だ」
殿下の向かいに僕も座ると、従者が書類の束をテーブルに広げた。中には、僕が送った報告書も含まれていた。
何点か殿下から確認の質問を受け、それに答えると、殿下は指示書に何点か書き込み、サインをして、それを後ろに立っていた側近に手渡した。そしてテーブルの上に指を組んだ手をゆっくりと置き、僕の方に向き直った。
「君とフィレイナード騎士団からの報告により、宰相の身勝手な企みは全て潰して、関係者を一掃できそうだ」
「そうですか。それはよかったです」
「本当はこんなことが起こる前に解決できていればよかったのだが、兄上が僕に警告の手紙を残していて…」
「警告?ダニエル殿下がですか?」
「ああ、君も報告書に書いていたように、兄上とクリスティーナ様は、流行病に乗じて毒を盛られた。本人達は、当然、毒であることはわかっているし、それが兄上が宰相の悪事を咎めようとしたことだということも気づいていた。だから、私には、決定的な証拠を掴むまでは、絶対に宰相には手を出すな、と」
「アレン殿下は、宰相がしてきたことをご存知だったのですね」
「…知っていたが、情けないくらいその証拠を見つけられずにいた。もちろん陛下もご病気ではないことはわかっていたが……」
それがどれほど悔しいことだったか。殿下の組んでいた手には力が入り、その甲には骨や血管が浮き出ていた。
「それであの…、陛下は……」
「ああ、これまで陛下の側にいた宰相の息がかかった者達から全て人を入れ替えた。今は、私の主治医が陛下を診ている。どこまで回復されるかわからない状態ではあるが…」
「そう…ですか……」
「これまで陛下のご様子も窺い知ることができなかったんだ。陛下を救い出し、この国に長年巣くっていた膿を出すことができるようになったのも、今回の貴殿らの働きがあってのことだ。心から感謝している」
「そのようなお言葉をいただけること、光栄に思います」
「もっと早くこちらに来たかったのだが、宰相への聴取とその後の対応の目処がつくまで王都を離れられずにいたら遅くなってしまった。申し訳なかった」
「いえ、遠い所まで殿下自ら足を運んでいただき、感謝しております。おかげで一瞬で片付きましたから。あのまま、地下牢にでも入れられるかと思いました…」
僕はさっきの衛兵に取り押さえられたことを思い出してため息を吐いた。
「まさか、あんなことになっているとは思わなかった。本当にすまなかった」
「殿下、この件については、もう謝らないでください。僕もエメに会わせてもらえず、だいぶ兵らに態度が悪かったですから」
「ははは、悪態もつきたくなっただろう」
僕が笑うのに合わせて、殿下も申し訳なさそうな顔で笑った。
しかし、その笑いを収めると、殿下は姿勢を正して僕に真っ直ぐに視線を向けた。僕も背筋を伸ばし、殿下の言葉を待った。
「リュウ、ソフィアのことだが、」
「はい」
「彼女は私の尊敬する兄の娘で、大切な姪だ。これまで、私の力不足で一つも守ってやれなかったくせに偉そうなことは言えないのだが…、彼女は今後、これまでのことを埋め合わせても余りあるくらい幸せになってほしいと思っている」
「私も彼女の幸せを願っていますし、そのための努力は惜しみません」
「ああ、よろしく頼む」
「はい、かしこまりました。ただ、これまでの埋め合わせと仰いましたが、彼女はこれまで幸せに暮らしてきましたよ。僕はここ数年のことしか知りませんが、彼女を見ていると、それがひしひしと伝わってきますから」
「そうか。それを聞いて安心した」
そう言って殿下はテーブルに書類と一緒に置かれていた美しく装丁された本を手にした。何度も読み込まれた跡が見られるそれを、殿下は大切そうに見つめていた。
「殿下、それは…?」
「兄上の日記だ。何冊もあるが、最後の一冊だ」
それを読ませていただけるということだろうか?
「それをなぜこちらに?」
「これをソフィアに渡してもらえないだろうか」
「私がですか?」
「兄上は、日記に王子としての心構えや、王位に即いたらどのような国にしたいかを書いていたんだが…」
「それなら、殿下がお持ちになった方がよろしいのではないのですか?」
「それは、これより以前の日記帳に書かれている内容で十分だ。これの途中からは、ほとんどソフィアのことばかり書かれているんだ」
殿下は柔らかく笑って続けた。
「これより三年前に王子が生まれて以降、もちろん王子のことも書かれているんだが、跡を継ぐ者をどう育てるかということが中心なんだ。でも、王女のことは、どれだけ愛らしいかということばかり書かれていて。だから、これはソフィアが持っているべきだと思うんだ」
「では、殿下からお渡しになった方が……」
「いや、これを読んだら、きっと彼女は誰かに甘えたくなるだろう。その時に側にいるのは、私ではなく、リュウに任せたい」
「そう仰るのでしたら、お預かりします」
僕はその日記帳を受け取ろうとした。その前にと、殿下は日記帳を裏返して僕に見せた。
「リュウ、ここを見てほしい」
裏表紙を開くと、角が剥がれていた。殿下がそこをそっと捲ると、流れるような美しい字で詩のようなものが書かれていた。
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私の大切な小さな花を
貴方も見つけることができたなら
美しく咲き続けるように
守ってあげてくれないか
私の大切な小さな花を
たとえ見つけられないとしても
それはきっとどこかで
美しく咲いているだろうから
国中が温かい光で包まれるよう
導いてくれないか
私の大切な小さな花がどうか幸せであるように
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「兄上が亡くなる直前に書かれたと思う。ソフィアを王都から逃したのは母親であるクリスティーナ様であることは、ローダン侯爵に確認した。その頃は、流行病で、お互いに会うこともできなかったが、兄上もソフィアを密かに逃したことをわかっていたのだろう」
「大切な娘のことを、殿下に託したかったんですね」
「そうかもしれないけど、でも綺麗に糊付けされていて……、これをソフィアに渡そうと思って、王都を発つ前に見返した時に気づいたくらいなんだ。なんとなく違和感があって捲ってみたけど、見つけてもらいたい感じは伝わってこなかった。ただ想いを書き出したいだけだったのかと…」
「でも、読んでしまうと、その花を守りたくなりますね」
「兄上の願いを叶えられるのなら、私も嬉しいな…」
殿下は遠い記憶のダニエル殿下のことを思い出しているような眼差しでその文字を見つめた後、そっと裏表紙を閉じて、それを僕に手渡した。
「リュウ、頼んだ」
「はい、命に替えてもお守りします」
「私はこの国が温かな光に包まれるよう力を尽くそう」
「殿下、それは三年では難しいですよ」
僕は、エメも言ったように、アレン殿下が王位を継がれるのがこの国のために最善の選択だと思って言ったのだが……
「ソフィアが王位を継ぐと決心したとしても、その補佐をしながら達成できる目標だ。そうなったら、リュウ、君は王配だな」
「えっ……、あっ…、ああ……そうです、ね……」
エメが王位を望むとは思えないが、殿下の言葉に、可能性がないわけではないと気づいた。王配――女王の配偶者という言葉に冷や汗が出てきた。
焦る僕を見て、殿下は楽しそうに笑った。




