四十五話 山賊王妃
スランテル王国でホーラムル様と合流する。オロックス王国で私が暗殺され掛かった事を、ホーラムル様は結構怒っていて、カイマーン陛下への不信感を口にしていたわね、
私は事情を説明し、カイマーン陛下は信頼出来る方だと言っておいたわよ。イブリア王国軍を預かるホーラムル様と後方を守るカイマーン陛下の間に信頼関係が無いと困るからね。
ホーラムル様から状況の説明を受ける。北部連合はとにかく、取り返した(でも元々そこはスランテル王国の土地だったんだけどね)ロンバルラン王国の土地を死守する構えを見せていて、連合軍が万単位で入っているようだとのこと。
ロンバルラン王国は帝国の中では国土が小さな王国で、特に耕地の少なさに悩んでいたのだそうだ。それでスランテル王国との国境の川を超えた向こうの土地をじわじわと浸食していって、国土を拡大していたのだという。それが今回「奪還」した領域だ。
どうしてそれほど、皇帝陛下にまで領有の正当性を否定されたような土地に拘るのかがいまいち分かり難いのよね。私がそう言うと、スランテル王国のハーベイという指揮官(伯爵だそうだ)が言った。
「元々、ロンバルラン王国は現在よりも大きな領域を持っていたのですが、三百年も前の事、何やら大失態を冒して領地をスランテル王国に奪われたのだそうです。その旧領がつまりあの土地で、その奪還は三百年越しの悲願だったとか」
どこにも似たような話があるものね。ガルダリン皇国がザクセラン王国に頻繁に攻め込んでくる理由もそんな感じじゃなかったかしら。
昔、クローヴェル様から土地持ち貴族は、自分の土地に物凄く執着するのだ、と聞いたことがある。どうにも土地の恨みは恐ろしいものらしい。
スランテル王国としてもその土地は三百年前の功績で貰った土地であるし、それなりに投資してもいる。今更手放したくないらしい。ただ、お会いしたハナバル陛下は「スランテル王国が領土を譲って内戦が収まるものなら、割譲しても良い」と仰った。
ハナバル陛下は私との面会で、内戦への懸念を強く滲ませた。帝国にはガルダリン皇国というはっきりとした敵がいるし、弱体化したとはいえ海賊国も虎視眈々と帝国を狙っている。海の向こうのバーデレン帝国も近年勢力を強めていると聞くし、トーマや森の民以外の蛮族にも警戒の必要がある。
内戦で大きく国力が疲弊すれば。そういう諸外国につけ込まれる危険性が高い。そうなれば私とフェルセルム様は亡国を呼び込んだ馬鹿者どもと後世に語り継がれてしまう事になるだろう。
ハナバル陛下はその辺りを強く主張し、私を諌めた。
「実際に戦火を大きく交えてしまえば、恨みつらみ憎しみが連鎖して取り返しが付かなくなってしまうだろう。クローヴェル陛下を皇帝にしたいのなら、安易な武力行使は避けるべきだ」
クローヴェル様もカイマーン陛下もハナバル陛下も同じ事を仰る。つまり、これは帝国の王や諸侯のほとんどが同じような懸念を持っているという事だろう。
北部連合の各国も同じだと考えて良いと思う。今回、北部連合は武力行使に踏み切ったのだが、これは止むに止まれず行った事だと思う。ロンバルラン王国の独走を防ぎ、連合の瓦解を防ぎたかったのだろう。
しかしながら、実際に敵が侵攻してきた以上、反撃しないという選択肢は無い。そうしないと南部と北部の対決で明確に南部に負けが付いてしまう。状況を固唾を飲んで見守っている諸侯たちに「北部有利」の印象を与えれば、北部への裏切りを呼び込みかねない。
占領された地域に攻め入って取り返すのは不可能では無いと思う。イブリア王国軍は精強だし、トーマの騎兵隊が数千騎も来てくれている。しかしながら、イブリア王国軍が力で敵を粉砕する事自体が望ましくないというのだから難しい。
私はトーマの騎兵隊二千を率いてスランテル王国からザクセラン王国へと向かった。ザクセラン王国の国王ザーカルト陛下は、七千の兵を率いてスランテル王国との国境まで進出していた。いつでもロンバルラン王国へと侵攻出来る体勢だ。
お会いしたザーカルト陛下はやる気満々だった。この方の意見は、内戦は望ましくないが、戦うべき時は戦うべし。北部に舐められては今後に差し支える。一戦して撃ち破るべし。というものだった。如何にも武人らしいが、国王としてはカイマーン陛下よりも若さを感じる。クーデターを起こして王位を奪った身としては、華々しい功績を欲してもいるのだろう。
私は頷き、ザーカルト陛下に言った。
「ザーカルト陛下にお願いしたい事がございます」
「なんなりと」
「クセイノン王国へと侵攻してください」
ザーカルト陛下は驚きに目を見張った。私は説明する。
現在、北部連合はロンバルラン王国に戦力を集中させている。これは、何がなんでも今回再占領した地域を奪い返されたく無いからだ。南部同盟の奪還を諦めさせるために、過剰なほどの戦力を積んでいるのだろう。
逆に言うと、北部連合は他の地域へ南部が侵攻してくるとは考えていないのだ。
「オロックス王国のカイマーン陛下はクセイノン王国のエルミージュ陛下の義弟です。ですから、オロックス王国方面からの侵攻はなかろうと安心しているのです」
しかし、私はカイマーン陛下から領地内の軍の行動を許可してもらっている。なのでザーカルト陛下にオロックス王国内を通過して、クセイノン王国へ侵攻してもらおうと思っているのだ。
「ザクセラン王国軍はクセイノン王国に侵入した後、補給物資を集積してある基地を数カ所襲って焼いてしまってください。それ以外の戦いは禁じます」
そういう補給基地の場所は、クローヴェル様が集めた情報にあったらしく、ホーラムル様から教えてもらった。北部連合軍は国境地帯に二万近い兵力を集中させている。当然膨大な補給物資が必要になるだろう。後方基地を焼かれて補給が滞れば、軍を維持出来なくなる。
しかも後方のクセイノン王国を、オロックス王国経由で、よりにもよってザクセラン王国軍が襲ったとなれば北部連合に与える心理的な衝撃は大きいだろう。少なくともロンバルラン王国に戦力を集中させる事は出来なくなると思われる。
ザーカルト陛下は若干不満気だった。
「南部同盟には北部に勝る軍事力があります。そのような策を弄さずとも、正面から戦っても圧勝できます。その方が勝敗が速く決しましょう。その方が戦後に残る帝国内の疲弊は少ないと思いますが?」
そういう考え方もあるのね。確かに長期に渡って南北が対立してしまえば、それだけ帝国に残る影響は大きくなる。他国が蠢動する余地も増えるだろう。一戦で勝負が付くならその方が戦後に残る影響は小さくなると言える。
しかし私は首を横に振った。
「実際に戦いが起きて勝敗が着いてしまったら、敗者を罰さなければならなくなります」
「敗者は奪われるものですからな。それに何か問題でも?」
「罰せられた者には恨みが残ります。この恨みは容易には消えません。イブリア王国は百年前に罰せられ、ロンバルラン王国は三百年前に罰せられましたが、その恨みが未だに残っている訳ですからね」
私にはそのつもりはないが。クローヴェル様が皇帝を目指しているのは、百年前に帝国に罰せられ、山間部に押し込められたイブリア王国の復讐だ、という声は聞こえてきている。
「勝敗を決してはなりません。特に南北の間に勝敗を着ける事は、今後の南北の間に上下を付けてしまう事になります。それは今後の事を考えると望ましくありません」
ザーカルト陛下はよく分からない、という顔をした。
「ではどうするのですか? 上下を付けなければ南北対立は終わりますまい」
「南北に上下は付けられませんが、クローヴェル様が絶対的な上位になり、各国の王がその下で平等になる形での上下を付けます」
それが、私の考える帝国の将来的な姿だった。クローヴェル様を絶対的な皇帝の座に置き、その下で各王国の国王を均衡させる。その際に南北の王国に格差が出来てしまうと困るのである。
「ですから、一気に決着を付けるのではなく、やはり北部連合を段々と切り崩していきたいと考えています」
そこまで説明すればザーカルト陛下にも理解出来たのだろう。成程と頷いて言った。
「まず、ロンバルラン王国を丸裸にするという事ですな?」
「そういう事です。頼みましたよ。ザーカルト陛下」
ザーカルト陛下は歯を見せてニーっと笑った。
「戦女神イリューテシア様の仰せとあらば、このザーカルト、必ず使命を果たしてごらんにいれましょうぞ」
・・・聖女扱いは許容するとして、戦女神扱いはどうしよう。本物に怒られはしまいかと心配なのよね。私の逡巡を見越したように、ザーカルト様は言う。
「あの戦女神様のご気性では、気に入らぬ者に呼び出されても降臨しては下さらぬでしょう。ああ見えてイリューテシア様は戦女神様に気に入られておりますよ」
そうかもね。御降臨下すった二回とも随分楽しまれて帰られたようだしね。
「そうですな。戦女神そのものと言ったら不遜に当たるかもしれませぬが、戦女神の化身と讃えるなら、事実であるので不遜には当たりますまい」
それだと私が随分勇ましい女性みたいじゃないの。まぁ、でも、その辺りで折り合いを付けましょうか。利用出来るものは虚名であろうと利用する。そうしなければ、戦わずしてこの内戦に勝つなどという、困難な目的は達成出来ないだろう。
「分かりました。戦女神ランべルージュ様の化身である私、イリューテシアがザクセラン王国のザーカルト陛下に命じます」
ザーカルト様はむしろ嬉しそうに、恭しく私に一礼した。
「拝命いたしました。お任せください。イリューテシア様」
ザーカルト様に指示を出した後、私は一度スランテル王国に戻り、ホーラムル様と打ち合わせた後、今度はトーマの土地へ向かった。何しろトーマの軽騎兵しか率いていないのだから早い。私は服装もトーマの騎兵の部分鎧だったので、見た目はすっかりトーマの民だ。
そのままトーマの土地を北上して、森の民の土地に入る。一応通過の許可はヴェーセルグにもらっているとはいえ、話が通っていないと困るので、使者を送って近辺の森の民に通過して良いかの確認を取る。
ロヴェルジェ神の巫女が来たと言ったらあっさり許可が出た。ちゃんとヴェーセルグから話が来ていたらしい。同時に、十人ほどの森の民の男達が協力を申し出てきた。全員腕の良い弓兵で、これもヴェーセルグの手配だという。随分至れり尽せりね。
どうやらロヴェルジェ神のご威光を使って、ヴェーセルグはごく短期間で森の民の統一を果たしたらしい。今まで出自の関係からヴェーセルグに従おうとしなかった氏族が、ロヴェルジェ神のご加護があるならと従うようになったのだそうだ。
そして実際にロヴェルジェ神のお姿を見た森の民の間で、かの神への信仰心が再燃して大変な事になっているらしく、ロヴェルジェ神の巫女として森の民の間に知れ渡った(らしい)私も多大な崇敬を集めるようになっているそうだ。
何だか各方面で私の虚像が膨れ上がって困った事になっている気がするが、そういう虚像や虚名をも総動員して戦わなければいけないのが今だ。私は森の民の申し出を喜んで受ける事にした。
私たちは森の民の案内で最短コースを抜け、クセイノン王国へ森の民の土地から侵入した。そして、やはりクローヴェル様経由で得た情報を元に、クセイノン王国の補給物資集積拠点を襲った。
言っちゃなんだが、略奪強盗はトーマの人々の得意分野である。今回は私の許可もあるので大手を振っての略奪行為だ。
私は邪魔にならないように離れて見ていたのだが、木の柵で囲われている村に近づくと、門を閉ざされる前に数騎が鮮やかに侵入し、見張りを倒し、門を確保。すると本隊が乱入してしまうのだ。
本来ならそこで村人を奴隷として売るためにできる限り生け捕って、そして村の物資を根こそぎ奪うのだそうだが(帝国でトーマの者達が恐れられる訳だわね)、今回は村にいる者を全員村から追い出して、軍需物資を奪えるだけ奪った後に村に火を掛けた。トーマの者達は勿体無いと嘆いていたわね。
村人を売り飛ばしたり、根こそぎ奪う暇は無いから仕方が無い。火を掛けたのは再利用出来なくするためと目立つためだ。村人には気の毒だが、内戦が終わった後に補償する事にしよう。
そんな感じで数カ所の拠点を焼き討ちする。なるべく犠牲者は出したくなかったが、何箇所かではかなり激しい抵抗があり、そういう場所では森の民の弓兵が役に立った。彼らは非常に身が軽く、木の柵を軽々乗り越えて侵入し、村の中を密かに進み、物陰から目標を確実に射抜くのだ。指揮官を狙って排除すれば、それ以外の兵達は降伏する。
私はなんとなく弓兵と言えば隊列を組んで矢を放つイメージがあったのだが、森の民の弓兵はどちらかといえば個々に潜んで戦う者達で、なるほどこれは森の中で活きる兵科だと思えるわね。
私はトーマと森の民を率いてクセイノン王国内を荒らし回った。幾つもの村を焼いて物資を奪って大騒ぎをしていると、なんだか盗賊の首領になった気分だったわ。実際、後で私の所業を聞いたクセイノン王国のエルミージュ陛下は「どこが聖女だ! あの山賊王妃が!」と私を罵ったらしいわね。
そうやってクセイノン王国内で派手に行動していると斥候がロンバルラン王国方面から大軍が引き上げてきたと伝えてきた。狙い通り、クセイノン王国軍が本国の危機に慌てて引き上げてきたものと見える。
私たちはさっさと引き上げた。森の民の土地に。国境を警戒している砦の側をこれ見よがしに抜けていったから「トーマの騎兵隊が森の民の土地へ逃げていった」という事実はエルミージュ陛下やフェルセルム様の知るところとなっただろうね。
森の民の村に滞在しながら、トーマの者を使者に出し、状況を把握する。どうやら、北部連合は狙い通りほとんどがロンバルラン王国を離れたようだった。それはそうよね。
私はここで、やろうと思えばクセイノン王国からロンバルラン王国を抜けて、北部連合軍を背後から襲って、スランテル王国にいるイブリア王国本軍とでもって北部連合軍を挟み撃ちにする事だって出来たのだ。そうすれば北部連合軍は壊滅しただろう。
その危険性を理解すれば、クセイノン王国とクーラルガ王国としてはロンバルラン王国だけに戦力を集中してはいられないだろう。狙い通りだ。
私の狙いはロンバルラン王国を孤立させる事だった。クセイノン王国軍、クーラルガ王国軍が抜けてしまった現在、ロンバルラン王国はスランテル王国、ザクセラン王国、オロックス王国から単独で囲まれている状況なのだ。
しかも、スランテル王国から領土を奪い返して、南部同盟に恨みを買っている状態である。いつ攻め込まれて、王都を焼かれても文句は言えないくらいの情勢だよね。
それを防ぎたければ、降伏するしか無いだろうね。しかし誇り高い竜首の王国であるロンバルラン王国が、敵に降伏するなどあり得ない事だろう。かつて百年前に帝国軍に攻められたイブリア王国も、王都を包囲されても降伏せず、結局当時のアルハイン公爵が強引に当時の国王を拘束して降伏しなければ、燃え上がる王都と運命を共にするところだったと聞いている。
しかし、そんなところまで付き合ってはいられないわよね。早いところ降伏してもらわないと後が面倒だ。私はロンバルラン王国に使者を出した。交渉を申し入れたのである。
ここまで追い込んで交渉に乗って来なかったらどうしようかと思ったのだが、幸いな事にロンバルラン王国のコルマドール陛下は交渉に応じてきた。私は交渉場所にザクセラン王国内の町を指定したのだが、コルマドール陛下は帝都を指定してきた。まぁ、ザクセラン王国は南部同盟、つまりロンバルラン王国にとっては敵地だ。帝都なら中立だし、兵士はあまり入れられないしね。私は了承し、スランテル王国のハナバル陛下にも帝都に向かってもらい、私はブケファラン神で先行した。
帝都の屋敷に入ると、グレイド様に会談の準備を頼んだ。そして、皇帝陛下に面会の申し入れをした。コルマドール陛下とハナバル陛下が帝都に到着するまでに三日は掛かる。その前に皇帝陛下に会って話を付けておきたい。
皇帝陛下は面会に応じて下さったので、私はしっかり護衛を百人ほど付けて帝宮に向かった。ちゃんとドレスも身にまとい、イブリア王国のイリューテシア王妃来たる! という感じで帝都を進んだ。コソコソしてませんよ。というアピールだ。
これで北部の手の者に襲われでもしたら、皇帝陛下に訴えて帝都から北部諸国を締め出そうと思ったのだが、フェルセルム様はそこまで迂闊ではなかった。私は特に問題無く帝宮にたどり着き、サロンで皇帝陛下と面会した。優雅にお茶を飲みつつお話するのだか、内容はきな臭い戦争の話だ。
「私が交渉に立ち会うのかね?」
皇帝陛下はびっくりした顔をなさった。私はふんわり上品に笑って応じる。
「できれば、交渉場所として帝宮もお借り出来ればと思います」
「それはまた、何故?」
「完全に中立な場所で、中立な皇帝陛下に立ち会って頂けば、ロンバルラン王国のコルマドール陛下も言い訳になると思うのです」
ロンバルラン王国にとって、国を守るためには、降伏はもう不可避だ。北部連合の軍隊はクセイノン王国に引き上げてしまった。単独では南部同盟軍には対抗出来ない。今回の交渉で南部への降伏を断れば、南部同盟軍が攻め込んできて国が滅んでしまう事は、コルマドール陛下も分かっている。
しかし、軍事的圧力によって降伏を余儀なくされた、などという事になればロンバルラン王国にとっては屈辱的な事になってしまい、王国内部に南部への深い恨みを植え付ける結果になってしまうだろう。
「それを防ぐには、形式的にでも『皇帝陛下の仲裁を受けて』南部へ鞍替えした、という事にしたいのですよ」
皇帝陛下は納得したように頷いた。
「そういう事なら引き受けよう。私としても戦争無く紛争が解決するならそれが一番だ。しかし、コルマドール陛下の名誉はどうやって守るつもりかね?」
コルマドール陛下にとって、これまで戦争にまで訴えて南部と対立していたものを皇帝陛下に諭されたとはいえ、突然南部に降るなどという事になれば、当然その腰の軽さは非難の的となるだろう。
事実としてはイブリア王国へ降伏という事にもなるし、コルマドール陛下の権威は失墜し、諸侯の離反を招く事にもなってしまうだろう。
それを防ぐにはコルマドール陛下に何か名誉を守る事が出来る言い訳を与えなければならない。皇帝陛下に仲裁して頂く事もその一つだが、もっと実利的な部分でコルマドール陛下に譲ってあげる必要があるだろうね。
「スランテル王国とロンバルラン王国が係争している地域を、ロンバルラン王国に譲りましょう」
皇帝陛下は目を見開かれた。
「本気かね?」
「伯父であるハナバル陛下には了承を頂いております。内戦よりは良いと」
ハナバル陛下としては、本格的な内戦となれば、最前線になる土地を領する王国として南部同盟軍の兵站を維持する協力を強いられる事になり、負担が大きくなる。そんな事になるくらいなら、事実上ロンバルラン王国に長く奪われていた地域でもあるし、内戦を防ぐ交渉の切り札になるのであれば割譲しても構わない、というのが本音だろう。
皇帝陛下は感じ入ったという感じで何度も頷かれた。
「流石はハナバル陛下だな。よろしい。そういう話であれば、仲介しよう」
こうして皇帝陛下からの協力を取り付けて、ロンバルラン王国と南部同盟の交渉は帝宮の会議室の一つで行われる事になった。南部同盟の側からは私とハナバル陛下。ロンバルラン王国からはコルマドール陛下と王妃様。そして仲介役として皇帝陛下。
コルマドール陛下は皇帝陛下がお出ましになった事に明らかに戸惑っていた。それはそうだろう。
皇帝陛下はクーラルガ王国の国王でもある。なので、なんだかんだ言っても王太子であるフェルセルム様寄りの、つまり北部連合寄りのお立場だと思われている。
実際には私にもフェルセルム様にも中立であることを約束して下さっているのだが、詳しく知らなければそう思うはずだ。
それが、このような交渉で「中立である」とお出ましになれば、それはコルマドール陛下にしてみれば「皇帝陛下は以前よりも南部に寄った」と思えてしまう事だろう。
皇帝陛下が南部寄りの立場なのであれば、コルマドール陛下としては南部に降る際の心理的障壁が低くなることだろう。私が皇帝陛下を引っ張り出した理由がここにある。
実際、コルマドール陛下は皇帝陛下に「帝国の安定のためには内戦は避けなければならない。先に武力行使をした北部は責められるべき」と叱られて、すっかり大人しくなってしまった。
そしてハナバル陛下から紛争地域の割譲を持ち掛けられ、これと引き換えに南部同盟に加わる事を提案されると、あっさりと陥落した。
コルマドール陛下はまだ三十代の若い王で、十分次の皇帝候補と見做される方だったのだが、皇帝候補の地位を放棄してクローヴェル様を推すとも約束した。
こうして、交渉は整い、ロンバルラン王国が南部同盟に加わることになったのである。これは、事実上の北部連合の崩壊だと言って良かった。
何しろ、これで北部連合に残ったのはクセイノン王国とクーラルガ王国の二国だけ。帝国全体の領域としては四分の一程度の領域しか保持していない事になる。
既に今の状態で選帝会議を開いたとしたら、圧倒的な賛成多数でクローヴェル様が皇帝に推される事だろう。帝都周りの大諸侯は雪崩を打ってクローヴェル様を支持してくれるだろうし、これほど勢力に大差が付けばクセイノン、クーラルガ王国に従う諸侯の離反も期待出来る。
もちろんだが純粋に軍事的に見ても、南北の戦力差は圧倒的なものとなっている。ロンバルラン王国にも領地の軍事通行権。有事における軍の指揮権を認めさせた。クセイノン王国はこれで南(ロンバルラン王国)、西南(オロックス王国)、東(森の民)から南部同盟に包囲される形となったのだ。
交渉後、私はコルマドール陛下と一対一で会談の場を持った。もちろん、護衛は付けてね。コルマドール陛下は癖のある金髪を片手でかき回しながら、グレーの瞳で私を睨んだ。
「噂通りの恐ろしい方だな。貴女は」
私は知らん顔で微笑んだ。
「どの噂でしょうか? なにしろ、私の事を好き勝手に噂する方が多くて」
「フェルセルム様が何度も『イリューテシア王妃は恐るべき方だから、油断せぬように』と仰っていた。あれほどの方が恐れるのだ。もっと真面目に受け取るべきだった」
フェルセルム様にとっては私はどうやら幾つものトラウマを植え付けた恐ろしい女であるらしい。
「それ程ではありませんよ。私よりクローヴェル様の方が怖いですわよ」
「知っている。クローヴェル陛下と書簡をやり取りした限りでは、まさかイブリア王国が森の民まで味方に付けているとは分からなかった。それ以外の軍を動かした情報は逐一伝えて来ていたのに。まんまと騙された」
クローヴェル様の情報戦術は北部を翻弄したようだ。今更クローヴェル様に謀られたと分かってももう遅い。いつから騙されていたのか、どこからが偽情報なのか、もう判断が付かないだろう。一方、クローヴェル様は私に北部から伝えられた情報は何も伝え無かった。偽情報に惑わされないようにだろうね。
「クローヴェル様にも貴女にも負けた。故にイブリア王国の麾下に入る事は仕方が無い。納得はしている。が、フェルセルム様を甘く見ないことだ」
どうやら、巻き返しのために何やら企んでいる気配があるらしい。
「油断はしてはおりませんよ。あの方はしつこくて面倒な方ですからね」
「しつこくて面倒、か。あのフェルセルム様をそんな風に評する者は初めて見たな」
コルマドール陛下は笑った。そして、すっと立ち上がると、座る私の前に跪いた。私はちょっと驚いた。コルマドール陛下は別に私に負けた訳ではない。状況の不利を悟って降伏したに過ぎないのだ。私に忠誠を捧げるような出来事は無かったと思うけど。
「私はフェルセルム様を裏切った。あの方は裏切りを許すような方ではない。南部同盟が敗れフェルセルム様が皇帝になれば、私は復讐されるだろう。故に貴女にはフェルセルム様に勝ってもらわなければならない」
はー。あの横恋慕男。よくよく人付き合いが下手くそね。味方にそんな風に恐れられて良いことは何も無いと思うんだけど。
彼はそれなりに人望はあるし、能力も間違い無くあるのだから、堂々としていれば誰もがついて来ると思うのだ。それを余計な事をして色んな策を弄するものだから、人から信頼されないのよね。
・・・あれ? そういえば、私も何だか恐れられているんだっけ?
「貴女の恐ろしさはフェルセルム様とは違いますな」
コルマドール陛下は悪戯っぽい表情で微笑んだ。この人もなかなか美男子ね。女性にモテそう。
「貴女の恐ろしさは母の恐ろしさですよ。何もかも見透かされていそうな、ね。母にはどんな嘘も即座に見抜かれたものです」
そういえば、昔は「母さんには嘘がつけ無いな」と私も思っていたわね。
「貴女には帝国の母になっていただきたい」
コルマドール陛下はそう言って私に深く頭を下げた。・・・まぁ、聖女になれと言われたり、女神になれと言われるよりは心理的障壁は低いけどね。私、二児の母だし。
「分かりました。必ずや貴方の期待に応えましょう」
私はそう言って、コルマドール陛下の忠誠を受け入れたのだった。
スクエニノベル様から書籍版の発売が発表になりました! 皆様のおかげです! 本当にありがとうございます!





