或るパンティ職人の半生
厚いアクリル板の前にある椅子に、雑誌社の男が座った。
頑丈なコンクリートの壁が、威圧感を与えてくる。蛍光灯の白っぽい光が、無機質なボイスレコーダーを光らせる。
どれくらい、経っただろうか。
アクリル板の向こうから、ドアの開く音がした。
制服姿の青年が、小太りで分厚いメガネをかけた中年の男と一緒に部屋に入ってきた。
「パンティ職人…!」
感極まったように、雑誌社の男…那珂川は椅子から立ち上がった。
まっすぐに、アクリル板越しに中年の男を見る那珂川に、制服姿の青年が声を掛けた。
「取材だからと、過度な質問は控えるように。わたしは別室に行きますが、カメラとマイクで複数人が監視しています。
くれぐれも…」
「え、ええ、わかっています。
こちらとしても、掲載できなければ意味がありませんから…」
那珂川はこくこくと首を動かして、また椅子に座った。ずっと視線は中年の男に向いたままだった。
その目が、『この男は特別なんだ』と、語っていた。
制服の男が部屋を出て行ってから、那珂川は改めて名前を名乗り、取材を受けてくれたことに謝意を示した。
その間、中年の男は背中を丸め、さらに丸い体に見える体勢のまま、俯いていた。
「それでは、取材を始めさせていただきます。ネットに接続できない旧式のボイスレコーダーです。安心して話してください」
那珂川が、透明な板の向こうにいる男に優しく話しかけた。
「それでは、取材をはじめさせていただきます。パンティ職人の田中さん」
すると、中年の男…田中が顔を上げた。
「田中…か。久しぶりに呼ばれたな」
「ああ、今は……イチバンさん…でしたっけ」
「まあ、そんな感じだな」
田中は肩を揺らしてくつくつと笑うと、那珂川の呼びかけに応えるように話し始めた。
最初は、友だちのコスプレ衣装を作ってたんだ。ああ、もちろん、全員男だ。
女装もあったから、それなりに女物も作ったが。着ていたのは全部男だ。
それでもなぁ、それなりに楽しかったんだ。オタク同士でわいわいアニメについて語って、盛り上がって……本当に楽しかったんだ。
……ああ、つい懐かしくてな。
それで…そう。何かのイベントで、バカにされたんだ。衣装が稚拙すぎるとか、女装の服として間違っているとか。
今思えば、聞き流せばよかったんだ。ただ、どうしても腹が立ってな。その時、言われたんだ。
『おしゃれショップ・タニグチ並みにひどいな』って。
地元の安い衣料品店でな。そこのおばちゃんにはよくしてもらってたんだ。それに、母さんがオレのために買ってくれた服は、全部そこだった。
オレの作ったコスプレ衣装と合わせて、色々バカにされたと思ってな。でも、こんなナリだから…殴りかかる勇気もなくて。
友だちは慰めてくれたんだが。
怒りがおさまらなくて、な。そのまま帰り道に「おしゃれショップ・タニグチ」に行っちまったんだ。それで、衝動的に売れ残りのバカでかい福袋を買って…。
家に帰って開けたら、母さんたちが着そうなおばちゃんファッションがどんどん出てきて…これは母さんにやるしかないなと思っていたら……
そう、パンティがあったんだ。
その時、オレは衝撃を受けた。
こんなに柔らかくて、繊細なものがあったのかと。
コスプレ衣装で縫っていた布で、ここまで柔らかく、透けているものはなかった。
それにゴムの縫い付け方や、レース。
すべてが衝撃的だった。
ーーーそこから、パンティ職人の道が始まったんですか?
ああ、そうだ。その日からオレは来る日も来る日も、パンティを作り続けた。
いいか、パンツじゃない。綿素材の健康さは不要なんだ。華奢で、可憐で、欲望を湧き上がらせるような下着が、パンティなんだ。
ーーーそして、一万枚を作り上げたと。
ああ、時間はかかったが、オレは満足できそうなパンティを作れるようになった。
ただ、それは履かれてこそのパンティだ。
オレは、ネット通販を始めた。
現品限り、再販なしで。
ーーーその時は、女性名を名乗ってましたよね。
まぁな。ふふっ。男が作ったパンティなんて、気持ち悪いからな。しかも全て手作りだ。くっくっ…、今思うとよくやったと思うよ。
まあ、それが売れてな。
気がついたらそれなりに生活できるくらいになっていた。
ーーーそして、あの有名下着メーカーとのコラボ企画が。
ああ、本当に驚いたよ。
オレの作ったパンティを見て、「男が作ったパンティだ」と、見抜いた上で、オレに話を持ちかけてくるんだからな。まぁ、今はそこの社長にまでなってるらしいからな。あの女はすごいよ。
ーーーその女性とは、恋仲になったという噂がありますが。
そんな噂はウソだ。
確かに、彼女はオレに迫ってきたことはある。下着姿でな。
だが、その時気づいたんだ。
ーーーそれは一体、何に…?
まあ、それは……後で話そう。
まあ、そんなわけで、男とバレたが、パンティ職人・田中として、社会にようやく出たのさ。
ーーーその後の活躍は、周知の通りですね!
ああ、舞台衣装としてのパンティを作り、世界中のショーにパンティ職人・田中ありと言われたこともあったな……もう、忘れられているだろうが。
ーーーそんなことはありませんよ!パンティ職人・田中さんが作られたパンティは、子宝のパンティと言われてます!
ははっ、そうか。少子化に貢献できたのなら、それもいいか。
ーーー……田中さん?どうされました?泣いてるんですか…?
いや、ぐすっ……あ、ああ、ちょっと思い出してな。
あの頃、パンティを作り続けていたが、一度もパンティの中を見たことはなかったんだ。
パンティを履く女は、何百人と見てきた。
だが、中を見たことはなかったんだ。
下着姿でオレに誘いをかけてきた女は、いた。だが、オレは…その下着の縫製に目を奪われてしまって、まったく興奮しなかったんだ。
その時、オレは思った。
パンティ職人として生きる限り、下着姿の女に欲情はできないと。
ーーーそれは、大変辛かったでしょう。
そうさ。盛りのついた年の男だというのに。据え膳が目の前にあってもなんの反応もしない。
冷めた目で見ているオレに、どれだけの女たちが傷ついたか…。だが、全裸で迫ってくれとは、オレには言えなかった。
ーーーパンティ職人、ですものね…
ああ、オレはパンティ職人・田中として、生を全うしようと思った。だが、それでも恋には落ちるんだな。
ーーー世界的歌姫の、キャサリンですね…
ああ、オレは舞台衣装を作る時から、キャサリンに夢中だった。
しかし、彼女が下着姿をしてもまったく欲情しなかった。
プラトニックラブなんて、キャサリンが受け入れるわけがない。それにこんなナリの男をキャサリンは好きになるわけがない。
そう思ったんだ。
ーーーそれでも、好きだったんですよね。
そうさ、好きだった。愛してた。
だから、オレが触れないキャサリンのパンティの中を想像しては、頭が爆発しそうになった。何度も何度も。
だが、童貞の想像なんてたかが知れてる。それなのに、妄想することを止められないんだ。心と体がバラバラになってた。
それをなだめるために、オレの髪の毛を使って、キャサリンのパンティを刺繍したりもした。
せめて、キャサリンの近くにいたかったから…
ーーー田中さん……
あんたまで泣くなよ。ぐすっ。
思い詰めて、オレは自分の皮膚でキャサリンの舞台衣装のパンティを作ろうかと思った。
まあ、その前に捕まったんだがな。
ふうっと、パンティ職人・田中がため息を吐いた。
その息は、アクリル板で遮断され、那珂川には届かなかった。
那珂川が、涙に濡れた顔を上げて、話しかけようとした時、パンティ職人・田中の背後のドアが開いた。
制服の青年がドアを開くと、飛ぶようにして金髪の肩を出したワンピース姿の女性がパンティ職人・田中の背中に抱きついた。
「もう!まだ終わらないの?」
「ああ、キャサリン。今、君に告白されたところを話そうとしてたんだ」
「まあ!それなら、もうちょっと待っててあげる!」
パンティ職人・田中は、針仕事で硬くなった指先で、優しくキャサリンの頬を撫でた。
「キャサリンは…ある晩、すっぽんぽんでオレの部屋で待ってたんだ。
『抱くの?それとも寝るの?』ってね。」
「きゃっ、恥ずかしいわ!ダーリンったら」
「あの時、きみが全裸で待っていてくれたから、オレたちは結ばれたんだ」
パンティ職人・田中は、那珂川に目を合わせて小さくうなずいた。
「オレの男としての悩みを、キャサリンはぶち壊してくれたんだ」
「……そ、それは、あなたも一緒です!」
感極まった様子で、那珂川は立ち上がり、アクリル板に両手をついた。
「あなたが…パンティ職人・田中さんがいたから…!わたしは娘を授かることができたんです!妻とも離婚せずに、今も仲良く暮らせているんです!
本当は、取材なんて、あなたにお礼を言うための手段でしかありません!
あなたの、あなたのパンティは素晴らしい!!
本当に…本当に、ありがとうございました!!」
白く曇ったアクリル板をパンティ職人・田中は見つめていたが、何も見えていなかった。
彼の目には、涙があふれていたから。
「……キャサリン、もう一度、パンティを作ってもいいかい?」
「もちろんよ、あなたは、わたしのイチバンだもの」
「パンティを…パンティを作りたいんだ…」
キャサリンが、パンティ職人・田中の頭を胸元で包んだ。
「あなたを刃物で襲ったヤツは、あなたの作るパンティの素晴らしさを知らなかったわ。何も怖がらないで。直接人に会っても、大丈夫だと、信じて…」
「う、うう、こんな、臆病なオレのために、キャサリンが、こんな部屋を作ってくれて、警備員を常駐させてくれて…早く強くならなきゃって…」
「いいのよ、あなたは、そのままで。強くならなくてもいいの。それがあなたに素晴らしいパンティを作る力を授けてくれているんだから。
あなたの作るパンティは、女性を強くさせるの。気持ちのこもったパンティは、仕事も恋愛も頑張ろうって、思わせてくれるの。
あなたの作るパンティは、男性のためだけじゃない。身につける女性のためにもなっているのよ。だから、誇りを持って…ね?」
「……キャサリン…!」
透明な壁を挟んで、男たちは泣き続けた。
そして、その涙が止まった時、パンティ職人・田中の新たなる伝説が始まるのであった。