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男と女の違い(性を語る)

作者: だるまんず

 手塚治虫の「リボンの騎士」というマンガを知っていますか?

 アニメ化もされました。


 天使のいたずらで、女の子の体に女と男の2つの心を持って生まれる王子様(王女様)の話。世間体は王子様、身体は王女様、心は両方。少女漫画として描かれたようですがなかなか複雑です。イメージとしては宝塚歌劇団的に女性が男性を演じているに近いのですが、物語では性別を意識したストーリが展開します。女なのに剣の達人だとか、男でなければ王位継承できないとか。そこには、女は剣を扱えない、女は支配者となれない、といった性別の常識への違和感が何度も登場します。

 詳しくはwikiなどを参照してください。


 心の性と身体の性が違うという話は、最近でこそ認められつつありますが、ちょっと前まではただの変態扱いでした。私もただの勘違いの類だろうと長い間思っていました。リボンの騎士も、主人公が男の体を持って生まれていたらどうだったろうと思います。美しいドレスを着る王子は、今でこそアリですが、当時的には無理だったように思います。この男女の意識の偏り。

 

 私の意識の変化は脳の構造に男女差があるとのニュースに触れてからでした。もちろん、身体の構造に対応する脳の部分は男女差があるわけですが、そうではない顕著な脳の構造の違いがあるということでした。だったら、脳が男性で体が女性なら性認識のズレがあっても当然なのだろう、と考えたわけです。ところが近年、どうも男女で脳の有意な差はないとの研究も出てきているようで、少々わからなくなっています。

 

 実際にトランスジェンダーの方とネットで知り合う機会があり、何度か話を聞いたのですが、決定的な女性脳男性脳の差を見出せませんでした。男性として生まれて女性として仕事をしている人でしたが、スカートを履きたい、お化粧をしたい、女性として働きたい、という意識は女性社会の一員になりたいという文化的欲求であって、スカートが女性でも化粧が女性でもありません。国や地方が違えば男性がスカートを履くし、男性も化粧をします。仕事だって今は男女差はほとんどない。男性らしさ女性らしさは文化的背景に依存をしていて、生物的男女の差とは関係がないように思います。


 これはアスリートを見る時にも思うのですが、女性アスリートと一般男性では女性アスリートの方が力もあり格闘技でも男性が勝つことはできないでしょう。これは個体差が一般的に男性の方が力が強いといった性差より大きい事を示しています。その性別であることは、その集合体の平均やトップクラスにこそ差が認められるけれど、個性の差ほどは大きくない。物理的男女差に心が付いていかない原因が個性以上に見えません。


 物理的に心を取り扱うことは難しいとは思いますが、どんな心も物理的な反応の範囲であることは疑いがありません。一部の医薬品は心を高揚させたり鎮静化させたりもします。しかし心として意識に上がるものは物理的信号に対して何らかの変換が加わって言葉となり、性認識として浮上してるのだろう、と推測します。


 コンピュータに例えるとわかりやすい。


 肉体は基盤、つまり男性基盤、女性基盤で構造が一部違うようなもの。計算機にあたる脳は男女で性能差がなく、それ自体に性別もない。男性基盤に男性OSをインストールする。WINDOWSのようなもので男性基盤に付属する装置を正常に動作させるためのオペレーションシステム。ここまでは物理的遺伝子に備わっている部分。人間でなくても生物全般に共通する。そして具体的な操作をするためのアプリをインストールする。それが教育ではないでしょうか。


 人間は教育を受けなければ人間になれないと言います。他の動物が言語を持たず生きているように、人間も言語なしに生きていた時代もありました。アプリのないコンピュータのようなもので、基盤を正常に動作させること以外に機能がなくても生物としては生きられます。

 しかし、人間は多機能になりました。先人の知恵も文化遺伝子として継承し、複雑な社会を作り上げています。それでも生まれた瞬間はアプリがない状態で、生まれてから生きる中でアプリが増えていく。その中で基盤と合わないアプリをインストールした、つまり後天的に別性になったと考えるのが自然に思えます。


 それは他の性的マイノリティについても言えるように思います。物理的な性の支配はとても大きなものではあるけれども、人間のように後付けで人間が人間らしくなる過程で多様さを発揮するのもまた人間。

 肉体に依存しない文化遺伝子が巨大化した人間にとっては物理的遺伝子の比率は下がり続けています。一方、文化遺伝子も物理的遺伝子を無視できない。それが葛藤となって、肉体的にも別性に変えたい思う流れでしょうか。


 そういう意味では、性的マイノリティは文化遺伝子が物理遺伝子を支配しようとしているように見えます。ある意味人間の進化の形なのかもしれません。


 一方、文化遺伝子が要求する物理的肉体は、物理遺伝子に依存する形態です。性が男性か女性かしかない物理遺伝子の支配する世界の中から出られているわけでもありません。


 人間の文化遺伝子の影響力は今後も強くなっていくことが予測できます。いずれは、どちらの性にも属さないことを意識する文化遺伝子が世界を凌駕し、肉体を伴わない文化遺伝子だけの存在としての人間という従来の生物とは異なる新しい生物へと進化するのかもしれません。

人間は男か女かで生まれてくるものですが、その肉体に縛られない新生物になりつつあるのかもしれません。


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