四十六話 商人の協力者
コルマドール陛下との会談の後、私はしばらく帝都に滞在した。
クローヴェル様が皇帝になれる可能性がかなり高くなった以上、帝都周りの皇帝陛下に直接仕える諸侯と交流し、忠誠を確約してもらう必要があったからだ。
以前にも彼らとは会って、ある程度の話はしていたが、そろそろ本格的に現皇帝陛下からの引き継ぎと、政治の変革についての事を相談する必要があった。私は公爵屋敷に諸侯を招いて歓待し、会談を行った。
ところが、諸侯はいまいち良い反応を寄越さなかった。以前は「クローヴェル様が皇帝になるならお仕えいたしますよ」という無関心とも取れる態度だったのだが、今回話した諸侯はクローヴェル様の皇帝即位に難色を示す気配すらあったのである。
むむ? どういう事なのかしら。帝都近郊の諸侯は、皇帝直轄地から領地を分け与えられた者達で、王国ではなく皇帝の麾下にあると言える。なので、皇帝が代わっても引き続き新たな皇帝に仕える事を旨としているはずだ。
現皇帝陛下はクーラルガ王国の国王だが、その前はクセイノン王国の国王陛下だった、皇帝陛下を輩出した国が変わっても、帝都の諸侯は引き続き皇帝陛下に仕え、政治や行政に関わる官僚になる。
彼らの主君は皇帝という地位であると言える。なのでどの国の国王が皇帝になろうと関係無いのであり、つまりクローヴェル様が皇帝になることを忌避する理由もないはずなのだ。
これはおかしいわね。何かある。
それと、私はこの滞在中に帝都の交易商人達とも面会した。皇帝は帝都の主人である。そしてこの全世界最大の交易の中継拠点こそが帝都なのだ。であれば、帝都の主人たる皇帝が交易に無知であるなど許されない。
私は正直、東西交易にはあまり興味も無くてよく知らなかった。なので、交易商と交流して、少しでも帝都の交易の事情を知ろうと試みた、のだったが。
帝都の交易商人。特に大規模な交易商人達は私の招きを断って来たのだった。私は流石に驚いたわよね。だって、私はもう事実上の次期皇妃だよ? 帝都の大商人の勢威は貴族をも凌ぐと言ったって、いくら何でも王国の王妃の、しかも今や帝国の過半を制する南部同盟筆頭のイブリア王国の王妃の招きを断れる程だとは思えない。
仕方なく私は中規模程度の交易商人を招いて話を聞いてみた。彼らも私に対しては非常によそよそしい態度であり、帝都の交易について教えてほしいと言えるような雰囲気ではない。私はちょっと困ってしまった。
クローヴェル様が皇帝になっても、交易商人の態度がこのままだと困る。王族にとっては庶民なぞ生殺与奪を自由に出来ると言ったって、商人を片っ端から殺してしまっては帝都の経済が大変な事になってしまうだろう。
私は困ってしまったわけだが、そんな時、ある商人に出会ったのだった。
その日も数人の交易商人を招いて夜会を開いたのだが、商人達の態度は素っ気なく、表面上の対応に終始していた。理由が分からず困惑している私のところに、一人の着飾った女性が近付いて来たのだ。
「アルクス商会のフェメーラと申します」
フェメーラ・アルクス。帝都の中規模交易商人だった。奥様ではなく商会長なのだそうだ。女性商会長は流石に珍しい。
えんじ色で金糸で刺繍された派手なドレスを身に纏っており、髪の色も赤毛。目の色も薄茶色で随分と派手な容姿だった。歳の頃は二十五歳の私と同じくらいだろうか。
フェメーラは私に跪いて挨拶をすると、世話話を始めた。内容は当たりさわりもないもので、態度も冷淡。つまり、他の商人と変わらない。同性の彼女なら少しは親密になれるかと思ったのに・・・。
内心落胆しながら微笑んでいた私をフェメーラはやはり微笑んで見ていたが、ふと、手に持っていたハンカチを取り落とした。ピンク色のハンカチが床に落ちる。
「あら、失礼を」
フェメーラはしゃがんで、自らハンカチを拾うと、すっと起き上がった。その時、私の側に一歩踏み込んで寄って来た。
私の顔のすぐ側に口を寄せると、フェメーラは小さな声で、しかし鋭く呟いた。
「明日再訪します」
驚いたが、私はどうにか反応を抑えることが出来た。
「ではご機嫌よう」
フェメーラはそう言って立ち去っていったが、立ち去り側に流し目で私を見遣ったその目は笑っていなかった。
翌日、私は再訪するという言葉を信じてフェメーラを待っていた。一体どういう事なのだろうと訝りながらだが。
しかし、来ると言ったって、商会の長とはいえ庶民のフェメーラが公爵邸に立ち入るのは大変な事だ。昨日は私が招いたから入る事が出来たのだが、アポ無しでは入れない。そして、忙しい私やグレイド様と面会するには、面会予約を入れての順番待ちを潜り抜ける必要がある。
その日も私は朝から各国の王族や諸侯との面会予約が一日中入っていたし、夜は夜会に出なければならない。そういう王侯貴族の予約を飛び越して庶民が面会予約を入れる事は出来ないだろう。私は彼女を待ってはいたが、何の便宜も計らなかったし。
フェメーラが私と面会するには、何らかの手練手管を使う必要があるだろう。どうやってやってくるのやら。私はちょっと楽しみにしていた。あの女性にはそれくらいの才覚は期待して良い気がしたのだ。
そして、午前中の面会が終わり、私は一度私室に引き上げた。昼食の時間だ。昼食はダイニングまで移動せずに私室で食べる事が多い。私は席に座り、最初にグラスを手に取り、スッと持ち上げる。すると後ろに控えている侍女がグラスに水を注いでくれる。
この時給仕の侍女を見てはならない。なので私は視線を向けずにグラスに水が満ちるのを待っていた。のだが。
「お約束通り参りました」
という言葉に思わず視線を向けてしまう。
するとそこには赤毛の女性、つまりフェメーラが柔らかな侍女らしい微笑みを見せていたのだった。私は呆れた。
「一体どうやって潜り込んだのですか?」
私の周りに付けられる侍女は、当たり前だが厳選されている。帝都の公爵邸の侍女は確かに王都のポーラ達と違って臨時だが、それだってフレランス様が選んだ優れた侍女の中から更に私が面接して選んだ者ばかりだ。
って、そうやって選び、ちゃんと全員の顔も覚えているのに、なぜかフェメーラが紛れ込んだことに一切気が付かなかった。というか、今現在も侍女達が、どうやらフェメーラが紛れ込んでいる事に気がついていないようだ。侍女服は着ているが、特に顔を変えている様子がないのに。
「私、気配を消して場に溶け込むのが得意なのです。王族の舞踏会に何食わぬ顔で潜り込む事も出来ますわ」
すごい特技ではないか。私は驚き、フェメーラの才覚を認めた。こんな特技持ちを敵に回したら、あっさり暗殺されかねない。これは味方にしておかなければならないだろう。
私は食後のお茶の際、庭園のテーブルでフェメーラだけを側につけた。読書をする時は落ち着きたいので、侍女を一人だけしか付けない事もあるので不思議には思われまい。
私は本に目を落としながら、フェメーラに問う。
「随分手の込んだ面会ですけど、昨日の夜会で話すわけにはいかなかったのですか?」
フェメーラも私の方を見ないで答える。
「王妃様も気が付いていたでしょう。今、帝都の商人は王妃様に愛想良く出来ません。そんな事をすれば、商業ギルドの大商人どもに睨まれて店を潰されてしまいます」
やっぱりそういうことか。私は内心で頷く。帝都の商人達が揃って塩対応なんだもの。それは私だっておかしいと気が付くし、商人達を取りまとめる商業ギルドが何かしたのだろうくらいは想像していた。
「しかし、私は帝都の商人に何もしていませんよ? どうしてそんなに敵視されているのでしょうか?」
私が言うと、フェメーラは軽く溜め息を吐いた。
「そんなわけ無いでしょう。王妃様。貴女のおかげで、私たち商人がどれほど困っているか分かっておられないのですか?」
分かっておられない私は目を瞬くしかない。フェメーラは呆れたような口調で言う。
「王妃様が遊牧民を手懐けたおかげで、交易ルートが変わってしまい、帝都の商人は大打撃を受けているんですよ」
? 確かに交易ルートはトーマの地を通るルートになっているとは聞いたけど、後で調べさせた限りでは、東からの隊商はスランテル王国から入境して、オロックス王国を通り、帝都に入っている筈。帝都の交易商人にはあまり影響が無い話だと思うのだが。
「良いですか? 王妃様。交易商人は隊商が帝国に入り、出るまでの護衛と身分保証も請け負い、隊商から料金をもらっています。同時にそうすることによって隊商の運んできた商品に優先権を主張して、独占する訳です。それが、隊商が入境する場所が変わった事で出来なくなりました」
スランテル王国にツテがない帝都の商人は、スランテル王国に入れない。すると、入境時に隊商と契約して独占することが出来なくなったという訳だ。
同時に、南部同盟では通商許可を出した商人には、同盟内部の自由通行を認めている。つまり、元々ガルダリン皇国との交易に携わってきた、オロックス王国やイブリア王国の商人がスランテル王国に進出して、隊商と契約するようになっているのだそうだ。
つまり、これまでは東からの隊商はクセイノン王国やクーラルガ王国から入った後、帝都に向かい、それからオロックス王国やイブリア王国に向かい、それからガルダリン皇国に向かっていた。
これが今はスランテル王国から入りほとんどは帝都に向かうものの、その優先権はオロックス、イブリア王国の商人にあり、しかもそのままオロックス王国やイブリア王国に向かう隊商が増え始めている、という事らしい。
そのため、これまでは帝都の商人の方が断然立場が強かったものが、今では隊商に優先権を持つ南部の商人の立場の方が強くなっているのだという。
それは帝都の商人が私を目の敵にする訳だわね。私はようやく理解した。フェメーラ曰く。帝都の官僚貴族は大商人と繋がりが深い者が多いから、それで帝都の諸侯も私に塩対応なのだろうという。
帝都の大商人たちはこれまで通りの交易の復活を期待していて、即ちそれはクセイノン、クーラルガ王国ルートの交易であり、必然的に彼らは北部連合の勝利を、つまりフェルセルム様の皇帝即位を願うことになるのだそうだ。
「別に帝都の商人がスランテル王国まで来ても良いのですよ?」
「王妃様。商人には縄張りがあります。それに、長年掛けて帝都の商人は北部に支店を作るなどして投資をしているのです。交易ルートが変わるとこれが完全にふいになってしまいます」
何とも、面倒な話になってきた。ヴェーセルグに交易ルートが変わっている事を聞いた時にはこんなに大きな話になっているとは思わなかったのに。
だが、交易ルートの南下は、完全に東からの隊商の都合だ、今回の話を総合すると、トーマの地が安全になった事で、北部ルートでは東の蛮族、森の民、帝都の商人と三回も中間利益を吸い上げられていたものが、南部ルートではスランテル王国の一回だけで済み、しかも南部を通る際には越境税がいらないという利点を知った隊商が、南部ルートを選択するようになっているのだと思われる。
これを元に戻すにはトーマの民が再び隊商を襲うようになるしかないだろうが、これは出来ない話だ。そもそも、南部としては交易ルートの変更は南部商人にとっては大チャンスであり、南部同盟の盟主であるクローヴェル様が自ら潰すわけには行かない。
だが、クローヴェル様が皇帝として帝都の主人となった時に、帝都の諸侯や大商人に恨まれたままではマズイ。これは困ったね。
「隊商の動きまでは私にもコントロール出来ませんよ? どうしたら良いでしょうか」
私が言うと、フェメーラが目を丸くした。
「どうしましたか?」
「……イリューテシア様は変わった方ですね」
……そんなにしみじみ言われる程かしら。確かにちょっと変わってるとは思うけどね。
「王族はそんな気軽に庶民に意見を求めたりしません。王侯貴族は自分たちの方が何もかも優れていると思っています。ですから、商人の意見など聞きはしませんよ。普通は」
「分からないところは分かる者に聞くのが一番です。それを恥だと思う者の方がおかしいのです」
私が言うとフェメーラは何度も頷いた。
「それでこそ、私が命がけでここに潜り込んだ甲斐があるというもの」
そうね。確かにフェメーラのやっている事はいろんな意味で命がけだ。侍女に化けて私に近づいた事がバレたら、すぐに打ち首だ。それに、商業ギルドに断りもなく私に接触してるとすれば、そちらの方面からの制裁も覚悟しなければならない。
それだけのリスクを負って私に接触してくるのだから、おそらくは現在の私の窮地を救うアイデアを持っていると期待して良いだろう。それは彼女を儲けさせるアイデアでもある筈だが。
フェメーラは一際声を潜めた。
「隊商と南部の商人は、帝都抜きでの交易を目論んでいます」
そうでしょうね。隊商としては、帝都に持ち込んで帝都の商人に利益を抜かれるよりは、帝都を避けてオロックス王国辺りからガルダリン皇国に抜けた方が利益が上がると考えるだろう。南部商人としても、強固で勢力も強い帝都商人の縄張りを避けて、領地関税も無い南部の中だけで商売を完結させた方が旨味がある。
「ですが、そんな事をしたら帝都が衰退します。イリューテシア様は次期皇妃として帝都の将来に責任をお持ちの筈です」
確かにね。クローヴェル様が帝都に入られた時に、そこが衰退した帝都だったら困る。そして、帝都の儲けが少なくなるという事は、その分帝国に落ちるお金が少なくなることを意味する。南部商人は儲かっても、帝国全体としてはマイナスになってしまう。
「ですから、南部商人の目論見を潰し、帝都経由の交易ルートは堅持しなければいけません。そのためにはイリューテシア様のお力が必要です」
それはそうだろうけど、商人に「帝都経由以外の交易を禁止します」と言ったって聞いてくれるとは思えない。何しろ、帝都経由の交易は隊商にも南部商人にも、損は出ても利益にならないのだ。
南部商人としては帝都に入るまでの護衛と身分保障だけやらされて、帝都に入ったら交易品は帝都の商人に全部取られたら利益が出ない。相応の価格で隊商の荷物を買い取ってもらわねばならないが、そんな事をしたら交易品の価格が上がり過ぎて商売にならなくなってしまうだろう。
「難しくはございますが方法はございます」
フェメーラは流石に表情を真剣な物にした。他の侍女は後ろに控えていて表情は見えないから大丈夫だろうけど、侍女ではなく商人の顔になっている。
「ロンバルラン王国に帝都の商人を入れる許可を下さいませ」
ロンバルラン王国? さっきスランテル王国は南部商人の縄張りだから行かれないと行っていたけど……。あ……。
「ロンバルラン王国ならこの間まで北部連合に属しておりましたから、南部商人の縄張りではありません。帝都からも近く、帝都の商人が行き易い土地です」
なるほど。それは分かるけど……。
「でもロンバルラン王国に隊商が来るとは限りませんよ?」
「イブリア王国は森の民も麾下に加えているのですよね」
よく知っているわね。帝都の商人の情報網は侮れなさそうだ。
「森の民もそもそも東西交易に深く関わっています。北部ルートを通る隊商は減ったとは言え絶無ではありませんし、森の民の港を使っての交易もまだ行われている筈です。南部ルートを通って来た商人の中にも、森の民と関わってきた者がいる筈です」
そのような森の民と関わりの深い隊商をトーマの地から森の民の土地経由でロンバルラン王国に入れる。同時に、ロンバルラン王国から森の民の土地の港へのルートを確立すれば、ロンバルラン王国を交易の中継拠点に出来るだろうという。
なるほど。隊商の受け入れ拠点をスランテル王国とロンバルラン王国に二分して、帝都と海へ向かうルートはロンバルラン王国経由で、オロックス王国やイブリア王国を抜けるルートを希望する対象はスランテル王国で受け入れるように分けようというのだ。
「面白い考え方ですが、そう上手くいきますかね? 帝都や森の民を経由しない方が儲けが大きいのでしょう?」
「イリューテシア様。商売はそう簡単ではありません。伝手や信用というのは一朝一夕では出来ません。これまで交易に携わる事が少なかった南部商人よりも、帝都の商人や森の民の方が商品の売り先が多いのです」
だからこそまだ、南部商人が帝都に向かうルートの方が主流なのだ。ロンバルラン王国でこれまで通り帝都の商人が荷受けする事が分かれば、森の民との関係を維持したいと願う隊商もいる筈だから、こちらに向かう隊商も少なくない筈だとの事。なるほど。
「……でも、ならば、森の民の者たちに言って、隊商をクセイノン王国に案内させれば良いのでは?」
その方が手間は少なかろう。これまで通りの手筈が使えるし、さっき言った帝都商人の投資も無駄になるまい。
しかしフェメーラはそこでニヤッと笑った。獰猛な肉食獣のような笑顔だったわね。
「それでは私の儲けになりますまい。ロンバルラン王国に新たに隊商の受け入れ拠点を造る役目を、すべて私にお任せ願いたいのです」
……なるほど。これがフェメーラが無茶苦茶をしてまで私と単独で会談したかった理由か。
つまり、クセイノン王国は既に帝都の大商人の縄張りなのだ。中規模の商会であるフェメーラの商会ではもう付け入る隙が無いのだろう。しかし、ロンバルラン王国に新たに築く交易拠点の権利を私から丸ごと引き受けられれば、それは帝都の大商人を出し抜くことになる。フェメーラの商会は飛躍することが出来るだろう。
なんとも大胆な事を考えたものだ。確かに、ロンバルラン王国に交易拠点を造れば、まだ私と敵対しているクーラルガ王国の利益を完全に奪うことが出来る。森の民の交易復活の願いも叶う事になるだろう。
帝都の大商人にもロンバルラン王国への進出を認め、ロンバルラン王国の交易時の越境関税を廃止すれば、彼らからの支持も少しは上がることが考えられる。帝都の衰亡も防ぐことが出来る。
どこもかしこも良いことしかない。万々歳だ。交易を完全に失うことになるだろう北部は真っ青になるだろうが、それは私の知った事ではないわよね。でも……。
「私はあまり手伝えませんよ? ほとんど何もかも貴女にやってもらうことになります」
「構いません。ご許可さえ頂ければ私の人生と身命を掛けて実現させて見せますとも」
頼もしいが、中規模商会であるフェメーラの商会だけに任せておくのは心もとないわね。一つくらいは手助けしてあげなければ。そうね。ヴェーセルグと顔繋ぎしてあげれば、計画の始動がスムーズになるでしょう。
「フェメーラ。貴女、馬には乗れますか?」
「は? 馬? の、乗れますが。それが何か?」
ふむ。私は頷き、立ち上がって侍女を呼んだ。フェメーラがかなり警戒した顔をしていたが、構わない。
「着替えます。乗馬服に。この者にも服を貸して着替えさせなさい。それと私の馬をこの庭に」
侍女が目を白黒させていたわね。そこで初めてフェメーラが侍女でない事がバレて大騒ぎになり掛けたが、私の客だと言って他言無用を申し付けた。
そして午後からとその先の予定は全部キャンセルするとグレイド様に言付けて、再び庭に出た私はブケファラン神を私の馬に降臨させた。
突然炎に包まれた私の馬を見て、さすがのフェメーラも腰を抜かしていたわね。
「な、なんですか! これは!」
「ブケファラン神です。控えなさい。敬意を持たないと、この炎に焼かれるか、振り落とされますよ」
私が言うと、フェメーラの目が点になった。
「……もしかして、私をこの燃えている馬に乗せようと言うのではありますまいね?」
「貴女、ヴェーセルグに会う伝手が無いでしょう? 森の民の人間は帝国の人間を信用しないから、貴女に任せていたら計画の実現がいつになるか分からないではありませんか」
私は跪いてブケファラン神に、その背中に私以外の人間を乗せる許可を求めた。
ブケファラン神はフェメーラの事を赤く光る眼でジーっと見ていたが、やがて仕方が無いというようにブルルンと唸った。
「ご許可が出たわよ。乗りましょう」
「お、お待ちください! 乗るって、燃えているではありませんか!」
「大丈夫です。ご機嫌を損ねなければ焼かれる事はありません」
「馬の機嫌なんてあてになりませんよ!」
フェメーラは涙目だ。先ほどまでの出来る女商人という雰囲気が霧散している。そうして素が出ると、どうもこの女性はずいぶん若いというか、幼く見えるわね。
それもその筈、実はフェメーラはこの時点で弱冠十八歳だったのだ。父親が二年前に死んでから、背伸びして必死に商会を支えていたのだとか。随分後になって知ったんだけどね。
「さっきの気概はどうしたのですか! いずれにせよ、侍女に正体もバレたし、ブケファラン神の秘密まで見せたのです。ここで逃げても貴女は破滅ですよ。それでも良いのですか?」
フェメーラはぐっと呻いた。そして涙目のままだが目つきを厳しくする。
「分かっておりますよ! 分かりました! 乗りますとも!」
私の背中に乗せても良かったが、危ないので私の前に乗せ、私が覆いかぶさるような姿勢になる。あれ? フェメーラって意外に小さいわね。先ほどまでは随分ヒールの高い靴を履いていたようだ。小さい方が前に乗せやすくて助かったけど。
「では行きますよ!」
私はブケファラン神を促して空に舞い上がった。
「ひやああああああああ……!」
その瞬間、フェメーラが妙な悲鳴を上げた。何なのよもう。うるさいわね。と私は立腹したのだが、フェメーラに言わせれば、生まれて初めて空を飛んだのだから仕方がないでしょう! という事だった。まぁ、普通の人間は空飛んだ事は無いわよね。でもレイニウスはこんなに騒がなかったけどな。
私は一気に飛び、クセイノン王国を飛び越して森の民の土地に入る。そして、前回来た時に案内された大きな集落に降り立った。フェメーラは、道中半分くらい気を失っていたわよね。気絶している方が落ちそうで危ないんだけどね。何しろ裸馬なんだから。
「もう二度と乗りたくありません!」
と叫んでいた。よほど怖かったようだ。しばらくは建物の窓際から下を見下ろすのも怖いくらいのトラウマになったらしい。
集落の者に頼み、ヴェーセルグと連絡を取ってもらう。ヴェーセルグは近くにいたらしく、すぐにやって来た。森の民の家でのんびり寛ぐ私を見て、ヴェーセルグもフェメーラも呆れていたわね。だって、森の民の土地は少し涼しくて森が多いところは、私の実家の辺りに似ていて馴染むのよ。
フェメーラは地面に立てば有能で、ヴェーセルグとも臆せず話し合っていた。ヴェーセルグとしても、交易の復活は重大な懸念事項であったから、フェメーラの構想に即座に乗った。
こうして、トーマからやって来た隊商をロンバルラン王国で受け入れ、そこから帝都と森の民の土地へと振り分けるという計画がスタートした。もちろんだが色々な問題をクリアするのに難航して、計画がすぐに効果を上げたわけでは無かったが、やがて南部ルートを通過する隊商に受け入れられ、ロンバルラン王国はこれまでのクセイノン王国に代わって東西交易の重大な中継点になって行くのである。
これには様々な効果があり、特にヴェーセルグは喜んでいた。ロンバルラン王国から森の民の土地を抜けるルートが確立されると、森の民の港を通じた交易も復活したそうだ。これまでと違って、ロンバルラン王国を経由するので、帝都の商人にも旨味があるルートとなり、森の民と帝都の商人は密接な関係を築くようになっていった。
これとは別にスランテル王国が受け入れる交易も安定して続き、南部の商人は帝都を経由しない交易ルートを確立して、帝都商人とは違った伝手を築き始める。すると帝国全体としては交易ルートの複数化の効果で交易が活性化した。
ロンバルラン王国の受け入れ拠点構築と、帝都商人と森の民の関係の立役者になったフェメーラは、狙い通り大きな権益を握るようになり、彼女の商会は中規模商会から大商会へと飛躍的な発展を遂げた。もちろん、私との関係は密接で、大商人になった彼女の仲介で私は帝都の大商人と和解する事が出来たし、それに伴って帝都の諸侯との関係も良くなっていったのだった。
結局、私とフェメーラは生涯信頼し合える良い友人となり、私的に会って悪だくみをするような関係になった。商売の事や帝都の事も色々教わる事が出来て本当に助かったのだ。
でも、フェメーラは早くて暗躍には便利だから、と、どんなに誘っても、二度とブケファラン神には乗ろうとしなかったわね。
スクウェア・エニックス様のSQEXノベルより、二月七日書籍版発売です!大幅加筆しております。よろしくお願いいたします!





