五十話 帝都入城
クローヴェル様にお願いされた私は帝都に飛んだ。
公爵邸に入りグレイド様と打ち合わせをする。クローヴェル様が上洛を決意したという話に、グレイド様は緊張感を全身に漲らせて頷いた。
「・・・・・・遂にですか。そろそろであろうとは思っておりましたが・・・・・・」
帝都の社交界でも、クローヴェル様がいつ帝都に攻め上ってくるのかと心配している貴族は多かったのだという。
グレイド様は、クローヴェル様は寛容な方なので帝都を攻撃するような事はなさらない。ただし、逆らう者にはイリューテシア王妃が容赦しないだろう。と社交界で触れ回っておいたそうだ。・・・・・・なんですかそれは。
「クローヴェルが警戒されるより、結構な悪名の轟く王妃様が悪者になった方が良いかと思いまして」
随分話が違うじゃないの。カイマーン陛下のお話では私は聖女扱いされているという話だったのに。
「聖女という噂もありますが、貴族の間では悪名の方が大きいですね。何しろ異民族を引き連れて山賊まがいの事をしでかしたでしょう? クセイノン王国で。あれでエルミージュ陛下が随分と怒って、聖女どころか悪魔のような女だと言いふらしておりました」
帝都の貴族は交易の関係からクセイノン王国と関係が深く、エルミージュ陛下は帝都の社交界で大きな存在感があるらしい。そのエルミージュ陛下が私の悪口を言いふらしたせいで、社交界では私の評判は下がる一方だったようだ。
もっとも、流石にこの期に及んではエルミージュ陛下も既に帝都から本国へお帰りになっており、北部の王族も帝都を出ていて、代わりに南部の王族が社交界を牛耳るようになっているらしい。特にスランテル王国のハナバル陛下がエルミージュ陛下に代わって大きな存在感を出し始めているそうだ。
「スランテル王国は東からの交易の玄関口として帝都の商人や貴族に大きな影響力を持ち始めています」
ロンバルラン王国でフェメーラが始めた交易拠点造りはまだ途上だ。現状では東からの隊商はほとんどがスランテル王国から帝国に入っている。帝都の商人としてはおろそかに扱えない存在になっている事だろう。
そういう話は伯父様は私にあまりしないのよね。なかなかタヌキよね。ハナバル陛下。南部同盟が出来て一番利益を得ているのはあの方だろう。
それは兎も角、私は皇帝陛下に面会の申し入れを行った。平和理に帝都を明け渡してもらうには、どうしても皇帝陛下を説き伏せねばならない。
ただ、今回の交渉の目的は「クローヴェル様が上洛したら、陛下は退位してクローヴェル様に帝位と帝都をまるっと引き渡してね」という、ちょっと前までなら私の正気を疑われるような提案をする事だ。
現在の情勢を考えればけして過大な要求では無いとはいえ、相手は何しろ皇帝陛下だ。現状では権威的には確実に私の上にいる人物だ。しかも帝都の主人である。
場合によっては私を逮捕して処罰する権力が皇帝陛下にはあるのだ。現実問題として、そんな事をしたらクローヴェル様が黙っていない(そんな事をしたら帝都を灰にしかねないわよね。うちの旦那様)ので出来ないというだけで。
交渉のやり方を間違えると、皇帝陛下は態度を硬化させ、帝都に立て籠もって戦うと言い出すかもしれない。そんな事をしても誰も得をしないし、南部同盟軍には勝てる訳が無いのだが、王侯貴族にとってはプライドは時に何よりも大事なものだ。
皇帝陛下を帝都を枕に討ち死にさせるような真似をすれば、流石にクローヴェル様や私の評判に響くし、帝都の諸侯は私たちに従わなくなるだろうし、北部連合は南部を強く非難するだろう。南部の国王や諸侯も私たちに良い感情は抱かないだろうね。そもそも帝都を焼いてしまったら皇帝になる私たちが入る都が無くなってしまう。
この先の事を考えれば、皇帝陛下の説得は最終的な勝利の為の絶対条件だ。私はグレイド様とも入念に打ち合わせて皇帝陛下との面会に備えた。
面会の許可はすぐに降りた。昼食会への招待という形でだ。招待されたのは私とグレイド様とグレイド様の奥様であるフレランス様。門を潜った記録も無い筈の私が帝都にいる事は問題視されなかったようだ。まぁ、私の神出鬼没は今や有名だからね。
私たちは護衛二十名と侍女五人を引き連れて帝宮に入った。随分と大人数だが、身の安全の確保の為にはこれでも少ないくらいだとグレイド様は言って、皇帝陛下に許可をもらっていた。もちろん、私の金色の力は十分に溜まった状態だ。その他にも色々準備はしていったわよ。
この日の昼食会は帝宮のサロンの一つで行われた。出席者はこちらの三名の他は皇帝陛下と皇妃様のお二人だけ。席に余りもない。私はちょっとホッとした。またフェルセルム様も招かれていて、皇帝陛下に和解を促されたらどうしようかと思ったのだ。あの男と今更話し合う気など私には無い。
皇帝陛下は室内でお待ちで、私達は部屋に通されるとお互いに和やかに挨拶を交わした。皇帝陛下も皇妃であるローランツェ様も雰囲気は柔らかく、敵意は感じさせない。しかしだからと言って油断は出来ない。
今回はイブリア王国側は食器は持参し、料理の取り分けはこちらの侍従に行わせ、更に侍女による毒味を経て、私たちの前に配膳されるという手順を踏んだ。
皇帝陛下主催の昼食会で毒味まですることは失礼な事であるので、私はそこまでする気は無かったのだが、それを言ったらグレイド様に怒られた。
「王妃様は皇帝陛下に喧嘩を売りに行くのですよ? 私は帝宮に入るなり天井が落ちてきても驚きません」
皇帝陛下はそんな事をしないと思うけどね。私だけ殺しても意味はないもの。しかしながら、グレイド様の懸念ももっともだと思ったので、仕方無く毒味は許容した。毒味を挟むと料理が冷めるから嫌なんだけどね。
事前に通達していたからではあるけど、皇帝陛下は毒味に対して何も言わなかった。王族なら当然の警戒ではあるからだろう。私が呑気で無警戒過ぎるのだ。
そんなわけで、若干雰囲気は物々しいながら、和やかに昼食会は進んだ。いきなり交渉をしたりはせず、世話話を話しているだけだからかも知れないけどね。
皇帝陛下はふっとこちらが気を抜いた瞬間に重大発言を放り込んで来るのがお得意だ。なので今回は私は先手を取る事にした。デザートが運ばれてきて、毒味が終わり、半分くらい全員がタルトを食べ終わったくらいのタイミングで、私は口を開いた。
「そうそう。陛下。今度私の夫であるクローヴェル様が帝都に入られます」
その瞬間、室内の空気がピリッと引き締まった。私は何でもないような微笑みを浮かべつつ、皇帝陛下の反応を見つめる。皇帝陛下の鉄壁の微笑みには何の反応も浮かばない。さすがよね。
「その時はこの帝宮に入らせていただこうと思いますわ」
かなり直球の発言だが、これを知らぬ顔をして違う意味に受け取ることも出来る。帝宮に入るを「ご招待いただこうと思っている」と受け取ることも出来るのだ。しかし、この皇帝陛下が真意を受け取り損ねるという事は無いだろう。あくまで違う意味に受け取る事も出来るというのが大事なのだ。皇帝陛下が怒った時に言い逃れするために。
しかし皇帝陛下はほんの少し目を細めて問い返す。
「それは私に帝宮を明け渡せという意味かな?」
むぅ。言い逃れの道を塞がれてしまった。そして皇帝陛下はどうやら、私がなぜこの時に皇帝陛下との面会を望んだのか、とっくにご承知のようだ。
「その仰り方はちょっと穏便ではありませんね。お譲りいただけないかな、という事でございますよ」
「私に即座に退位して、皇帝の座をクローヴェル陛下に譲り渡せと?」
「即座にとは申しません。皇帝陛下のご納得が頂ける時にお譲り頂ければ」
帝宮を立ち退いてなお皇帝を名乗るなどこの方の矜持が許すまいから、結局は同じことである。しかし、白々しい事は承知で、回りくどく言質を取らせないように交渉するのは王侯貴族の会話の基本だ。
しかし、皇帝陛下は更に言った。
「もしも私が断れば、イブリア王国と南部同盟の軍勢が攻め寄せて帝都を失陥させ、実力で帝位を奪うのであろう?」
「そんな事にはなりません。皇帝陛下は賢明なお方。必ず最善の判断をしてくださると信じておりますわ」
……しばし、沈黙が満ちた。デザートを食べ終えて、全員がお茶を飲む。そしてホッと一息吐いた皇帝陛下得意のそのタイミングで、陛下は仰った。
「よかろう」
流石の私も目を瞬いた。一瞬、理解が追い付かなかったからだ。
「帝位を譲り、私は帝宮を立ち退こう」
まさか皇帝陛下がこんなにあっさり退位を認めるとは思わなかった。私はちょっと呆然としてしまって反応が遅れる。その隙に皇帝陛下は笑みを深めて口を開いた。
「だが、条件がある」
しまった。私は内心舌打ちをした。退位と引き換えにする条件など提示させるべきではない。どんな巨大な要求、受け入れ難い要求が出て来るか分かったものではないではないか。しかし、受け入れないわけにはいかない。皇帝陛下は既に退位という最大限の譲歩を見せてくださっているのだ。私は渋々言う。
「伺いましょう」
「北部との和解だ。南部でもって強引に攻め入ってクセイノン王国とクーラルガ王国を滅ぼすような真似をせぬように。そして和解して再び帝国を一つにするように。そのための仲介なら私がいくらでもしよう。それが私の退位の条件だ」
この方は本当に帝国の将来を案じ、帝国の平和と統一を最優先に考える、素晴らしい皇帝陛下だ。私は感服した。自分の地位や権力よりも帝国の安定を最優先にする。そんな事、なかなか出来る事ではない。
「私は皇帝を退位すると共に、クーラルガ王国国王の地位をフェルセルムに譲る。だから交渉と和解はフェルセルムとするように」
皇帝陛下は仰り、私はちょっと嫌そうな顔になってしまう。あの天敵との和解など出来るわけがない。私は正直、クセイノン王国やクーラルガ王国との和解は受け入れられても、フェルセルム様だけは理由を付けて排除するつもりだったのだ。しかし、竜首の王国の国王になられてしまっては、簡単に排除など出来ない。もちろんそれが狙いなんだろうけど。
「分かりましたお約束をいたします」
私はそう言うしかなかった。
こうして、物凄くあっさりと皇帝陛下の退位が決まってしまった。拍子抜けだ。もっとも、皇帝陛下は深謀遠慮の方だ。あっさり退位した後に何を企んでいるのか分かったものではない。私はそう考えていたのだが、皇帝陛下は退位を決めたことでどこか安心したようにこう仰った。
「貴女とクローヴェル陛下の成し遂げた事を考えれば、私が帝位にしがみついても帝国の変革を妨げるだけだ、と思ったのだ」
「私たちの成し遂げた事、ですか?」
皇帝陛下は私を見ながら嬉しそう笑った。
「長年の敵であった遊牧民を手懐け、東の小国群と同盟を結び、遂には積年の敵国であったガルダリン皇国とも友好条約を結んだと聞いている。どれも、長年私が望んで遂に出来なかった事だ」
皇帝陛下は平和を愛する方だ。おそらくは諸外国との平和な関係を常に模索されていたのだろう。しかし、なかなか思うようには行かなかったのではないか。まぁ、私みたいに単身であっちこっちに飛び回って無茶をするなんて事は皇帝陛下には無理だったのだろうから、仕方ないと思うけどね。
「貴女たちは私の想像を常に大きく超えてきた。今や数年前には想像も出来なかった事を成し遂げてしまっている。そのお二人に帝国を託したら、一体どのような事になるのか。私は見てみたくなったのだ」
ぞくっとした。つまり、皇帝陛下は私に脅されたからやむなく退位を決めたわけでは無いと仰るのだ。私たちに期待しているから。私たちが皇帝位を継ぐに相応しいと認めたから、私たちに皇帝位を譲ろうと考えたのだ。
背中に何か大きなものが伸し掛かるような気分がした。長年、帝国を背負って懸命に統治してこられた皇帝陛下から、今この瞬間に私は帝国を託されたのだ。
私はじっと皇帝陛下の目を見つめた。臆するわけにはいかない。動揺するわけにはいかない。私たちは望んで皇帝に、絶対的な皇帝になるのだ。
「陛下のご期待に必ず応えて見せます。私もクローヴェル様も。大女神アイバーリンと七つ首の竜に誓って」
皇帝陛下から退位と帝宮の立ち退きの約束を得た私は、すぐにクローヴェル様の帝宮入城の手配を進めた。とはいっても、いきなり全面的に何もかも変えるわけにはいくまい。とりあえず帝宮の中にある離宮の一つを整えて、クローヴェル様が入城したらそこに入っていただく事にした。皇帝陛下の退位の儀式、クローヴェル様の即位の儀式(とりあえず簡易なものをやって、内戦が完全に片付いたら正式な即位式をやることにする)をして、皇帝陛下が帝宮から退去したら本宮を整えて移る事にした。
皇帝陛下の退位の意向はすぐにそれとなく社交界に流された。これには誰もが驚いたようだ。
ただ、クローヴェル様が軍を率いて上洛する事は既に伝わっていて、帝都を攻囲するのでは無いかとも恐れられていたので、その懸念が払拭された事には歓迎の声が上がっていた。私はクローヴェル様の受け入れ準備を進めると共に、社交に積極的に出て、王侯貴族の不安を鎮める事に努めた。
何しろ皇帝陛下御自身が円満な譲位であると発言し、直属の諸侯にもその旨を周知して下さっている。そのため、官僚貴族たちはとりあえず、クローヴェル様と私に忠誠を誓ってくれるようだった。前回帝都に来た時に悩まされた大商人の塩対応だが、やはりフェメーラがロンバルラン王国に交易拠点を造る動きが好影響を与えているようで、前回よりはずっと愛想良く対応してくれるようになっていた。さすがは商人。現金なものだ。
もっとも、全ての者が皇帝陛下の退位に納得しているわけではなかった。当然だろうね。クーラルガ王国とクセイノン王国の王族は不満そうだった。特にクーラルガ王国の者たちは、既に南部によって北部が劣勢に追いやられていたところに、自国の国王である皇帝陛下が帝位を追われるという事で、私に対して非常に隔意ある態度を示してきた。もうずいぶん長いこと仲が良かった皇帝陛下の娘であるメリーアン様でさえ、凄い目で私を睨んできたほどだ。
「何の落ち度もない皇帝陛下を退位させて、自分が皇帝の座を欲するなんて。クローヴェル様はずいぶんと強欲でいらっしゃるのですね」
メリーアン様は伯爵家に嫁いでいるにも関わらず、皇帝陛下の娘であるという方を強く強調して、社交界に居座っている方だ。父親が皇帝の座を追われるというのは大問題なのだろう。私は微笑んで彼女の不満を解きほぐそうと試みる。
「皇帝陛下はクローヴェル様の資質を高く評価なさって、ご自分から譲位をしようと仰って下さったのです」
私が言うとメリーアン様は目を丸くした。嘘ではない。促しはしたが、ご自分から決断して下さったのは本当だ。
「まさかそんな事が……」
「ですから、クローヴェル様は今後も皇帝陛下を先帝陛下として尊重なさいます。離宮の一つに住んで頂き、今後もクローヴェル様と私をお助け頂こうと思っておりますの」
現在のアルハイン公爵のような立場で助言なり諸侯の意見調整なりをしていただこうと考えているのだ。皇帝陛下もご承知下さった。
それを聞いてメリーアン様の表情がみるみる晴れた。父親が帝宮を追われるのではなく、離宮で先帝として尊重され続けるのなら、自分も先帝の娘として敬われると考えたのだろう。いや、本当は貴女はもう伯爵夫人で皇族じゃないんですからね。
こういう風に各方面の不満不安を和らげるように話をする、同時に裏ではクローヴェル様の入城と帝位の引継ぎに向けての根回しもしなければならない。帝都城壁の守備や皇帝直轄領の防衛は、現在は皇帝陛下から委託された諸侯が行っているのだが、この責任者をグレイド様に変更する。グレイド様は今後、クローヴェル様の下で帝都と皇帝直轄領内における軍事の責任者になってもらうことにした。
これまでは皇帝直轄領はガルダリン皇国との国境の防衛と帝都の防衛の他には常設の強い軍事力を持たなかったのだが、これを改めて、皇帝直属の強力な軍隊を保有する事にしたのだ。その責任者がグレイド様になるという事だ。グレイド様は驚いて「それはホーラムル兄の仕事ではないですか?」と言った。
ホーラムル様にはもっと大きな「帝国軍」の総指揮官になってもらう予定だ。これは、帝国全体の各王国の保有する軍事力の統括者で、有事には各王国から軍を引き抜いて統括出来る地位だ。
本来はこれは皇帝が兼ねるべき強力な地位だが、クローヴェル様には無理なので、とりあえずクローヴェル様の代にはホーラムル様にお任せする事にした。このため、ホーラムル様とグレイド様は、クローヴェル様が皇帝の地位に登り次第、皇帝直轄地から名目上領地を分け与えて公爵に叙するつもりだ。
私がそう言うと、グレイド様は喜ぶより大変迷惑そうなお顔をなさった。何よ。出世するんだからもっと喜んでも良いのよ?
「どう考えてもこれまでよりも王妃様にこき使われる未来しか見えないのですが?」
「そうでしょうね。そのつもりですからね」
今さら何を言っているのか。
そういう風に、クローヴェル様入城の手配を着々と進めていたある日、一通の招待状が届いた。皇妃様からのお茶会への招待だった。
皇妃ローランツェ様。いつも穏やかに笑っていらっしゃる方で、私はいつも良くして頂いている。金髪に緑の瞳の穏やかな美人だ。しかしながら、皇妃様から直にお茶会のご招待を頂いた事は今まであったかしらね? 他の方の主催した社交に招かれて行ったら皇妃様がいた事はあったと思うけど。
皇帝陛下、皇妃様主催の社交に主賓として招かれるというのは大変名誉な事だ。この際に、招待される人数が少ない社交であればあるほど格が高い。私が初めて帝都に来た時に皇帝陛下主催の小規模な夜会に主賓として招かれた事があったわね。あの時は非常に緊張したものだ。
今回のお茶会は、主賓は私でメリーアン様と他三名が招かれていた。メリーアン様以外は南部の女性王族だ。私への配慮と、メリーアン様に南部の王族との繋がりを作るつもりなのかも知れないわね。
いずれにしても断る理由もない。私はご招待に応じる旨返事を書いて、三日後に帝宮に向かった。もちろん、帝都内での移動は二百名の護衛に護られ、帝宮の中にも二十名の護衛を入れている。厳戒態勢だ。
しかしながら、庭園に設けられた席に着けばそこは王族の社交場。優雅に和やかに。お作法に気を付けながら微笑みを絶やさずに。話題も、あえて皇帝陛下の退位の話は避け、帝都での流行やゴシップなどで楽しくお話をする。
ただ、このお茶会の主催である皇妃様は、何らかの意図があってこのお茶会を開催したのだと思われた。その思惑は探らなければならない。私は優雅に微笑みながらもその辺りを探っていた。
しかし、皇妃様は穏やかに笑いながらとりとめもない話をするだけだった。何でしょうね、この忙しいのに、単に無駄話をするだけの為に私を呼ぶ事は無いと思うんだけど。
そして、何杯目かのお茶が出された。こういう時のお茶会は、自分の好きなお茶を指定して出させる場合もあるが、主催者がおすすめのお茶を出してくれる事もある。私は特にお茶の銘柄に拘りは無かったので、皇妃様が出してくださるお茶を飲んでいた。
もちろん、最初にお茶は毒見されているし、同じポットで注がれたお茶を皇妃様も他の招待客も飲んでいる。なので私は特に警戒も無くお茶に口を付けた。
……途端に、ぐらっと視界が揺らいだ。
う! 私は慌ててカップをソーサーに戻すが、それは単なる眩暈では無かった。地面が消失したかのような不安定感。そして急速に視界が暗くなる。これは……。
たまらずテーブルのカップやお皿を弾き飛ばしながら突っ伏した私を見て、メリーアン様が悲鳴を上げる。
「イリューテシア様!」
「王妃様!」
他の招待客も一斉に悲鳴を上げて立ち上がるが、私の正面に座る皇妃様だけは微笑みながら座っているだけだ。私は脂汗を浮かべながら彼女を睨む。
「……毒ですか」
私の声に彼女は頷く。
「コレセメキノコの毒です。大丈夫。大して苦しむ事も無く、全身が痺れて動けなくなり、すぐ死にます」
コレセメキノコね。私は目線で侍女に合図を送り、再び皇妃様を睨んだ。
「全員、同じポットからお茶を飲んでいた筈……。どうやって……」
「コレセメキノコの毒は、重くてお茶に混ぜると下の方に沈殿します。ポットの最後のお茶を飲んだ者に毒が当たる仕組みです」
なるほど。その辺はうまいこと私に当たるように調整したんでしょうね。同じポットからは自分も娘であるメリーアン様もお茶を入れていた筈。かなり危ない策だわね。しかしそうでもしなければ、警戒していた私に毒を飲ませられないと考えたのだろう。
「お、お母様! どうしてこのような事を!」
メリーアン様が叫ぶと、皇妃様はキッとメリーアン様を睨んだ。
「お黙りなさい! 兄を裏切ってこのような者に靡く者に、お母様などと呼ばれたくありません!」
……なるほど。その辺が動機という訳ね。私は二人が睨み合っている隙に、侍女から丸薬を受け取り、口に含む。そして、テーブルに突っ伏して目だけを皇妃様に向けた姿勢のまま言った。
「フェルセルム様、ですか?」
皇妃様は私を睨んだ。この方が感情を露にした表情は初めて見たわね。
「そうです。我が息子、フェルセルムこそが次の皇帝です。その道を塞ぐ、其方たちは邪魔です」
「私が死んでも、クローヴェル様は入城して皇帝になります。無駄ですよ」
私が言うと、皇妃様は優雅に鼻でお笑いになった。
「金色の竜の力を持たぬアルハインの公子に何が出来ましょうか。其方がいなければフェルセルムはすぐさま南部を撃ち破るでしょう。フェルセルムこそが次の皇帝に相応しいのです」
そんな簡単な話では無いと思うけどね。まぁ、気持ちは分からないではない。私だって、クローヴェル様を皇帝にしたら次の皇帝はレイニウスになってもらいたい。それが母親の情というものだ。ましてフェルセルム様は金色の力の持ち主で、能力も優秀。十分に皇帝になる資格がある。ほんの数年前までは誰もが彼こそが次の皇帝だと信じていたのだ。
それがどこの馬の骨とも分からなかったイブリア王国なんて田舎から出てきた私たちが、フェルセルム様を放逐して皇帝の座を手に入れようとしているのだ。それは納得がいかない者がいる事だろう。特にいくら夫である皇帝陛下が決めた事でも、我が子であるフェルセルム様でなくクローヴェル様を皇帝にするなんて許せない、と皇妃様が思っても不思議はない。
その結果、実力行使に及んだものと思われる。なるほど。それなら皇帝陛下がこの計画に噛んでいるという事は無さそうね。私は安心した。怖いのは実権がほぼ無い皇妃様ではなく、権力も実力も経験もある皇帝陛下の方だ。皇帝陛下の計画でないのなら恐れる事は無い。
私は手を動かしてみる。うん。大丈夫そうね。
私はひょいと身体を起こした。それを見て、皇妃様が驚愕する。緑の目をまん丸くしてしまっている。
「な、なぜ動けるのですか! コレセメキノコは猛毒。飲めばすぐに死ぬ筈なのに!」
私は流石に浮かんでしまった脂汗こそ隠せなかったが、余裕の表情を浮かべて笑った。
「何を驚く事がありますか。私は紫髪の魔女ですよ? 毒なんて効きません」
私がそう言うと。皇妃様は勿論、メリーアン様やその他の夫人、侍女や護衛の兵士に至るまでが青くなって震え出した。効果は抜群だ。
……嘘に決まっているじゃないの。危ないところだった。
毒に対する警戒はしていた。特に皇妃様、というか皇帝陛下は重大な警戒対象だ。帝宮は気分的にはまだ敵地である。うかうかと立ち入る事は出来ない。クローヴェル様入城に向けて、グレイド様がイブリア王国の兵士をどんどん入れて調べてくれているから物理的な危険は減っていると思うけど(本当に吊り天井の仕掛けがあったというから恐ろしい)後怖いのは毒殺だ。
そのため、私は調べられる限りの毒の解毒薬を用意して侍女に持たせていた。そして、お茶会でもお菓子は食べるふりして手の中に隠して侍女に渡し、お茶は口を付けるだけでほとんどハンカチにしみ込ませ、これも侍女に渡して隠させていた。まぁ、毒見もしているし、同じポットから皇妃様も飲んでいたのだもの。警戒し過ぎかと思っていたのだが。
まさかコレセメキノコにそんな特性があろうとは。流石は権謀術数渦巻く帝都。毒殺だの暗殺だのの技術は田舎育ちの私には想像も出来ないレベルにあるようだ。私もちゃんと勉強しておかなきゃね。身を護るためにも。
幸い、皇妃様が毒の名前を簡単に教えてくれたから良いようなものの、毒の名前が分からなかったら解毒薬が間に合わない可能性もあった。舐めただけだから致死量では無かった筈だけどね。
とにかく、毒殺の危険は回避した。私は優雅に微笑みながら皇妃様に言った。
「次の皇帝はクローヴェル様です。フェルセルム様ではなくね」
皇妃様は反射的にだろう、私を睨むと叫んだ。
「違います! フェルセルムこそ皇帝に相応しいのです!」
「皇妃様。皇帝に相応しいとは何を以てそう言われるのでしょうね?」
私の言葉に、皇妃様は戸惑ったようだ。
「何をって……。フェルセルムには金色の竜の力があります!」
「貴女の夫である皇帝陛下は金色の力をお持ちでないでしょう? 皇帝に相応しくないのでしょうか? 私はそうは思いませんけど」
皇妃様が沈黙する。私はゆっくりと彼女に言い聞かせた。
「これからの帝国の皇帝は七つの王国、多くの諸侯。さらには色々な民族をも包括して統治する地位です。金色の力で押さえ付けて統治するだけのやり方ではもはや務まらない地位です。フェルセルム様のように、人を恐怖の力で押さえつけるような方は皇帝に相応しくないと、思います」
「……クローヴェル様はそうでは無いと、仰るのですか?」
私は心から誇らしく思いながら答えた。
「そうです。クローヴェル様は人を褒め、認め、信じる事が出来る方です。人を受け入れ、人に慕われる方です。あのような方こそこれからの皇帝に相応しいでしょう。力の部分はこの私が引き受けます」
皇妃様は少し呆れたような顔をなさったわね。私の言葉をのろけ話だと思ったのだろう。
騒ぎが伝わったのか、私の護衛兵が駆け付けて来た。同時に皇妃様の護衛も駆け付けて来て睨み合いになったが、皇帝陛下が慌ててやってきて下さり、皇妃様を叱りつけ、兵たちに彼女を幽閉するように命じた。皇妃様は取り乱すことも抵抗する事も無く、堂々と連れられて行ったわね。
「イリューテシア様。すまぬ。まさか妻がこのような事をしでかそうとは……」
皇帝陛下は頭を下げて謝罪した。私は皇妃様を厳重に幽閉するように要請する。ただ激しい気性で知られる私なら、暗殺され掛かったのだからもっと怒り、それこそ皇妃様の処刑を求めて来ると思っていたのだろう皇帝陛下は、拍子抜けした顔をしていたわね。
何となく、私は皇妃様を強く処罰する気になれなかったのだ。私は彼女から色んなものを奪おうとしている。地位も名誉も。本人だけでなく夫や息子のものまでだ。
自分だけなら我慢出来るが、愛する夫や息子のものまで奪われるのは許せない、という気分は、同じく妻であり母である私にも十分理解出来るものだった。つまりは私は皇妃様に同情してしまったのだ。暗殺され掛かったというのに。私も大概甘いわよね。
暗殺未遂事件のおかげで、帝宮を厳重に改めなければいけないと強く主張出来て、皇帝陛下の許可の元イブリア王国軍をどんどん帝都に入れる事が出来た。怪我の功名だ。おかげでクローヴェル様入城の準備は予定よりも早く進んだ。
そして、私が帝都に来た二か月後。イブリア王国軍を始めとする南部同盟軍三万七千は帝都に入城した。
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